俺が発信する情報と俺の人格を混合される問題


最近別れた重要人物が、先日呟いた一連の内容(コーチング・フースラー云々)と合わせて言ってたけど、俺がツイッターやブログで正確性の高そうな情報を発信しても
「こんな反社会的で優越的で、キモイ絵を描いているクズが言ってることだから間違っているに決まっている」
と、情報と人格を混合して、俺という人間に反動形成されてしまって、その人がその正しげな情報にたどり着くまでとても遠回りになるか、もしくは俺への嫌悪の強さによっては永久にたどり着けなくなるかもしれない、と言われてハッとした。
けどあくまで俺は覚え書き・気づきという大義名分でやっているので知りませんと言いたい。

俺としては、情報とその発信者の人格、作品とその作者の人格、などを安易に結びつける、分離できず混合することしかできない、そんな人間は正しい情報にたどり着けなくて当然だと思うので、知らねえよと言いたくなる。
情報発信者の責任ばっかり問われるけど得る側も責任あるだろと。

以下はおまけ。

一年半くらい前にとある人がアンザッツという言葉を使い始めたとき直感的に、怖い、声を分析されてしまう、つまり人格を分析されてしまうと思って恐ろしくなって、そんなのがあるんですかとスルーしてたけど勇気出してじゃあ俺の喋り声はアンザッツでいうとどれなんですかときいて結局金本買ってワロタ

俺は今もその人を信頼しているけれど、やはりかなり信頼できる相手じゃないと、自分を分析されることに抵抗はある。

情報とその情報を発信している人の人格との紐付け、行動とその行動をしている人の人格との紐付けなど、人間関係においても分離は重要。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

このブログの記事は、一学習者・一素人の気付きとして書かれたものです。
特にコーチング、ボイトレに関する内容は正確性が保証できず、安易に実践すると危険な場合がありますので、自己責任でお願いします。

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