嫌いな人間の好きなものを嫌う必要はない その人間そのものを嫌うべき 全体と細部の関係性

今までずっとこのブログで、某セックスレス自慢の人をはじめとして、
「嫌いな人間が好きなものを嫌いになる」
「自分が好きなものを嫌いな人間が好きだった場合に心が壊れそうになる」
などと言ってきたが、最近考え方が変わってきた。

某セックスレス自慢の人がスプラトゥーンを好きでも関係ない

例えば一番わかりやすい例で言うと、某セックスレス自慢の人が大好きな『スプラトゥーン』を俺は大嫌いだったのだが、そんな風に思う必要はないと気づいた。

同じように某セックスレス自慢の人が大好きな『ダースのチョコレート』『スパイラルグレープ』『パルテナの鏡』なども某セックスレス自慢の人がそれらを好きだからといって俺はそれらを嫌う必要はない。

考えてみると当たり前の話なのだが、全ては某セックスレス自慢さんという人間の全体像が問題なのであって、その全体を構成する『ダースのチョコレート』『スパイラルグレープ』『パルテナの鏡』などの『細部』をいちいち嫌悪していくメリットはない。

俺の好きな人も嫌いな人もスプラトゥーンを好きだった

最近Twitterで色々な著名人をフォローしてみると、俺の好きなミュージシャンがとてもスプラトゥーンを好きなようだった。
前にも書いたように、俺のフォロワーの人にもスプラトゥーンをやっている人がかなりいる。

俺はその人たちのことを、最初は某セックスレス自慢の人と同じく、
「スプラトゥーンをやっているから某セックスレス自慢の人と同じ要素を持っている人間だ」
と思って嫌悪しそうになっていたいたのだが、その一点だけで人を嫌悪していたらきりがない。

確かにスプラトゥーンと聞くとどうしてもまだ良い印象が持てない。
だが、何度も言うようにスプラトゥーン自体には何の罪もない。

俺の大好きな人がスプラトゥーンを好きかもしれないし、大量殺人者がスプラトゥーンを好きでもおかしくない。
どんな人でもスプラトゥーンを好きになる権利はあるし誰もそれを止めることはできない。

もっと一般的な事で言うと、俺の好きな人間も嫌いな人間もみんな『ご飯』や『パン』を食べていて、『ゲーム』をやっていたりもする。
スプラトゥーンは『ゲーム』の中でも限られたものだから俺は特別気になってしまったのだろう。

『ダースチョコレート』や『スパイラルグレープ』もそうだ。
『食べ物』や『飲み物』野中の一つである。

嫌いな人間が『スプラトゥーン』をやるのも、あらゆる人間が『パン』や『ご飯』を食べたりするのと同じようなものだ。

その人間の細部ではなく全体像を注視する

つまり問題は、その人間を構成する『全体像』だということだ。

『スプラトゥーン』
『パルテナの鏡』
『飄々とした人格』
『ダース』
『スパイラルグレープ』
『セックスレス自慢』
など 単体では嫌う必要性もない要素を網羅している、
『某セックスレス自慢の人』
というその人間の、
『全体像』
が問題だ。

俺は今回、『細部より全体が大事』ということを言いたいのだが、それを物で例えてみる。

たとえば、無人島で取り残され、空の飛行機に向けて『sos』の文字を浜辺に書くとき、『木の枝』を集めて『sos』と書くか『魚の死骸』を集めて『sos』と書くか『金塊』を集めて『sos』と書くか、どの素材を使って書いても『全体』として『sos』という文字が見えれば問題はない。

この場合、『sos(全体)』という文字を構成する『素材(細部)』には大した意味がない。

『スプラトゥーン』
『パルテナの鏡』
『飄々とした人格』
『ダース』
『スパイラルグレープ』
『セックスレス自慢』
などの、いくつもの、
『点』
で結ばれて出来た、
『線』
が描く、
『全体の形』
が問題、と言うとわかりやすいはずだ。

全体と細部は相互作用しているので、もちろん細部に意味がないことはない。
だが、俺はあまりにも、某セックスレス自慢の人に関しては『細部』にこだわりすぎていた。

その人間の全体像を嫌い尽くす

行き当たりばったりで書いているので言いたいたいことが伝わっているかわからないが、俺が言いたいのはとにかく『その人間』という『全体像』を徹底的に嫌えということだ。

『嫌いな人が自分の好きなものを好き』
でも自分はその好きなものを嫌いになる必要はない。

『嫌いな人が好きなもの』
をこちらは嫌う必要はない。

『嫌いな人が好きなものをこちらは嫌う』
というのは、
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』
ということわざもあるが、そんなことをしている間は本当にその人間を嫌いきれていないと言えるんじゃないだろうか。
その人間の細部しか嫌えていないからだ。

その人間を徹底的に嫌い憎んだ時に、
『その人間の好きなものを嫌いつくす』
という方法もあると思うが、次の段階としては
『その人間を構成する全体を徹底的に嫌っていく』
しかないと思う。

全体像を嫌えば細部に囚われない

俺はこれから嫌いな人間の細部は気にせず、全体像を嫌っていくつもりだ。

単純に興味が無いので、これからも俺はスプラトゥーンをやるつもりはないが、誰かに誘われたら 喜んでやろうと思う。
ダースも食べたくなったら食べていい。
スパイラルグレープは今販売していないと思うが、喜んで飲んでやろうと思う。

そして初対面の人が『飄々とした人格』でも、それだけの人間で嫌おうとするのはやめる。
誰かが『セックスレス自慢』をしてきてもすぐには怒らなくていい。

某セックスレス自慢の人という存在に『自分の選択や自由意思を阻害されない』ということだ。

俺は某セックスレス自慢の人という全体像を構成するこまごまとした『細部』にとらわれず、某セックスレス自慢の人という全体像を俯瞰で捉え、徹底的に嫌い尽くしていこうという段階に入った。

ちなみにこの話は『人間をジェンダーや国籍や年齢でしか見れない人間は終わっているという話とつながっている。

『男性』という性別や、『日本人』という国籍・身体的特徴、『24歳』という年齢も、すべて、その人間という全体を構成する細部でしか無い。

以前の俺はそういった『細部』にこだわって人間を見ていた。
だから、某セックスレス自慢の人の件も『スプラトゥーン』などの細部に拘って見てしまっていたのだろう。

これからの俺はとりあえず『細部』ではなく『全体』を見る方にシフトしていくつもりだ。

まとめ

このことで気持ち的にすごく楽になったし、次の段階はどうなるのか楽しみだ。

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