お絵描きに関する記事まとめ

2014年10月13日 キチガイ絵と憎しみについて

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最近、スカイプのメンバリストでオンラインになっていた某セックスレス自慢の人に話しかけたら、意外にもフレンドリーに返してくれた。
そして伊東りんく氏も、Twitterでフレンドリーに話しかけてくれたし、配信に来てくれたので、雑談もした。

相手は俺に敵意を抱いていない

俺は、あれだけ配信で彼らのことを
「クソがクソが」
と言い捲くり、残酷でエロチックな絵を描いては辛辣な暴言キャプションとともにpixivに投稿し、作品として公開してしまった。

しかし、相手はこうも俺に敵意を抱いていないと知ると、途端に、
「俺はなんてひどい事を言ったんだ」
「俺は人を傷つけたんだ」
と、自責の念や自己嫌悪に苛まれ、全身をカッチカチに硬直させながら泣き叫びたくなる。

作品は消せない

だが、一度吐いた言葉は取り消せないし、あの絵やキャプションは俺の作品であるので、削除や改変をするつもりは一切ない。

すべて、俺の心の弱さ、醜さがストレートにあらわれてしまっている。
あの絵とキャプションを見たら、本人はとても心が痛むと思う。

だが作品である以上、見ないでくれなどとは言えない。

見に来ようが見に来まいが、ただそこに残しておくだけである。

本人らと話したおかげで怒りは収まったものの、やはりあの絵やキャプションを描いた当時の俺は、怒り狂っていたわけだし、あの時の俺の気持ちを考えると、消したり改変したりするというのは、冒涜だ。

また仲の良い関係に戻れるとしても、残酷でエロチックで醜悪な絵と、暴言キャプションは作品として残っているが、それでいい。

憎い人物が遊びに来たら

絵に限らず、近頃このブログに書いている、腹の立つ人物や出来事への、怒りと憎しみのこもった記事。

それらに登場する人物がふと家に訪ねてきて、
「やい、元気か、遊ばんか」
と言ってきたら、もしかしたら俺は承諾してしまうかもしれない。

そうなると途端に、また、
「なんてひどい事を言ったんだ俺は」
となるだろう。

それでもあくまで記事も作品も消さず、改変せず、そのままにしておくのである。

しかし、それも当然、人による。
例えばアルティーなんかは別だ。
奴が仮にメールでフレンドリーに話しかけてきたとしても、それは俺をあざむく罠に決まっている。

まとめ

やはりこれからもアルティーの絵は描くし、このブログで、日々の生活で体験した腹の立つ出来事を書いていく

この記事の元のタイトルは『すみませんでした。』だったのだが、読み返してみると、そこまで謝る気がない自分に気づいた。
どちらかというと、喧嘩両成敗で手を打たんか、作品は残るが、という感じだ。

2015年2月12日 初期のキチガイ絵の勢いについて

2010年9月19日からpixivに投稿し始めたキチガイ絵だが、5年の間にずいぶん変わった思う。

その記念すべき一作目が以下。

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出典:「UST配信終了後」/「髭林おなもみ」のイラスト [pixiv]

いろいろと技術は習得したものの、初期のころの勢いは、今の俺にはもう出すことができない。
あの頃は、彩色だとか線の質だとかを越えて、とてつもない勢いがあった自覚がある。
あの10代の勢いというのはもう絶対に出せない。

勢いがなくなっていった

あの頃、俺が一部の人間に評価されたのは、
「画力がないとかメンヘラ的なことをほざいてる奴は俺の真似をしろ」
などと大口を叩いて(全部適当でハッタリなんだが)、キチガイ絵を楽しそうに描いて、勇気(?)のようなものを与えていたからじゃないかと思っている。

暴言を吐き捲くってもカラッとした雰囲気があった気がする。

いろんなしんどい経験をするうちに、勢いがなくなっていくのが自分でもわかった。
今はもう怒りも消えうせ、憎しみや無関心だけがある。

高得点と高閲覧数を獲得した作品

現時点で俺のpixivの投稿作品数は401個だが、最近の作品はほんとに点数が低い。

一番波に乗っていた2010~2012年頃の絵は、版権でもなく、萌えでもなく、エロでもなく、パロディネタやあるあるネタでもない、ただの気持ち悪い絵なのに、平均200点超え、多いときは500点や1000点超えってのは結構すごいんじゃないかと今でも思っている。

詳しくは下記の記事を見てもらえばわかると思う。

おすすめのキチガイ絵10選 ランキング形式で紹介髭林おなもみ名義で、pixivに500件近く作品を投稿してきました(2017年6月現在)。その記念すべき一作目が以下。出典:「UST配信終了後」/「髭林おなもみ」のイラスト 中でも、個人的に自

キチガイ絵とは

俺の描くこの独特の絵柄の絵のことをキチガイ絵と呼ぶのは、自分で自分をキチガイと名乗っているようで、どうなのかなと思うんだが、ほかに呼びようがない。

Twitterで自分をキチガイと名乗りながら馴れ合っている連中のように、大衆に受け入れられるキチガイというのは、結局のところキチガイではないと思う。

最近の俺の絵や活動のように、周りに見放され始めて、はじめてキチガイといえるような気もする。

まぁとにかくほかに呼びようがないのでキチガイ絵と呼ぶけど。

まとめ

最近はアルティーにも飽きてきたし、やりたい手法も試してきたので、キチガイ絵を描くことも少なくなってきた。

勢いが無くなったと言ったが、今でも、キチガイ絵を描いている時間は本当に楽しく、時間が許す限り生み出し続けたいとは思っている
だが、結局、人に評価されることが少なくなってきたし金にもならないので、休止というわけなんです。
「髭林おなもみ」のプロフィール [pixiv]

2015年2月17日 キチガイ絵を描く原動力とやり尽くした感

近頃、キチガイ絵をpixivに投稿するのを休止している。
理由は、前の記事に散々書いたが、さっきもうひとつ気づいた。

俺は最近、とにかく人とモメるのはもう勘弁してほしいと思っている。
セックスレス自慢の某人やら生涯ボケクソ安確ポンチン低俗LINEスタンプ野郎やら、そういうくだらない人間に憎悪を募らせて、磨り減るのはこりごりだと。

怒りや憎しみが原動力
でも今思うと、強烈に
「キチガイ絵を描きたい!」
と思う時というのは、だいたい、町でクソ女に出遭って憤慨したりした時だった。

つまりキチガイ絵を描くモチベーションや原動力になっていたのは怒りとか憎しみだった。
そういう時というのは、寝食を惜しんでかじりつくように絵を描くことができた。

今はもう人ともモメていないし、町に出てもそんな腹の立つ人物には出遭わない。
それ故に、強烈なモチベーションを持ってキチガイ絵を描く事もなくなってきた。

下記に紹介する絵が、強烈なモチベーションを持って描けた絵の一部である。


出典:これが、「妖怪”チンポ大食いマンコ”」だ! | 髭林おなもみ [pixiv]


出典:シリーズ作品「6人のクソ女たち」 “全員集合” (縮小版) | 髭林おなもみ [pixiv]


出典:「大馬鹿 “1点野郎”」/「髭林おなもみ」のイラスト [pixiv]

キチガイ絵では好きな人を描きづらい

普通に萌え系の絵とか描いてる人らは、この作品が好きだからという理由でキャラを描いたりするんだろう。
だが、キチガイ絵において、この人が好きだからという理由で描くことはめったにない。
いつでも怒りとか憎しみが根底にあった。

キチガイ絵は醜さがアイデンティティなので、好きなものを描くのに適していない。

描くのは普通に楽しいのでぼちぼち落書きはしているが、この先どうなることやら。

やり尽くしてしまった 上達がない
キチガイ絵はほんとにやり尽くしてしてしまった。
アルティーを描こうにも、死んでる可能性もありつまらんし、近頃は人とモメてないので描くネタもない。

キチガイ絵は、全体から描こうが細部から描こうが、なにをしようが、とりあえず醜くなれば良いというスタンスなので、明確な上達というものがない。
アートという捉え方をすればいろいろとあるんだろうが、とりあえず俺はそう考えている。

そもそもキチガイ絵の場合、練習は5年間で一度もしたことがなく、描いたものすべてを作品として採用してきた。

よく思うのが、醜い顔を作りたければ殴ればいいが、美しい顔を作るには美容整形という高度な技術がいる、と。

まとめ

もうキチ絵は5年近くやってきたわけだし、そろそろ、明確にうまい絵を目指すべく、練習とかも必要なタイプの絵を描いている。
この場合のうまいとは、大多数の人間が求めるうまさである。

そろそろうまい絵や、萌系の絵に力を入れていこうということなんです。

2017年6月15日 髭林おなもみのキチガイ絵(気持ち悪い絵)が2chまとめサイトに取り上げられた件について

グーグルで『髭林おなもみ』でエゴサすると、2chまとめサイトに俺のキチガイ絵が取り上げられているのを発見した。

まとめられた記事はこちら。
【超閲覧注意】Pixivさん、とんでもない絵師を誕生させてしまう【閲覧自己責任】(リンク切れ)
※現在はそのまとめサイト自体が閉鎖したようです。

色々思ったことがあるので書いていきます。

もう少し良い絵を紹介してほしかった

2chまとめブログにまとめられた記事とコメント欄を見てなにより思ったのは、記事で紹介されている四作品は俺から見ても恐らく多くの人から見ても糞だということ。
非難コメントを減らしたいというわけではないが、あの場で紹介される作品が、もう少し良い作品なら反応は違っていたと思う。

勝手にまとめられたので(別にいいのだが)、俺にはどうしようもないし、どちらにしても色んなコメントは来ると思うのでそれはいいんだが、描いた本人としては、100万PV/日のブログに絵を紹介されるならもう少し良い絵を選んでほしかった。

過去の作品が埋もれていく

でもこれは結局は俺が原因で、俺はキチガイ絵も萌え絵も、描いたら出来不出来をあまり気にせず投下していくというスタイルなので、どうしても作品の質に波がある。

なおかつ、長期に渡って投稿してるからpixivの閲覧ページで過去の作品がどんどん埋もれていく。

どうしても玉石混交になっていって(石が圧倒的に多い)、過去の名作や自信作が見つけにくい状況になる。

人気作や自信作は目につく場所にまとめておく
それを避けるには、寡作で、本当に納得いく作品だけを吟味して投稿して、過去作品を見つけやすくするか、寡作でも多作でも、最新作=最高傑作というスタイルに変えていく必要がある。

他の方法としては、人気作品や自信作、pixivページとは別に自分でどこかにまとめるか。
音楽と違って、ネットに投稿された絵は代表作というのを決めづらいと思うし、自分で自信作を選んで、一覧にしてまとめておくことが必要だ。

俺のような、画風が変遷しまくって、多作で、玉石混交なスタイルの人間は、初めて俺を知った人がすぐに見られる場所に、自信作・代表作まとめへのリンクを貼っておくべきだった。

これは楽曲でも記事でも同じことが言える。
ファインダビリティがなかった。

たかが閲覧ページの機能的な問題で、名作も駄作も平等に埋もれていくのだとしたら、名作は人間の手で、人の目につく場所にまとめていかないといけないなと思った。

あの四作品だけでぼくを定義される
俺は絵で人気を得たり話題になりたいとは思わないので、自分の好きなように描いて投稿していくという気楽なスタイルでやっていくのは変わらない。
だが、まとめブログにまとめられた4作品が、玉石混交の中の石4つだったのは悔やみきれない。

言ってしまえば、自信作でも名作でも何でもないあの四作品が、100万PV/日のブログで多くの人の目につき、あの四作品だけで
“ぼくを定義”
されてしまう。

他にも良い作品はあるのに。

音楽で例えれば、ヒット曲じゃなくアルバムのボーナストラックのラフな曲を評論されるような感じかと。

今後あのまとめサイトの記事が検索上位に表示されたり、画像検索に表示されたりすると、さらにあの四作品が俺の代表作のような感じになってしまう。
俺という絵描きの第一印象があれになってしまう。

あの四作品でぼくを定義されるのはいやだ。
せめて自信のある作品でぼくを定義してくれと思う。

ファインダビリティの重要性

今回の件で、ファインダビリティというのがいかに大事か痛感した。
俺のような画力や上達を目的としていない絵は、
最新作=最高傑作
とはなりにくいと思うので、初期衝動のあった最初期の作品が最高傑作で、その後ずっとそれを超えられないというのはよくある。

だからこそ一番目立つ場所に、過去の名作10選のような記事を貼っておけば、まとめブログにまとめられる時ももう少し良い絵がチョイスされたんじゃないかと思う。
ただ、まとめられる場所が場所なので、そういった工夫をこちらがしていても、適度に叩けるような稚拙な絵を紹介される場合もある。

結局こちらは何もできないんだなと思う。

叩かせるために意図的に質の悪い作品をチョイスされる可能性を踏まえても、せめてこちら側ができることとして、名作、代表作、人気作と呼べる作品を、すぐに目につく場所に貼っておくべきだな。
今回の件で”ファインダビリティ”に目覚めた。

まとめ
あの四作品だけで”ぼくを定義”されるというのはどうしても不本意です。
なので、もう手遅れですがブログのほうに名作を10個厳選した記事を書いたので、今後はそれをわかりやすい場所に貼っておこうと思います。

おすすめのキチガイ絵と殿堂入りキチガイ絵をランキング形式で紹介 気持ち悪い背景絵とGIFアニメ 似顔絵 等
おすすめのキチガイ絵10選 ランキング形式で紹介 髭林おなもみ名義で、pixivに500件近く作品を投稿してきました(2017年6月現...

2017年7月30日 絵葉書やアル春はキチガイ絵と萌え絵の混合

昨日、ハゲちゃんというキャラを描いてみてこれはアル春を超える端だなと思った。
同時に、結局俺は混合ばかりでバランスをとることなんかぜんぜんできたこともないくそだと気づいた。

キチガイ絵と萌え絵の混合


出典:「色んな感情が押し寄せてきて、眠れないときの、俺。」/「みもなお林髭」のイラスト [pixiv]


出典:[R-18]「ふたなりの分際」/「髭林おなもみ」のイラスト [pixiv]

どちらも俺の絵ですが、俺はこの2つの絵の中間が理想だと思い、数年に渡ってアル春やら絵葉書やらを描いてバランスをとることを目指してきた。


出典:[R-18]「ダイナマイト界隈の恋愛大将。」/「髭林おなもみ」のイラスト [pixiv]

しかし、結局ハゲちゃんという混合の極地に至ってしまった。

分離

俺はこの2つの絵の良い部分を、アル春や絵葉書のように、一つの絵の中で混ぜ込んで混合させるんじゃなく、左は左のクオリティのまま、右は右のクオリティのまま、絵としては分離して同時期に描けるようにならないといけなかったんだ

俺の絵、キチ絵と萌え絵を分離したのに次第に混合がひどくなっていっているだけだ。
まじでどうしようもない混合状態。


出典:「この夏のフォートナイト」/「みもなお林髭」のイラスト [pixiv]

このアル春あたりからそうなりはじめた。
もっと遡ると、3~4年前からだったか、キチ絵で「全身を描こう」とし始めたころあたりからか。

まとめ
先日のハゲちゃんが混合の端だと思いたい。
これも端の一つだとは思う。

二元論じゃなく三角形くらいで捉えた方がいいんだろうか。

キチガイ絵、萌え(近代的)エロ絵、絵葉書、アル春、これらすべてが交錯する地平を目指す。

つまり、
アルティー
ちほちゃん
ハゲちゃん(またはアル春)
この3人が純粋な形で同時に存在する地平に、真の中声がある。

その場所を目指して、俺は今日も絵を描く。
かっこつけすぎた。

2017年7月30日 絵葉書が生まれた経緯

髭林おなもみの絵葉書が生まれた経緯とは……。

ずっと萌え絵が描きたかった
絵を描き始めた最初期は、ペンタブで萌系の絵を描いていこうとしてたが描きたいと思うだけで気が向かずすぐにやめてしまった。
それでペンタブはしまいこんでいた。
16歳の時にアルティーとスカイプで萌え絵お絵描きをしていたときはちょっと使った。

たんだが、17歳の時にMSNメッセンジャーの手書き入力で
「アルティーにキモイ絵を送りつけてやろう」
という魂胆からペンタブを引っ張り出し、誰の絵を参考にするでもなくキチ絵が生まれた。
そして、すぐにpixivに投稿し始めた。

それ以降数年、キチ絵で色々描いたり、Tシャツ作ったりしてたんだが、心の底では、
「萌系の絵を描きたい」
という気持ちもがあった。

だが、萌系の絵は画一的で絵柄も先人が作ってきたものを結局無意識に真似することになるしどうもつまらん、とか、恥ずかしいとか思ってしまっていた。

それで数年試行錯誤して、即物的にエロ絵でpixivで高評価を貰おうとしてたりしていた。
それもつまらんとなって、絵チャなどで試行錯誤するうちに、今年3月頃に、雑で下手くそな萌キャラにバズワードを言わせたり横に文字を添えたりする絵葉書に目覚めてこれを書くのが最も楽しいとなった。

絵葉書のオリジナリティ 一次創作

そこらに溢れている小奇麗で上手い萌系の絵は、確かに見る分にはいい。
アニメやエロゲも好きだったが、自分で描く分にはつまらんと思ってしまう。
丁寧に描こうすると時間がかかりすぎる。

絵葉書なら、適当に書きなぐって露悪的な言葉を書きなぐり、アルティーのブサイクな芋ハンコを捺すだけなので最も俺にあっていて楽しい。

絵葉書なら露悪的な文章と可愛い萌絵の塊を1ページで閲覧できる。
線の汚さがド迫力。
同人者(もの)なんか目じゃねえ。
大切なのは”露悪”をうったいかけるあの絵面。
そしてそれに対する心である。

「一生裏切らないマンコになります」とか
「クソにはマンコの花が咲く」
とか言ってくれる二次元キャラなんていない。

そこらの二次元イラストはほとんどが同人者(もの)が描いた版権なわけだから、仮にそんな露悪的な事を言っていたとしても二次創作だからつまらない。
絵葉書は一次創作だからド迫力。

かわいく描かなくていいという楽さ
過去の俺のpixivの絵を見てもらえればわかると思うが 俺はキチガイ絵から萌系の絵を描くことにシフトするにあたって、
「萌え系の絵はかわいく描かなければならない」
という強迫観念のようなものがあった。

そのせいで萌系の絵はキチガイ絵と違い 描いていてもどこか楽しくなかったのだが、絵葉書を描き始めてから、
「萌系の絵でも可愛くなくていい」
「デッサンくずれて違和感だらけでいい」
「きもくていい」
「かわいくない」
と言われていいとわかってから楽しくなってきた。

絵葉書の構成要素
現時点で絵葉書は、
一次創作の萌えキャラ
評価できないレベルまで荒れた線
荒れた線でごまかされた描けない部分(特に手足)
デッサンの狂った身体
露悪的な台詞
探求。の文字
アルティー芋はんこ
などで構成されている。

まとめ

「なんでお前は最近デッサンやシュクシャクが崩壊した、評価できないレベルまで線が荒れた絵に、内輪ネタの文章を書き添えたつまらない絵ばっかり書いてるんだ、お前は昔みたいにエロ台詞と擬音付きのふたなりが射精する絵だけを描いていればいいんだよ」
と言われたら絶対に
「ぼくを定義するな!」
と言いたい。

俺が詩画で言霊を伝えなければならない。
それさへもわからん輩が多すぎる。
まずはこのあたりを理解せねば、俺の絵を見ても何も感じないわけだ。

絵葉書とは評価出来ないレベルまで線が荒れ狂った絵と、詩という言霊が融合する世界だ。

2017年9月11日 髭林おなもみのpixiv史とはじめてpixivに絵を投稿した記念日

pixiv10周年記念ということで、これまでのpixivでの活動データを分析するサービスができたようだ。

pixiv10周年記念サイト – あなたのpixiv史 –
髭林おなもみのpixivでの活動データを元に分析!
結果はこちら!
伝説のpixiv沼の住人 髭林おなもみ pixiv Lv.89

構成要素が「キチガイ」と「気持ち悪い」しかなくて「アルティー」がないのが不本意だが。

9月19日ははじめてpixivにキチ絵を投稿した記念日

ちなみに9月19日は俺が髭林おなもみ名義ではじめてキチ絵を投稿した記念日だ。
7年前(2010年)の9月19日にはじめてpixivにキチ絵を投稿した。

それがこの絵。

https://onamomi22.com/wp-content/uploads/13342315_p0.jpg
出典:「UST配信終了後」/「髭林おなもみ」のイラスト [pixiv]

当時は一人暮らしをしていて、USTREAMで配信しまくったり、アルティーと頻繁に通話したりしていた。
懐かしい思い出です。

最近はキチ絵も萌え絵もあまり描いていないが、10月からまた一人暮らしを始めるので、寂しくなったり暇になったりしたらまた描きます。

4月19日は萌え絵垢の活動を開始した記念日

ちなみに萌え絵垢を可動させ始めたのは2013年4月19日。

萌え絵垢の活動記録はこちら。
キング・オブ・pixiv 髭林おなもみ pixiv Lv. 92

記念すべき一作目がこちら。


出典:[R-18]「習作」/「髭林おなもみ」のイラスト [pixiv]

まとめ

まぁそんな感じで、けっこう長くやってきたなという感じです。
最近は萌え絵のほうに力を入れている。

ところで、ツイートにもありますが萌え絵垢もキチ絵垢も『髭林おなもみ』という名前にしてしまったせいでページタイトルが同じになり、『髭林おなもみ』と検索した時にキチ絵のほうのpixiv垢しか出てこなくなりました。
なのでキチ絵垢のほうを『みもなお林髭』と逆読みにしてみたが、髭林おなもみで検索してもまだこっちが出てくる。

いずれ反映されるのを待ちます。

2018年2月28日 自分で絵を描く事の必然性と外注について 俺は絵の完成図と著作権が欲しいだけなのかもしれない

今回、自分で作ったキャラを色んな人に描いてもらって本当にうれしいとおもった。
と同時に、俺以外の人が描いたちほたそが素晴らしすぎて、
「俺がわざわざ自分の手で描く必要性ってないんじゃないか」
と感じた。

「こういう絵が見たい」
と思ったら全部、有償無償問わず外注したほうがいいんじゃないかと。

絵を描くことが好きかどうか

前から考えてたけど、絵を描く以上、顔の絵柄とか服の皺とか、言語化できない絶妙な部分を自分のこだわり反映させて作り上げていくことに楽しみ見出せてないと絶対だめだとおもう。
だが、俺はそういう部分が欠落してて、そのせいで顔の絵柄も不安定。
服の皺も、服に興味がないから描けないんだよな。

正直俺は、絵を描く工程が好きじゃない気がする。
練習もペン入れも塗りも面倒。

ただ、
「完成図を見たい」
という欲求だけがある。

でも、服を着たキャラの絵という完成図は見たいけど、自分で服を描こうにも拘りがないから練習する気が起きない。
それだったらもう、言語で指定して外注したほうが良いんじゃないかと。

自分がその絵を描くことの必然性
『自分がその絵を描くことの必然性』
を感じられないなら、自分で描かずに、自分の最高に好きな絵描きに金払って描いてもらったほうがよさそうだ。

自分で描くっていうことが、自分という絵描きに金の代わりに時間払って外注するのと同じことだとしたら、自分という絵描きが相当好きじゃないとだめかと。

俺がほしいのは
『完成した絵』

『自分が生み出したという事実(著作権の保有)』
だけであって、線引いたり色塗ったりする工程は求めてないのかもしれない。

人に絵を外注して描いてもらっても
『俺がシチュを指定した』
『キャラを作った』
という点で介入してるから、
『俺がその絵を生み出した』
と言えるし。

そういう意味で、俺が自分自身で描くことに本当に必然性をかんじるのは萌絵じゃなくてキチ絵なのかもしれない。

萌系の絵は結局没個性で、キチ絵みたいに個性を出せない。

『絵柄は月並みでいいから奇抜なシチュで個性を出そうと』
と思ってやってきたが、結果、絵を描くことの本質である描画の作業が抜け落ちて、描くのがつまらんとなっている部分はある。

やりたいことをやりたい人がやる社会

仕事で人雇うのもそうだけど、その工程を本当にやりたいと思っている人に仕事がいくようにしないとすごく効率が悪い。
やりたくないことやってるとろくなものができない。

それをやりたい人、それをやることに必然性がある人が、それをやるべきなのだ。

今回色んな人にちほたんを描いてもらったことで、自分でわざわざ絵を描くということの意味を問い直すいい機会にもなった。

自分で作った曲をカバーしてもらった時も、
「俺が歌うよりええやん」
とおもった。

自分の歌声も嫌いではないけど、できれば軽い中声で歌いたい。
でも、防音室レンタルして練習する程のモチベはない。

女性か、軽くて中性的な中声を出せる男性に歌唱外注した方がいいんじゃないかと。
車の運転も外注したいから自分では車所有せずタクシー乗りたかったり。

まとめ
そんな感じで、これからは外注をガンガン活用していこうということです。

色々言ったものの、自分で絵を描くのは好きなので、引き続き自分でも描いていこうと思う。

2018年7月18日 髭林おなもみの絵葉書とキチガイ絵と萌絵とエロ絵

3~4年前エロ絵描いてた時は、ひたすらいいね数という数字にこだわってhave toで描いてたのが絵面に透けている。
それが嫌で生まれたのが、長年描いてきたキチ絵(のアルティーをできるだけ引き算して簡略化した春画種)と好きな文章(台詞)+探求。+萌え絵をあわせた絵葉書。

絵葉書にはtwitterではいいねもつかんし、pixivでも、エロなら80くらいはつくところが絵葉書だと10とか。
でもhave toでエロ絵描くより遥かに楽しい。

絵葉書を書く理由

絵葉書って、ちほちゃん(またはりさ)+童貞やら処女やらの下品な台詞+気持ち悪いおじいさん(アルティー)+探求。という俺が今まで描いてきた事の混合。
人に分析してもらうと大体、
「おなもみさんのことを知らない人がおなもみさんの絵葉書を見たら恐怖すると思います」
という感想ばかりもらう。

恐怖とかは知らんけど、俺としては、ちほさんという俺の分身的なオリキャラにいろいろ喋らせてキャラを立たせたい、俺の偏った男女論・ジェンダー論をキャラに代弁させたい、描いてて楽しいので気持ち悪いおじいさんもそこに添えたい、文字描きたいので探求やら執着と描きたいっていうシンプルな理由。

簡単に言うと、キモチイイから描いてるってことなんだな。
自分のために描いてる。
欲を言うと、文章の内容やちほさんの人格や容姿について賞賛するコメントがきてほしいんだが、処女膜にアルコールだとか処女膜でタバコ吸うとかわけのわからんコメントしか来ない。

絵葉書が生まれた経緯

最初は緻密なキチ絵描いてて、徐々に萌絵描き始めたけど納得行かないから、だんだんキチ絵を萌絵みたいに簡略化しだして(アルティー=気持ち悪いおじいさん)、それを萌絵と同じ画面に描く面白さに目覚めた。
さらに「探求。」(知り合いの学校の美術教師の自画像のタイトルを知り合いがスカイプムドメにしていたのが元ネタ)という文字を添えるようになって、挙句の果てに、男女論とかの露悪的な台詞をキャラに代弁させるようになって。

絵葉書は混合

という感じで、俺の絵の変遷を知ってる人は、今の絵葉書の様式がなんで生まれたかわかるから、良いと思うかは別として恐怖はしないはずなんだが。


キチ絵(左)が地声で萌絵(右)が裏声なら絵葉書(真ん中)は中声。
だが今純粋なキチ絵描けないし、純粋な萌絵も描けない中間固着の状態。

髭林おなもみの絵葉書への感想

パーツパーツひとつ取った時はそうじゃないかもしれないけど、それが組み合わされるとえもいわれぬなにかを感じる

なんやこいつ!?ってなる人はなる

まだ
おじさんと探求
とか
ちほちゃんと探求
ならぶきみじゃない

萌え絵とおじさんがぶつかった時に多少の不気味さを覚える
さらにそこに文字が入ると地獄の不気味さが出てきてしまう…
相乗効果っぽいところある

世界観がバラバラなものが3つ以上になると途端に人間は引く可能性

2つまでならどちらかをどちらかに合わせてみることもできる

こういう風に分析してもらうと笑いがこみ上げてくるんだが、前に、
「同人誌とかでこういうの描いてる人はいっぱいいるでしょ」
と言われたときは、俺が最も重視している特殊性が否定された気がして泣き叫びそうになった。

まとめ
なのでそろそろまた、萌絵を描き始めた当初~絵葉書描く前みたいな下品なふたなりエロ絵も描いていきます。
絵の長期的な目標設定するためにもエロは重要。
投稿するのはpixivだけですが。

ちほさんがLINEの童貞がどうとか言う露悪絵葉書描くのも楽しいけど、やっぱふたなりとか四肢切断とかの下品エロ絵描く素養あるんだから活かさないと損かなと。

2018年10月21日 漫画(コマ割り)は台詞から作れば描けそうな気がしてきた

いい加減漫画を描こうと思って色々考えていた。

コマ割り
コマ割に関してだが、俺が最近描く絵葉書はセリフが長すぎて、なら大体句点ごとにコマ割すればいいのかと思った。

この絵だと、
「この前~言ってきたんだよ」で1コマ、
「またこの手の~言ってやったんだよ」で1コマ
「そしたら~」で1コマ
にして漫画にすればいいのかなと。

コマ割ってどうやればいいんだと思ってたが、紙芝居やコンテみたいな感じで真四角の1画面ずつ作っていくイメージでいいのかなと。
コマをまたいで人が立ってるのとか難易度高い。

言語と枠組み
あと俺は絵描くときでもとにかく言語(キャラの台詞)を発想しないと何も描けないという事に絵葉書描き始めてからきづいた。

なので俺が表現したい事はどちらかというと一枚絵(イラスト)じゃなく漫画という形式のほうが表現できるはず。
今までそんなに漫画読んできてないし、ストーリーも作ったこと無いが。

漫画という形式で表現したいのに書き方がわからないのと技術が追いついてないので描けないせいで、絵葉書の台詞がどんどん多くなってしまっていた。
そもそも絵葉書というか1コマ漫画とも言えるし。

一枚コマ漫画やイラストは枠組みが広い代わりに臨場感が低い。
漫画にしてコマを区切って、区切りが細かくなっていくにつれて枠組みが狭まって臨場感が上がる。
そういう意味でアニメはさらに臨場感が高く、ぬるぬる動く3DをVRで360度見れたらもっと臨場感が高い。

俺がアニメーションや3D動画に興味ないのは、言語を重視してるからというか、言語がないとなにもできないからかな。
アニメ作ってもキャラの台詞が文字だけだとしょぼいので声優つけないといけなくなる。

無声アニメとかだったらもう全く興味がない。
キャラがひどい言葉を吐くのが何より重要。

言語と小説や作詞
かといって小説やSSにも興味が無いのは、文字だけだとこっ恥ずかしいからだな。
前も書いたけど俺は作詞は出来てもただの詩はこっ恥ずかしくて書けない。
文字にメロディーや絵が添えられていることで何かがごまかされて恥ずかしさがなくなる。

あと小説という形式は、最後まで読んでくれない人が多い気がする。
そう言いながらブログに長文記事は書く。

フィクションかノンフィクションかってところが俺の中で重要なのかも。
拙作安確いじり宣言というアルバムの歌詞は全部ノンフィクションだから書けたような気がする。

結局俺はリアルであった出来事しか作詞できない。
最近は音楽的バックボーンがなさすぎて作曲がネタ切れになってるのもあるけど、歌詞にしたいようなノンフィクションの出来事がなさすぎてもう曲作れんし。

内容以前にデザインを重視
人の漫画見てたら、台詞が全部手書きで読みづらいとか、台詞があまりにも多すぎたりとかで読む気失せるのとかある。
ブログ記事で言うとテンプレートが見づらかったり、句点で改行されてなかったり、見出しで区切られてなかったり、冒頭に目次がなくて見出しごとにジャンプできなかったり。

漫画で言うと絵の巧さとか話の内容、ブログで言うと記事の内容以前に、『デザイン』が見づらいと、その時点で見るのやめようとなる。
だから俺はそこにすごくこだわってしまう。

何でもそうだけど、いくら内容が良くてもデザインや形式が良くないと最後まで見る気(読む気)失せる。
ファインダビリティも下がる。
pixivで落書きまとめという形式で何十枚もカラー一枚絵挙げてる絵描き見てもそう思う。

そういう意味で最近の絵葉書は文字多すぎて、その時点で最後まで見る気失せる人も出てくる。
内容はともかく句点4つは多い。

俺の作品を見た人には何としてでも最後まで目には通させなければならない。
そういう意味で音楽という形式は人から3~5分程度奪うので最後まで聴いて貰えない可能性高すぎてやめた

結局、
『時間がもったいない』
と思われてしまう。

ちほ「この前LINEで童貞が○○って言ってきたんだよ」

余談だが、俺の描く絵でキャラが、
「この前誰々が何々言ってきたんだよ」
って言うのばかりな理由がわかった。

理由は3つ。

・過去を掘り返して過去の臨場感が強い
・その場で言い返せず、あとでツイッターやブログでその人と発言を晒してそいつ間違ってるだろって独白する俺っぽい
・リアルタイムで会話してるところ描くとキャラ複数書いたり漫画形式にしないといけなくて大変だから

それらの理由が無意識にあるからそうなったんだなと。

まとめ

文字が多すぎる一枚絵は最後まで読んでもらえないかもしれないので、やはり句点でコマ割りして漫画にするのがいいんだろう。

もう漫画の描き方わかったので、あとは絵の技術と、こっ恥ずかしささえなんとかなったら形になるぜ!
きもすぎた。

2018年12月18日 俺の絵がうまくならない理由 絵描きやオタクが嫌い 萌え絵は代償行動

萌え系の絵を2013年から5年間書いてきたが、とにかく上手くなっていない。
ここ最近仕事に集中しているのもあるが、描くことさえできていない。

そこで、なぜ俺の絵はうまくにならないのか、なぜか描く気が起きないのか、について考えた。

結論としては、人間関係が原因。

『絵描きやオタクや萌え文化が嫌いな人間が、萌え絵をうまくなるわけがない』
ということ。

オタクや絵描きが嫌い
俺の絵が上手くならない理由だが、結局それは人間関係というところにつきると思う。

どういうことかと言うと、俺は萌え系の絵という、日本のオタク文化のバックボーンがある絵柄で書いているわけだが、オタクが嫌いなのだ。
オタクが嫌いだから、絵描きの友達はほぼ全くいないし、うまいと思う絵描きに絡んで行こうというつもりもない。

萌え系の絵は好きでもその作者の人格が好きじゃないのだ。

うまくなっている人らは、ツイッターなどを見ていても絵描きと絡みまくっているし、絵描きの友達だらけだ。
萌系のアニメやスマホゲーも大好きそうだ。
萌文化に対して『愛』がある。

俺には全くない。
萌えアニメにもスマホゲーにも最近は一切触れていない。

というか最近は萌え系の絵自体もあまり好きではない。
数年前からオナニーをするにしてももっぱらAVだし、萌え系の絵で抜くことはほぼ全くない。
作者で抜いてるような気がして気持ちが悪くなる。

もう、こんなことを言っている時点で俺は萌え系の絵も、絵の作者も、オタク文化もアニメも、全て大嫌いなのだろう。
その状態で自分は萌え系の絵を描くというのは異常だ。

オタクや作者が嫌いなので、特定の絵描きの模写をすることもない。
絵というのは基本的に模写しないと上手くならないはずだが、そう考えると俺の絵が上手くならないのは当然だ。

萌え絵を描くのは過程がしんどい

俺の絵の変遷に関してはこれまでいろいろとブログに書いてきた。
キチ絵は描くのが楽しいが、出来上がりの絵面が気持ち悪く誰も得しないということや、萌え系の絵は美しいものなので修正は何度も必要になったりして描くのは楽しくないが、出来上がりの絵ヅラはかわいく、多くの人が喜んでくれたりすることなど。

それでもキチ絵を描きたいという気持ちがあり、絵葉書という形式を思いつき、萌え絵とキチ絵を同居させたりした。

結局のところ俺が絵で表現したいものというのは何なのか、と考えた時に、それはキチ絵を描きまくっていた頃の俺は間違いなく気持ち悪い絵だった。
だが、心の底では可愛いものが描きたくて抑圧していた。

で2013年から萌え絵描いてみたもののなかなかに描くのがしんどい。
キチ絵と違って何十倍もの評価は得られるが、いかんせん描く過程が楽しくない。

すぐに形が取れないことや、修正が何度も必要な時、ストレスが溜まる。
手を動かす単純な快楽を楽しむなら、キチ絵で気持ち悪いおっさんを描いて、肌のブツブツを思考停止して描くのが一番楽しい。

絵を描くことで出したい感情
そういったことを踏まえて、絵を描く目的というより
『絵を描くことで自分が出したい感情』
について考えた。

それは結局、『気持ち良さ』と『達成感』の二つしかないことが分かった。

気持ち良さとは、さっきも書いたように、単純に手を動かして画面に線が生まれてくる気持ち良さ。
達成感とは、完成した絵を投稿した時。

キチ絵は、ザクザクと汚い肌を思考停止して描いていく過程は楽しいが、出来上がった絵ヅラは気持ち悪く、つまり結果がつまらない。
萌え絵は、出来上がった絵ヅラは可愛くて、つまり結果は達成感があるが、過程が苦痛だ。
その部分で今も葛藤している。

だが今後、キチ絵を描くことはもうないかと思う。
自分でも本当に気持ち悪いと思うし、何より男の姿を描きたくない。

キチ絵はどうしても醜い男の絵が完成するが、醜さとはつまり男だから当然だ。
おっさんの絵になる。
いくら過程が気持ちよくても、あの結果には耐えられない。

オリキャラを誇示したい
俺はちほちゃんやりさちゃんなどの可愛いオリキャラを誇示したい。
最近、絵を描く目的として一つ確信したのは、俺は絵という視覚的な作品を生み出したいのではなく、ちほちゃんやりさちゃんなどの架空の人物が、俺が面白いと思う発言や動作をしている姿を他人に見せつけたいということ。

髭林おなもみという男性の姿で何かを発信するんじゃなく、ちほちゃんやりさちゃんという女性に何かを代弁させ、世間の連中に何かを伝えたい。

だから、正直言ってキャラクターさえ立てばいいので、小説でもいいということになる。

小説を書きたいとは10年前から思っていたか、前にも言ったように小説はどうにも読んでくれる人が少ない。
単純に読むのが面倒で時間かかる。

絵ならたった5秒程度で見てもらうことができる。
セリフがあってもたかだか10秒20秒しかかからない。

小説なんて書いても誰も読んでくれない。
ましては一次創作なら。

絵は文章の照れ隠し、差別化
それに小説は恥ずかしい。
文字だけしか出てこないので、本当に文字だけの勝負という感じになる。

そこで俺は絵を添えることで文字の持つ重要さの比重を下げ、恥ずかしさをごまかしたいのだとわかった。
文字単体の実力のなさもごまかすことができる。

それに、文字だけだと他人との差別化がしづらい。
絵を描くことで圧倒的に差別化することができる。

前にも書いたが、俺は詩も書けない。
その代わり歌詞ならかける。
詩だけだと恥ずかしいし差別化もできないが、メロディに乗せることで圧倒的に恥ずかしさを減らせて、差別化もすることができる。

そういう意味でやはり俺は小説を書くことはない。
あくまで絵を添えないと意味がない。

漫画
なんか最近俺は、ちほちゃんやりさちゃんとの長い物語を書きたいと思っている。
そうなると今まで描いてきたような1コマ漫画(絵葉書)では表現しきれない。

漫画という形式で書かないといけないだが、漫画がどうしても描けない。
前の記事に、『台詞から書いたらかけるんじゃないか』と書いたがそれでも難しい。
圧倒的に画力が足りていない。

『俺が描く絵なら何でもいい』と思い、下手くそな状態で公開してもいいのなら、描けるかもしれない。
だが、どうしても自分の中の『閾値』に達しない。

この閾値というものをどこに設定するかがすべてを決める。
何年描いても上手くなっていない時点で、下げてもこれなのだ。

なんとか及第点の絵を安定して描くため、3Dモデルを使ってそれをトレスしようかとも思った。
まあそれは2013年の頃からデザインドールトレスという形でやっていたのだが。
それはそれで面倒で、どうしても3Dの微妙な形に引っ張られるし、今度はオリジナリティがなくなる。

自分でモデリングするのはめんどくさい。
なので3Dを使うのはやめた。

萌え系の絵柄は続ける

上にも書いたように、俺は結局のところ可愛い絵や美しい体が描きたいのではなく、キャラクターの人格を世間に誇示したいだけなのである。
別に萌え系のキャラである必要はないんだろう。

だが絵で描く以上描きやすさも含めて、どうしても萌系という絵柄になってしまう。

これが小説なら受け取り手で勝手に想像してもらえればいいのだが。

劇画を描くわけにもいかないし、絵を描く時はやはり萌系の絵柄で描いていくことになる。

絵が上手くなりたいから、アニメやオタク文化を好きになる、というようなことはしたくないし、多分今後も画力が上がることはないだろう。

てか、一生画力は上がらなくていいからせめて、閾値を下げて、頭にイメージしたものがすぐにかければいいのだが。

文章が一番好き
『俺にとって絵はあくまで文章を修飾するものでしかない』
ということには気が付いたのは大きい。

俺はとにかく文章が好きなんだろう。

五感の中だと視覚や聴覚が強いと思っていたが、言語感が一番強いような気がする。

俺にとって絵は文章を修飾するもの、というのも多分萌え系の絵を描き始めた頃から無意識では思っていたはず。
なので最近は一枚絵を描くときはまず文章でセリフを描くのはもちろん、表情やポーズも文章で書いて膨らませるようにしている。

いきなりキャンバスに向かっても、頭の中に視覚としてのイメージはない。

『怒った顔で腕を組んで座っている』
など文章でシチュエーションやポーズを指定した方が描きやすい。
これは髭林ダイナマイトファクトリーを作った時にも書いたと思う。

萌えアニメのつまらなさ
そんな感じで、最近は文章を書くことが楽しく、絵を描くことの優先度は下がってきた。
オタクや絵描きが嫌いなのだから、もうこれはどうしようもない。

そういえばテレビが届いたのでさっき久々に深夜アニメを見ていた。
なんか低レベルすぎて、オタクや障害者施設の人が楽しんで見るんだろうなというようなことしか思えなかった。

キャラクターの声優の声を聞いていても、内筋が入っていなさすぎて、まさに自己犠牲してオタクの慰み者になっているというような感じがしてしまった。

10代の頃は萌えアニメを楽しめていたが、結局のところはリアルで恋愛ができない代償行動だったのだろう。
代償行動での『好き』は本当の意味で愛しているのではないと思う。

あの時だけ一時的に俺を慰めてくれただけであって、今後の人生では役に立たないということが分かった。

まとめ
これまでしてきた個人的なエロ妄想を、漫画として表現したいが、イメージするのは一瞬でも絵にするのは技術と時間がいる。
うまく形にできたら、見て喜ぶ人は多いだろうが、たぶんその見て喜ぶ人というのは俺の嫌いなオタクだろう。
それなら無理に形にせず、俺の頭の中だけで保持して、相変わらず個人的に楽しんだほうがいいかなと思い始めた。

今後も気が向いたら、オリキャラの萌え絵は描いていくが、優先順位は下がりそうだ。
最近は萌え絵云々よりリアルで女性と付き合いたい。

2019年6月16日 アルティーの妹への変遷

なんでそんな気持ち悪い絵を描くのとこれまで何度も聞かれたが、可愛い絵と比べて描くのが楽で楽しいから、としか言いようがない。

アルイモは描きやすい。

どれだけ顔のバランスが崩れてもデッサン崩壊して変な体型になっても成立するから、ブサイクな顔面は描き易くて楽しい。
ちほやあきらの絵も描きたいが、ちほは美少女、あきらは美少年なので、多少は美しく描かねばというObsessionが発動し、描くのが億劫。

俺は『美”』を表現する事に根本的な苦手意識がある。

前から例えているが、人の顔を美しくするには美容整形などの高度な技術が必要だが、醜くするなら殴りまくるだけでいいので誰でもできる。
前者に自然に取り組める人間はいいが、俺は美を表現する事の努力性が高い。
だから俺の絵はキチ絵から始まったし、全身描くのもアル春というキモ絵だったらいきいきした。

上(アルティーの妹)も十分きめえよと思うかもしれないが『下に比べれば』全然かわいい。
アルティーの妹のセリフ・効果音・差分つきのエロ絵をちゃんと描けば、普通に100いいねは超えるだろう。
というか普通に海外アニメっぽいキャラデザにも見える。

違いは、ブルドッグみたいな頬線、鼻の下の線、青ヒゲ、ホクロ、二重線(?)、メガネ、まつ毛、髪、の有無と、豚鼻を記号的な鼻に変更した。

アルイモの顔のぶつぶつは次以降のカラーの絵では消していく。
簡略化と、キモ成分の緩和のため。

今後はアル春は描かず、アルイモの抜けるエロ絵を描いていく。
アルイモは今後も進化を続けます。

おまけ:アル春を見て、でもちゃんと全身は描けてるなぁとつぶやいた、バストショットしか描けない系絵描きがいたが、それはすっぽ抜けハイトーンドヤ顔兄さんの歌声を聞いて、でも高い声は出てるなぁとつぶやくのは同じである。

筆者である髭林おなもみや、記事内容について気になることがあったらお気軽にご連絡ください。
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