学生時代の思い出や学校での出来事に関する記事まとめ

目次

小学生の頃の思い出

小5までは引っ込み思案で怒られるのが怖かった

最近、小学校5年までの間、自分がいかに先生に怒られることを怖がっていたかを思い出した。

幼稚園のころは先生に反抗したりしてやんちゃだったが、小学生になり環境が変わると、先生と言う存在が恐ろしくてたまらなくなっていた。
怒られたら確実に泣くと思ったし、泣いている姿をクラスメイトに見られるのが何よりも嫌だった。

なんとかいい子ちゃんぶって毎日過ごしていたが、小1の給食の時間に事は起こった。
給食当番の袋がどうとかで、よく覚えてないが濡れ衣を着せられ、担任の女教師に廊下でひどく怒られた。
俺は反論も出来ず、泣いて教室に戻った。

濡れ衣で怒られ、反論も出来ず、泣き顔をクラスメイトに見られたのも耐え難い屈辱だった。
ものすごく悔しかったことを覚えている。
この事を思い出すと、俺に怒った女教師をぶちころしたくなってくる。

その後、小5までの間ずっと先生に怒られることをびびり、怒られない範囲で教室で暴れたりしていた。
だが、やりすぎてちくられたりしたときは背筋が凍る思いだった。
怒られることにびびるどころか、授業中に手を上げたり野次を飛ばしたりすることさえしない引っ込み思案だった。

小5の時点で社会不安障害のようだった

小5のときに至っては、朝、学校に行くのが嫌で泣いたりしていた。
今思うと当時からまさに社会不安障害だった。
だが気心の知れたグループでは調子に乗るという、自分を中心としたコミュニティ構築の片鱗もすでにあった。

そういった抑圧の日々が5年間続いたので、小6のときにあれだけ病的に教師に反抗して暴れ狂ったのは当然だったのかもしれない。

そして中学という新しい環境でまた引っ込み思案になって、ついに学校に行かなくなった。

1回目の高校も入学して1年も経たずやめてしまったが、17歳のときに2回目の高校に入り、一人暮らしをはじめ、充実した日々を1年間だけ送ることが出来た。

数年間抑圧の日々が続き、溜め込んだものが爆発するという不健康な形じゃなく、毎日少し楽しく、少しつらいという日々ならバランスもいいのだが。

振り返ってみると、ほぼ6年周期で躁状態に近い日々が来ている感じだ。
幼稚園年長組(6歳)は楽しく、小5まではつらく、小6(12歳)は楽しく、中学と1回目の高1はつらく、2回目の高1(17歳)は楽しかった。

その流れでいくと、23歳になる今年は楽しいはずだが、とてもそうとは言えない状態である。
いよいよそんな周期も終わり、人生行き止まりの日々がずっと続くんだろうか。

いじめられて引っ越した男

小3~小5の時、お互いゲームが好きで毎日遊んでた男がいる。
そいつは小6の時に血気盛んになったクラスメイト数人にいじめ抜かれはじめた。

俺はそいつと小5まではあんなに仲が良かったのに、何か揉め事を起こさないとつまらないと思った俺も、全く関係ないのに騒動に加担して暴れ捲くった。

まぁそいつがどうぶつの森の手紙でクラスメイトの悪口を書いたり、塾でションベンを漏らしたり人の『サッカーロボ』を壊したたりしたから、自業自得と言えるんだが。
結局そいつの両親が発狂して、建てたばかりの3階建ての一軒家を売り払って別の県に家族で引っ越した。


小6の時、こいつは結構インキャな奴らと仲良くしていたが、
塾で盛大にションベンを漏らしたことや、”どうぶつの森”のデザインや手紙で、
クラスの奴らをイジっていたことがバレて、いじめというか抗議に発展し、
みんなに責められ学校にこなくなり、それでも5人くらいで家に押しかけインターホンを押したりしていた。
親もおかしな奴で、うちの子は悪くないから絶対に謝らせないと意固地になり、
それによってさらにみんなは逆上し、親も巻き込んで面談になった。
おかしかったのは、どうぶつの森で悪口を書いていたことだけ追求すれば良いのに、
そういえば小1の時に悪口言われたやら、小4のときに図工で作ったロボを壊されたやら、
明らかに時効なことをみんなが持ち出しまくって攻撃していたこと。
そして3学期から中学に進学するまでは冷戦状態になり、こいつは中学には来ず、
結局、合計4000万はしそうな3階建ての家と土地を売り払って、遠くに引っ越したらしい。
小6の時暴れ捲っていた俺はこいつにとって権力者だったらしくビビられ、
特になにもされてないが、意味もなく首を突っ込んでた気がする。
ちなみに結構イケメンだった気もするし今はリア充じゃないだろうか。
名前でググってもFacebookとかは出ないが。

出典:「(小学生の時の)いじめられて引っ越した男」/「髭林おなもみ」のイラスト [pixiv]

いつと、デジモンテイマーズの”ディーアーク”でも遊んだりしたのに……。

伝説のスタフィーとかトマトアドベンチャーとかマジカルバケーションとかも一緒に遊んでた。
思い出すと懐かしい。

マジカルバケーションもトマトアドベンチャーもラスボス倒せなくて辞めた記憶がある。
裏ボスとかもあった気がするけど小学生の俺には絶対無理だったな

小3~小5あたりまでファミ通キューブ+アドバンスという雑誌を毎月買って、GBAとGCのゲームやりまくってデジモンのTCG集めまくってた。
デジモンのTCGはただ集めるのが好きで遊び方は知らなかった。

今はどこで何をしているんだろうか。

結局そいつがどうぶつの森で悪口書いてたとかはどうでもよくて、小6のときのみんなはとにかく誰かをいじめ抜いて攻撃したくて仕方がなかっただけだった。
小1のときに悪口言われたとか昔のこと持ち出してまで責めるのはワロタ。

小6でリア充化 教師に反抗し学級崩壊

俺の人生最大のリア充期は間違いなく小6だった。
小5までは授業中に手もあげられないくらい内気だった俺だが、小6になる前の春休みにクラスの中心人物的な奴二人とマクドで意気投合し、メルアドを交換し、クラス替えで一緒になり、人が変わったように活発になった。

学校帰りにそのまま俺の家にリア充2人と暴力野郎が俺の家に遊びに来て、必ず最寄のセブンイレブンでカップ麺やアイスやスナック菓子を買って、夕方まで雑談したり音楽聴いたりゲームやったり遊戯王したり、エロ画像を興味津々で見たりしながらすごして、本当に楽しい日々だった。
たまに泊まりに来たりして、クラスの誰が好きだとか、そういう青春じみた話もできたし、夏休み前にみんなで映画行ったり、今では考えられないような日々だった。
(夏休み中はネトゲにはまってたんで完全にひきこもってたが。)

学校でも言いたいことを好き放題しゃべりまくっていた。
いつもなにか事件があって楽しくて、毎日早く学校に行きたくて仕方がなかった。

2学期の後半には女子も家に来るようになり、いつもの男子4人と女子3人で、門限過ぎるくらいまで語り合ったりしていた。
あの日々が忘れられない。

三人とも、担任教師への不満を募らせ、次第に反抗が始まり、暴れ捲くって、父兄から目をつけられるようになった。
俺は人が変わったようにオープンな性格になっていたので、授業中も教師と喧嘩したり大声で話したりしていた。

詳しい内容は割愛するが、2学期あたりが一番ひどく、別の学年を受け持っている教師も総動員で6年の教室にやってきたりしていた。

俺が反抗のリーダーだとか、学級崩壊の原因だとか父兄の間で噂され、
「髭林くんとは遊びなさんな」
と裏で言われていた。

3学期になると、みんな中学への進学を控えているので次第に沈静化し、暴れているのは俺だけになり、完全に浮いていた。

リア充2人のうち1人のランドセルが壊れ、好きなカバンでの登校が許された時は、俺や暴力野郎も、無理やりランドセルを壊して好きなカバンで登校したり、図書室で説教を食らっているヤーイヤイを助るために教師と取っ組み合いの喧嘩したり、あの頃のエピソードを話すときりがない。

そして中学にあがると、俺は他の小学校の連中と馴染めなかったり、小6でやってたことの情報が中学の教師にも知らされ、風当たりが強くなり、不登校になり、人生ドロップアウト。

小6の時の友達の現在

俺だけが、中1の2学期で学校に行かなくなり、精神も病み、あの頃のように『リア充のノリ』で話すことができなくなってしまった。
中3のころに、あの頃の面子とあったときにはしどろもどろになっていた。

よく家に来ていた3人は今どうしてるのかと思って調べたら、お笑いとか芸能が好きだった男は、あの頃と何も変わらずテレビの話ばかりしている。
暴力野郎は前にも書いたように世の中を憎んで過ごしている。

イケメンで運動神経抜群でおもしろくてやさしかった、完璧な男は、今なにをしているかわからない。
今思うと、見下されていたかもしれんが、1年間だけでも、ああいう人間と付き合えてよかった。

あれからもう10年経つ。
反省はしてるが、未だにあの頃は楽しかったと思う。
人生で一番のリア充期だった。

教師に反抗したり人に迷惑かけたりせず、もっと普通にリア充やってればもっとよかったけど。

今でもあの日々を夢で見ることがある。
あの頃(2005年)のヒット曲とか聴くと色々思い出して泣き叫びそうにもなる。

当然あの頃に戻ることは不可能だし、あの頃と似たような環境を作ることも、今の俺ではおそらく無理だろう。
今できる楽しみ方で生きていくしかない。

小6の時の担任の先生に謝罪と近況報告の電話をしました

20年以上住んだ地元を離れるということで、小6の時に多大な迷惑をかけてしまった担任の教師に謝罪の電話をしました。

母校の小学校に電話をしても在籍しておらず、転任先をきいても個人情報で教えられないとのことだったので、名前で検索して現在働いている学校を調べた。
授業中だったのでかけなおしてもらい、当日中に話ができた。

「まさか髭林君が10年ぶりに電話をしてくれるなんて信じられない」
と言っていた。

当時俺はあまりにもひどい仕打ちをしてしまったので、先生はまだ根に持っているような感じもあったが、電話してくれたのが嬉しかったとのこと。

小6で暴れたあと中学を不登校になったこと、高校を2回やめたりフリーターをしていたが、とりあえずちゃんと仕事が手についたことなど、近況報告もした。
15分ほど話したと思う。

小6の修学旅行の風呂で背中を流してくれたこと、16歳くらいの時、母校の小学校の盆踊りで目があったけど話しかけられず謝れなかったことなど、お互いが印象に残っている記憶は共通のものが多かった。

最後は
「お互い頑張りましょう、ありがとうございました」と言って切った。

謝りたいという気持ちは10代半ばの時点であったが、なかなかタイミングがつかめず10年以上経ってしまった。
今回謝れて本当によかった。
これで、心残り無く地元を離れられる。

しかし、実はまだブログにも書いていないゴタゴタが小学生の頃にあって、その当事者にも謝りたいのだが同級生にきいても連絡先がわからない。
もう9月も終わりで、そろそろ引っ越しなので連絡は無理そうだ。

どちらにしても、その人にもいずれ謝りたいと思っている。

その他のエピソード

腐りかけのジュースをくれた小学校の同級生女子の母

小学生の頃、うちの母親と、とある同級生の女子の母親が知り合った時に、向こうの母親が、賞味期限間近の海外のジュースをくれた。
単位がガロンとかのでかいボトルのやつ。

うちの家族は引いていた。

その母親曰く
「いらなかったら捨てて」
ということらしい。

人にあげるものは、自分がもらってうれしいと思うものにすべきだと思う。

ちなみにそのジュースは普通にまずかったので捨てた。

林間学校の夕飯時に漫才をやり始めた同級生

小5のときに林間旅行があり、何日目かの夕飯時に、一発芸や出し物をしたい人が前に出て、みんなでメシを食べながらそれを見ると言うのがあった。

そこで、目立ちたがりの同級生の男二人が漫才をやり始めた。

俺からすると笑える部分が一つもなく、つまらなかったので、できるだけ聞かないようにして、箸をすすめていたのだが、周りは奴らは愛想笑いも含めて、ウケている。

それを見て俺は、俺も笑わないといけないのかな、そうしないと集団に馴染めないのかな、と思い、なんともいえないストレスを味わった。
たぶん、俺は終始引きつった顔をしていたと思う。

この件に限らず、何かの説明会などで、司会がウケを狙った発言をした時などに、無理に笑わなければいけないような気がして非常に疲れる。

これを中島義道氏は”共感ゲーム”と名づけていた。

同調圧力ほど強いものではないが、とにかく耐えられない。

終わりの会の発表で延々と喋り続ける女子

小学生の頃、下校する前に、終わりの会という、明日の予定を連絡したりする会があった。

その会の中に、今日あったことの発表を、したい奴が手を挙げてするという時間があったのだが、男子で手を挙げるやつはほとんどおらず、挙げるのは女子が多かった。

何年生かの時、俺のクラスにはいつも手を挙げるクソ女子がいたのだが、そいつの話はつまらない上に、朝起きてメシを食うところから細かく長々と話し続けるので、本当に迷惑だった。
長いときは10分くらい喋るので、早く下校して遊びたい男子からすると迷惑極まりなかった。

小6の時は、俺もみんなも暴れ捲くって学級崩壊していたので、その女子が喋っていても、
「お前の話長いねん帰るぞ」
と言って無視して帰っていた。

小5までは、そういった文句が言えず、早く家に帰ってゲームをしたいのに長々と話をきかされて苦痛だった。

ああいうのはさっさと黙らせるべきだ。

学校で歌を歌う時に大げさに首を振る女子

学校は、やたらと歌を歌う場面が多い。

そういう時に一部の女子が、顔を異様に表情豊かにして、リズムに合わせて大げさに首を振って歌っていたのが、なんとなく気持ち悪かった。

池沼二人に傘を持たせて決闘をさせていた奴ら

小6の時に、休み時間に廊下が騒がしいなと思って見に行ってみると、1組の池沼と2組の池沼がお互い傘を持って、決闘のような雰囲気になっていた。

仲がよかったはずの二人がそんな状況になっていたのは、
「(どちらかがどちらかの)悪口を言っていたぞ」、
と誰かが吹き込んで、決闘するように焚きつけたかららしい。

なかなか攻撃を始めず、まごまごしていたので、周りに集まった大勢の生徒は野次を飛ばし捲くっていた。
結局、決闘は始まらずに休み時間が終わった記憶がある。

最初にこれを企んだ奴は相当悪いなと思った。

俺はスルーして教室に戻っていたので罪はない。

小学校の廊下で回し蹴り

小学校中学年の頃、移動教室でみんなが廊下を歩いてる中、ふと立ち止まって、なんとなく回し蹴りをしたら、後ろから全速力で走ってきた同級生の腹にドガッとクリーンヒットし、
「な、なにすんねん・・・!!!」
とキレられた。

申し訳ないという気持ちはあるが、意味も無く回し蹴りをした自分のアホさ加減と、急ぐ必要も無いのに全力疾走していたその同級生の落ち度とかをいろいろ考えると、とりあえず笑いが止まらなくなる。

林間学校の登山でうんこを漏らしかけた

小5のときに5泊6日の林間学校があり、2日目か3日目の朝に登山をした。

前日の夜からトイレに行ってない状態で朝飯もかなり食べて出発したせいで、上ってる最中から便意があり、下山する頃には漏らす寸前だった。
本当に、小突かれただけで漏れるんじゃないかというくらいの極限状態で、人に話しかけられてもまともに返事ができないくらいだった。

やっとの思いで下山して、旅館の前で集合した頃、トイレ休憩があった。
大急ぎで自分の部屋のトイレで大便をすると、滝かと思うほどものすごい勢いで大量の下痢まじりのうんこを噴き出した。
命が助かったと思うくらいの感動があった。

あの時ほどの大量のうんこはそれ以降出たことがない。

そうやってなんとか助かったが、もし下山中にみんなの前で漏らしていたら、トイレに辿り着く一歩手前で漏らしていたら、と想像すると本当に恐ろしい。

俺は小学校時代、学校でゲロ吐いたり漏らしたり、鼻血出したりしないように、なんとか恥をかかないように必死だった。
なので、その下痢便も気合で我慢した。

それ以降、そういう経験はあまりない。
以前バイト先でうんこ漏らしそうになったが、それもギリギリで助かった。
とにかく腹の調子だけは気をつけないといけない。

中学生時代の思い出 登校拒否(不登校)だった

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俺は小5までは、地元の偏差値の高い高校へいけるくらいの学力があると、親にも期待されていた。
しかし、小6で人が変わったように暴れ捲くり、クラスも崩壊させていた。

それが理由で、中学に進学するとすぐに学校から目をつけられ、小6の時のハイテンションの反動もあり、俺は中1で学校に行かなくなった。
俺は中1の9月から卒業まで、学校にはほとんど行ってない不登校児だったということになる。

俺は卒業までの間、学校に行かねば行かねばと、毎日苦闘していた。
朝になると、今日こそは行かないとと思い、なんとか自分に鞭を打って行こうとするが、結局行けないことのほうが多かった。

なんとか行けたとしても週1日か2日が限界で、しかも2時間目までで帰ってきたり、昼からだけだったりした。
最終的には、放課後に少し顔を見せれられればいいという感じだった。

行けない時は自室でネットかゲームか読書をしていた。

いよいよ耐えかね、中1の3学期あたりで初めてメンタルクリニックへ行った。
すると社交不安障害と診断され、デパケンRとかいう薬を処方された。
だが、こんなもん飲んでも意味ないと思って3日くらいですぐに服用をやめ、それ以降、クリニックにも行かなくなった。

本当に行かないといけない大事な日に行けなかったりすると、落ち込んで、朝から布団に潜り込んで12時間くらい泥のように眠り、いい夢を見ていた。
その時の快感がものすごかった。

嫌なことから逃げてひたすら布団で寝る。
逃げることで悲惨な未来が待っていようが、今はひたすら寝るという快感。

中1のときに担任の女教師に嫌気が差して家出した思い出

小6で暴れていたせいで学校に目をつけられていたと書いたが、具体的には、5クラスの中で一番厳しいと言われている、チビの女教師が担任になったのが大きい。

そいつは、ブスでチビなので、生徒になめられないように甲高い声で怒鳴り捲くるヒス女。
他のクラスは普通に話しているのに、俺のクラスだけ昼食中でさえ私語禁止などめちゃくちゃだった。

俺はその女教師が本当に耐えられなかったので、7月に家出を決行した。
ネットで家出の知識を調べ捲くり、カバンにうまい棒やらカップ麺を詰め込み捲くり、朝の5時から、自転車で国道沿いを東へ東へ飛ばし捲くった。

10時になる頃にはもう疲れていて、ガストで休憩していたら警察から電話があり、結局午前中に家に帰った。
1週間くらい帰らないつもりで大量に食料を持っていったのに情けない。

でも家に帰って、その女教師が職員室で慌て捲くっていたことをきいた時はワロタ。

夏休み明けから学校に行かなくなった

そして俺は、9月1日の始業式から学校に行かなくなった。

すぐに担任教師と学年主任の教師が家に来て、自室のベッドで寝ているパジャマ姿の俺を説得してきた。
説得に応じない俺は、父親と教師に腕をつかまれ、パジャマ姿の状態で学校までの通学路を、通行人の目を受けながら引きずられていった。
町中を引きずられて学校につき、俺は保健室かどこかで話をして帰った。

それ以降、教師が毎日家に来たり電話してきたりしてきたが、学校にはほぼ行かなかった。

町中を引きずられてまで学校に連れて行かれたことは、今思い出しても腹が立つ。
人扱いされていない。
思い出すと憎悪が湧き上がってくる。

その後、女教師に憤慨した俺と俺の親が教育委員会などに電話し捲くったことで、その女教師はその年で転任となり、転任式では泣き叫んでいたらしい。
校区がひとつ上の学校に転任したらしいが、そこでは人が変わったように優しい教師になったそうだ。

まぁどうでもいい。

今頃死んでいてくれればいいのだが。

中学の卒業式には出なかった。

今になってみると、中学の時の自分に、無理して学校なんか行こうとせず、何も気に病まず、思いっきり好きなことやってればいい、と言いたい。
学校は、自分が苦しまない範囲で行けるなら健康的だが、苦しんでまで行くなら間違っていると思う。

どうせどう転んでも、良くも悪くも同じような20代の未来しか待っていないと思うから。

その他のエピソード

中学の時にビンタしてきたDQNがもう家庭を持っている

中3の時に、休み時間に教室で椅子に座っていたら、不良が、俺の右斜め前の席に座っている不良の彼女に会いに、教室に入ってきて、俺の前の席に座った。
最初は不良は彼女と話をしているだけだったが、ふと俺のほうを見てきたので、なにかな、と思い、じっと不良と見つめ合っていたら、いきなりビンタされた。

睨み返されたと思ったんだろうか。

その不良は、休み時間になると廊下に出て、手当たり次第に人を蹴ったりして暴力を振るうような奴だった。

そのDQNの兄が、結婚して子供もできたようだ。

中2のころは、ビンタしてきたDQN(以下DQN弟)とその兄(以下DQN兄)と、もう一人のDQNと結構仲がよく、つるんでいた。
だが、DQN特有の、ヤクザ坊主のような仲間意識が怖くてついていけず、結局縁を切った。

DQN弟もDQN兄も、カツアゲはしまくるわ、休み時間に廊下で手当たり次第に人を蹴り捲くるわ、教師まで殴るわで、めちゃくちゃだった。

DQNがうまくいくという不条理さ理不尽さ

よく言われることだが、それだけ酷いことをやってきた人間が、働かなければならない歳になると少しずつ社会に順応し、とび職なり土方なりでそこそこ金を稼ぎ、早いうちに結婚して子供まで授かってしまうのは不条理だなと思う。

中3の時に俺をビンタしたDQNのことを、
「あいつ結構気さくで良い奴だよ」
とかほざくボケ野郎も何人かいた。

休み時間になると廊下に出て、手当たり次第に人を蹴り捲くったり、恐喝したり、自転車盗んだり、悪いことをし捲くってる奴に、ちょっと気さくな面があったくらいで、良い奴にまでランクをあげるとかアホかと思う。

よく言われることだが、ヤンキーが老人にやさしかったりするとやたらと評価されたり、暴走族から弁護士になったりするとやたらと評価されたりするあれと同じ。
最初から悪いことやらずに普通にしてる奴や、いつも良いことしてる奴はどうなるのか。

ちなみに、DQN弟の元カノは、小6の時に俺と一悶着あった女だ。

俺が私立の高校をやめて定時制高校に入ったら、DQN弟とその彼女と、DQN兄とその彼女(後の嫁)がその高校に在籍していて、なんとも妙な縁だなと思った。
校内ですれ違った時にすごく気まずかった。

ちなみに、DQN弟の彼女は、俺がその高校に入った頃には別れていて、今は別の男と結婚して子供がいる。
もう22歳やからおかしくもないが。

そのDQN兄弟は今、とび職か何かで働いているらしい。
暴れたい時は暴れ、金が必要になった時は真面目に働く、という感じなのか知らんが、今まで暴力を振るわれた人らはどうなるんだろうな。
理不尽な世の中だと思う。

結局、DQNの被害を受けた人間は泣き寝入りするしかないんだろうか。
ニュースなどでも、学生時代にDQNに被害を受けた人間が十数年経って復讐するというのはきかない。

俺も小6のときの件があるので強くは言えないが。

今後、DQN兄の家庭がどうなっていくかは知らんが、ほぼ間違いなく子供もDQNに育ち、同じようなことを繰り返していくんだろう。

高校生時代(1回目)の思い出 不登校の受け皿的な私立の通信制高校を死に物狂いで退学

俺は中学1年の9月1日から不登校になり、それから卒業するまでの間、学校には行ったり行かなかったりの状態だった。

中2で鬱状態、中3で若干ましになり、鬱よりも怒りの気持ちが強くなっていた。

ほとんど学校に行っていなかったのでどの高校に入学すればいいかわからず、中3のときの担任のすすめで、不登校児の受け皿のような、学費の高い私立高校に入学した。

不登校児やひきこもりが増えている昨今、そういう人の受け皿的な高校も増えている。

その高校は、ヤンキーになれきれないようなヤンキーが2割、オタク・腐女子が5割、発達障害みたいなのが2割、普通の人は1割いるかいないかだった。
いじめなどはないが、とにかく異様な雰囲気で、気持ち悪すぎて耐えられなかった。

入学式では、宗教のように目標達成法的な映像を見せられたりして気持ちが悪く、もう4月の時点で退学したくて仕方がなかった。

バス通学だったので、毎朝バスに乗って、エレカシの四月の風という曲を聴きながら、自分をだましだまし、無理やり学校に行っていた。

教室では挨拶はおろか、クラスメイトと一切口を利かず、ひたすらイヤホンを耳に突っ込み、本を読み捲くっていた。

そんな日々も長くは続かず、5月からは昼までに帰るようになり、6月からは放課後だけ顔を見せる程度になった。
親と担任教師に何度も、辞めたい辞めたいと言ってた気がする。

教師に無断で高認試験を受けた


出典:“教師の男” | 髭林おなもみ [pixiv]

そして11月に、教師に無断で高認試験を受けた。
無勉だったが5科目受かった。
その事を報告すると担任教師は、俺に無断で受けるなと怒っていた。

それから頻繁に三者面談やカウンセリングをやらされ、担任教師だけじゃなく、親とも険悪になっていった。

12月頃にはもう辞める方向で話が進んだが、生徒が退学すると担任教師にペナルティがあるようで、教師は食い下がってきた。

年が開け、親に定時制高校をすすめられた。
定時制高校なら学費も安いし、夜に授業があるし、向いてるんじゃないかと思い、俺は私立高校を辞めることになんの恐怖もなくなっていた。

晴れて退学 担任教師の捨て台詞を今でも覚えている

最後、退学届けを出す三者面談で、担任教師に、
「お前はどこに行ってもうまくいかんから」
と捨て台詞を吐かれ、俺はボケクソの私立高校を退学した。
多分その担任教師は、俺が退学したことでかなり厳重に注意されたはず。
その担任教師には家族の仲も壊されかけ、苦しめられたので本当に死んでいてほしい。

私立高校を退学した時の解放感はものすごかった。

ただ、1年在籍しただけで、親に100万近くの学費を払わせたのは申し訳ない。
そういう意味で、その高校をすすめてきた中3の時の担任教師にも腹が立つ。

ここまで読んで、お前自身に問題はないのか、反省する点はないのか、という意見が飛び出しますが、この件に関しても俺は、一切反省も後悔もありません。

俺にとって、私立高校に通っていた1年間というのは、今となっては幻のような日々に感じる。
ひたすら、この糞高校をやめたいやめたいと言い捲くって家族や教師とモメまくっていたのだが、ただ苦しいだけではない妙な日々だった。

なにしろ、家族ともモメまくり圧倒的に孤独な状況の中で、自己愛に目覚め、その後の俺の人生は大きく変わっていった。
それが後の、一人暮らしや配信漬けの日々に繋がっていく。

高校生時代(2回目)の思い出 定時制高校と一人暮らし

一回目の私立高校をやめた年に、ニ回目の高校(定時制高校)に入り、一人暮らしもはじめた。
その頃は、朝5時半からバイトして、夕方5時から学校に行くという充実した日々を過ごしていた。

16時半くらいに家を出て、電車で15分、その後徒歩10分くらいの場所にある学校に行き、17時半から授業を受ける。
そんで21時半に帰るという感じ。

人生の絶頂期と言えるほどのポジティブさで、今を生きている感じがして、未来には希望が見えていた。
たぶん、中学や、1回目の糞高校から開放されたという大きなカタルシスがあったんだと思う。

定時制高校は大学のような感じ ヤンキーは騒いでいるが他人には絡まない 学費が安い

生徒はたくさんいるものの、みんな他人に無関心で、基本的にこちらから話しかけない限りは交友関係が始まることはなかった。

定時制高校は、ヤンキーが4割、オタク・腐女子が4割、普通の人が2割ほど。
公立なので学費もかなり安いし、自分で単位を計算して授業を選び、授業ごとに教室を移動するので、クラスの関わりがほとんどない。
当然いじめなどもなく、どちらかというと大学のような感じだった。

授業中は基本的に穏やかだが、頻繁にDQNが教師に反抗して暴れたり、駄弁りまくったり携帯をイジったりして荒れている。
学校の駐車場にバイクやら車やらを留めて騒いでいるようなやつも居た。

でも他人には何もせず、同じヤンキー同士で喧嘩したり、教師につっかかったりしている程度だった。
ヤンキーは、教師には反抗し捲くるものの、生徒には滅多に絡まない。

しかし一度体育の授業中に、やたら体のでかいDQNが教師にぶちぎれて掴みかかって投げ飛ばし、絶叫しながらドアを破壊して出て行ったことがあり、その時はかなり騒然としていた。

高認試験に合格し定時制高校も退学

俺はいろいろあって、その定時制高校も2年間はちゃんといったものの、結局残りの2年は学校行かなかった。

最初の2年間はすべての授業に出席しすべての単位をとったものの、入学する前の時点で高認試験に5科目受かっていて、定時制高校でとった単位で、高認試験の合格してない科目を免除し合格できた。
それで、いっきに行く気が失せ、残りの2年は在籍するだけで一切行かなかったという感じ。
そんで2014年の2月に退学した。

今思うと、一回目の私立高校に費やした時間と金だけは本当にもったいなかったと思う。
今現在、不登校をしていて、どんな高校に行けばいいかわからない人には、俺としては定時制高校をおすすめしたい。

ヤンキーが多くて怖いとか、朝働かないといけないとか、そういう先入観があるかもしれんが、実際は働いてない人が半分かそれ以上いる。
上記のようにヤンキーはそこまで危険じゃない。

高い学費を親に出してもらい、不登校の受け皿的私立高校に入り、発達障害者や宗教的なムードを気にせず楽しめる人ならそれでもいいだろうが、俺には苦痛そのものだった。
上述のように、どうしてもやめたくて、親や教師とモメまくり地獄のような1年を過ごした。

定時制高校に入ってからは、一人暮らしをし、朝はバイト、夕方から学校という、結構充実した生活を、少しの間だが送ることも出来た。

思い返すと、定時制高校での日々は、楽しかったというより、結局、私立高校の時と同じで、なんともいえない感じだった。
交友関係はほぼなかったし、入学した年くらいから配信をはじめ、一人暮らしのワンルームマンションで昼間から暴れてたことのほうが強く記憶に残っている。

学費は格安だったし、私立高校のように気持ち悪いムードもなかったものの、特に楽しくはなかった。
覚えているのは、外が暮れ始めるころに学校に行き、夜に帰るというのが、どうしようもなく寂しかったということ。

私立高校の生徒の進路と定時制高校の生徒の進路

未だに疑問なのは、あの私立高校にいた発達障害のオタクどもはどういった進路を選んだのだろうか。
定時制高校の生徒に関しては、聞いたところによると美容師や調理師が大半で、就職先はほとんどブラックでみんな苦労しているらしい。

私立高校のオタクはおそらく、高い学費を払って、イラストやゲーム製作の専門学校にでも行ったのが大半なんじゃないだろうか。
その後就職先があるのかは知らないが。

高認は持っているが、もう大学や専門学校なりに行くつもりは一切ない。
俺は学校という場所にどうしても適応できない。

スマホいじり捲くり、SNSでくだらんことを呟き捲くり、安確いじりしまくりの人間や、その他俺の嫌いなタイプの若者があつまるコミュニティに金を払って属すというのは、全身を掻き毟りたくなるほど耐えられない。

当然就職もする気がないので、何百万も払って専門や大学に行く意味がない。
就職する気はないが、人と絡みたくてしょうがない、モラトリアム期間として楽しみたいという人は、大学に行くんだろうが、俺には苦痛でしかない。
というかもう来年23歳なので普通なら大学卒業の歳だ。

とりあえずバイトをしながら、適当にしたいことをやっていく、という生き方で相変わらずいこうと思います。

その他のエピソード

定時制高校で25歳の引き篭もり暦10年の男に粘着された

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俺が2回目に入学した高校(定時制高校)の1年の頃の話。

美術室の前で授業の開始を待っていると、白いシャツを着て、頬まで青髭で、やたら汗をかいている、危険な目つきをした男に話しかけられ、
「友達になってくれませんか」
的なことを言われた。

なんで俺にそんなことを言うのか聞くと、
「真面目で誠実に見えたので、初めての友達にはよさそうだったから」
と思ったかららしい。

明らかに気持ち悪かったが、当時の俺はやさしかったのか、断らず友達になってしまった。

そして、
「明日一緒に登校しよう」
などと言ってきたが、家が遠いので、
「エントランスで待ち合わせくらいなら出来ます」
と言うと、翌日、そいつはエントランスで携帯もいじらず本も読まず音楽も聴かず、1時間くらい棒立ちで俺を待っていたらしく、異様だった。

話をしてみると、カラオケでは日本国旗を持って行き部屋に貼り、君が代を歌い、ラッパも持参し、軍歌の間奏で吹くとかなんとか。

親しくもないのに、
「1日7回オナニーしたことあるんです」
とか言ってくるし、あまりにも気持ちが悪いので距離を置いていたら、髭林さんが無視する…!!と憎しみに燃えていたらしい。

結局、そいつは後期から深夜の弁当屋のバイトを始めたらしく、学校には来なくなった。

10年間ひきこもりをしていただけあって、世間知らずにもほどがあり、人との付き合い方、距離感などが全くわかっていない。
女にモテなさすぎたのが原因か、ホモチックなものも感じたし、気持ちが悪すぎた。

あんなのを早い段階で切らなかった俺もアホすぎる。
確かスカイプまでした記憶がある。

吐き気がするほど嫌な思い出だ。

追記:
そういえば、その男の苗字や名前が思い出せない。
基本的に俺は人の名前を忘れないのだが、その男に限っては忘れてしまった。
まぁ思い出す必要もないのだが。

定時制高校で知り合った25歳メガネの男

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定時制高校で、25歳の引き篭もり暦10年の男に粘着されたことがあるが、それとほぼ同時期の話。
25歳メガネの男ともモメたのだが、そいつもその引き篭もりと同じような感じで、相手から話しかけてきて知り合った。

クラスは違ったものの、学年は同じだったので、授業が同じ時とかはよく話したりしていた。
話を聞くとそいつは、中学を卒業してから今までネトゲ廃人だったらしい。

引き篭もりの男も交えて3人で話すことも多かった。

その内、スカイプとかも繋いで麻雀やらFPSのネトゲをやったりもした。

しかし、俺が引き篭もりの男を切り、少し空気がおかしくなってから、なんとなく気持ち悪くなって、俺がこの25歳メガネの男も無視して切った。
すると、引き篭もりの男と同じ感じで、授業で会った時などに殺意と憎悪の眼差しで睨んできた。

俺は昔から、男の友達と距離が縮まってくると、なんとなく気持ち悪くなって、無視など、極端な方法で相手と距離をとろうとする癖がある。

それが出てしまったのだ。

小6の時に、俺の部屋で毎日一緒に遊んでいた、V6岡田似のイケメンでスポーツ万能で頭が良くて面白くてやさしい完璧人間がいた。
そいつが冬頃に自転車を壊してしまった時、俺は俺の家からだいぶ南にあるそいつの家まで、毎回自転車で送ってあげていた。
その時も、最初はよかったんだが、ずっと送っているうちにだんだん気持ち悪くなってきた

まぁそんな感じで、いつも通りろくでもない絶縁の仕方をしたわけです。

高校のエントランスでボカロの曲を流して踊る女子生徒

俺は、最初に入学した私立の通信制の高校を1年で退学した。
2回目に入学した定時制の高校は、4年ほど在籍したが(実質通っていたのは2年間)、今年の2月に退学した。

退学届けを出しに、久しぶりに学校に足を運んだら、エントランスに、大音量でボカロの曲を流しながら、ダンスの練習をしている女子生徒たちがいた。

こんな若者に囲まれて、やっていけるわけがないと思った。

定時制高校で知り合った絵描きの女

3年半くらい前、俺が定時制高校に通っている時、絵描きと知り合いたいと思い、日本史と世界史の授業中に、授業をサボって、プリントの裏とかにナルトの絵ばかり描いてる女に話しかけた。
それからTwitterで相互フォローになったり、pixivのマイピクになったりしてたんだが、俺がクソ女のキチガイ絵を描き捲くるのを見て恐れたのか、すべてのサービスでブロックされた。

その後、久しぶりにそいつのTwitterを見に行くと、アニメーターになりたい画力上がらない死にたいとほざいており、数ヵ月後にまた見に行くと、Twitterもpixivも全部消えていた。

激烈なる上達を求めるあまり、死んでしまう絵師がいる、というが、死ぬとまではいかなくとも、そいつもそれだったんだろう。

まぁ、俺のことを拒絶してどこかに行ってしまうやつがどうなろうとどうでもいい。

初対面の人らの前で屁をこいた

むかし、定時制高校に通ってた頃、学年集会があり、めんどくさいので、俺は机に突っ伏して寝ていた。

起きたら周りの人らに変な目で見られていて、なにかなと思うと、これは僕の読みなのですが、俺は寝ている間に屁をこいたのではないかと。

机に突っ伏して寝るスタイルは屁が出やすいから危険だ。

あと、むかし専門学校の体験に行った時に8人くらいのグループで、専門学校の講師が話してる時に、普通に屁をこいてしまったことがある。

今でも思い出すと
「ワァッ!!」
と泣き叫びたくなる記憶だ。

2015年1月21日 まとめ 中学から高校にかけての日々と今

俺は中1の9月から不登校になり、中2で鬱状態、中3で若干ましになり、鬱よりも怒りの気持ちが強くなっていた。

1回目の高校(私立の通信制高校))の時に至ってはもはやよくわからず、今となっては幻のように感じる。
ひたすら、この糞高校をやめたいやめたいと言い捲くって家族や教師とモメまくっていたのだが、ただ苦しいだけではない妙な日々だった。

その高校は1年でやめた。

翌年、2回目の高校(公立の定時制高校)に入り、一人暮らしもはじめた。
その頃は、朝5時半からバイトして、夕方5時から学校に行くという充実した日々を過ごしていた。

人生の絶頂期と言えるほどのポジティブさで、今を生きている感じがして、未来には希望が見えていた。
たぶん、中学や、1回目の糞高校から開放されたという大きなカタルシスがあったんだと思う。

その後、1年で実家に戻り、一人暮らし時代にやっていたバイトもやめ、2年間配信し捲くってぶらぶらした後、今のバイトをはじめ、2回目の高校を退学した。
(実家に戻ったのが18歳の頃で、今のバイトを始めたのが19歳の頃、2回目の高校を退学したのが21歳の頃。)

その辺りから、徐々に薄暗い日々になっていった。
特に去年の上半期くらいからがひどい。
鬱状態ではないが、なんかどうにも刺激が無い。

今思うと、10代のころは屁でもないようなことに全力で悩んでたけど、その分、屁でもないようなことに全力で喜んでいた。
そして、とにかく学校から逃げ出したいと言う気持ちが強く、逃げ出したときには感動があった。

今は別に逃げ出したいと思うようなコミュニティに属してないし、まさに幸福でも不幸でもない状況という感じ。
これはこれでなんとも言えないつまらなさがある。

でもまだ20代だし、いつかは抜ける時が来るような気もする。

自動車学校の思い出

自動車教習所の教官

一昨年の9月ごろ、親の金で自動車教習所に通ってたんだが、マジでボケクソな教官ばかりだった。

こっちは金を払って教習を受けているのに、車の運転がうまいだけのボケが偉そうにタメ口で指導してくる。
さすがに、ネットで聞くような人格否定発言は飛び出さなかったが、それでも相当感じの悪い奴が多かった。

中には良い人もいたのでよかったが、半分以上はそういうボケクソ教官だった。

今時、教習で暴言吐きながら指導してる奴は死んだほうがいいし、教習所側もさっさと辞めさせてほしい。

でも結局、第一段階も本試験も、筆記実技ともにストレートで通ったのでよかった。
まぁ、AT限定なんですが。
しかも免許をとってから数回しか車に乗ってないので、保険も解約した。

糞教師の思い出 教室でタバコを吸い、学校や生徒を私物化する暴力教師 昼食中に私語を禁止する教師

学生時代を思い出すとマジで教師にはクソみたいな人間が多かった。

小4の時の暴力教師


出典:“暴力教師の男” | 髭林おなもみ [pixiv]

小3まではよかったものの、小4の時の隣のクラスの暴力教師はやばかった。
とにかく暴力的で、生徒を体育倉庫に連れて行きジャイアントスイングをしたり、固めのガムテープで頭をシバいたり、体罰をし捲くっていた。

教室で堂々とタバコを吸うし、常に竹刀を傍らに置いていて異常そのもの。

自己満足のために意味もなく授業の時間を割いて森山直太郎のさくらを生徒に歌わせたり、ギターを聞かせたり、学校を半私物化していた。
言葉遣いもとんでもなく悪く、チンピラみたいだった。

それなのに、媚びることを覚えた女子が、良い先生だとかほざいて擦り寄っていた。

あれから10年経つ。さすがに今の時代では通用しないはず。
もう教師を辞めていると思うが、苦しみ抜いて死んでいることを祈る。

俺は何もされてないがとにかく腹が立つ。

小4の女教師は結構気さくで良い人だった。

自分の子供にテレビを見せない女教師

小5のときの担任の、男っぽい女教師は、
「自分の子供にはテレビを見せない」
、と言っていて、
「おかしすぎるやろ」
「かわいそう」
と教室がざわめいた。

俺も心の中で、
「アホか」
と思っていたが、今となってはありだと思う。
テレビはろくでもない情報ばかりなので。

あまりにテレビを見せないでいると、周りの子に取り残されて疎外感覚えたりはしそうだけど。

小6の担任の男教師


出典:“(小6の時の)眼鏡大根こと教師の男” | 髭林おなもみ [pixiv]

俺は小6の時に大暴れしていたのだが、その時の担任の男教師に関しては、今となっては申し訳ない気持ちがある。

小学校で牛乳が飲めない体質の奴に無理やり飲ませる教師

小学生のとき、給食で毎日必ず牛乳が出されたが、掃除の時間になっても飲み終わらず、教師に怒られながら無理やり飲まされている奴が何人かいた。

そういう奴らはもしかしたら、酒が飲めない体質と同じで、どうしても牛乳が飲めない体質かもしれないのに、周りが掃除を始めて、埃の舞うところであれだけ怒られ、ひどい時は口に無理やり牛乳パックを押し付けられてまで飲まされていたというのは、本当に異常だと思う。

ちなみに俺は飲めるが、場合によっては腹を壊すこともあるし、冷えるし、体によくない気がするんで極力飲まない。

中1の担任の女教師


出典:シリーズ作品「6人のクソ女たち」 “(中1の時の)教師の女” | 髭林おなもみ [pixiv]

中1の担任の女教師には本当に苦しめられた。

背がかなり低く、ナメられてはいけないと思っているのか、金切り声でヒステックに怒鳴りまくるバカ女。
小6で大暴れしていたという噂が届き、俺は執拗に目をつけられ、些細なことでも必要以上に叱られ捲っていた。

しかも5組ある内で、俺のクラスだけ昼食中に私語禁止だった。

耐えられなくなったので7月に家出し、9月からは学校に行かなくなり、親と一緒に教育委員会などにこの女教師のひどさを訴えまくってたら、結局その年に泣きながら転任していった。

中2、中3の教師

中2の時の男教師はもやしみたいに頼りなかったということくらいしか記憶にない。
中3の時のブルドッグのようなとにかく怒鳴りまくっているやかましいデブ女教師には、不登校の受け皿のような私立高校をすすめられ色々と損した。

私立高校での担任の男教師


出典:“教師の男” | 髭林おなもみ [pixiv]
そんでその私立高校の担任の男教師には、家族の中が崩壊するくらい掻き乱された。
今でも許せない。

その私立高校は1年で辞めた。

定時制高校の教師はみんな普通

定時制高校に入ってからは、基本的にはみんな普通の教師だった。

まぁそんな感じで、いろんな糞教師に出遭ってきた。

お前にも問題あるんじゃないのか、いつも人のせいにばかりしてるな、という意見が飛び出しますが、それはあなたの勘違いですので気になさらないでください。

しかしなんで糞人間に限って教師という仕事をやりたがるんだろうか。

俺の場合はまだましだったものの、教師に人生を狂わされたという人間はかなりの数いると思う。

糞教師がどうか苦しんで苦しんで死ぬことを祈ります。

筆者である髭林おなもみや、記事内容について気になることがあったらお気軽にご連絡ください。
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