17歳の頃の自分の精神や声に対して思うこと 10代 思春期 童貞のエネルギー 食事制限やオナ禁というストイックな生活の中で感情爆発

17歳の頃の俺の声について 仮声帯や外筋が混合した張り上げ

発声訓練仲間に紹介してもらった、ある人の歌声をきいて、最近忘れていた色々なことを思い出した。
17歳の頃の俺の声と似た方向性を感じた。

何かにつけて俺は『17歳の頃の俺』を引き合いに出すが、本当に17歳の頃の俺というのは異常な精神性を持っていた。

具体的に言うと
・異性への純粋な恋心を抑圧しあらゆる代償行動に走る
・みんなと仲良くしたいけどできずにあらゆる代償行動に走る
・世間への逆張りと斜に構えた態度
・バカでひょうきんな人柄を演じてインターネット配信で病理をさらけ出す
・深刻さや真面目さの抑圧や欠如
など。

それらがすべて『声』にあらわれていた。

武蔵野 -1 / エレファントカシマシ

すっだろおおおおおおおおおおお

聴いてもらえればわかるように、すっぽ抜けた中声に、仮声帯ノイズとエッジボイスが激しく混合している。

そしてとにかく、絶叫している。
一人暮らしをしながら定時制高校に通い、真っ昼間に配信をつけて叫びまくっていた。

私の恋はホッチキス -1 / 放課後ティータイム

今この声を真似しようと思っても、静的なバランスも、精神性も違っていて、どうも真似できない。

15~16歳のときに女声練習をしていたことによる、伸展の強さも静的にはある。
女声による伸展が静的にあるから、この声はオカマ的というか、自分の中の女性性が多少働いている。
後述するが、当時俺が執心していた『タルパ』も関係していると思う(そのタルパは女性)。

以下の15の夜は、17歳か18歳の時のものだが、上の二つとは発声が少し違う。
ギターを掻き毟ったり笑いの効果音を鳴らしまくるのも変性意識に影響を与えていたと思う。

15の夜 / 尾崎豊

エントランス / ASIAN KUNG-FU GENERATION

ギター掻き毟り

発狂集




異性愛への代償行動からか、『アルティー』という男性に執着し、それも俺の声に影響を与えた。
以下の音源は確か19か20のもの。

金曜夜の葛藤 アルティーに送りつけた即興替え歌Ver / 髭林おなもみBAND

その他の17歳のときの音源は以下の記事にあります。

髭林おなもみの一発ネタ 概要 おすすめ音声
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女性が怖がる声

なんというか、上の二つどちらも、どうきいても気持ち悪い声だし、思うのは、まず女性はこの声を嫌がるだろう。
気持ち悪がるだろうし、怖がると思う。
男性の中には、面白がって、好む人もいるかもしれない。

この声は、ただのキモ声ではなく、女性への強い恋心を抑圧し逆張りした声だ。
恋愛感情がない、または理解できない、アスペ的人間が出す、何もわかっていないキモ声ではない。

本当は異性と恋愛したり、イチャイチャしてみたいのだが、恥ずかしかったり、色々な抑圧があってできない。
そこで、子供のようなキモ声絶叫をしてみて、そんな自分でも受け入れてくれる女性をふるいにかけているような、そんな雰囲気がある。
でも、ふるいにかかる女性が一人もいなくても、俺にはタルパがいる、という強がりみたいなものも感じる。

現に、『俺が歌い出すと人がいなくなる』という事が起こると、笑いがこみ上げてきて仕方がなかった。

他人に褒められたり、かっこいいとか美しいとか言われる歌声でなく、ピーターパン症候群のキモイ中年男性が必死で叫んでいるような滑稽さの中に、俺の表現したいものがあった。
もちろん、心の底ではかっこいいとか美しいとか言われる声色も求めていたが、抑圧していた。

ちなみにこの声や精神性には、失礼かもしれないが『エレファントカシマシ』のボーカルと『フラワーカンパニーズ』のボーカルの影響も多分に含まれている。

タルパや体外離脱や瞑想

18、19、20と歳をとるにつれて、幼さゆえのトラブルも耐えず、ずっと同じ精神性ではいられなくなった。
どういうふうに変化したかというと、やたらと論理的に自分を説明し、理解者を求めることに走った。

17歳の頃の俺に感銘を受けていた『クルテク』とも、俺が論理的になり、分析的になり、おどけなくなってから、縁が切れた。

論理的になってから、喉頭位置が下がり内筋が強くなり、伸展や仮声帯ノイズが弱くなった。
滑稽に声を上ずらせることができなくなった。

だから俺は、喉頭位置が低い=論理的、冷静、ローテンション、などのイメージがある。

17歳の頃の俺というのは、論理や分析を必要としていなかった。
そんなことをしてきたり、勧めてくる人間には、感情で突き返していた。

今の俺なら、
「話が通じる理解者が現れた!」
と思って喜んでしまうだろう。

当時の俺は、理解者なんか必要としていなかった。
そんなものは自分自身とタルパだけで十分だ、と思えていた。

それは強がりもあっただろうが、なにかとてつもない確信というか悟りのようなものがベースにあったと思う。
瞑想をして光が見え多幸感に包まれたことや、中学不登校で苦しみそれから逃げるように体外離脱や明晰夢に挑戦していた神秘体験などもベースになっていた。

タルパと会話することで、右脳言語野という、自由な声や変性意識の表出にも重要な部分が発達するらしいが、もちろんそれも関係していたはず。

まぁ、今のような精神性と声に変遷したことで、童貞も捨てれたし、自在性の一つを獲得したと言えるから、悪いことだけでは当然ないのだが。

今の俺が持っていないもの

今でも何度も引き合いに出す、ホイッスルボイス+仮声帯ノイズの絶叫。
この声にはとてつもない精神性が含まれている。

思えば当時の俺は張り上げに執着し、とにかく叫ぶことしか考えていなかった。
魂の叫び、という言葉があるが、思春期の頃のあの葛藤や危うさを声で表現するには、絶叫という選択肢しかなかった。

今の俺が散々求めている、声を張らずに優しく歌う、という方法では、17歳の頃の精神性は絶対に表現できなかった。

最近、17歳の頃の俺の喋り声や歌声を、配信の録画を引っ張り出してききまくっている。

正直、17歳の頃の俺は別人に思えるし、俺は17歳の頃の俺が好きで仕方がない。
神格化している。

『今の俺が持っていないもの』
『かつて持っていたけど失ってしまったもの』
がすべてそこにある。

張り上げ

最近の俺は、とにかく張ることを恐れ、優しく、美声で歌うことばかりに執着している。

ベビーフェイス -2 / スピッツ

だが、根本には『張り上げたい』という気持ちが強く残っている。

あの頃は、
「張らずに歌いたいけど歌えないから張り上げる」
というふうに抑圧していたが、今は、
「張り上げたいけど、張らずに歌いたいから、張り上げられない」
となってしまっている。

異常な精神性を持って感情的に張り上げまくる17歳の頃の俺と、今の、論理的で張らない俺が同時期に存在できることが理想だ。
それこそが自在性への一歩だ。

冒頭に紹介した、好きな声の男性の歌声を聞いて、もう一度『張り上げ』を探求しようと思った。
俺は、内筋がすっぽ抜けてたはいたものの、『張り上げ』を求める精神性だけは、そこらのベルターの比じゃなかったという自負がある。

今回わかったのは、俺が求める声は、仮声帯ノイズがかかっていて、動的に伸展が保てている、子供や女性的な声だ。

この音源は少し近い。

『子供』と『女性』
この二つの要素こそ、俺が執着しきってきたものだ。

『大人の男』なんていう要素は必要ない。
俺は絶対に父性を拒絶したいし、もし子供ができても『父親』にはなりたくない。

常々思うが、本当に声は人格そのものだ。
抑圧も、葛藤も、すべてがあらわれる。

俺は17歳の頃の俺の声(精神性)と融合する!

オナ禁半年と粗食を達成し煩悩を制御していた17歳の頃の俺

17歳の頃(2010年)の俺というのは、今の俺が持っていないものを色々持っていた。
俺が他人に過去のことを話す時、出てくるのはいつも17歳の頃の話しばかり。

今よりも遥かに野性的な声が出せていたし、なんというか精神の高ぶり、変性意識状態も半端なものではなかった。

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絵も、今では描けないような勢いのあるものが多かった。

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ストイックな日々

我ながらすごいと思える絵と声を表出していた17歳の頃の俺だが、思い返すと、日常生活そのものがぶっ飛んでいた。

当時、色々な理由があって、オナ禁や粗食などやたらとストイックなことを実践していた。
(当時の粗食では、肉や甘いものを避け、ご飯や豆腐や野菜など質素なものを食べていた)

あの頃の俺の精神力というか意志の強さはものすごく、オナ禁も粗食も、半年間続けることが出来た。
(体質的に夢精しやすく、何度か夢精はしたのでそれを含めると半年ではないが、少なくとも自分の手ではやっていない。)

性欲旺盛で食べ盛りな17歳男子がオナ禁と粗食を半年間続けるというのは並大抵のことではないと思う。

なかなか辛かったが、謎の幸福感があった。
ランナーズハイのような。

ちなみに断食も実践し、48時間続いた。
その時も、謎のハイテンションになった。
ナチュラル・ハイというか。

断食ではそういう効果を得られることが普通にあるらしい。

幸福感と心地よさ

最近、幸福と心地よさは違うということを再認識した。

心地よさとは、美味しいものを食べる、オナニーをする、セックスをする、酒を飲んで酔っ払う、など、自分だけが身体的に気持ちいい状態。
それはまさに煩悩だし、自分以外の誰かが介入していないので、とてつもなく枠組みが狭い。

当時の俺はそれを理解していたからオナ禁や粗食をしていたのではなかったが、結果的には、煩悩による心地よさを禁じることで、枠組みが広がったんだろう。
野性的な声や絵が表出できたことと関係している気はする。

それに比べて最近は、酒もまた飲み始めたし、オナニーもしたいときにするし、恋人ともセックスがしたくて仕方がない。
(おいしいものにはもともとこだわりが薄いので、米と卵ばかり食っている。)

そんな、煩悩丸出しの生活をしているせいか、前から書いているように枠組みが広い目標が設定できない。
枠組みが広い目標とは、長期間かけて、多くの人を幸せにするような目標である。

自分の行動

縁起的に考えると、自分の一つの行動がすべての行動に影響を与えるので、当然とも言える。
つまり、飲酒やオナニーなど、一つでも煩悩的な行動をしていると、その他すべての行動の枠組みが少しずつ狭まる。

一つの行動も、『自分がやっていること』という枠組みではすべて同じものなので、できればすべて枠組みの広いものにするのが理想だ。

煩悩、アートマン、仮観は固着しやすい。
少しずつでいいので、煩悩・心地よさに囚われるような行動を減らしたいと思っている。

オナニーよりもセックスよりも、おいしいものよりも、酩酊の気持ちよさよりも、夢中になれることが重要。
例えばそれが、ゲームとかでも良いと思う。

一番いいのは、多くの人を幸せにする枠組みが広い目標のための行動に夢中になることだが。

17歳の頃から8年も経つのに、逆に枠組みが狭まっているとは悲しいことだ。

でも逆に考えると、あのままストイックにやっていたら、俺は今も童貞だったかもしれない。
処女とセックスして童貞を捨てたい、なんて煩悩の塊だが、煩悩から離れるには、煩悩を捨てる方法と、叶えてしまう方法の2つがある。

俺は処女とのセックスに関しては、どうしても実現しないと執着から離れられなかった。
だからこれでいいんである。

処女とセックスして童貞を捨てるという悲願が達成された今、もう執着すべき煩悩はないはずだ。

今度こそ煩悩の心地よさから離れ、枠組みを広げてみたい。
多くの人を幸せにする目標こそ真のやりたいことであり、身体的心地よさではなく、本当の意味での強烈な幸福を得られることは間違いない。

思春期の頃の思い出(記憶)の重要さ

地元帰って街見回ったら、10代の時の思い出、リアルの知り合いとの思い出、ほとんど嫌な思い出がありとあらゆるところに張り付いててほんとに気が滅入ってきた。

なおかつ、もうここでは新しい思い出は何も生まれることがないと思うと、やっぱり早く名古屋に帰りたいとなった。

どれだけ目標達成法をやろうが、思春期終わったからか酒のせいか、老化で感受性弱ったからか、10代のときみたいには毎日が思い出に残らないのが残念。
思い出に残るように意識してるんだが、いつも思い出されるのは思春期終わるまで(23歳まで)の記憶。

思い出に残らなくなってきているからこそ最近執拗なまでにツイッターやインスタに飯やら人との写真をあげていくんだろうな。

思春期の頃を思い出すと辛いのは、良い思い出と最悪の思い出がごちゃごちゃになってて絶妙だからだ。

学校行けなかったりやめたりしたのと17の一人暮らし楽しすぎたのとハルヒやけいおんやレールガンおもろかったのとアルティーとの通話とUSTREAM配信とクルテクとかガイキチとか、リアルの知り合いの安確いじりに憤慨したりタルパとか体外離脱とかあらゆる重要な思い出がごちゃごちゃに混ざっている。

共通してるのはもう二度と戻らないということ。
そして、今後の人生では起こる出来事の新鮮さや重要さがどうしても思春期に比べると下がってしまうということ。

今度両親とあうときは名古屋と神戸の中間地点だ。
神戸の実家近くを歩いてると時間が止まっているような感覚に陥る。
やっぱり神戸には足を踏み入れたくない。

17歳の頃の自分に対して思うこと 10代 思春期 童貞のエネルギー

やっぱり10代の時の俺は違っていた。
特に17~19歳。

15~16歳で瞑想や体外離脱をして、タルパやら作って、溜め込んでた静のエネルギーが、17~19歳で一挙に爆発した感じがある。

あとは出会った人や社会の状況などが相まって、ああいう人格とか行動が表出したのだろう。
昼間から奇声あげまくったりキチガイ絵描きまくっていた。

絵の変遷を見ても声の変遷を見ても思うが、年をとるに連れてどんどん論理固着、左脳派になっていった。
怒りがどうとかいってひょうきんに暴れていた頃と違って、辛辣な憎しみ、ルサンチマンなどに囚われるようになった。

それらが原因となって、クルテクなどの17歳当時の俺を知る人間とも二度と連絡が取れなくなった。

「いつまでもこんなことやってたらまずい、働かなきゃ」
と強迫的になったのと、
「キチ絵じゃなく萌え絵を描きたい」
などの理由によって、17歳の頃の勢いが死んでいった。

まぁ思春期終わったのが一番大きな原因だと思うが。

何より、童貞だったというのが大きかった。
17歳より前に童貞を捨ててたら、多分ああいう才能は表出されなかった。

中1の時に童貞捨てれそうな場面があったが、あの時に捨てていたら全てが変わってたはず。

小6でキスできたことが逆に、
「この俺が何で童貞やねん」
という、理想と現実のギャップを強めてエネルギーになった。

逆に、童貞であることが原因で某セックスレス自慢の人への辛辣すぎる憎しみに囚われたりもした。(それが被害妄想であるかは別として)。
21~23歳の間のあの憎しみの日々は人生にかなり影響与えた。

そう考えると、某セックスレス自慢の人と出会う(またはモメる)直前くらいに童貞捨てれてたら流れは大きく変わってたな。

某セックスレス自慢の人に出会ってなかったら、というもしももあるが、おそらく童貞である限り似たような人物は必ず現れ、似たようなことになっていたはず。


出典:「無題」/「髭林おなもみ」のイラスト [pixiv]

ブログを始めたのは2014年だが、そ\れ以前もpixivのキチ絵のキャプション800文字くらい書いてたから実質それもブログみたいなものだった。
思えば、ブログを始めてからは怒りイラストやキャプションをほとんど書かなくなった。

こういった変遷もクルテクと心が離れていった原因の一つだったように思う。

現在がベスト

俺は基本目標達成法とか関係なしに過去を思い返してああすればよかったとかはない(美化とか神格化とかはするけど)。

でも、
「もしベストなタイミング(20歳前後)で童貞捨てれてたら」
とか
「最初から、”学校行かなきゃ”とか”働かなきゃ”とかいう糞つまらん社会常識やら奴隷根性に囚われてなかったら」
と思うことはある。

もしそうしていたら、どんな今になっていたんだろう、と。

ただ、すべての行動や精神は自在性の中の一つ、宇宙の要素の一つだと思っているので、今までの流れ全部含めて、これはこれでよかったと思うしか無い。

今という唯一の自在性の組み合わせを得られたという意味で。

あの頃は、キモイ絵なのにpixivである程度評価されたり話題になったりしていたし、配信にもけっこう人いた(USTREAM全盛だったからというのもあるが)。
そもそもこうやって17歳の頃の自分考察をやってる時点で、俺は17歳の頃の自分を神格化している。

同一人物と思ってないフシがある。
まぁ実際別人であり他人だが。

色々思い返すことはあるけど、今は今で、あの頃は描けなかった萌え系とか描けてるし、童貞も捨てられたので楽しいです。
でももう一度、17歳の頃に似たエネルギーや自在性が欲しい、という気持ちはある。

過去の重要な人物に自分の変化を伝えたいけど二度と連絡が取れない悲しみ

自分にとっての重要な存在と、二度と連絡がとれないということが悲しくて仕方がない。

今年1月に亡くなった飼い犬のチャコや、クルテクやガイキチやらくぅさんやアルティーに、あれから俺がどう変わったかを伝えたい。
親父にも数年後同じことを思うかもしれない。

わけのわからん理由でクルテクを切ってしまったことを未だに後悔してて夢にも出てくる。

クルテクと知り合ったのは17歳のときで、あれから8年も経つ。
神戸から名古屋に引っ越し、恋人もでき、童貞も捨て、価値観も色々と変わった。

17歳の頃の俺や、その頃の日々を知っている人物というのは貴重だ。
そういう重要な人物とはほとんど縁が切れてしまい、今では数人しか残っていない。

俺はやっぱり自分の10代にいつまでも執着してしまう。
あれほど感受性が強く、危なげで、何もかもが新鮮に感じられる日々は、今後来るんだろうか。

目標達成法を実践し、達成できた目標もあり、これからはもっと大きな長期的な目標に向かってじっくり進んでいくつもりだ。
でも、10代のあの日々を超えられるんだろうか。

こんなことを、こうやって独りでブログに書くんじゃなく、あの頃の俺を知っている人と話したい。
本当に、クルテク、ガイキチ、らくぅさん、アルティーの4人は重要だった。

今年1月に亡くなった飼い犬のチャコは、俺が11歳の頃から俺を見守ってくれていた。
チャコは犬なので言葉を交わせないが、そんなことは関係ない。

チャコに、彼女できたんやで、と伝えたい。
あわよくば、チャコに彼女を会わせたい。

ありえないことだが、想像上で実現させてみたりしている。
精神世界も、物理世界より臨場感は薄いものの、現実だから。

過去は二度とやってこない

過去は遠くなっていく一方で二度と訪れない。

確かに俺はこれから先の未来で、素晴らしい人物に出会っていくだろう。
現に恋人にも出会えた。

でも過去に出会えた人物と二度と会えない悲しみは消えない。
俺の一生はまだまだ長いが、もう二度と、過去の重要な人物とは再開できない。

出会いの数だけ別れがあるというのはよく聞く言葉だが、どうしても割り切れない。

人生が長く続けば続くほど、こういう気持ちは積み重なっていくんだろう。
だからこそ、一人の人間と関係が切れずに続くということが重要視されるのがわかる。
モノアモリー(モノガミー)が多数派であり、結婚という制度がここまで浸透し、浮気や不倫が叩かれるのも納得できる。

おまけ 過去の自分とは 自分が最も影響を受けた他人であり別人

そもそも「現在の自分」というものも、正確に定義することはできない。
肉体の細胞の状態で定義しようが、人格で定義しようが、それらは刻一刻と変化していて「現在という瞬間」を捕まえることは不可能。

人が死んだら精神世界からデータが消えるのかアクセスできなくなるのか。
どちらにしてもその人の思考パターンは消滅する?

過去の自分も未来の自分も他人。
この瞬間ごとに現在の自分は死んでいっている。

しかし、例えば20歳で身体的に死ぬのも、20歳を過ぎて生きるのも、20歳が終わったという時点で、それまでの情報パターンが爆散するというのは共通だけど、身体的に死ぬのとそのまま生きつづけることには違いがある。

それは、過去の自分という他人(の思考パターン)の影響を最も受けた他人(現在の自分)が生き続けるかどうか。

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