絵や歌の上手い下手、画力や歌唱力の高い低いについて

歌にしても絵にしても上手い・下手の二元論に囚われるのは本当に不毛だと思っている。

他人の意見に左右されることのばからしさ

絵だと、2chのスレでネットに転がってる絵晒して、僅かなデッサンの狂いを指摘したりアニメ絵と西洋の絵画を比較して下手認定しているようなのがあって、そういう人らもいる以上他人の意見に左右されるのが無駄すぎる。

歌だと、地声固着して音程が半音の半音外れてようが、節回しみたいなのが”うまげ”であればYoutubeのコメント欄やお茶の間では賞賛されてたりする。
ハイトーンボイスだから歌唱力日本トップレベルだとか言う人らもいるし、格付け的なことはほんとにアホらしい。

最近Youtubeのコメント欄見ててびっくりしたのは、真心ブラザーズのYO-KING氏や大槻ケンヂ氏が音痴というコメントがけっこうあったのとか。
そういう耳の人間もいる以上、他人の意見なんかよっぽど信頼できる人以外あてにしてたらきりがない。

大衆の殆どは耳弱者

耳と声のレベルは連動してるので、一般人のほとんどが発声弱者だとすると必然的に耳弱者。
大衆は発声的に高度かどうかを聞き分けられる耳はないので、わかりやすく”うまげ”な歌唱が重視される傾向がある。

たとえばスピッツ草野さんの歌声は、発声的には高度な方だと思うけど一般人はそんなことはどうでもよく、透き通った声だね、高音楽そうだね、でも歌唱力(うまげさ)はないねという感想だったりする。

歌の巧さというものが、耳弱者がほとんどな大衆一人ひとりに
「この人の歌はうまいと思いますか」
とアンケートをとって決まるようなものならどうでもよすぎる。

価値と必然性

絵に関しても、デッサン至上主義、西洋絵画至上主義みたいな人らにアンケートとって決まるものならその価値基準そのものがどうでもよすぎる。

歌も絵も、下手過ぎて逆に笑えるとかならその作品には何らかの価値はあるだろうし、なによりその作者がそれを表現することに必然性を感じることが俺にとっては重要。

俺の好みで言えば、基本的には高音余裕で音程正確な中性的な軽い3bという”声質”が重要なんであって、そこにうまげな節回しとか感情入ってるとかはどうでもいいとしている節がある。
例外は山ほどあるけど。

そんで自分の好み度外視してこれは世間的にうまいとされるんだろなという視点も頭の片隅にあればいい。

まとめ

ただ俺が上手い下手を重視したくない理由には、もしうまいと認定されたらプレッシャーがすごそうで、ちょっとでも下手なものを晒すと落胆されそうで怖いからというのがある。
あと俺が思う”うまげ”な歌唱というのはナルシスティックなイメージがあって恥ずかしい。

他人の意見は参考程度に、感情抜きに見るだけで、あとは淡々と自分のやりたいことだけをやって投稿していくというスタイルが一番安定するし楽しい。