自己愛性人格障害と回避性人格障害の根本的な原因である肥大化した自己愛を治さないとサイクル的に交互に繰り返す

今年(2015年)も、もうすぐ終わるので、去年と同じく、一年のまとめとして記事を書こうと思います。

今年はそこまで大きなトラブルなどもなく、去年よりも落ち着いた年になった。
特に下半期、人生行き止まり感や憎しみをなんとかするため、人格障害や心理学についての情報を集めて色々読んでいたら、暴れたりモメたりというのがあほらしくなっていった。

22歳になり、普通に大学に行っていれば就活の年ということで、普通に大学に行ってない俺だが、そういう時期的なものも関係したと思う。

髭林おなもみ名義で活動することがなくなってきた

前にも書いたが、今のところ、俺はもうこの『髭林おなもみ』という名義で活動することが、ほとんどなくなってしまった。
普段はアルティー(きゅう世主)のほうの名義のTwitterで、あたりさわりのない、釣りのことや日常のことをつぶやいたり、Skypeの髭林ダイナマイトチャットというグループチャットで、俺に付き合ってくれる数少ない人たちと雑談などをして交流している。

ブログに記事は書いたりしているものの、前のようにキチガイ絵を描いたり音楽を作ることもなくなり、釣りをはじめてからは配信もほぼやらなくなっている。
それで、活動することがなくなってきた、この『髭林おなもみ』という名義をどうしようかと悩んでいる。

自己愛性人格障害と回避性人格障害が深刻

それもこれも、俺の自己愛性人格障害と回避性人格障害が深刻なことに起因している。

前者は、簡単に言うと、
『肥大した自己愛(劣等感の裏返しであることが多い)の延長でしか、人や物事を捉えられず、社会生活や人間関係に困難が生じる』
というもの。

後者は、
『自分なんかふさわしくないという感覚』
『社会的な活動の抑制』
『否定的な評価に対する過敏さ』
『社会的な交流の回避などによって、社会生活や人間関係に困難が生じる』
というもの。

俺の自己愛性人格障害の症状

こうやって説明すると何のことかわかりづらいが、俺の一連の行動を見てもらえればよくわかると思う。

たとえば俺は、『安確いじり』や『アルティー』など、内輪ネタで数々の造語を作ったり、配信をしたり、絵を描いたり音楽を作ったりして、『自分を中心とした、自分だけが注目されるコミュニティ』を自分で作り、常に自分を中心とした交友関係を求めていた。
そして、最初は友好的に関わってきた人間でも、俺のことを否定したり非難した途端に、俺は烈火のごとく怒り、相手にいつまでも粘着質な憎しみを持ち続ける。

これはまさに自己愛性人格障害の、
『絶えず賞賛を求める』
という特徴や、
『些細な非難に過剰に反応し、怒ったり鬱状態になったりする』
という特徴に当てはまる。

俺の回避性人格障害の症状

回避性人格障害のほうに関しては、俺の場合は、自己愛性人格障害の裏返しだと思っている。

3,4年前は、Twitterや配信で暴言を吐き捲くったり、世の中のゴタゴタに噛み付いたりしていた。
だが、人とモメて疲れ、少しずつ熱が冷め、自分が自己愛性人格障害であることを自覚し始めてからは、
「結局、怒ってみても、アルティーがどうとかネタに走ってみても、すべては自己愛性人格障害から来るものなんじゃないか」
という思考が沸いてきて、
「俺は、人と交流するのにふさわしくない」
と結論付けてしまう。

簡単に言えば、自己愛性人格障害であることを過度に意識しすぎて、集団の中で、ちょっとは目立ってもいい場面でも
「、いやこれは内輪ネタだ、自分を中心に人が動くようにするための行動だ」
と思い、必要以上に自分を抑えてしまうという状態。

そういった行動は特に、アルティー(きゅう世主)名義のTwitterで見られる。

この5年間、自分で作り上げた城(ブログ、配信、お絵描き、音楽)の中で、内輪ネタを利用して人と交流してきた俺は、内輪ネタなしでは、人に絡んでいく糸口が掴めないのだ。

普通は、趣味のことや、世間の話題などを使って人と交流するが、俺はそういうものへの敵対心、つまり『世の中への憎しみ』が強いので、流行などを話題にしたくないし、興味もない。

ただ、少しは人と交流したい。
そうなると結局、自分の城を築くという最初の状態に戻ってしまう。

まさに、自己愛性人格障害と回避性人格障害がスパイラルになっている。

リアルでの回避性人格障害の症状

『世の中への憎しみ』ひとつ取ってみても、
「世の中は俺を中心に回っていないから憎い」
という驚くほど幼稚な思考からきている。

どこまで言っても、肥大した自己愛の延長でしか人や世の中を捉えられないというのは、まさにこのことだと思う。

もちろんネットだけじゃなく、リアルでも回避性人格障害の症状は顕著だ。

リアルでの名義(本名)と髭林おなもみという名義が紐付けされてない以上、リアルで人と交流しようとしようとするときに、安確いじりやアルティーや、キチガイ絵や、おなもみBANDのことをネタにすることはできない。

それらを使わずとも、世間話などはいくらでもできるが、俺はそれでは心から楽しめない。
俺という人間の根本的な尊重にはなっていないからだ。

かといって、リアルでの名義(本名)と髭林おなもみという名義が紐付けされたらされたで、色々な不利益が生じるので、紐付けする気はない。

自己愛と比例して肥大化する髭林おなもみという名義

上記のことから、俺の自己愛が以下に肥大化しているかがよくわかる。

そして同時にわかるのが、それと比例するように『髭林おなもみ』という名義そのものが肥大化しているということ。

「どうせ自己愛の延長でしか人を捉えられないんだ」
と思っていると同時に、
「俺は髭林おなもみだ」
という奇妙な自覚のようなものを持ってしまっている。

今がどうであれ、俺は今まで自分が描いてきた絵や、作ってきた音楽が好きだし、俺自身をよく表していると思う。
だがそれを利用して人と付き合い、自分を中心としたコミュニティを作ろうとするのは健康的でない。

その二つの考えの狭間で葛藤しているのである。

だから、アルティー(きゅう世主)という名義で毎日いろんなことをつぶやいてはいるものの、
「俺はアルティーだ!」
などという自覚はもてない。

名前が鹿児島の某慇懃無礼と同じというのも問題だが、それよりも、やはり髭林おなもみという名義じゃない時点で、
「本当の俺ではない」
という気持ちさえ沸いてきてしまう。

人生行き止まり感の正体

上記のようなことを考えているうちに、散々言ってきた『人生行き止まり感』の正体がわかってくる。
結局この感覚は、自分を抑圧している感覚なんだろうと思う。

「賞賛されたい」
「自分中心に世の中が回って欲しい」

だが、
「そんなことはありえない、なら自分を変えよう、世間と付き合っていこう」
となるのではなく、
「世の中が憎い」
となる。

そうなると、去年のまとめに書いたように、したいことさえも、自分で制限をかけて抑圧してしまう。

これこそが人生行き止まり感の正体だと思う。

ただ、配信などで自分を中心に交流しているときは気分が良く、人生行き止まり感は薄れている。
それで問題ないなら、いつまでも配信などを続けて楽しんでいればいいのだが、どうしても、憎しみやトラブルなどの壁にぶち当たる。

そうなると、つらいので、こうして徐々に自分を見つめなおしていかざるを得なくなり、今のような状態になってくるという感じだ。

自己愛性人格障害の裏返しの回避性人格障害、もしくはその逆

さっき、自己愛性人格障害の裏返しとして回避性人格障害の特徴が出るというようなことを書いたが、俺はもともとはその逆で、回避性人格障害の裏返しとして自己愛性人格障害になったという自覚がある。

このブログの記事でも書いたが、俺は小5まで授業中に手を挙げないほどの引っ込み思案だった。
それが小6でクラスの中心人物的人物と親しくなったことで、俺を中心とした人間の輪を作り、教師に反抗して暴れ捲くっていた。

これはまさに、俺がやってきた、配信などの自分を中心としたコミュニティと構図が同じなのである。
当時も、自分を中心に回る人間関係が心地よくて仕方がなかった。

不健康な関係で、あそこまで心地よくなって、あとで皺寄せが来ないわけがない。
そして中1で、ほかの学校の生徒と折り合いがつかなくなったり教師にマークされたりして、学校に行かなくなり、また回避的な特徴が出始める。

高1までそんな感じだったが、17歳からTwitterと配信をはじめ、『髭林おなもみ』という自己愛性人格障害のためにあるような名義が生まれる。
それからの5年間、Twitterや配信や創作を通じて、自己愛の限りを尽くしてきたという感じである。

根本的に治療しないと自己愛性と回避性を繰り返す

こうやって思い返すと、年単位のサイクルで、自己愛性人格障害と回避性人格障害が行ったり来たりしているように見える。
今は見てわかるように、回避性のほうに寄っている。

自己愛性にしても回避性にしても、どちらも不健康であり、偏っている。
なので、いつまでたっても、躁うつ病のように繰り返してしまうような気がする。

自己愛性に寄っているときは、楽しく、行き止まり感は覚えないものの、人を不愉快にさせたり、トラブルを起こしたりしてしまう。
回避性に寄っているときは、人を不愉快にしたり、トラブルを起こしたりはしないものの、人生行き止まり感を覚えてしまう。

健康的な、中庸というのがない。

根底は肥大化した自己愛 その原因は劣等感

結局は、どちらにも共通するであろう『肥大化した自己愛』をなんとかしなければ、根本的な解決には至らないと思い始めた。
そう考えると、俺はけっこうな手遅れかもしれない。

17歳からの自己愛性全盛の5年間は、肥大化した自己愛を強固にするのに十分な時間だった。
そして肥大化した自己愛の原因は、劣等感である可能性が高い。

早めに治療せず、成人期を迎えてしまったし、これからさらに時間が経てば経つほど治療は困難になっていくと予想される。
歳をとればとるほど、劣等感も加速度的に強くなるだろう。

治療するかどうかは俺次第だ。
自己愛性を抱えたまま、大勢の人の役に立つような創作をしたりして、多少健康的に、賞賛されたいという欲求を満たしつつ交流している人もいる。

髭林おなもみ名義の今後

俺が問題だったのは、俺のキチガイ絵や音楽活動は、人の役に立たなということだ。

ブログの記事も、自己愛に基づいた活動だが、上記の二つに比べて、人の役に立ったりするのがわかるので、続けたいと思っている。

ふと思ったが、肥大化した自己愛に基づいてない、健康的な人付き合いのひとつとして、『馴れ合い』というのがあるのだとしたら、俺は健康的になりたいとは思わない。
まぁ、自分を中心としたコミュニティでは、馴れ合いのようなものを散々やってきたので強くは言えないが。

あと、ネット社会というのは自己愛を肥大化させるのに最適なツールだなと思う。
もしネットがなかったら、配信やTwitterや創作活動を通じてここまで自己愛を肥大化させることはなかったと思う。

それはそれで、抑圧された欲求が別の形でリアルで爆発しそうな気もするが。

髭林の名義では、相変わらず気が向いたら記事を書いたり絵を描いたりしていきたいとは思うが、今後どうするかは決めてない。

とりあえずアルティーのほうメインで、釣りや日常のつぶやきをしたり、萌え系の絵を描いていくと思う。
名義が2個あるのはめんどくさいので、結合してしまいたかったりもするが、色々問題も生じそうなので、慎重に考えていこうと思う。

来年もよろしくお願いします


出典:「近況報告をし合いましょう。」 | 髭林おなもみ [pixiv]

とんでもなく長くなったが、だいたいそんな感じです。
人格障害の話ばかりで、今年一年の楽しい出来事などは一切書いてませんが、まぁいいかと。

そもそもこうやって記事を書くこと自体が、自己愛性人格障害的だが、自分の考えを整理できたり、この記事を読んだ他の自己愛性や回避性の人の参考になったりすればいい。
さっきも書いたように、少しは人の役に立つ可能性もあるので、よしとしたい。

俺を昔から見ている人からすると、だいぶ変わったなと思われるかもしれませんが、さっきも書いたように『肥大化した自己愛』が原点なので、根本的には変わっていないと思う。
自己愛性寄りか回避性寄りかだけの違いかと。
今は、小5までや、中1~高1のときの状態に近いだけとも言える。

まぁ、今年はそんな感じでした。

興味ある人はいないと思いますが、楽しかった出来事などは上記のpixivの絵のキャプションに書いた。

来年もよろしくお願いします。

筆者である髭林おなもみや、記事内容について気になることがあったらお気軽にご連絡ください。
髭林おなもみのプロフィールと活動一覧 職業や経歴など
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