周りの人間が消えていった 揉めた人間は俺の知らないところで死んでいる

このブログで、自分語り記事や悪口・憎しみ記事を書き始めたあたりから、様々な理由で、周りの人間が消えていった。

僅かな交流は残っているが、俺は人や発言を少しでも不愉快に感じたらTwitterで即ミュートしてしまうので、どんどん減っていっている。

あえて、去っていったとか離れていったと言わないのは、最近になって、別れというものの捉え方が変わってきたからだ。

揉めた人間は、俺の知らないところで死んでいる

ここ数年、ネット上で絵描きやら色んな人間と、最初は仲良くしてたがモメたり、一方的に拒絶されたりして絶縁し、憎悪が積もり積もって、殺したいほど憎くてもがいていた。

でも結局、リアルでの隣人や身内や、近くに住んでいる人間じゃない限り、絶縁した人間が何をしているかというのは、こちらがわざわざネットでTwitterなどの動向を確認しに行かない限りはわからない。

テレビで震災の様子やニュースを見てると、人間いつ死ぬかわからない。

そうなると結局、モメて絶縁した憎い憎い人間も、離れていった人間も、もしかしたらこちらが知らないだけで、苦しんで苦しんで死に絶えているかもしれない。
可能性は低いかもしれないが、1%でもある限り、そうなっていると勝手に思い込んでやろうという結論に至った。

逃げでも妄想なんでもいい。
そう思い込むことで、精神衛生上良いどころか、幸せでさえある。

こちらが見に行かない限りは、どうなっているかはどうやってもわからない。

それならもう自分の都合のいいように、俺から離れていってすぐ、何か不幸があり、一族もろとも苦しみぬいて死んでいるという可能性を事実として徹底的に思い込んで、気分良く生きてやろうという気になった。

だからもう、去っていったとか離れていったというよりは、消えていったと言いたい。
独我論的には、こちらが知らない限りは存在してないことと同じなので。

シュレディンガーの猫

そういう意味でアルティーが自殺しているのか、幸せに生きているのか、シュレディンガーのアルティーじゃないが、マジでこちらが観測しない限りはわからない。
ならもう自分にとって都合の良いほうを選ぶしかない。

これはアルティーから見た俺も同じで、俺はアルティーに死んでると思われてるかもしれない。
会わない限り、お互いわからないままだが、それでいい。

まとめ

そうしていると、今自分の周りで起こっていることを重視しようとも思える。

絶縁した人間が幸せにしていたら腹立つとか、自分の想像の範囲を超えないことで苦しむくらいなら、自分に都合の良い想像を事実として捉えて気分よくしてればいい。
そうやって、目の前で起こっていることを大事にしてればいい。

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