自分と似た人間を探す心理 傷の舐め合いは糞 別れた人間と似た人間を引き寄せる現象 等

2015年1月6日 傷の舐め合いから始まる似た物同士の交友関係は大抵ろくでもないことになる

俺は人生の脱落者である。
なんとか理解者や共感者を求め、誰かに感情を吐き出したくて、4年前から、USTREAMやTwitcastを転々としながら、人をまったく楽しませられない、最低の自己満足配信をやってきた。

その中で、アルティーやガイキチやその他諸々の人らとモメてきてわかったのは、タイトルの通り、ルサンチマンを抱えた人生の脱落者同士が知り合って、傷の舐め合いをするために交友関係を持つと、だいたいろくでもない別れ方をするということ。

お互い、人生に躓き、劣等感の強い人間で、寂しがりで、怠け者で、人にサービスしたり楽しませようとしたりもしないのに、愛されることばかり渇望してる赤ん坊並みのガキ精神。

そんな奴らが、
「なんか俺ら似た物同士じゃね」
とか言って、お互いの負の部分にシンパシーを感じて、仲良くなったって、絶対にろくなことにならんし気持ちが悪い。

寂しい寂しいとほざいて仲間を探す前に、まずやるべきことをやれということだ。
弱さから来る愛は癒着し始め、最後は大抵憎しみに変わるから結局危険なだけ。

だから俺は、
「似た物同士ですね」
と言ってくる人間を警戒する。

俺と似ている人間がまともな人間なわけがない。

そういうことに気づいたので、これからは適切な距離感で人と接したいです。
そして、寂しいからと言って傷の舐め合いをできる人間を探さず、自分自身に対して今できることをやる。

2018年7月16日 別れた人間とそっくりな人間に出会える(引き寄せられる)現象

そういったことがあるのではないかと思っている。
というか最近もそういったことがあった。

クルテクという重要な人物と別れて2年以上経つ。

最近気がつくと、クルテクと特徴が似た人に出会っていた。

金バエさんの配信関連で相互フォローになった人。
詳しくは伏せるが、名前に”クル”がついていて、(´・_・`)という顔文字を多用している。
それだけの類似点だが、なんだかクルテクの再来のように感じた。

そういえば、クルテクと別れるちょっと前に別れた、らくぅさんという人が居たのだが、その人と似た人にも出会っている。
そして何より、アルティーと酷似した人間にはこれまで3人も出会っている。

別れにも二種類あって、もう二度と会いたくないと思って別れるパターンと、惜しみながら、もう一度会いたいと思って別れるパターン。
後者は厳密には、別れた後にもう一度会いたくなるというか。

後者の場合、その別れた人間とは二度と会えなくても、特徴が似た人間を引き寄せることで満足しようとするんじゃないだろうか。
人間は本当に、心の底から強く願ったことは叶えてしまうように出来ているので、何ら不思議ではない。
ここまで似てるか、と思うこともあるが、それほど強く、特定のタイプの人間を求めているという証拠だろう。

思えば、今までネットで多くの人と揉めて別れてきたが、もう一度会いたいと強く思えるのはクルテクとアルティーの二人だ。
厳密にはガイキチくんやらくぅさんもだが、その二人にはかなわない。

上述の当人二人には会えていないが、ちゃんと、クルテクにそっくりな人物、アルティーにそっくりな人物を引き寄せてきた。
目標達成法的には、過去のことは重視しないほうがいいが、やはり割り切れない。

とりあえず、当人を引き寄せることは難しいが、今縁がつながっている、クルテクに似た人物、アルティーに似た人物を、できるだけ大切にしていこうと思う。

2018年8月30日 ブログやツイッターでの情報発信して自分と似た人間を引き寄せて個人的なやりとりをする必要はない

相変わらずブログやツイッターで思ったことを書きまくり情報発信している。
だがもう、情報発信をして自分と似た人間と縁をつなげようと思わなくなった。

俺が好き勝手書いた記事が役に立てばいいし、そうじゃないならブラウザバックしてくれればいい。

記事が役に立てばいいっていうのはつまり、記事読んだ人がほんのわずかでも俺の影響を受ければいいという縁起の話。
わざわざオレ個人に興味持ってコンタクトはとってこなくていい。

絵にしてもブログにしても、情報発信っていうのは、
自分が見つけたい人に自分を見つけてもらうためのもの
と思って長年続けてきた。

最近、某発声訓練目標達成法を包摂した某人と繋がったが、最後は色々と口出ししてきて縁が切れて、似た人を探す必要もないかと思った。

最初は
「おなもみさんまじすげえこんな人ほかにいねえよ」
と賞賛してきて、仲が深まるにつれて許せない部分が見えてきて、どうしても俺に口出ししないと気がすまなくなるという。
アルティーの頃から何億回と繰り返してきた王道パターンである。

最近は、俺の真のファンは黙って俺を見守り続けて口は出さないんだと思い始めた。
たぶんpixivや、ブログの読者にはそういう人が多いと勝手に思い込むことにした。

俺が発信する情報と俺の人格を混同される問題


俺がツイッターやブログで正確性の高そうな情報を発信しても
「こんな反社会的で優越的で、キモイ絵を描いているクズが言ってることだから間違っているに決まっている」
と、情報と人格を混合して、俺という人間に反動形成されてしまうとのこと。

そして、その人がその正しげな情報にたどり着くまでとても遠回りになるか、もしくは俺への嫌悪の強さによっては永久にたどり着けなくなるかもしれない、と言われてハッとした。

けどあくまで俺は覚え書き・気づきという大義名分でやっているので知りませんと言いたい。

俺としては、情報とその発信者の人格、作品とその作者の人格、などを安易に結びつける、分離できず混合することしかできない、そんな人間は正しい情報にたどり着けなくて当然だと思うので、知らねえよと言いたくなる。
情報発信者の責任ばっかり問われるけど得る側も責任あるだろと。

情報とその情報を発信している人の人格との紐付け
行動とその行動をしている人の人格との紐付け
など、人間関係においても分離は重要。

ブログは城だ。
ツイッターの情報発信はすぐ流れる一過性のもの。

情報発信して文章という資産を長期に渡って残したいならやはりブログが最適。

俺がブログ書かんでどないすんねん。
俺が情報発信せんでどないすんねん。

そういう気持ちは常にあり、どんどん強まっているくらいだ。

なので、似た人間を探すのではなく、単に自分の覚え書きとして、情報発信は続けます。

2018年10月29日 自分とそっくりな似た人間に出会った時には大きく分けて二種類の感情が出る

俺はとにかくあらゆるものに対して似てるか似てないかを比べるのが好きで、これまでも色々とそういったことをブログにも書いてきた。
似てる曲一覧とか、誰と誰の声やら顔が似てるとか、誰と誰の人格が似てるとか。

最近気づいたが、俺は、自分と似た人間に出会った時に、良い感情が出るか、悪い感情が出るかは、二者択一。
自分と似た人間でも、些細な違いで、良い感情が出るか悪い感情が出るか変わる

この人が居てくれれば自分はいらないと思える

まずは自分と似た人間の中でも良い感情が出る人間の話。

俺がけっこう前からTwitterでフォローしている関西の人がいるのだが、その人は俺に似ている。
詳しい特徴は伏せるが、似てるというより俺の超上位互換。
なので本人からすると、俺に似てると言われたら不本意で仕方がないと思う。

その人は、俺がやりたかったことをすべてやってくれていて、言いたかったことをすべて言ってくれているように見える。
その人が居てくれれば、俺はもうそれらをやらなくていいと思える。
見ていて本当に気分がいい。

「自分の超上位互換であるこの人がいれば、良い意味で、俺は存在していなくていい」
と思える。

これは全くネガティブな意味ではない。

この人が俺の代わりにやってくれていることはこの人に任せて、俺は、自分の中にある別の可能性を探そうと思える。
この人がいてくれれば良い、と思える。

見ていると本当に気分がいいので、その人をずっと見続けている。
ちなみに、本人に絡んでいくのは怖いので、ずっと見るだけ。

この人さえ居なければと思う

自分と似た人間の中でも悪い感情が出る人間の話。

それは俺が21歳から24歳の間さんざん被害妄想で苦しんだ、某セックスレス自慢の人である。

その人は悪い意味で俺に似ている。
そして、俺のやりたかったことをすべて実現している。

10代でセックスして童貞卒業、年下に慕われ年下を従える、ゲームを攻略して優越する、などなど。

最初に紹介した人物と同じく、いわば俺の超上位互換なのに、その人に対しては、
「頼むから死んでくれ」
「この人さえ居なければ」
という感情が出る。

決して、最初に紹介した人物に対してのように、良い感情は出ない。

他にも、俺のキチ絵と同じような気持ち悪い絵を描いているのに、俺と違ってかなり評価されている人などを見ても気分が悪い。

「似てるのに、なぜ俺はこの人ほど評価されないのか」
という、嫉妬の典型のような感情が出る。

違い

なぜ自分と似た人間を見た時、人によってここまで出る感情が違うのか。
正直自分でもよくわからない。

最初に紹介した人物はこちらが一方的に知っていて、某セックスレス自慢の人はお互い絡みがあり、俺にあてこすりをしてきたからだろうか。
最初に紹介した人物も、実際に絡んでみて、トラブルがあったら、俺は許せなくなるんだろうか。

でも、上に挙げた絵描きも、こちらが一方的に知っているだけで面識はない。

わからないが、少なくとも言えるのは、最初に紹介した関西のバンドマンは俺にとって美しく見える。
某セックスレス自慢の人や絵描きは、美しく見えない。

美しく見えるか、美しく見えないか、この違いが、その人に対して出る感情を分けている気がする。

自分と似た人物というのは重要だ。
俺はこのブログやTwitterやお絵描きなどを通じて、自分と似た人間を常に探している。

そしてその人物に対して、良い感情が出るか悪い感情が出るか、確かめてみたい。
良い感情が出る場合、その人に出会えてよかった、自分自身も生まれてきてよかった、などと思える。

悪い感情が出る場合は苦しいが、必ずなにか学べるところはあるはず。

俺は今後も、『似てるか似てないか』という判断基準を重視していく。

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