本心を隠して人によって態度を変え褒めたり媚びたり迎合して機嫌を取り利益を貪る人間(装い者)が許せない

2015年5月5日 慇懃無礼八方美人

ネットやリアルで慇懃無礼八方美人な奴を見ると、いろいろと思うところがある。

慇懃無礼八方美人な奴とはとにかく人に媚び捲くって、おべっかを言いまくって、良いとも思ってないのに褒めまくったりして機嫌をとり、集団にあわせ波風を立てない連中。

あまりにも極端にそういう振る舞いをする奴は、意外と昔は俺みたいな感じだった奴が多いんじゃないだろうか。

「このまま意地を張り続けて攻撃的になっていても、人との交流がなくなるだけだ」
と思い、意識改革をするのか、普通じゃないくらいに慇懃無礼八方美人に振舞っている。

アルティーの『赤文字の人』という名義でもそんな感じだった。
異常なほどに媚び捲くってるので、相手もさすがに引いていた。

知ってのとおりアルティーは劣等感が強く卑屈な人間である。
その劣等感や卑屈さの反動で、赤文字という名義では、傍から見ても異常なほど、慇懃無礼で八方美人な振る舞いになってしまったんだろう。

そういう奴は高い確率で、裏で陰口やら悪口を言ってたりする。
腹黒さをひた隠しにして、人によく思われようとし、利益を貪ることだけを考えているが、どこかでガス抜きは必要なんだろう。

俺はこの自己愛性人格障害を治そうともせず、『このままでいきます』の精神で居続けた結果、人生行き止まりが極限まで来た。
人格障害なんて薬なんかじゃ治らないだろうし、本人がこの性格のままじゃまずいと思わないと何も変わらないと思うが、俺は別に治すつもりはない。

このままでいっても、ろくでもない未来しか待ってないだろうけど、リアルの知り合いの慇懃無礼八方美人や、前述のそういう奴らを見てると、ああいうのになるくらいならこのままでいいと思える。

慇懃無礼八方美人な人間に捧げた楽曲『慇懃無礼八方美人 – 髭林おなもみBAND』

2017年5月19日 本心を隠す人間 演技性人格障害 装い者 カマトト 慇懃無礼八方美人の本音を暴き出すには拷問や尋問しかない

ドラクエ10で出遭ったとある人物を見て、俺がずっと前から言っている慇懃無礼八方美人などを始めとする、装い者の恐ろしさを改めて感じてしまった。

今まで、建前ばかりで本音を話さない人間のことは、慇懃無礼八方美人などと呼んでいたが、長すぎるので、これからは装い者(よそおいもの)と呼ぼうと思う。

そして、建前ばかりで本音を隠して芝居のような態度をとることを、装うと呼んでいこうと思う。

そもそもほとんど人間は、ある程度本音と建前を使い分けて、意味もなく本心をさらけ出すことはしないと思う。
つまり基本的にはほぼすべての人間は装っている。

なので俺は装っている人間が嫌いというより、装い方、装いの度合いによってその人物が嫌いか判断している。

最近はむやみに人格障害という言葉を使わないようにしているが、その人物は、演技性人格障害じゃないかと思うほど、多くの人間とは装いのレベルが違った。
彼は普段の喋り方が常に芝居がかっているのは当然として、本心では思っていないおべっかなどを言うのにも積極的だった。

それだけではなく、誰もが知っていて、自分も当然知っているような一般的な言葉さえも、人との会話の中で出てくると、
「…○○って、どういう意味?w」
と、わざと知らないふりをすることで可愛さや幼さをアピールし、人にそういった印象を植え付けてポジションを確保しようとしていた。

ここまでは俗に言うカマトトということで、まだよくあるとは思う。
だが、彼には、他の装い者にはあまり無いレベルの装いへの徹底ぶりがあり、俺は心底恐ろしいと思った。

人前で晒すすべての言動、すべての感情が芝居(装い)

それは簡単に言えば、人前で晒すすべての言動、すべての感情が芝居(装い)だということだ。

例えば、
「いい加減カマトトが鬱陶しい、本心はどうなんだ」
と問い詰めてみると、
「うぅ、ひどいよぉ…」
といった反応をするのだが、これも装いなのだ。

そして更に問い詰めると、
「…わかった。じゃあ本当のことを話すね…」
というような反応をするのだが、さらにこれも装いなのだ。

さらに、
「いや、それも装いだろ」
と言ってみても
「だから違うって…。もういいよ…w」
という反応をするのだが、当然これも装いなのだ。

ここまでくると、逆にこっちが統合失調症などの病気なのではないかと傍からは疑われてしまう。
まぁ俺は境界性人格障害だと思うので病気といえば病気なんだが。
そして結局、できるだけ詰めてみたが徒労に終わった。

それで思ったが、彼は人とコミュニケーションを取るとき、その相手との関係において、自分が最も利益を得られる役柄を作り、芝居の舞台に上がっている感覚でいるのではないかと思う。
こちらは芝居をしていないし、舞台に上がっているという意識もない。

しかし相手は人前で見せるあらゆる言動や感情を、芝居として、本心とは全く切り離した意識でやっているので、こちらがどれだけ詰めても無意味に終わる。

彼が完全にそういった芝居をしていると確信したのは、彼が好意を抱いているであろう異性に対しては、一人称さえも変えて、普段とは全く違う口調で接していた、ということを人に聞いたときだ。
しかし、その異性に対しての接し方も装いかもしれない、ということを忘れてはいけない。

そうなると、彼の本心(本質、核心、芯)の部分はどこなのか、なんなのか、というのが更に気になってくる。

装いが極まって、自分でもどういう相手に対してどういう人格を使えばいいかこんがらがって、解離性同一性障害にでもなって、人格ごとの記憶が乖離し、連続性がなくなったりすると面白いのだが。

なぜ芝居(装い)をするのか

結局、『人とのコミュニケーションを取るときに舞台に上がる気持ちで徹底的な芝居をする』、という、目に見えた部分から導き出せるのは、とても人に晒せない本心があったり、人に本心を傷つけられた経験があるんじゃないかということだ。
つまり、異常なほど徹底した装いの裏には、異常なほどつらい経験があるのではないだろうか。

解離性同一性障害も、幼少期の虐待など辛辣過ぎる経験から、本心と切り離した人格を作って、本心を守りたい、という防衛本能から発症するという。

こちらは生身だが、相手は装いという鎧を着て接してくるので、その場合、基本的にこちらが傷いたり苛ついたりするだけで、徒労に終わるということが彼とのコミュニケーションを通じてわかった。
こちらに装いの技術がない場合、装いの度合いが高い人間とは関わらないのが一番良いんじゃないだろうか。

もしくは、その人とは絶対に本音で話し合えない、と、割り切って関わるしか無いと思う。

個人的には、普段から装っていても、真面目な話を持ちかけたときはスイッチを切り替えられる人間や
「普段のは装いだよ」とちゃんと明示して説明してくれる人間はましだ。

そうやって他人を納得させられる装いには、そこまで腹は立たない。

ただ、装っている人間にそういうことができる人間は少ない。
もしくは、本当に信用できる人間にしか本心は明かさない。
自分の普段の役柄や、芝居のリアリティを崩壊させないためには、仕方がないのだと思う。

受動的な装いと能動的な装い

装いにも受動的なものと能動的なものがあると思う。
例えば、普段から思ってもいないおべっかなどを言って人の機嫌を取るのは、能動的な装いだ。

本当はどう思ってるの?と人にきかれたときに、思ってもいない無難な答えをするのは受動的な装いだ。

個人的には、上にも書いたが、普段は装っていても装っていなくてもどちらでもいいが、
「本当はどう思ってるの?」
ときいたときには本心で答える人間はましだと思う。

例えば、不細工な人間に、
「かっこいいですね」
「美人ですね」
と自分から言って、
「本当にそう思ってるの?」
と詰められたら嘘です、と答えるくらいの装い度合いならましだ。

当然、最初から装わず、顔に関しては何も言わないほうがいいんじゃないだろうか。
その場合も相手から詰められたら、本心を話すか、
「ノーコメント」
というほうがいい。

間違っても、彼のように相手から詰められているのに嘘をついてはいけないと思う。
何度も書くが、詰められても装い続ける人間と言うのは本当に信用できない。

ネット上の文字でのコミュニケーションは、リアルに比べて装いやすい

その人物とは某ネトゲで出遭った。

そもそもRPGは、ロールプレイというまさに装いや芝居でプレイしていく、というスタイルが許されている。
なので、装いでもなんでもいいと思うが、せめて詰められたときは本心で話せと思った。

つまり、上記の話はあくまでネット上のチャットでの話だ。
文字でのコミュニケーションは、装いの技術が低い人間でもある程度人を欺けると思う。

これが通話、ビデオ通話、リアルでの対面、となってくると、相当な技術と精神力がなければ、あっという間に装いの鎧は崩壊してしまうと思う。
リアルは言葉だけじゃなく、表情、声色、仕草など、あらゆる情報を装わないといけなくなるので、舞台役者でも装い切るのは至難の業なのではないだろうか。

ドラマや映画の撮影のようにカットはなく、舞台のように常に観察の目にさらされている。

しかも、あまりにも大仰に芝居じみた人格を演じると、相手は違和感を覚え、もはや人を欺ききれず、利益も得られないだろう。

装いの度合いや装いの技術が高い人間の本心を暴くにはどうするか

装いの度合い、技術が高い人間の本心(本質、核心、芯)を暴くにはどうするか、ということを、俺はずっと考えていた。
先日とある人に訪ねてみると、すごく腑に落ちる回答を得られた。

まず、人の心の、本心(本質、核心、芯)と呼ばれるものは何なのか。
と定義しようとすると難しい。

装っている姿も、その人間の心が根底にあって表出しているものなので、本心と言えば本心ということになってしまう。
しかしそれは俺が思うような本心とは明らかに違う。

そのとある人にたずねてみてわかったのは、本心(本質、核心、芯)の定義は、
『極限の精神状態で表出する態度』
ということだ。

極限の精神状態とは、とても強い恐怖、とても大きな動揺、とても大きな喜び、とても大きな悲しみなど、自分の意思ではコントロールできないほど大きな感情の動きのこと。

その感情の動きが出ている中で表出した態度こそが本心であり、恐怖心、羞恥心、劣等感など、その人間の根底にあり、人生での様々な選択や、装い方の基盤となっている、行動原理のようなものでもあると思う。

極限の精神状態に置くことで、装いという、玉ねぎで言うところの皮の部分を引き剥がすことができる。
そして、その奥にある芯(本心、本質、核心)、行動原理を、暴き出すことができるんじゃないだろうか。

本人でさえも自分の本心や行動原理に気づいてないことも多いと思うので、他人や自分の本心や行動原理を知るのに、極限の精神状態に追い込むという方法は効果的だと思う。

拷問、尋問

今回は恐怖という方法で極限の精神状態に追い込む場合について書いています。
喜びなどの快の方向で極限の精神状態に追い込む場合については、よくわからないので割愛します。

例えば拷問や尋問なども、装いや嘘を暴き、人の本心を知るために発展してきたものだと思う。

ネット上の文字のコミュニケーションで、
「本当のことを言え!」
と問い詰めても、大抵の人は動揺しづらいが、リアルで身体的に苦痛を与えられたり、脅されたりすると、大抵の人間は強く恐怖し、動揺するんじゃないだろうか。

当然、そういう最大の恐怖を与えられたら、大抵の人は、普段とは態度が一変するはずだ。

その時はその時なりに、その恐怖から逃れるための装いをする、とも言えるかもしれないが、平常時と決定的に違うのは、
『自分ではコントロールできない反応”が出てしまう』
という点にあると思う。

例えば最大の恐怖を与えられると、失禁したり、大量に発汗したりなどの、自分ではコントロールできない反応が出てしまうはずだ。
その極限状態で表出した反応が、普段の装い方などの基盤になっている、本心(行動原理)である可能性が高いということだ。

そして、反応だけじゃなく、本当はどう思っているか、ということも聞き出せるんじゃないだろうか。
スパイなどは、そういう極限の精神状態でも本心や真実を晒さないように、鍛えられているのだと思う。
装っている人間やスパイは、つまり”嘘”をついているわけなので、その嘘を暴くには、拷問や尋問などの身体的精神的苦痛を与えて、極限の精神状態に追い込む必要があるんだろう。

そんな感じで、いくら装いの人間にムカついて、本心を暴きたいと思っても、人を極限の精神状態に陥らせるのは、大抵の場合法律に触れると思うので、実行することは不可能だと割り切って、装いの度合いが高い人間とは関わらないようにしたい。

本心を暴くといっても、結局自分以外の他人の心や精神状態を体験することはできないので、どこまでいっても想定の域を超えないのも事実だと思う。

最後の方は、だいぶ詰めが甘い感じがしますが、とりあえず俺はそれで納得したのでよしとします。

2017年8月21日 人によって態度や意見を変えたり本心を隠したりする『装い者』に対する認識が変わってきた

俺は今までリアルの知り合いの慇懃無礼八方美人天パなど、人によって態度や意見を変えたり本心と違うことを言い、人脈を作って利益を得ようとする装い者を死ぬほど憎んできたが、最近認識が変わってきた。

まず装い者は『人によって態度を変える』が、別にそれはほぼすべての人間がやっていることだ。
逆に『どんな人間に対しても同じ態度をとる』というのは異常すぎる。

それは、親しい人にも初対面の人にも全く同じ態度で接するということになる。
そんなことをするのはありえないし、そんなことをしても自分に利益がない。

前にも書いたが、俺は普通の人の何倍も、頭の中にアイデアや言いたいことが湧いてくる。

思考が湧いてきた時は
「この思考はブログに、この思考はTwitterに投稿しよう」
と考えるし、同じように
「この考えはこの人に話そう、この考えはあの人には話さないでおこう」
と、ちゃんと自分なりに適材適所に思考を公開する場所や話す相手を決めている。

すべての思考を一つの場所、一人の人間だけに吐き出しているとしたら異常だ。

誰に対しても同じ態度をとるのもそうだが、すべての場所、すべての人に、共通の思考を垂れ流す、というのは何かしらの精神疾患としか思えない。

装い者も結局、俺と同じで、自分なりに適材適所に考えや意見を言う人を選んでいるんだろう。
恐らく多くの人がそうだろうし、それに特別ブチ切れるのはおかしいのではないかと最近思う。

装い者は意見や態度の切り替えがあからさまで、本心の隠し方があからさまだから、目立つんじゃないだろうか。

思ったことをすべて垂れ流す人間はいない

装い者は、
「本心と違うことを言う」
という特徴があると思うが、逆に、頭に湧いてきた思ったことをすべて口から出している人間は病気だ。

ハゲの人がいて
「ハゲの人がいる」
という思考が湧いてきたら即座に
「ハゲ!」
と叫び、さらにそれが面白いという思考が湧いてきたら
「あなたハゲてて面白いですね!」
という風に、思ったことをすべて言う人間はいないと思う。

そこで問題なのはそのハゲの人が自分にとってどういう距離感かだ。

さっき親しい人と初対面の人の話をしたが、例えばそのハゲの人が親しい人なら、自分も
「この人とは親しいのでこの思考はこのまま言っても大丈夫だ」
と判断し、言うだろう。

初対面だったら、
「初対面だから失礼に当たるな」
と思い言わないはずだ。

それは多くの人が日常的に当たり前にやっている判断であり、装い物が特段狡猾とはいえないと思う。

それもすべて
「そう判断するのが自分にとって利益になる」
からやっていることだ。

「ハゲだと思ったけどこの人は初対面なので言わないでおこう」
と選択するのは当然自分の利益のためだし、逆に、
「相手が初対面であろうと、ハゲだと思ったからハゲと叫ぼう」
という人も、それが自分にとって利益だと思うからやるんだろう。

アドラー心理学では、
「人間のすべての選択(行動)は優越感に基づいている」
というらしいが、それは利益とも言い換えられると思う。

人間には生存したいという欲求があり、三大欲求があり、すべての選択はその欲求に基づいているので、あらゆる選択は自分のためになること(利益)ということになる。

なので装い者に対して
「自分の利益を得るために装っている」
というのは的はずれだ。

なぜなら、
「装わない」
と選択することすら、装わないことで得られる利益を求めてそうしているからだ。

装い者に嫉妬している

結局、俺が装い者にむかつくのは
「あの人と同じ態度で俺に接してくれ!」
という、嫉妬の類なんじゃないだろうか。

上述のように、人は思考の種類や、相手との距離感によって態度や意見を変える。
親しい人と、そうでない人に対しての態度は絶対に変わる。

俺が装い者に対して
「それ本心じゃないだろ。裏で何か言ってるんだろ」
と思ってムカつくのは、
「俺にも、裏で本心を話す相手と同じ態度で接してくれ」
という欲求から来ている気がする。

つまり俺は、装い者に
「あなたは親しくないから、裏にいる親しい人に話していることは話せないよ」
という態度をとられているのが悔しいんだろう。

結局俺は、装い者に対しても、親しくしてほしい、距離感を縮めてほしいんじゃないだろうか。

装い者の定義が
「人によって態度を変える」
「思ったことをすべて言わない」
「自分の利益のために行動する」
というものなら、大多数の人が装い者だし俺も装い者だ。

現に俺も、広告収入事業用に別のブログがあるし(リア垢ではない)、そこで書いているのは便利情報などだ。
そのブログはそういうブログなので、別のことを書くメリット(利益)がない。
同時に、そのブログの読者は、管理人の人格には興味がないと思うので、生活のことや、『親しい人にしか話さない』ことは書かない

必要が無いこと(利益にならないこと)はやらないだけなので、これも特段異常なことではない。

好きな人に対する態度

ところで、多くの人は『好きな人』の前で、大きく態度が変わるはずだ。
直感的に、好きな人には好かれたいと思うし、そうすると、『その人に好かれないような言動』は自分の利益にならないので、しないということになる。

好きな人に対して不満点が湧いてきても、好きな気持ちが強いなら、不満をそのまま言う、という選択は利益にならないことが多いと思うので、しないはずだ。
それを装いだと言って糾弾するのは違う気がする。

もしくは、好きな人の前以外ではどれだけ失礼な人間でも、好きな人の前では自然と失礼なことを言いたくなる、というのも不思議ではない。

それに対して、
「人によって態度を変えてる!」
と責め立てるのもおかしい。

そう考えると、前の記事で糾弾したドラクエ10の男が
「もみちゃんが好きだから」
と言って、他の人と違う態度を取っていたのも納得できるし、それを責め立てたことを反省してしまう。

装い者にむかつく理由

ここまで考えて、ほとんどの人は定義の上では装い者だし、自分もそうだと頭ではわかった。
それでも腹が立つのは、やはり装い者に
「騙された」
と思うこちら側(受け取り手)の問題じゃないだろうか。

例えばさっきのハゲの件だが、ある人が
「このハゲの人は親しくないので、ハゲで面白いと思ったけど言わない」
というごく自然な選択をしたことに対して、そのハゲの人が
「心の中でハゲだ面白いと思ってるのに本心を隠しやがって!欺かれた!」
と思った瞬間、言わないという選択した人は装い者になってしまう。

ちょっとわかりづらかったかもしれないが、つまり、ほとんどの人が定義の上では装い者である以上、それを悪だと決めるのは
『受け取り手側の問題』
だということだ。

しかもその受け取り手側がそこまで怒るのは、上述のように
「親しくして、俺にも本音を話してくれ!」
という嫉妬であることが多い。

つまり装い者に激怒するのは、受け取り手の劣等感や嫉妬の産物でしかないんじゃないだろうか。

俺は自分が(多くの人が)定義の上では装い者であることがわかったので、考えが『装い者視点』になってきているからそう思うのだろうか。

今はどちらかというと『装い者に激怒する人間』視点がなくなってきているからそう思う気がする。

装い者は一般の人に比べて装いの度が過ぎている

さっき、
「全ての人間は装い者だが、中でも特に装い者と呼ばれる人間は、態度の切り替えがあからさま」
と書いたが、装い者にムカつくのは、その態度の切り替えっぷりが、自分の閾値を超えているからかもしれない。

「少しならいいが、こいつはあからさまに態度を変えすぎている」
という風に、装いの閾値が自分の受け入れられるレベルを大きく超えているからムカつく、という可能性もある。

本心を隠すのも、ある人の前ではあまりにも徹底的に隠し、ある人の前ではあまりにも隠さなさすぎる、という姿を見てしまうと、こちらの装いに対する怒りの閾値を超えてしまう。
だから俺は慇懃無礼八方美人天パや、ドラクエ10の男の装いにキレたんだと思う。

繰り返しになるが、殆どの人が、そして自分自身も、
『人によって(距離感によって)態度を変える』
『本音を言う相手を選ぶ』
ということをしている以上、『装い者だから』という理由で怒ってみても仕方がない。

『装い者だから怒る』
ということは、自分を含む大多数に怒っているのと同じことだ。

自分がその人間に腹が立つのは、そいつが装い者であるからというより、さっきも言ったように装いの閾値を超えているからか、もしくは単に『その人間』そのものに腹が立つんじゃないだろうか。

前の
「ジェンダーや国籍や年齢という特徴で人を一括りにするな」
という話と同じで、人を『装い者』という特徴で一括りにせず『その人間』という全体で見て、唯一無二の『その人間そのもの』にブチ切れたほうが良いと思う。

2017年10月17日 感情で他人を振り回す奴は不誠実 無責任 装い者 演技性人格障害

目標達成法理論においては
「感情はエンタメ」
らしい。

合理的で素晴らしいと思うんだが納得いかない部分がある。

喜びとか楽しさとかの元々良い感情とされてるものは元々エンタメ然としてるからいいとして、一般的に負の感情とされている怒りや悲しみ等も、拒絶せず、なおかつそれに飲み込まれず、自分で決めた一定時間だけ決めた範囲で大いに感じましょうということだろうか。

怒りとか悲しみとか恐怖の感情を悪として捉えて、絶対感じてはいけないと思うと、悲しい小説とかホラー映画とかネガティブな音楽とかの芸術作品も全部拒絶しないといけなくなって、明らかに潔癖というか不健康。
だから感情はエンタメとして割り切って、感じたいときは、あくまで深層まで飲み込まれないようにしながら徹底的に感じればいいっていうのはわかる。
だが、それってあくまで個人で一人きりで感情を覚える時限定の話だよなと思う。

例えば人前で悲しいという感情が出てきて、感情はエンタメだから拒絶したり押し殺したりせずに徹底的に泣いて、悲しいという感情を堪能するとする。
そこまではいいけど、それを本気で心配した人が居た場合はどうなるんだと思う
傍から見たらそいつは本気で悲しんでるけど本人はエンタメとして悲しんでいる。

感情はエンタメっていうのはつまり、すぐに平常心に切り替えられるってことだと思う。
感情を出す自分を俯瞰で見ているからそれができる。

だからその泣いてる奴は、思う存分感情を楽しんだあとは周りが驚くほどにケロッと普通の精神状態に戻れる。
じゃあ本気で心配した周りの人はどうなるんだ。

感情をエンタメとして楽しむのはいいけど周り巻き込んだらまずくないかと。
この場合は、泣いてる人がいるからってそれを本気で受け取って振り回される周りに原因あるってことなのか。
まぁ人に振り回されたり人の感情や言動に一喜一憂するのは自立できていない証拠だが。

ドラクエ10の演技性人格障害の男

「感情はエンタメ」
ときいて、ドラクエ10の演技性人格障害の男を思い出した。

感情はエンタメを地で行く人間に振り回されて本気でムカついたのを思い出して、どうも感情はエンタメを実践するのに抵抗が出て来る。

ドラクエ10の演技性人格障害の男、
「…うちね、絵描いてるのw」
言い出して、絵を見せ合ったら
「…いいよねw もみちゃんはうまくて…w なんか、凹んできた…」
とか言い出して俺はあたふたした(俺の絵がうまいかどうかはここでは語らない)。

どうやって立ち直ってもらおうと俺は本気で考えてたんだが、本人は数分後ケロッと別のコンテンツを遊んでいる。
俺はこの時本当に脳ミソの血管がキレるほどムカついた。

今思うと、
「あ、こいつは感情をエンタメとして楽しんでいるだな。」
と。

「感情はエンタメ」
いいけど、他人振り回していいのかと。

まぁ、そんなこと言いながら俺も感情はエンタメを地で行ったことがある。
この画像は実家で暴れた時のもので、傍目には本気で激昂して手がつけられないように見えていたと思う。

だが、俺はひとしきり暴れたら一瞬で平常心に戻り即座に別の作業に取り掛かり始めた。
暴れながら感情はエンタメとして楽しんでいた。

感情はエンタメを第三者の前で濫用する人間は「楽しい」という感情に支配されている演技性人格障害

「感情はエンタメ」
って簡単に言うと役者とかが舞台やカメラの前でやる芝居と似た精神の使い方だろと思う。

それはいいけど、第三者が回りにいるときは
「今、負の感情をエンタメとして楽しんでます!」
って宣言せえよ。
振り回される周りが悪いっていってもちょっとは他人のこと考えろ。

「感情はエンタメ」
いいけど、調子乗って濫用しまくってると演技性人格障害じゃないか。
人格障害という語彙は問題だが。

感情はエンタメを濫用してる奴はエンタメ(楽しい)という感情に奥まで支配されてるんじゃないか。
悲しむことを楽しむことに支配されてるんじゃないか。

「よっしゃ思いっきり悲しんだろ」
「そんでその後即座に平常心に切り替えて楽しんだろ」
「感情をエンタメとしてコントロールできる自分に酔ったろ」
って楽しむという感情には根本から支配されてることにならんのか。

「…うちね、感情はエンタメって思ってるのw ブルーな気分に浸るのは悪いことではないでしょ?w …だって、それを否定したら小説や映画を否定しないといけなくなっちゃうw 怖いのは、一番リアルな世界の基盤となっている感情としてブルーな気分を採用してしまうことだと思うから…w」

「…そんなことしたら、うちの人生そのものがブルーになっちゃうw だから、ブルーな気分はエンタメとして味わうのが一番でしょ?w」

「感情はエンタメ」
は事実だし良いスタンスだが第三者を振り回すのは迷惑、不誠実、無責任。

一人のときはいいけど第三者の前で宣言なしに
「感情はエンタメ」
を実行するのは不誠実だ。
無責任だ。

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