品種改良された犬を飼ったりペットショップを利用している人間は本当に『動物好き』なのか

チワワやトイプードルなどの品種改良の犬を飼っている人間や、ペットショップを利用している人間を見ると品性を疑う。
そんな人間が自分のことを『動物好き』を自称しているのは絶対におかしい。

品種改良の代償

品種改良された動物を飼う人間は、見た目がかわいいからとか、癒されるとか、そういう理由だろう。
品種改良された犬や猫をかわいいかわいい言って動物好きを自称してるやつは、その品種改良の犬の背景にあるいろんな事実を見て見ぬふりするんだろうか。

ただ見た目や大きさを変更するためだけに、動物側はあらゆる病気や体の痛みと戦わなければならない。
動物側のリスクと苦しみが大きすぎる。

動物は、ただ襲ってきた自分の体の不調に立ち向かうだけで、自分が品種改良されてるから体弱くなってるんだとは自覚できない。
それをいい事に、品種改良されて病弱の運命を背負った犬を買って、可愛い可愛い言ってる奴が気持ち悪過ぎる。

大量の犠牲と病弱さと痛みや苦しみを負わせてまで品種改良の犬を作る需要がそんなにあるのか。
あるとしたら気持ちが悪すぎる。
どれだけ上っ面しか見ず、臭いものに蓋をする人間が多いことか。

日本の狭い家や土地に合わせているという理由もあるそうだが、それならそもそも動物を飼うな。

今うちで14年間飼った豆柴は品種改良であり、俺が小6の時にそんなこともわからず我儘を言って、ペットショップで買ってもらった。
今まで楽しかったしいろんな思い出もある。
だが最期は、心臓の癌とそれによる腹水で苦しませてしまった。
それもやはり品種改良による影響が大きいと思う。

動物好きを自称するな

人間は、動物が理解できないのを良いことに、品種改良を繰り返して、人間の都合に合わせた造形のペットを作り出している。
そんなやつが動物好きを自称してるのってとんでもない話だ。

そういう奴らは品種改良された動物の見た目のかわいさだけが好きなんであって、決して動物好きではない。
その動物の心までは大事にしてないからだ。

品種改良されている動物を飼う人間は、少なくとも自覚を持ってほしい。

「自分は、人間の都合のいいように姿形や性格までもを改造し尽くして、その結果犬が病弱になろうが気にしないエゴの塊です」
と。
そして、動物好きを自称するのはやめてほしい。

動物が意義を唱えてこないことを逆手にとって、自分の好き勝手に利用して
「自分は動物を愛する心がある」
とか悦に入ってるとしたらどうしようもない。

昨日Twitterでそういうことを呟いていたら、俺のことを一方的にフォローしてきていた動物好きっぽい人間にブロックされた。
品種改良された犬の事実をつきつけられて、都合が悪かったんだろうか。

都合の悪い事実は必死で見て見ぬふりをし、うわべのかわいさだけを愛でていたいのだろうか。

品種改良された動物の姿を見るのも嫌になってくる。
ダックスフントとかチワワとかを始めとする品種改良された動物の、不自然な姿と病弱な体質に、人間のエゴが透けて見える。

ペットショップは糞

ペットショップで品種改良の犬を買うやつがいるから、需要があるということになって、ペットショップも品種改良も終わらない。
ペットショップで売れ残った犬は殺されたり動物実験されるんだろう。

動物を飼うんだったら保健所や野良の雑種犬をひきとれと思う。
行き場を失った命が溢れているのに、なぜ新しい命を生み出す必要があるのか。

品種改良やペットショップに関する引用文

フレンチブルドッグの平均寿命は、オスなら2.5年、メスなら3.8年であるそうだ。
(日本の場合にはフレンチブルドッグの寿命は10~12年となっている。
おそらくスウェーデンでは死産なども含めて算出していると思われる。)

愛されるためにうまれ、愛されるために死ぬ。

こうした宿命を持つ犬だが、少なくとも犬らしく生きることはできる、という意見もある。
食用にされる家畜の生涯にくらべたら愛されながら死ねるのだから。

しかし、だからといって人間にとって可愛く見えるからという理由で、健康疾患に悩まされることとなる犬の繁殖を続けることを正当化できるのだろうか?という疑問が見え隠れする。
先進国では短く悲惨な生涯が運命付けられている犬の繁殖を続けることの是非が問われている。
これは犬に限らず猫も同様だ。

新しい家を必要としている保護犬や保護犬はたくさんいるのに、相変わらずペットショップやブリーダーで買う人が多い。
しかも人気の種は、生まれつき健康にリスクを抱えた改良品種である場合が多いということだ。

飼った以上は責任を持ち、人間が最期まで愛し続けるのなら、そういった種の繁殖を続けてもよいのだろうか?それともやめるべきなのだろうか?

みんなの意見を聞いてみたい。
出典:人はなぜ品種改良による遺伝子的疾患がある犬を飼いたがるのか?(デンマーク研究)(2017年3月19日) – エキサイトニュース(2/4)

コメント欄にも色んな意見がある。
この事について考えてると腹が立って腹が立って仕方がない。

自分がもし品種改良の犬に生まれて病気をしたとき、
「これだけ自分が病弱なのは人間が都合よく品種改良して作り変えたからなんだ」
と自覚できたらやりきれなくて発狂するだろうな。

追記

「本当に動物愛護を思うなら、シャンプーや石鹸や化粧品など、動物実験で作られた物を使うのさえやめろ」
という意見もある。

俺としては、それらは使う。
使わないと生きていけないから仕方がない。

ただ『気持ち的に』、品種改良されたペットやペットショップは拒絶したい、根絶したいだけである。

全く論理的じゃないが、
『論理なんか突き詰めれば嘘』
だ。

ベジタリアンに対して、『草は痛みを感じないのか』という反論があったりするが、そういうのもどうでもいい。

個人的に、気持ち的に、
「いやだな」
と思ったら、非論理的だろうがなんだろうが、拒絶するだけだ。

『自分に都合がよすぎる』という点では、品種改良ペットを飼っている人間と同類だが、どうでもいい。

まとめ

人はなんの目的でペットを飼うんだろうか。

かわいいとか癒やされるとか、さみしいとか、そういう理由で飼いたくなる気持ちはわかる。
だが、そのために品種改良をするのは俺は良いとは思えない。

品種改良され、見た目だけを愛でられる動物は幸せなんだろうか。
番犬とか狩りとか運動補助とか、そういう目的で飼え、とまでは思わないが、動物にちゃんと役割をもたせて飼ったほうが、動物も幸せなんじゃないだろうか。
動物の気持ちは知りようもないが。

ただ、体の痛みや病弱さが苦しいということだけは確かだ。
ペットショップの狭いケージの中に閉じ込められていることが苦しいということも確かだ。

早く品種改良やペットショップへの需要がなくなることを祈る。

関連記事

魚釣りやめた つまらない 時間の無駄 疲れる 悪趣味 殺生 人に優越したがる奴が多すぎる
一昨年(2015年)の暮れに魚釣りというものをはじめて、道具もある程度揃えて、仕掛けも作ったりして、今まで何十回か釣行してきた。 だが色々...

関連リンク

新しく生み出す前に、今ある命の行き場を – ペットの売買がない日本へ 澤木のブログ
ペットショップで売れ残った犬たち – ペットの売買がない日本へ 澤木のブログ

筆者である髭林おなもみや、記事内容について気になることがあったらお気軽にご連絡ください。
髭林おなもみのプロフィールと活動一覧 職業や経歴など
髭林おなもみへのお問い合わせ

彼女募集中!
髭林おなもみは現在彼女募集中です。

俺のプロフィールは、
『髭林おなもみのプロフィールと活動一覧 職業や経歴など』
を参照してくだ…

シェアする

error: