言葉と共同体の関係性 コンテンツや界隈に帰属したくない 自分を中心としたコミュニティの造語や内輪ネタ

まとめてあって長いので、興味のある見出しに飛んで読むことをおすすめします。

目次

2015年4月14日 友達関係などの小さいコミュニティや内輪ネタに甘んじたくない

俺が今まで人とモメてきた原因のひとつに、
「小さいコミュニティに甘んじたくない」
という、努力のように見えてそうではないような、偏屈な考え方があると思う。

例えば、友達関係というのは俺の中にとって一番小さいコミュニティだ。
その中で、
「俺はこんなことができる」
と言って張り合うことが、とんでもなくバカらしく思える。

そんな時間があるなら、一人で部屋にこもってなにかを製作して、大勢が見るであろう場所に公開するほうが、人気の出る出ないに関わらず、絶対に有意義だと考えてしまう。

リアルの知り合いのヤーイヤイという男が、友達関係という小さいコミュニティで、
「自分は絵を描いてる」
とか
「歌い手並みにハイトーンボイスが出る」
とか、くだらない自慢をしていたのを見てそう思い始めた。
(実際はどれもまともにできていない。)

内輪ネタを自慢げに話す奴を見てもそう思う。
お前のアルティーやら安確いじりという言葉のほうがひどい内輪ネタだろうが、という意見が飛び出しますが、これは啓蒙活動なので気になさらないでください。

今思うと、上記の考えはまさに、『自分は大した人間である』と思いたがる自己愛性人格障害の特徴に当てはまる。

ただ、小さいコミュニティと言っても家族は別だ。
家族は一応、運命共同体だから良い。

だが友達関係というのは、安確いじりや嫉妬も発生する小さなコミュニティだから本当にめんどくさい。
まぁ今まで本当の友達や親友が出来たことがない俺が言うことなんで気になさらないでください。

2015年5月1日 人との交流が減った 自分を中心としたコミュニティと居場所について

https://onamomi22.com/wp-content/uploads/Loneliness_1543265065.jpg
ちかごろ、『髭林ダイナマイトチャット』も閉鎖寸前で、人との交流がかなり減ってきた。
Twitterも、またいろんなめんどくさい連中に絡まれたら嫌なので、相変わらずつぶやきたいとは思わない。

何度も言ってるがアニメやらゲームに触れなくなったので、それ関連のコミュニティに属すこともない。

俺は、『アルティー』やら『安確いじり』など、私怨から始まった糞みたいなものだろうが、徹底的に一時創作にこだわっている。
俺は人と交流したりコミュニティに属すとしても、絶対に自分や自分に関連することが中心でないと気が済まない。

そのためにダイナマイトチャットや配信をやってきた。
だが、結局は自分の心の隙間を埋めるために理解者を探したり、賞賛してくれる人間を探している自分がみっともなくなったので、さっきも言ったように行き止まり状態だ。

たとえば、某語録などを使ってる連中のコミュニティ属している奴などが、そのコミュニティとまったく関係ない絵をpixivに投稿しても、コメント欄が某語録で埋め尽くされていて滑稽に思える。
一度コミュニティに属してしまうと、自分がそのコミュニティに飽きても、周りがしつこく定型文を使ってきたりして鬱陶しそう。

だからといって俺ほどコミュニティに属さないのも問題だとは思う。

近頃はコミュニティどころか、Twitterで相互フォローの人らのツイートを見ていてもが、えらそうなことをほざいて波風を立たせるようなツイートをしたり、くだらないネタをリツイートしてるのを見て気分が悪くなる。
なので、一度でも見かけたら即座にミュートしている。

なんにしても、SNSなんかで気分を害したくないのだ。

自己愛性人格障害

俺は今まで、高校を二回中退したときや、リアルの知り合いの輪から脱するときなど、人生の中でたびたび、
「ここは自分の居場所ではない」
と強く感じてきた。

これは自己愛性人格障害の特徴でもあるらしい。

最近の俺の、理解者や共感者になり得ない人間に対して
「役に立たない」
と吐き捨てる行動を見ても、もう完全に自己愛性人格障害以外の何者でもない気がしてきた。

今俺が属しているコミュニティと言えば、このブログくらいだ。

というかコメントもなにも来ないので、コミュニティというよりは居場所。
Youtubeやpixivなども、一方的に作品を公開するだけだけど一応は居場所。

とにかく人との交流があろうがなかろうが、作品を作って楽しんでいきたいのには変わりない。

2016年2月6日 自分を中心としたコミュニティとそこでのルール 人を救いたがる人間は劣等感が強い

https://onamomi22.com/wp-content/uploads/Community_1543183274-100x100.jpg
配信とキチガイ絵を始めてから5年半経つが、今までのことを振り返ると本当に人とモメすぎたと思う。

社会でうまくやっていけず、友達関係は破綻し、フラストレーションが溜まった俺はネットに逃げ込み、Twitterや配信を通して『自分を中心としたコミュニティ』を作ることのみに執心した。
結果、配信で知り合った人間に心理的に依存し、少しでも気に入らないと拒絶し、憎しみが生まれた。

去年の10月にはじめた釣りも、いろいろあって飽きて、最近また配信を始めた。

結局、俺のネットでの目的は『自分を中心としたコミュニティ』を作ることにある。

ネットの配信なら、俺を中心としたコミュニティを作りやすい。
話題もやることもすべてこちらで決められるし、それが人を楽しませられようがどうだろうが、気に入ってくれた人はコメントをしてくれる。

家から一歩も出なくていいし、金も気も使わない。

リアルで人と会うと何かと金を使い、とにかく気を使う。
以前にも、俺の自己愛性人格障害や回避性人格障害のことを書いたが、結局17歳から、自分を中心としたコミュニティの気持ちよさを知ってしまった俺は、もうリアルで、自分を中心としていないコミュニティに入って楽しむことはできない。

『向こうから関わってきても、絶対に拒絶したい人間』
という記事に書いた人間も、自分を中心としたコミュニティを作り馴れ合おうとしている人間の典型である。

その人は、pixivのアンケート機能を使い、独自の口調や、
『自分を中心としたコミュニティでしか通用しないような内輪ネタ的な言葉』
を、選択肢に加え、
『回答者はどれかをクリックするしかない』
ということを逆手に取り、さりげなく承認欲求を満たそうとしていた。

リアルに友達がおらず、ネットに逃げ込み、pixivのグループや、twitterの○○クラスタなど、『自分が中心ではないコミュニティ』に属し、『交流』しようとしても、わがままだったり、癖が強すぎたりしてでうまくいかずモメてしまう人間は、結局、自分を中心としたコミュニティを構築しだすことが多いと思う。

俺もそうだが、pixivのグループなどに入って交流したいと思ったことはない。
まずモメることが目に見えているし、やれ○○さんがマナーが悪いやらで常に揉めていてアホらしいとも思う。

自分を中心としたコミュニティのルール

最近やっと気づいたのは、自分を中心としたコミュニティを作るのはいいが、やりたい放題やっていいわけではなく、そのコミュニティにはそのコミュニティのルールがいるということ。
俺にはそれがなく、ひたすら配信に来た人に愚痴を聞かせ、依存していたので、いろんな人間とモメてしまった。

色々とあるが、基本的には依存心を持たないこと、人を定義しないことに尽きると思う。

たとえば今現在、自分とつるんでくれている相手に対して、
「ああいう人間になってほしくない」
というような欲求を持たないこと。

つまりその人が今後どう変わっていこうが、干渉しないし圧力をかけないということ。
たとえば俺はアルティーに対し、大学をサボり彼女もできないクズであると定義していたので、だんだんまともになっていく姿を見て強烈に嫉妬と憎悪を募らせてしまった。

特に10代の人は心変わりが早いので注意しなければならない。
数年前につるんでいたガイキチ君という人も、最初は配信に来るだけだったのが、Twitterを始めて人が変わってしまった。

自分と合わなくなってきたなと思ったらさりげなく縁が切れればいいだけで、それに対して嫉妬や憎悪を募らせると危ない内容になってしまう。
依存心から、相手を定義し、束縛するのは、自分の中心としたコミュニティだろうがなんだろうが、やってはいけないことだと気づいた。

基本的に、俺のような人生の落伍者の社会不適合者が作る、自分を中心としたコミュニティには、俺を見下したいがために集まる人というのが多い。

人が人を面白いと感じたりするのは、その対象が自分より下だという認識が大前提にあるらしい。

だから俺は常に見下されているとは思うが、それは受け入れなければならない。

だがそこで、下に見ているからと言って、俺を”救おうとする”奴だけは許すことはできない。

『人を救いたがる人間』は劣等感が強い

去年の10月に釣りを始めたことで、周りの人間の一部が
「アクティブになってきたじゃん、オープンじゃん、ひきこもってばっかじゃないんじゃん」
と、釣りを始めたという一部分だけを拡大視して俺に興味を持ち、さらに、
「もっと外で遊ぼうぜ」
などと言い出し、オープンなほうへ俺を導こうとしてきた。

結局そういう人間は、
「人を救ってやった」
という自己陶酔がしたいだけじゃないかと思う。

「俺が、ヒキコモリのこいつに外で遊ぶ楽しさや、リアルで人と交流する楽しさを教えてやった」
と。

心理学的には、人を救いたがる人間というのは、劣等感が強い人間らしい。
人を救ったという優越感がほしくてたまらないんだろう。

だから俺はそういう人間に大して、俺のためを思ってくれてるんだなとは思えない。

実績もないのに人を動かそうとする人間

まあそいつの劣等感がどうであれ、俺としてはそうやって、『実績もないのに人を動かそうとする人間』が嫌いで仕方がない。

前にも書いたが、変われ変われとしつこく言ってくるよりも、そいつ自身がアクティブでオープンで、外で遊ぶ楽しさがにじみ出てるなら、こちらはそれに憧れ、楽しそうだなと思い自然とそういう方向に向く。
つまり、人に憧れられもしない人間が人を動かそうとするなんて、傲慢にもほどがあるということである。

数年前に配信で知り合ってよく話していたものの、自己陶酔をしたいがために、俺に人生を説き始めたSolunarioなども、まさにそういう人種である。

釣りをはじめたことにより、周りのそういう人間が浮き彫りになり、俺はやっぱりインドアなんだなと、自分を再認識することができてよかった。
釣ってきた魚を家族があまり食べなかったり、寒かったりして、釣りへのモチベは下がってきてたが、まぁたまにでも気が向いたら行こうと思う。

話は変わるが、Twitterの設定をしていると、ブロックした人間の一覧がでてきたので見ていると、あまりにも人とモメすぎた自分が情けなくなってしまった。

相手にもブロックされてるならまだしも、こちらから一方的にブロックしているというのは、なにか負けた気になって悔しいので、実害がないと思える人間のブロックはすべて解除した。
いつまでもブロックしていると、相手をいつまでも許せない気もしてくる。

あまりこういった記事は書かないでおこうと思っていたが、長ったらしく書いてしまった。

前にも書いたが、俺はこうやって記事を書いたり絵を描いたりすることで考えをまとめられるし、検索などでやってきた、ほかに悩んでいる人間の参考になればいいかなと考えている。

相変わらずおなもみのほうの名義のTwitterでは一貫して、暴言などは吐いていない。
だが、今回のように何か出来事があれば、ブログや配信でのみ、吐き出してみてもいいかなと思っている。

2016年10月5日 自分の造語や内輪ネタが流行語やネットスラングと被っていると腹が立つ

俺は世の中が憎いので、世間で流行っている流行語や、ネットで流行っているスラング、某ホモビデオの語録などは使いたくもないし、そういうのを使って帰属意識を満たしている連中を見ていると気分が悪い。

それでも何かしら独自の言葉を使いたいし、帰属意識を満たしたいので、安確いじりなどの自分の造語や、アルティーなどの、自分を中心としたコミュニティ(自分の配信や、自分が主催しているスカイプのグルチャなど)だけで通用する単語や内輪ネタを使って、Twitterで呟いたりしてみている。

Twitterや配信で内輪ネタや独自の造語を使い始めて6年、新しい言葉を使い始めるととすぐにメモるようにしていたのだが、そのメモ見てみると、今までで600以上の内輪ネタや独自の造語を使ってきたようだ。
(物心がついたころから造語を作るくせがあったので、それも含めるともっと多いと思う。)

自分で思いついた言葉はもちろん、モメた奴が使っていた滑稽な言葉や、テレビやネットの動画で出てきた言葉の中から、印象的なものや、気に入ったものは自然と取り入れていた。
アルティー語録などは、これでもかというくらい真似してきた。

自分の気持ちに合致しており、なおかつその言葉がまだ流行していないなら、内輪ネタとして使ってもいいという自分の中の基準があった。

内輪ネタや独自の造語とネットスラングが被る

だが去年くらいから、俺が使っている内輪ネタや独自の造語が、調べてみると世間の流行語やネットのスラングと被っていた、ということが何回か起きた。

例えば、
「何で?上りがどんどん遅くなってる」
という言葉。

これはアルティーのツイートが元ネタで、納得いかないことや不思議なことが起こると、
「何で?」
より先の部分を改変してTwitterで呟いていた。

だが、この
「何で?」
の部分が某ホモビデオの語録で使われているものと被っていたことに気づいた。
(詳しくは書きたくもないが、「なんで?(殺意)」という今年(2016年)の4月くらいに出てきたらしい語録と被っていた。)

他にも、
「まずいですから!」
というアルティーが元ネタの内輪ネタも、某ホモビデオの語録に似たようなものがあるようだ。

内輪ネタや独自の造語を使う前に調べる必要が出てきた

こういうことが起こり始めたせいで、最近は内輪ネタさえも使えなくなってきた。

オリジナルだと思っていた使っていた言葉が、使いたくもない流行語やスラングと被っていて、傍から見たら俺は、流行語やスラングを使って、そのコミュニティに帰属しようとしている人間に見えてしまう。

こちらのほうが使うのが早かろうが、多く使われているほうが有名になるのは当たり前なので弁明のしようもない。

だから、内輪ネタや独自の造語をTwitterなどのオープンなコミュニティで使う前には、常に既存の流行語と被っていないか調べる必要があるということになる。
わざわざそんなことをするのもめんどくさいので、もう内輪ネタや独自の造語を使うのはやめようと思った。

既存の流行語やスラングも使えない、自分の言葉さえも使えない、となると、本当に普通の文章で気持ちを伝えるしかなくなってきた。

お笑い芸人のネタなどで、誰もが日常的に使うような言葉さえも流行語化され始めると、迂闊に使えなくなる言葉が増えて本当に腹が立つ。

どこに帰属するか

たかが言葉くらいで何をまじめに悩んでるんだと思われるかもしれないが、どこに帰属するかで悩んできた俺にとっては大きな問題だ。

前の記事にも書いたが、俺以外の人間が、そいつらしかわからない内輪ネタを使っている、というだけでも腹が立つ。

「こいつは、俺と同じく流行語やスラングを嫌い、内輪ネタや独自の造語を使うことで、自分を中心としたコミュニティに帰属しようとしているんだな」
というのがよくわかる。

自分自身がまさにそうで、そんな自分に後ろめたさを感じているだけに、有名な流行語やスラングを使う奴よりもさらに腹が立つ場合もある。
そういうのを見ても、内輪ネタや独自の造語をオープンな場所で使うのはやめようと思えてくる。

そんな感じで、前にも書いたように、Twitterで呟くことは本当に減った。
リアルの友達も少ないし、ネットでも自分を出せないとなると、はっきり言って楽しくない。

17歳~20歳のときのようにもっと呟きたいという気持ちはあるが、上記のようなこともあって、とても無理だ。

これからは、こうやってブログを書いたり、スカイプのグルチャをメインに交流するなどして、昔とは違う方法で楽しみを見つけていくしかないんだろう。

「あの頃みたいに……」
と、過去の焼き増しをしようとしても失敗しそうだし、むなしいだけじゃないかという気もする。

2017年6月2日 なんのコミュニティにも属していない

本当にバイト以外、何のコミュニティにも属していないことに気づいた。

この記事で言うコミュニティとは、チャットルームやサークルなど、目に見える人間の輪も含めますが、主には、アニメのファンなど、目に見えない大きな繋がりのことです。

2014の3月ごろに、スマホいじりまくりSNS使い捲くりのボケガキどもや、拘束時間に嫌気が差し、定時制高校を退学し、学校というコミュニティから抜けた。
その前にも、糞教師や糞生徒や学費に嫌気が差し、別の私立高校を退学しているので、高校は2回退学したことになる。

高認は持っているので、専門や大学に進学しようかなと、ここ数年考えていた。
だが、結局それも、企業へ就職し、企業というコミュニティに属すという目標に向かってやることなんだなと思うと、する必要はないと確信した。

高い学費を払わされたり、長い時間拘束されたりするだけで、根本的な価値は見出せない。

俺は、面接の時点で、嘘付き捲り迎合し捲くりの空間に耐えられず、大暴れしそうになる。
バイトでも、少しでも責任問題などが起こったり、劣等感を覚えたりすると、すぐに家に帰り、酒を飲んで寝たくなる。

それくらい社会的な場面というのが苦手なので、おそらく一生、就職というのは無理である。

というか、大学なり専門に進学しようと考えていた自分がアホに思えた。
自分がどういう人間か自分でもわかっていなかったというか。

そういうわけで、大学や専門など、また学校という大きなコミュニティに属すこともないだろう。

コミュニティやコンテンツや界隈に帰属したくない

俺は基本的にコミュニティやコンテンツに帰属したくないので、例えばアニメやゲームのことをツイートしないようにしている。
版権の絵を描くなんてもっての外だ。

何かアニメやゲームを好きになったとしても、そのアニメやゲームを好きな気持ちより、それを好きなオタクを嫌う気持ちが勝ってしまうので、そのアニメやゲームまで嫌いになる。

そういうこともあって絵ではオリキャラしか描かない。
だが、それはそれで萌系のオリキャラを描いているというコミュニティに帰属していると言えるので少しは居心地が悪い。
ふたなり好きというコミュニティにも帰属してしまっている。
版権じゃないだけましだが。

ドラクエ10には珍しく帰属してしまったわけだが、常に居心地の悪さを感じている。
自分の嫌いな人間が自分の帰属しているコミュニティやコンテンツに帰属していた時なんかは、本当にやめたくなる。

結局俺は嫌う気持ちを優先する傾向があり、ドラクエ10を好きな気持ちはその程度とも言える。

好きなバンドとかには帰属しても不快感はない。
ギタリストとか楽曲制作関連の人間は凄みがあって張り合い捲くってて疲れるので帰属したくない。

コミュニティと言葉

あるコミュニティに帰属しているかどうか判断するには、そのコミュニティでよく使われている定型文を使っているかどうかがわかりやすいと思う。

例えば最近の淫夢語録は、普通の人が日常的に使うような言葉まで追加されているようで、語録と似た言い回しを知らないうちに使ってしまう。
あのような絶対に帰属したくないコミュニティに帰属していると思われたら最悪なので、言葉選びに気を使わないといけなくなった。

それにしても、何のコミュニティにも属していないというのは気は楽なんだが、なにかむなしさがある。

しかし属してみたら属してみたで、くだらない気遣いや揉め事が尽きなくて、抜け出したくてたまらなくなる。
そしていざ抜け出してみると、つかの間の開放感はあるのだが、時間が経つと、結局今のような、気楽さとむなしさを感じる日々に戻る。

俺は結局、アルティーや安確いじりやその他の内輪ネタに帰属している時が一番安心できる。

とりあえず、20代は始まったばかりなので、実家に寄生しながらバイトをしつつ、やりたいことをやっていく。

コミュニティに属すのじゃなく、自分一人で何かに打ち込むことで、むなしさを消せたらと思います。

2018年10月24日 言葉が持つイメージが汚れてきた場合は別の言葉で言い換えたい

基本的に、言葉が持つイメージは時間とともにどんどん汚れていく。

目標達成法は、怪しい、逆効果のイメージ。
広告収入事業は、詐欺、金の亡者のイメージ。
ブロガーは、マルチ商法のイメージ。
発声訓練は、ミックスボイスのコツなどの近代的発声訓練の指導者のイメージ。

そういう界隈に帰属してると思われたくないので、安確いじりみたいに独自の言葉で言い換えたい。

俺はかなり前から、
「コミュニティや界隈に帰属してるかはどういう言葉を使ってるかによる」
「俺はどこにも帰属したくないから、アルティーや安確いじりなどの独自の造語や内輪ネタしか使わない」
と言ってきた。

横文字や固有名詞はほんとにすぐに汚れる。

広告収入事業なんて、個人が商品レビューブログでAmazonの商品紹介してるような健全なものから、Twitterとかに出てこない、やくざとつながってるような情報商材広告収入事業者まで全部含むから困る。

ブロガーは、ブログ好き
とか一般的な言葉に言い換えたい。

『絵師』という言葉も汚れている。
絵描きやお絵描き好きでいい。

だいたいのことは『○○好き』でいい。
『○○好き』が、横文字とかで言い表されたら嫌だ。

俺は『一次創作好き』だが、これがなにかポップな横文字で言い表されたら嫌だ。
ポップな横文字はすぐに汚される。

長年、
「界隈やコミュニティには属さない」
と言っていた俺だが、最近は主に発声訓練界隈には属していると思われてもおかしくない状況だ。

それもそろそろ、用語を使うことをやめるなどして、離れたい。

俺はどこまで行っても、『髭林おなもみ界隈』でありたいからだ。
かっこつけすぎた。

2018年7月30日 ハイコンテクストと内輪ネタ ローコンテクストと説得

どちらも説明が難しいんだが、以下のような感じ。

ハイコンテクストとはある文脈(コンテクスト)の枠組みが比較的広いこと。
あうんの呼吸が通用すること。察することのできること。

ハイコンテクストな分野への参入において「その文脈(コンテクスト)」や「必要不可欠な事前知識・経験」が欠如している場合、なにがなんだか分からなくなってしまう。
そのため、ある程度閉鎖的な文化や社会において起こりうるが、その文脈や定義を論じたり再定義する必要性が低いため、意思疎通が図りやすく、微差な情報で楽しむことができるというメリットもある。

例として「ー文化」や「ーな社会」と使われる。

いちいち全ての流れ、背景から説明する。

5Wと1Hが明確に示されている。
枠組みが狭め。

「ー文化」などと使われる。

簡単に言うと、ハイコンテクストは枠組みが広く、ローコンテクストは枠組みが狭い。
だがどちらが良いとかはなく、どちらにもメリットとデメリットがある。

枠組みは、広ければいいというものはないということ。

例えば、日本は島国なのでハイコンテクスト気味らしく、空気読め、察しろ、というような良くない(と俺は思う)文化がある。
かといってローコンテクストは説明があまりにも多すぎて、悪く言えば無粋というものだと思う。

根本は肥大化した自己愛

ここで俺の話になるのだが、まず結論から言うと俺は(みんなそうだが)ハイコンテクストとローコンテクストが混在している。

俺はアルティーやちほちゃんなどの内輪ネタが大好きだが、それはハイコンテクストだ。
内輪ネタというのはそもそも、そのネタを知っている人しか楽しめず、そのネタに関しての詳しい説明(ローコンテクスト的)は毎回しないので、ハイコンテクストだ。
外部の人間を置いてけぼりにするので、悪いハイコンテクスト(?)だと思う。

それに、内輪ネタというハイコンテクストは、枠組みが広いと言っても、包摂する概念が少なくてレベルが低い。

そして俺のローコンテクストな部分とは、やたらと説明気味な喋り方で、説得的というか、言葉を尽くすところ。
配信などで俺が必死で喋っているのをきいたことがある人はわかると思うが、とにかく誤解を産まないように言葉を尽くし、まさにローコン気味。

これはいいのかと言われれば一長一短で、自分の意見をとにかくわかってくれ、共感してくれ、理解してくれという嘆きのように見える。

問題は、俺はハイコンであれローコンであれ、ひどい自己愛の強さだということ。
内輪ネタというハイコンも結局自分を守るため、自分を誇示するためにあり、説得気味なローコン喋りも、自分をわかってほしいという誇示。

俺は話の通じない相手とはすぐにコミュニケーションを放棄したくなる。
絵葉書のような内輪ネタ、ハイコンの極みのようなものを晒して、理解者を探したりする。
あぶりだしたり、ふるいにかけたりするのは、自我の産物である支配欲によるものだ。

結局の所自己愛が強く固着しているのでハイコンローコン以前に問題なんである。

こうやって書いてみると、俺は自分のハイコンにもローコンにも問題意識がある。
正直、変えたいなと思うことはある。
でもどちらにも恩恵が多少あるのでやはり変えづらい。

まず両方を包摂する、強大すぎる自己愛をなんとかすべきだとは思うんだが。

2018年11月5日 どんな言葉(用語)を使うかによって帰属している界隈(コミュニティ)がわかり他人に自分を定義される

俺はこれまでの人生の中でとにかく、『コミュニティ(共同体)』というものに執着してきた。

何年も前から、
「他人のコミュニティに帰属したくない」
「他人のコミュニティで使われている言葉を使いたくない」
「自分を中心としたコミュニティを作って人を取り込みたい」
「自分の造語を使いたい」
などと考え、流行語や淫夢語録などは一切使わず、『安確いじり』や『アルティー』などのくだらない造語を作り、音楽をやるならオリジナル曲しか演らず、絵を描く時はオリキャラしか一切描かず、という風にスタイルを貫いてきた。

だが、2年前に某自己啓発と某発声訓練を知った時、そのスタイルがはじめて崩れた。
俺はその二つが深いところでつながったと感動を覚え、それらを実践している人たちとならうまくやれるだろうし、学びもあるはず、と考え、はじめてツイッタープロフィールにその二つの実践者であると示した。

その二つから学べたこと、得られたことはとてつもなく大きいが、結局の所、やっぱり俺はコミュニティに属すのには向いていないことがわかった。
特に、某自己啓発の長に関しては、某会社の事件への声明を見て本当に幻滅し憤慨した。

この記事では主に、コミュニティ(共同体)と、そこで使われている言葉(用語)に関して、思ったことを書きます。

コミュニティと言葉(用語)

人間と人間とのコミュニケーションの大半は『言葉(言語)』で行われる。
特にインターネットの時代においては、言葉でのコミュニケーション能力が本当に重要なものになってきたと感じる。

どういう言葉を使うかで、その人のことが大体わかってしまう。

今回特に言いたいのは、
『どういう言葉(用語)を使うかで、その人がどういったコミュニティ(共同体)に属しているかわかる』
ということ。

広い枠組みから言うと、日本語を喋っている人を見れば、日本というコミュニティに属していることがわかる。
その中で、関西弁を喋っている人を見れば、関西というコミュニティに属していることがわかる。

そこからさらに枠組みを狭め、例えば俺の大嫌いな、淫夢語録などを使っている人を見れば、淫夢界隈というコミュニティに属していることがわかる。

俺は、日本や関西という枠組みの広いコミュニティに属していると思われることには不快感は覚えない。
だが、枠組みの小さい、特定のコミュニティ(界隈と呼ばれるようなもの)に属していると思われると本当に不愉快になる。

「○○界隈の人ですか?」
とか言われると、そんな矮小なコミュニティで俺を定義するな、と思ってしまう。

某自己啓発界隈で使われる言葉(用語)の無駄さと気持ち悪さ

コミュニティが矮小であればあるほど、そのコミュニティで使われる言葉は特殊なものになってくる。
そういう意味で、某自己啓発界隈というのは、本当に特殊というか変というか、無駄な言葉ばかり使っている。

大勢の人が使う、一般的・普遍的な言葉で言い換えられる言葉さえ、わざわざ難解な言い回しにしたり『横文字』にしたりしている。

もう気持ち悪すぎて口にも出したくないし、検索にも乗りたくないのでぼかして言っていく。

例えば、『エ○○○○○』は、『自己肯定感』と言い換えられる。
『コ○○○○○○○○』は、『慣れ親しんだ居心地の良い空間』に言い換えられる。
『ホ○○○○○○』は、『恒常性維持機構』と言い換えれられる。
『ス○○○○』なんて、ただ『盲点』と言えばいいだけ。
『ゴ○○』も、『目標』と言えばいいだけ。

いくらでも一般的な言葉に言い換えられるのに、わざわざ独自の用語を使っている。
某自己啓発界隈には、この他にも山ほど独自の用語がある。
その殆どが横文字だ。

今まで俺はその目標達成法に心酔し、それらの横文字を嬉々として使っていた。
それらの横文字を使えば使うほど、自分はそのコミュニティに属していますと周りにアピールすることになる。

おそらく、その目標達成法の長である某氏は、それらもすべて計算ずくでやっている。

ちなみに『抽○○』という言葉だけは厄介だ。
俺はそれを『枠組み』という言葉で言い換えたが、そもそも『抽○○』という言葉自体が包摂する枠組みが広いので、どうしてもその言葉でしか表現できないことがあったりする。
その便利な言葉を作ったのが奇しくも某氏なので、本当にタチが悪い。

自分を中心としたコミュニティ

一般的な言葉を、独自の造語に言い換えていく人間は、『自分を中心としたコミュニティ』を作ろうとしている。
そして人を『支配』しようとしている。

枠組みの広さは違うが、結局の所俺が『安確いじり』や『アルティー』という言葉を作って『自分を中心としたコミュニティ』を作って人を支配しようとしていたのと構造や心理は全く同じだ。

気持ち悪くて仕方がない。

その目標達成法界隈の、認定指導者と呼ばれる連中も、それらの言葉を使いまくっているが、果たしてこの『コミュニティと言葉』の関係性についてわかってやっているのだろうか。
それらの言葉を使えば使うほど、某自己啓発界隈の長の『自分を中心としたコミュニティ』に支配されていくことを自覚してやっているんだろうか。

長いものに巻かれたい人たちだと思うので、たぶんわかっていないのが多数なはず。

本当に有意義な言葉は、造語や独自の言葉で言い換えることを必要としない

俺は某自己啓発界隈と一切の関係を絶ちたいので、ここ二日間かけて、このブログ内の某自己啓発界隈特有の用語を、一般的な言葉に言い換えて一括置換した。

その作業の中で気づいたのは、
『本当に有意義な言葉は、造語や独自の言葉で言い換えることを必要としない』
ということ。

少なくともわかったのは、某自己啓発界隈で使われている用語のすべては、一般的な言葉で言い換えられる程度のものだということ。

だが、冒頭に書いた、某発声訓練の言葉の中には、どうしても一般的な言葉で言い換えられないものがあった。
それが、『アンザッツ』。

『アンザッツ』はどうやっても日本語に置き換えられず、一つ一つのナンバリングが各外喉頭筋群と内喉頭筋群の発動の組み合わせを示しているので、毎回それらを列挙したら長過ぎる。
(3bに関しては、音色としての3bと、機能としての3bがありややこしいので、前者を『中声』、後者を『自在性』と言い換えた。)

どうやっても一般的な言葉に言い換えられない言葉こそ、横文字であることに本当に意味があるというか、専門用語として、一般的な言葉との差別化をすることに意味があると感じた。

某自己啓発界隈の用語なんか、ただひたすら『自分を中心とした共同体』を作るためにひねり出しただけの『内輪ネタ』である。

体癖について

体癖関連は別にいいと思えるのは、用語が日本語ベースであることと、創始者が死んでるからだろうか。

某自己啓発と某発声訓練は、『総本山』みたいなところがあって、誰かが用語を使えばそこの宣伝になってしまう、というマーケティング的構造がむかつく。

体癖関連も、野口整体協会というのがあるけど、某自己啓発や某発声訓練と違ってネット上ではほとんど共同体として機能してないように見える。
それに、日本語だからか普遍的な概念に感じるので俺の中で今のところ嫌悪感がない。

どんな言葉を使うかをよく考えるべき

今回の件で、今まで俺がバカみたいに
「ゴ○○!エ○○○○○!ア○○○○○○○!」
とかの用語を連呼してたのが本当に恥ずかしくなった。

「私は某自己啓発界隈の長の信者です!」
と宣言してるのと同じことだ。

日本には『言霊』という概念があるが、俺が今回言いたいのはそれ以前の問題。
どんな言葉を使うか、ということだけで、誰を崇拝しているか、従属しているか、周りに一目瞭然だ。

支配している側(人々を従属させている側)からすると、人々が自分の作った言葉を使いまくっている姿はさぞ気分が良いと思う。
俺も『自分を中心としたコミュニティ』を作り、そのコミュニティ独自の言葉を、コミュニティ参加者に使わせ、支配欲を満たしたいという欲望がある人間だけに、某氏が気持ち悪くて仕方がない。

自分がどういったコミュニティに属しているかをちゃんと考え、そのコミュニティの用語の意味を、一般的な言葉と照らし合わせて、よく考える必要がある。

言葉が持つ意味や含蓄は刻一刻と変わっていく

発声訓練の歴史では特に、用語の錯綜や混乱が起こっていたと俺は思う。
発声訓練は声を扱い、目標達成法は精神を扱うが、どちらも目に見えない漠然としたものだからこそ、用語が持つ含蓄、用語が指す意味が人によって異なってきて、錯綜や混乱が起こる。

それらに限らず、言葉が持つ意味や含蓄は時代の流れとともに刻一刻と変わる。

どうすれば相手に自分の言葉がちゃんと伝わるかを常に考え、変わり続ける言葉の意味や含蓄を、常に掌握していかなければいけないと強く思った。

そう考えると、バカの一つ覚えみたいに、某自己啓発界隈の用語を連呼している人間は完全に思考停止しているということがよくわかる。

まとめ

俺は某自己啓発界隈だけでなく、某発声訓練界隈にも嫌気が差しているので、その界隈の人だと思われたくない。
だから発声訓練の用語も、一般的な言葉に言い換えた。
(『アンザッツ』という言葉を使う以上、某発声訓練界隈に帰属せざるを得ないが、こればっかりは仕方ない。)

ただ、ある言葉を、似た意味を持つ別の言葉に言い換えても厳密にはイコールではないし、言葉が持つ意味や含蓄はどうしても違ってくる。

それでも俺は、特定の界隈に属していると思われるのが絶対に嫌だから、なんとかして一般的な言葉に言い換える。
それによって『一般』『大衆』というコミュニティには属することになるが、枠組みが広いから個人的には納得している。

枠組みが狭く、自浄作用が働きづらい『小さなコミュニティ』というのは本当に不健康で、カルト的とも言えると思う。
だから俺はもう『自分を中心としたコミュニティ』も造語も作らず、内輪ネタも封印していきたい。

関連記事

筆者である髭林おなもみや、記事内容について気になることがあったらお気軽にご連絡ください。
髭林おなもみのプロフィールと活動一覧 職業や経歴など
髭林おなもみへのお問い合わせ

彼女募集中!
髭林おなもみは現在彼女募集中です。

俺のプロフィールは、
『髭林おなもみのプロフィールと活動一覧 職業や経歴など』
を参照してくだ…

シェアする

error: