独我論という救い 自分が認識さえしなければ人も世界も存在しない 気が楽になる(怠ける言い訳になる)考え方

独我論という考え方がある。

独我論(どくがろん、英: solipsismソリプシズム)は、哲学における認識論の見方の一つで、
自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない、とする。

出典:独我論 – Wikipedia

独我論
1 心的状態を持つのは自分だけであり、他者とは私の心に現れる現象に過ぎないとする立場。
2 他人も心的状態を持っているかもしれないが、それを確かめる事はできないとする立場。
3 他人も心的状態を持っているとしても、その内容は私と違っているかもしれないという立場。
例えば私が赤いりんごを見ていたとしても、同じりんごを見ている他人にはそれが青く見えているかもしれないということで、これは逆転クオリアの思考実験として知られている。

出典:心の哲学まとめWiki – 独我論

つまり、
『存在していると確信できるのは自分自身が今認識している精神状態や感覚だけであり、それ以外の世界や他人の精神状態は存在しない』
『もし存在しているように感じたとしても、それはあくまで”仮”のものである』
ということだと俺は捉えている。

水槽の脳哲学的ゾンビクオリアの問題と同じで、今の哲学や科学では完全に否定することができない概念らしい。

普通に楽しく生活している人にとっては、あっそうというレベルの話かもしれない。
だが、俺のように、世の中が憎く、日々、現実から目をそらしたい人間からすると、この考え方にものすごく救われる。

認識さえしなければSNSのバカガキも存在しない

たとえば、ネットサーフィンをしていて、TwitterをはじめとするSNSのバカガキなどを見て、不愉快な感情に苛まれたとき、いつもこの考えが浮かぶ。

「俺がわざわざそんなページにアクセスして、見てしまったからこんな気持ちに苛まれるんだ」
「俺が認識さえしなければそんな連中は存在しないのと同じだ」
と考えるとすごく楽になる。

「今すぐこのページを閉じればこいつらは消える」と思いすぐにページを閉じ気分を変えられる。

前にも書いたが、俺とモメた奴らが俺と別れた先で何をしているのか、こちらに知る方法はない。
そうなると、そいつらはもはや存在していないのと同じであり、もっと言えば、
『相手はどこかで勝手に死んでいる』
と思ってしまってもいいことになる。
その可能性が1%でもある限り。

いやな事があって、昏々と眠り続けているときも、自分が寝ている限り世界は存在しないのと同じだと考えられる。

まとめ

そういう風に、俺にとっては、何かから逃避するときにすごく役に立つ考え方である。
嫌なものは見たくないというわがままを正当化することができる。

究極的には、
「自分が死んでしまえばこの世界を終わらせることができる」
という考えにまで至ってしまう。

小学生のときなどに、
「自分が学校に行っている間は、自宅は存在しないんじゃないか」
「この世界は精巧に作られたゲームで、自分以外の人間はすべてロボットにようなもので、自分の行動によって反応を変えるようにプログラミングされてるだけなんじゃないのか」
などと考えたりしたが、20歳を超えても同じような考え方にすがっている。

しかもそれを哲学や科学で否定できないのも事実なのでたちが悪い。

ただ、いよいよ現実を見ないといけなくなったとき、見せつけられたときに、逃げてきたツケがきそうなのが問題である。

おまけ 気が楽になる(怠ける言い訳になる)考え方

・自分が認識してない世界は存在してないのと同じ。

・自分以外の生き物が、本当に何かを考えたり感じたりしてるかはわからない。

・認識できるのは現在だけであり、過去も未来も幻想。認識できるのは今この瞬間だけ。

・幸福も不幸も脳内物質によるもの。

・どれだけ頑張ってもいずれ死ぬ。頑張った人間も頑張らなかった人間も死ぬ。

・100年後には今生きている人類のほとんどが死んでいる。

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