『時間は未来から過去に流れる』について考えたこと 失うと何でも美しく見える 現在を死から逆算する

『時間は未来から過去に流れる』について考えたこと

時間は未来から過去に流れる
過去に起きたことは未来に起こることに一切関係ない
未来で幸せだと確信してる人は現在も幸せ(幸せな未来に最も近いのは今)

と、目標達成法では言うが、結局どこまでいっても過去と未来は幻想であり、現在に包摂されている

未来は過去と違って体験がまだ無く、漠然としているので、現在や過去よりも臨場感が低く、枠組みが広い。
枠組みが広いものは枠組みの狭いものを包摂する、つまり未来は現在も過去も包摂するから、上記の3つは成立するということだと今回結論づけた。

※正確には、成立させるもさせないも自分次第。
時間(現在、過去、未来)を自由自在に扱えるようになることが重要。

過去も未来も等しく幻想

過去は過ぎ去り、未来は未だ来ていないので、どちらも幻想。
だが現在、どちらも自由に想像できる以上、現在の中に過去も未来もあると言える。

未来も過去も幻想という意味では共通だけど、
過去は物理的な体験がある(ように思える)幻想
だから、枠組みが狭く、臨場感が高い。
未来はまだ体験していない(ように思える)幻想
だから枠組みが広く、臨場感が低い。

枠組みの広さと臨場感が違うだけで、どちらも等しく幻想。

人間の無意識は臨場感が強い方を現実だと認識する。
だから多くの人は過去の延長を生きている
そういう人間にとっては、時間は過去から未来に流れている。

あえて未来を優先する

そこで目標達成法ではあえて、未来という、漠然としてて臨場感を覚えにくいものに臨場感を覚えることを重要視している。

過去の体験はあったように感じるが、未来の体験はあったように感じない。
つまり未来は漠然としている。
つまり未来は臨場感が低い(=枠組みが広い)

枠組みが広いものは枠組みが狭いものを包摂する。
だから、未来という枠組みが広いものを書き換えれば、現在も過去も書き換わる。

未来という枠組みが広いものに臨場感を覚えるには、自身の枠組みの広さが重要になる。
過去より未来に臨場感を覚えられる人間にとっては、時間は未来から過去に流れている。

川の上流をきれいにすれば下流もきれいになると考えるとわかりやすい。

いつまでも過去という幻想に執着する(=臨場感を覚える)のは、下流ばかりきれいにしようとして、上流がおざなりになっているので埒が明かないという感じか。

ただ絶対に忘れてはいけないのは、下流(過去)も上流(未来)も等しく幻想。

未来が来るという確信は過去の延長?

未来が来るというのは、今までは未来が偶然にも来ていたので、その過去を延長してそう思い込んでいるだけ、という意見もある。
未来があるという確信が、今まで未来が来ていたという過去の現象から導き出したものなら、過去の延長線上やん、時間は過去→未来やんとなってしまう。

だが、未来が来ることの根拠である過去も幻想であり、過去に、未来がちゃんと来ていたという体験をしたという記憶さえも幻想
(世界五分前仮説など参照)

逆に、過去があったという確信は現在生きているから得られる。
現在は、過去から見れば未来なので、未来から過去を眺めることではじめて過去が存在するとしたら、時間は未来から過去に流れている。

つまり、
未来があるという確信は、今まで未来が来ていたという過去の現象から導き出したもの
過去があったという確信は、現在(過去から見ると未来)から眺めて始めて得られるもの

なので、どちらにも優劣はなく、幻想であり、二つを包摂してみると、時間は止まっている、と言える。

以下に詳しく書く。

時間は止まっている

「時間は止まっている」
その上で、
枠組みが狭く、過去にしか臨場感を覚えられない人は過去→未来に流れているように感じられ
枠組みが広く、未来に臨場感を覚えられるには未来→過去に流れているように感じられる

でいいんじゃないのか。

上述のことを踏まえると、
「時間は未来から過去に流れる」
というのは、物理法則みたいに何もしなくてもそうなってるものじゃなくて、個人が強く意識していかないと”実感”はできないもの
なんじゃないか。

指導者的には、何もしなくてもそうなってるということらしい。
個人が枠組みを広げて意識しないとそれを”認識”できない、という感じか。
ここらへんはまだわからん。

今を生きる

「今を生きる」
という言葉は、
「時間は未来から過去に流れる」
という言葉に比べると信じている人は多い。
(現在さえも幻想という意見もあるが割愛。)

過去と未来に優劣はなく、過去の重要な体験も、未来の素晴らしい目標も、どちらも幻想。

どちらも等しく現在に包摂されていて、どこまでいっても現在しか認識できないというところで、刹那快楽主義(未来を犠牲にする、必然的に過去主義)になるか、枠組みを広げて未来に臨場感を覚えられるか、が重要。

すべては縁起

となるとやっぱり過去が地声で未来が裏声で現在が中声。
そして、すべては自在性(縁起)。

過去優先の自在性は枠組み狭→広なので地声に裏声足して呼気圧迫でしんどい中声。
未来優先の自在性は枠組み広→狭なので裏声に地声足して(十分に伸展させた上で閉鎖して)楽に出せる中声

またなんでも地声と裏声と中声に分類する癖が始まってしまった。

結論としては、時間は止まっているので、自由に都合よく使えばいい、流れる方向をコントロールすればいいということ。

時間の流れる方向は、過去と未来のどちらに臨場感を覚えられるかによる。
ただ、未来は枠組みが広く現在と過去を包摂しているので、未来に臨場感を覚えられる人(未来→過去に流れているように感じる人)は、現在も過去も自在に扱える。

すべては自在性の一つ。
なので、自在性を得たいなら、未来から過去に時間を流せるようにしたほうがいい。
そうすれば、過去の記憶を未来に役立たせたりもできる。

「すべての時間を自在に扱いたかったら、枠組みを広げて未来に臨場感を覚え、時間が未来から過去に流れているように感じるようにしろ」
ということになってくる。

過去に執着して現在が楽しくなく未来も描けない
→過去固着

過去も未来もどうでもいい、今が楽しければいい
→現在固着

未来のために頑張っているが、そのせいで現在が苦しい
→未来固着

未来が素晴らしいと確信してるから現在が楽しく、必要に応じて過去も利用できる
→真の自在性

失うと何でも美しく見える 現在を死から逆算する

大切なものは悲しい程モロい
失えばなんだって美しい

実弾 – Syrup16g

今年1月に実家の犬を見送り、大切なものを失うという経験をした。

名古屋に引っ越して1年が経ち、恋人もでき、色々とやりたいこともやっているが、クルテクやなりあきさんなど、別れた人のことを度々思い出す。
なにより、もう戻らない10代の日々や10代の自分が忘れられない。

思ったのは、本当によく言われることだが、
失うと何でも美しく見える
ということ。

あくまで失ってから美しさに気づくということではない。
渦中にいるときは美しく見えなかったものでも、失うことで美しく見え始めるということ。

まずチャコのことを書きます。

チャコ

今年の1月に、実家で飼っていた『チャコ』という豆柴14歳♀を見送った。
心臓のガンでお腹に水が溜まり膨れ上がるようになり、何度も抜きに行ったが、限界だと思ったので、安楽死させた。

俺が11歳から一緒に居た犬で、10代の濃い思い出を共にしてきた犬だ。

亡くなってから1ヶ月の間、母親と俺は泣き暮れ、チャコが毎日のように夢に出てきた。
2ヶ月、3ヶ月と経つ内に少しずつ日常に戻っていったが、3日に1回は夢に出てきて、そのたびに泣いていた。

半年以上経った今でも、ネットで豆柴の画像や動画を見ると思い出し、街で柴犬や豆柴を見かけると必ず話しかける。
たまに寝起きや、ふとした時にチャコを思い出して泣いてしまう。

なにより、30分、いや、たった3分でもいいからもう一度チャコに会いたいと思う。
書いていてまた涙が出てきた。

チャコを失ってから、チャコが本当に美しく見える。
チャコが本当に恋しく感じる。

生きていた頃は、本当に当たり前のようにそこに存在していて、その存在を特段美しいとか、恋しいとか思ったりしなかった。
いることが本当に当たり前で、その存在に感謝をできなかった。

失ってから、本当にチャコが美しく見え、恋しくて仕方がない。

でもそれは、美しさに気づいたというより、失った今はじめて美しく見え始めたということだと思う。
酷な言い方かもしれないが、その違いは大きい。

渦中にいる時(生きている時)は、特段美しくは見えなかった、というので正解なのだ。
つまり、その時の自分はどれだけ頑張ってもそう見ることしかできなかったから、仕方がないということ。

これは、やれるだけのことしかやれなかった、それでいいんだ、という過去肯定の意味もある。

現在を死から逆算する

恋にしても、お金がほしいという気持ちにしても、達成したい目標にしてもそうだが、人間というのは、今ここにないものに思いを馳せる。

それに人間は、『見慣れたもの』と、『知らないもの』はよく見えないようになっている。
今ここにあるものは見慣れたものなので、ちゃんと見ようとしない。

そこで、よく言われることだが、
『今生きている大切な人がもし亡くなったら』
というところから『逆算』するのは本当に大事だ。

今は大切な人が生きている、つまり失っていないので、特段美しくは見えない。
だが、大切な人が亡くなったら、間違いなく美しく見え、たった3分でもいいから会いたいと思う気持ちになるだろう。

本当に大切な人が亡くなってからの世界を、脳をフル稼働させてありありと想像してみる。
実際に涙が出るくらいに。

徹底的に想像したら、現実のその人に会ってみる。
ちゃんと触れる、話せる、そこにいる、ということに感動して涙が出るかも知れない。

今ここにあるものを、一度、もうここにないものにしてみる。
見慣れていないものにしてみる。
失ったものにしてみる。

そういった思考実験やイメージが、今の大切さに気付かさせてくれるかも知れない。

自分の死

ちなみに上述のことは、自分自身にも応用できる。
自分が死に、肉体が消滅してから、肉体があったことがいかにありがたかったかわかるかもしれない。

あの世や霊界があるかはわからないので、死んでからも意識があり、体があった頃が恋しい、となるかはわからないが。
そういう意味で、自分の死というのは他者の死とは決定的に違うことがわかる。
ややこしいのでそこは割愛するが。

死じゃなく、体の一部を失ったらと仮定するとわかりやすい。
今当たり前のように目が見える、手が動かせる、体が動かせるということが、失ってみるといかにありがたいことかわかるはず。

まともに呼吸ができない病気になった時、今、当たり前のように息が吸えるということがいかに幸せかわかる。

この記事で書いたことは他の人もよく言っていることだ。
今がいかに美しいか、ありがたいか、幸せかということ。

今回書いた、現在の幸せに気づく方法は、目標達成法的にはNGな内容かもしれない。
目標達成には、未来の幸せな目標があるから現在が幸せ、という風に導くのかも知れない。

だが未来の目標の先、さらに時間的枠組みを広げてみるとそこには死がある。
なら死から逆算して幸せに気づくのも一つの方法だろう。

俺はチャコのことを生涯忘れない。
そしてチャコの死から学んだことを、自分や他人のために精一杯活かすと決めている。

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