毒親から自立する方法は物理的距離をとること 毒親に執着している人間は毒親的関係性を無意識に引き寄せ続ける 母親の愛情(母性)について

2018年6月6日 毒親から自立する方法 とにかく物理的距離をとる

俺は、父親が重度の躁うつ病で一定のサイクルで暴れまくり、警察に捕まったり強制入院させられたり新聞に載ったりしていた。
その父親が嫌すぎて実家を出たかったんだが経済力がないせいで長い間出られなかった。

問題を解決しようともしない母親とも揉めまくり、10代半ばから20代前半にかけて消耗しまくった。

今まで色々あったが、去年10月に実家を出て物理的に親との距離をとったおかげで全て好転した。

毒親と一つ屋根の下に住んで、何度話し合っても解決しない人は、早く物理的距離をとった方が良いと思う。

お互いが、
「こいつ親のくせに」
「こいつ子供のくせに」
という枠組みから抜け出せなくなって永遠に解決しない。

実家を出ることで枠組みの外に出て、そこから物を言うことで親の盲点も外れることが多いかと思う。
現状の現状を出る、既存の系(枠組み)を出るとも言える。

親も一人の人間

おかげで俺は母親とは、処女膜がどうとか話せるくらいの関係になった。
もはやいい意味で親ではなく、親友みたいな関係だ。

父親は傍若無人の限りを尽くしてきたが、最近はアルツハイマーになってきて尿とかダダ漏れらしい。
70歳を過ぎた今でもまだ我を張り続け、周りを振り回し、何も反省していないらしい。

物理的距離をとると、親というより、どこかの迷惑なおっさんという認識になるので、気を揉むことがなくなる。

物理的距離をとって、親の悪い影響を遠ざけると、冷静になれる。
結局は親も、親である以前に一人の未熟な人間だったんだということに気づく。

心の何処かで、親を重要な存在だと思っているから、その未熟な人間に対して執着してしまう。
未熟な人間なんて、本来無視しておけばいいのに。

親を親じゃなく、冷静に一人の人間として見られるようになったら、精神的自立はできたようなものだと思う。

ただ、前に会った女性は、親元を離れているのにまだ親のことでひどく気を揉んでいた。
物理的に離れてもなお親のことが気になる場合は、子ども自身の未熟さなんじゃないかと思う。

親がどうであれ自立しないといけない

良い親だったら、ちゃんと子供が18~24歳で精神的・経済的自立ができるように育ててくれる。
もし子供が自立できないならそれは親の責任である。

親の義務は、子供の存在を認めていくこと、そして、自分の力で生きていけるように育てることなので、子供が大人になっても一人で生きていけない場合は、親の責任だ。

しかし悪い親(毒親)を持っても、結局子供はいずれは自立しなければいけない。
親はいつまでも生きていないし、自立せずに親を責め続けても、問題は解決しない。

どれだけ親が人間的に未熟で、自立できるように育ててくれなくても、その問題を解決するのは子ども自身しかいない。
残酷だと思うが、他人がなにをしてこようと、自分の人生の責任は100%自分で取らなければならない。

毒親問題は、親側が100%悪い。
だが、自分の今の境遇を親のせいにするのも自分の選択、しないのも自分の選択である。
過去に親にされたことを引きずり続け、現状にとどまるのも、前を向いて問題解決を目指すのも自分の選択。

俺も長い間前者だったが、その事に気づいてからは、自分で問題を解決しようと思えるようになった。

親子の距離感

実家を出て自分で生活するようになったことで、お母さんとの関係が母子から友達のような感じになってきた。
従姉弟母娘がそんな感じで、すごく良好な関係に見えた。

思ったけど、親子の確執がある人間は最終的に、絶縁したりするよりも、友達みたいな距離感になれるのが理想じゃないかなと。

従姉弟母娘は最初から確執とかはなく良好な関係。

虐待されたとかで本気で親を憎んでる場合は知らんけど、ある程度の確執なら、絶縁して恨み続けるより最終的に友達のような距離感になって関係継続できるのがいい感じかなと。
精神的にも物理的(住まい)にも距離感って大事です。

人間関係は距離感がすべてじゃないかと。
遠い距離なら良好な関係なのに、近づきすぎると最悪の関係になったりする。
そこを時と場合と人でどう判断していくか。

距離感距離感♪と言い残した男がいたが、そのとおり。

お母さんが大好きで離れられない
という状態は当然マザコンと言えると思うが、
お母さんが憎くて許せない
という状態も、執着であることには変わりないので、広義ではマザコンだと思う。
お父さんの場合も然り。

とにかく執着を少しずつ減らすのが重要。

あと関係ないけど、自分の母を人に言う時、母親とか母ではなくお母さんという語彙を使っていきたいと思った。
きもすぎた。

俺はもう実の親に対して悪い感情はない。
だが、毒親という存在そのものに対する怒りは消えない。

俺の周りにも現在進行系で毒親と戦っている人が何人かいるが、話を聞くだけで腹が立つ。

そういう思いを持っているうちは、『毒親』という概念から自由になれていないのかもしれない。
だがなくしてはいけない怒りだとも思うので、コントロールできるようになるのが重要なんじゃないだろうか。

2018年7月30日 毒親 ブラック企業 ブラック部活の糞指導者や糞教師などのろくでもない年長者が許せない

まじで他人の毒親の話とかきいたり、ボイチャしててキチガイヒステリーの母親の声がきこえてきたりすると、他人事なのに当人以上にその毒親をぼてくりこかしたくなる。
俺自身は自分のことを毒親持ちだと思ってたが、実家を出てしまえば両親のことええ人だと思えた。

ブラック企業やブラック部活などの糞上司や糞指導者の話をきいたりしたときも、当人以上にそいつらを許せなくなってくる。
俺自身は部活ほとんどやってないし、ブラック企業やブラックバイトも経験したことがなく、今までのバイト全部いい環境でいい人ばかりだったんだが。
1日でやめた松○を除いて。

抽象化すると、ろくでもない年長者や上に立つ人間というものが許せないのだろう。

俺が世の中の毒親や馬鹿教師や糞指導者を許せないのは、常識や美観などでは測れないほどの能力を持った人(特に子供)を思考停止したものさしで測って、みんなと同じようにしろと弾圧して芽を摘んでいくのが、許せないからだと思いだした。

そもそも誰しも子供の時は天才的な才能を持っている。
それをわからん毒親とか馬鹿教師が思考停止したものさしで測って、芽を摘んでどんどん抑圧的な人間を増やしていく。
能力が低い子供を弾圧したり、自分の心の問題を子供にあたることで発散しようとする未熟な親とか。

そういう意味で俺の親は、未熟ではあったが、そこまでひどい毒親ではなかった。
むしろ俺の親父は自身の躁うつ病について、上述の、突飛な能力と紐つけて話していたのでむしろ理解がある方だった。
それ故か、俺もそこそこ奔放に育ててもらった。

なぜ俺が上述のようなことを強く思うようになったかルーツは思い出せないが、これからも生きる指針にはなっていくと思う。

2018年10月19日 毒親に執着している人間は毒親的存在や毒親的関係性を無意識に求め引き寄せ続ける

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某会社のパワハラ自殺事件を見て思ったことがあったので書きました。

毒親的関係性

毒親育ちで心に深い傷を負ってたり未解決の問題が残ってても、表向きは明るく一見普通に働けてるような人間がいきなり自殺するイメージがある。

3月の時点で気づいてた人みたいに、その手の洞察力がある人ならライブ動画での、自殺した女性の仕草や態度を見て違和感に気づけるんだろう。
毒親問題を解決していない人はたぶん、そういう人にこそ心を開くべきなんだろうけど、結局某社長みたいなサイコパスが毒親の代わりになって自殺に追い込んでしまったというか。

毒親育ちかつその問題が未解決の人間は、つまり毒親に執着してるってことだから、人生の中で毒親的存在を無意識に求め続けるのかもしれない。

某社長自身も毒親育ちらしいし、結局今回の事件は、毒親への執着を断ち切れてない人間同士が毒親と子供の関係を構築しなおしたというか。

毒親的存在や毒親的関係性を求め引き寄せ続ける

潜在意識は感情とか状況の良し悪しを判断せず、これまでの人生で出し慣れた感情、慣れた状況を愚直を求める。
だから、毒親から離れても毒親に苦しんでいた時の状況や感情を無意識に求め、ブラック部活の毒顧問やブラック企業の毒上司・毒社長と、毒親と子供の関係を再構築すべく場を選んでいってしまうんじゃないだろうか。

あとDV男も。
DV男と、毒親と子供のような関係を構築している女性とかも多そう。

パワハラ自殺と女性

それに、全体的な自殺率は男のほうが高いけど、パワハラ自殺は女性率が高すぎる気がする。

女性にありがちな、
「自分さえ我慢すれば」
という抑圧的な自己犠牲精神との関係性が知りたい。

偏見かもしれないが、女性性は『従属』と『自己犠牲』を求めるという特徴があるのが一番の原因じゃないか。

なおかつ、潜在意識の深いところで、
「私は女だから深いこと(難しいこと)は考えなくていい」
というような考えがあるように思う。

これは女性性が悪いとかその人が悪いとかじゃなく、たぶん儒教の影響。
自己犠牲は母性とセットのものという意見もあったが、そうではないと俺は信じたい。

それらのせいで多くの女性は、人を見る洞察力とか、その人についていっていいかどうかの判断力とか、問題解決能力とかが育ちにくく、結局安易に毒親的存在に従属してしまうんじゃないだろうか。

ちなみに俺も毒親育ち(父親が躁うつ病)だが、世間一般の毒親と比べるとぬるい気がする。

俺はとりあえず、毒親との関係性はほぼ断ち切れたんじゃないかと思う。
あくまでこうやって口で言えてるだけかもしれないが。

断ち切れていないころは確かに周りに毒親持ちばかりが集まっていた。
毒親持ちでない人も知り合いにたくさんいるが、毒親持ちとはなぜかいつも気がついたら親密になっていた。
毒親持ち特有の人格を求めていたのだと思う。
(さすがに、他者と毒親的関係性を構築したことはない。)

今後の人生で俺が毒親持ちを引き寄せるか引き寄せないかで、俺が本当に毒親との関係性を断ち切れたかどうかわかるはず。

2018年12月6日 毒親持ちや攻撃的な人間は結局のところ母親の愛情(母性)に飢えて癒やしを求めている

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これまで毒親についていろいろと考えてきたが、最近の結論はタイトルのようなこと。
結局のところ、ママが恋しいんである。

毒親に育てられた子にも色々いると思うが、必ず共通するのは、
『親に無条件の愛を与えてもらえなかった』
『家が落ち着ける場所じゃなかった、安全な場所じゃなかった』
『本当の安らぎを知らない』
あたりのことだと思う。

幼稚園だろうが小学校だろうが、外に出る限り人は必ず傷ついたり疲れたりする。
本来は、それを無条件に癒やしてくれるのが親であり家のはずなのだが、毒親持ちはそれを得ることができなかった。

そのまま、中学や高校や大学に上がり、さらに外での競争は苛烈になり、疲弊度は上がる。
だが相変わらず親も家も自分を助けたり癒やしてくれないので(むしろ攻撃してくるのが毒親)、自分で自分を守るしかなくなる。

そのために人は、攻撃的になったり、グレて暴走族になったり、うつ病になって何もする気がおきなくなったり、アルコール依存症になったり、薬物依存症になったり、不特定多数の異性とのセックスに耽ったり、タルパを作ったり、解離性同一性障害になったりする。
タチが悪いのは、辛さを紛らわすために逆に勉強熱心になったり、仕事熱心になったりして、過労死してしまうパターンとか。

そこまで深刻でなくとも、例えば俺のリアルの知り合いのメガヤスなどのように、他人に心を開けない、他人といると疲れて仕方がない、他人の前でリラックスできない、など『自分以外は敵』というような認識が多かれ少なかれ発生してくる。

母性

『幼少期に満たされなかったこと』の反動が、青年期にどういう現れ方をして、固着していくかはあらゆるケースがあると思うが、結局必要なのは『母親の愛情(母性)』しかない。

母親の前では、ありのままでいていい
母親の前では、どんな失敗をしてもいい
母親の前では、どれだけ情けない姿を見せてもいい
母親の前では、どれだけ無防備でいてもいい

そういう状態を経験していない人間は、『世の中(自分以外)は敵』だと認識する癖がついてしまう。
その癖がすべての原因となって、上に紹介したような、あらゆる病的心理状態になっていく。
失敗を許されず、情けない姿を見せることを許されなかったので、何にも挑戦できない人間になっていく。

俺もまさにそうで、攻撃的だし、世の中は敵、という認識も強くあり、挑戦するのも嫌いだ。

結局のところ上に挙げた病的心理状態というのはすべて『強がり』でしかない。
攻撃的な人間も、うつ病患者も、暴走族も、アル中も、タルパ持ちも、心の底ではただ、無条件の愛を持った存在に「ママー!」と言って抱きついて甘えてやすらぎたいだけなのである。

他の記事にも書いたが、俺もとにかく女性に「ママー!」と言って甘えたい。
そういった欲求が強くあることに、最近やっと気がついた。
たぶん、学校に行けなくて、将来が不安で仕方なく、つらかった、14歳の頃からその欲求はあったはず。

俺は幼少期に母親の愛情をたっぷり受けた自信があるが、父親が躁うつ病かつ自立していない人間だったため、母親の取り合いになった。
14歳で学校にいけなくなり人生に挫折したり、16歳で高校をやめた頃が一番、『無条件の愛』が必要なときだったのだが、母親は父親にかかりっきりであり、俺はどうしようもなかった。

その頃から、『敵』である世の中から自分を守るすべとして、攻撃的になったり斜に構えたり他人を分析することを始めてしまった気がする。

自分で色々と制限をかけていたのも問題だった。
14歳にもなって母親に抱きついたり甘えるのは恥ずかしいと思ったし、彼女を作ってママと甘えるのも恥ずかしい、ダサい、そんなことをさせてくれる女性がいるわけがない、などと勝手に理由をつけ、その欲求を『抑圧』してきたから、これまで辛かったんだろう。

14歳から10年間も『処女厨』の状態に陥ってたのも、強がりの一種だった。

18歳くらいのときに、30代くらいの年上の女性と付き合って目一杯甘えさせてもらっていたら、未来は変わっていたはず。
(今現在も、この記事のような欲求に気づけている時点で悪い未来ではないのだが、抑圧には早く気付けたほうが良い。)

大人になってからどうやって無条件の愛や母性を得るか

大人になってから無条件の愛や母性を得るのは本当に難しいことだと思う。

男性が彼女に、
「ママ!」
と言って甘えることを、拒絶する女性は多いらしい。
「マザコン気持ち悪い」
となるようだし、
「ママと呼ばれる関係は恋愛関係ではない」
と思ってしまうらしい。

実際そうで、恋愛というのは心理的・経済的に自立した人間同士が対等な関係で行うもの。
『毒親持ちで、母性に飢えている人』は心理的に自立していないということであり、『恋愛』はできない。

俺も知り合いの女性数人に、
「彼氏にママって言われたらどうする?」
と聞いたことがあるが基本みんな否定的だった。

家事など、何から何まで母親代わりとしてやらされるような気がする、というのもあるらしい。

俺としてはそういうことではなく、1日数十分でも『そういう時間』を持ってほしいというだけなのだが。
俺はお金の管理も、家事も、自分でやっており、女性にやってもらいたいとは思わない。
そういう意味で彼女をママ代わりにしたいのではなく、数十分でも、無条件の愛を注いでくれる時間がほしい。

普段は対等な恋愛関係で、そういう時間だけは、恋愛関係でなく母子関係になりたい、という感じだろうか。

大人になってくるとみんな、友達関係でも恋人関係でも『条件』や『メリット・デメリット』や『損得勘定』ばかりつきまとってくるが、甘えさせてもらう時間だけは無条件に甘えさせてもらう、ということで双方納得すればいいかと。

多分このことを説明したら納得してくれる人は多少いるんじゃないだろうか。

年下の女性

俺はとりあえず自分のそういう欲求に気づいてからは、年下の女性にほとんど興味がなくなった。
年齢という数字を絶対視しているわけではないが、基本的に若い女性は考え方が幼く、自分のことで必死すぎて、他人を癒やす暇なんかないように見える。

これは自慢だが、実は最近、このブログの彼女募集だかツイッターだかから俺のLINE QRを登録した中3女子に多少モテたのだが、正直相手が『何もわかっていない』ように見えたので別れた(リアルで会ったりはしてない)。
JCやJKなどとセックスがしたくて仕方がない男が多いらしいが、母性や癒やしを求める俺からしたら全く共感できない。

ところで、母性を与えてくれる、母親のような相手とセックスするというのは、フロイトか誰かが言っていた、母親と息子のタブーみたいなのを思い出して、そういう意味で俺はママショタとか授乳手コキは俺は苦手だ。

話が脱線したが、そういう感じで俺は必ず年上の女性と付き合いたいし、結婚するとしても年上の女性がいい。
もちろん精神年齢が相当高ければ同年代でもいいのだが。

女性が母親的女性に甘えるには

俺は男だから、母性の強い年上の女性と付き合って甘えさせてもらえば、長年くすぶっていた甘えの欲求は満たされる。
だが女性はどうすればいいのか。

毒親持ちで、母性や癒やしに飢えている女性は、大人になってからどうやって母親のような女性に甘えればいいのか。
女性が女性と付き合ってそれをしようと思うとレズビアンになってしまい、障壁が多い。

そう考えると女性はやっぱりハードモードなんだなと思ったが、結局のところ彼氏に甘えさせてもらえばいいんだろう。

この記事以外にも俺は母性母性と書きまくっているが、母性は別に女性だけにあるものではない。

父子家庭でも、父親が無条件の愛で子供を包み込んでればそれは母性だし、体が男でも、母性は持とうと思えば持てる。
逆に、体が女でも母性のかけらもない女性は多くいるし、結局その人の人格次第だ。

だから、母性に飢えている女性は、母性のある男性に甘えればいいんじゃないかと思う。

ちなみに、なぜ母性が重要で、父性がどうでもいいのかというのは『女は神』という話につながってくるのだが長くなるので割愛。

まとめ

よく勘違いされているが『マザコン』というのは、『実母が大好き』という意味だけではない。

「実母が許せない」
とか
「実母が毒親で満たされなかったので、母性の強い女性が恋しい」
とかも、すべてマザコンである。

『母(母性)というものに執着している人間』
は全てマザコンである。

そういう意味で俺は究極のマザコンだが、別に恥ずかしいとは思わない。

この記事で書いたような、攻撃的な人間や、グレてる人間、アル中、寂しさから逃げるように仕事熱心になっている人間などがすべて、抑圧的で、強がりで、代償行動の人間なら、
『結局はママが恋しい』
という、根本的な欲求に気づけた俺はえらい。

あとはその欲求を現実世界で叶えるだけである。

まぁ、ママ的タルパを作って妄想の世界でそれに甘えることで、現実世界で頑張れる人もいると思うし、それはそれでいいと思う。

俺はとりあえず年上の女性と付き合ってママと言って甘えたい!

2018年12月29日 毒親や虐待と 瞑想や体外離脱や脳内世界やタルパや薬物と 悟りについて

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身体的快楽の極地と精神的快楽の極地
昨晩ある女性の恋愛相談を聞いていて、かなりきわどい下の話になって怖くなってしまった。 それで思ったのだが俺はセックスなどで得られる類の快楽...

さっき上の記事を書いたあと、『ヘロイン 悟り』とかのキーワードで検索していたら興味深い記事を見つけた。

僕は一時期、禅や仏教のいうところの「悟る」という事について強い憧れを抱いていた。 いったい悟りを開くということは何なのか、開くとどうなってしまうのか、そもそも悟りってなんなんだ。同じような疑問を持っている人は結構いると思う。 今では個人的な様々な経験と知見により、悟りがどういう事なのかわかっている。 実は現実社会ではみ...

10代の頃などにひどい抑圧の下にあって、空想の世界に逃げ込んで悟りに近いものを得てしまったり、人格乖離してしまった人は読んでみてほしい。

以下に引用する。

精神・肉体的な苦痛を感じている自分と、体としての自分が異なる存在であるという事を理解できると、いい意味でも悪い意味でも苦しみから逃れることができる。
これが苦行を通じて得られるものなのである。

僕がこのような苦行の仕組みを理解した時すごく驚いたのは、これが虐待児や上司に劇詰めされている部下、風俗嬢だとかがやってる事と全く同じものだっていう事だった。

虐待を受けている子供は、ある段階から「叱られたり傷つけられている」ときに、全く別の事を考えるようになる。
叱られている自分を相対的に見ることにより、「ここで叱られている自分」は別の自分であるという認識を持つ(昔に流行した多重人格ものの走りである)。

風俗嬢なんかも客の性器を舐めている最中、
「今日の献立は何にしようかなー」
と考えていたり、体をいじられているときは声はアンアン出しつつ、
「今週のワンピースは面白かったなー。続きどうなるんだろう」
なんていう事を考えているのである。

なんでこんな事をするのかって?
まともに現実に対処していたらそのあまりの壮絶さに心が持たないからだ。
誰が好き好んで親とか上司とか好きでもない男の人に、体と精神を弄ばれたいのだろう。
そんな現実を直面して正気でいられる人間なんていない。

出典:「毒親育ちや激務上がり等の抑圧された環境にいた人」にハイスペが多い理由について – 珈琲をゴクゴク呑むように

毒親育ち等の抑圧された環境にいた人の99%は現実認識能力を失っている。辛くて辛くて仕方がない現実から、空想の世界へと生きる素晴らしさを体得してしまった人は、基本的にはもう二度とこの世にキチンとコミットできなくなる。

だってこの世には四苦八苦しかないのだ。
自分が創りだした二度と傷つかない夢の世界へと旅立てる切符をもった人に
「きちんと現実に向き合え」
なんていっても、全然言葉は心に届かないだろう。
少くとも99%の人はそうだ。

しかし本当に少なく本当に時々なんだけど、その自意識でしか成立していない精神世界からキチンと現世へとおりられる人がいる。
これは本当に凄いことで、紀元前のレベルでいえばブッダと同じレベルの事をやっている人なのである。

出典:「毒親育ちや激務上がり等の抑圧された環境にいた人」にハイスペが多い理由について – 珈琲をゴクゴク呑むように

脳内世界 どれくらいの境地に行ったのか

俺は一応毒親持ちだと思うが、虐待を受けていたわけではない。
10代の頃あれだけ体外離脱や瞑想などを通じて、脳内の涅槃に行こうとしていたのは、社会からの重圧が大きい。
まぁそれも親がケアしてくれればよかった話だが。

現に今も、10代の頃の脳内世界の快楽が尾を引いていて、現実で本気を出そうという気が起きなかったり、現実の色んな事にむなしさを感じたりする。
それでまた、脳内世界に飛び込もうと思ったが、上の記事を読んで、少し危ないかもと思った。

体外離脱や瞑想で光見えて多幸感に包まれて現実がどうでもよくなるのも、ヘロインやって現実がどうでもよくなるのも、脳の状態で言えばほとんど同じだ。

中学の時点で5回体外離脱して、夢や妄想の世界で満足してしまえば現実なんかどうでもいいというマトリックスみたいな考えになってしまった。
それが何もない部屋に住みたいとか働きたくないとかいう気持ちにつながってると思う。
というか現実が満たされなさ過ぎたから夢や妄想に逃げた。

普通の夢や妄想で現実並みのリアリティがあったら、現実で何もしなくなって危険なので普段は脳味噌にストッパーがかかっている。
明晰夢や体外離脱などでストッパーをはずした経験をしてしまうと、現実でがんばろうという気持ちが失せてもおかしくはない。

近々また夢日記をつけるのを7年ぶりくらいに再開しようかと思っている。
14~16歳の頃は現実があまりにも辛すぎて夢日記、明晰夢、体外離脱、瞑想などに没頭して何度も成功したし光も見えるわ体が浮かび上がるわだったが次第に現実が楽しくなったら一切そういうことに興じなくなったが。

明晰夢や体外離脱など自分の脳味噌の中にある世界みたいなのに中学くらいから興味があって、その影響で小説や映画もそういう類のものばかり好む。
小説なら小林泰三さんがドンピシャ
映画ならインセプション、メメント、トータルリコール、ミッション: 8ミニッツ、イグジステンズ、デジャヴなど

引用:髭林おなもみ(@onamomi22) – Twitter

ちなみに、脳内世界や涅槃や悟りに行ったといっても、どれくらいの境地に行ったのかというのは重要だと思う。
俺みたいに中途半端に行った人間は、現実にも戻ってきやすいし、その分エネルギーも知れているはず。

本当に臨死体験のような経験をしたり、チベットの高僧並の?空の状態まで行った人が現実に帰ってきたら、ものすごいエネルギーを持って活動出来る気がする。

なんかそういうことを考えていると、子供を虐待しまくって、涅槃のような空想の世界に逃げるように仕向けたり、人格乖離を誘発させるような親はある意味有能かもしれないと思えてワロタ。
その子供が空想の世界から現実に戻ってこれてちゃんと活躍できた場合に限ると思うが。

まとめ

余談だが、スピッツの猫になりたいという曲の、
『目を閉じて浮かべた密やかな逃げ場所は シチリアの浜辺の絵ハガキとよく似てた』
という歌詞をきくと、中島らもさんが小さい頃家族とクリスマスパーティーをやっているのにも関わらず孤独感に苛まれて、クリスマスツリーにぶら下がった小さな家の形の飾りの中に住みたくなったという話を思い出す。

俺も小さい頃に似たような感覚を覚えたことがあり、思い出すと切なくなる。

子供が空想の世界に逃げ込みたくなるのは、やはり親がどこか信用できないと思ったときなんじゃないだろうか。
虐待とまではいかなくても、親が持つわずかな冷たさを、子供は無意識で感じ取る気がする。

そんな親に甘えるわけにはいかないと判断した子供は、自分で作った空想の世界に逃げ込む。

親を心から信頼している子供は、空想の世界に逃げ込む必要もなく、自然と親に感謝し、社会でまっとうに生きていくんだろう。

俺は相変わらず空想の世界での快楽に執着しているが、現実でも頑張りたいという気持ちもあるので、最優先事項の探求を続ける。

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筆者である髭林おなもみや、記事内容について気になることがあったらお気軽にご連絡ください。
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『髭林おなもみのプロフィールと活動一覧 職業や経歴など』
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