どんな言葉(用語)を使うかによって所属している界隈(コミュニティ)がわかり他人に自分を定義される

俺はこれまでの人生の中でとにかく、『コミュニティ(共同体)』というものに執着してきた。

何年も前から、
「他人のコミュニティに帰属したくない」
「他人のコミュニティで使われている言葉を使いたくない」
「自分を中心としたコミュニティを作って人を取り込みたい」
「自分の造語を使いたい」
などと考え、流行語や淫夢語録などは一切使わず、『安確いじり』や『アルティー』などのくだらない造語を作り、音楽をやるならオリジナル曲しか演らず、絵を描く時はオリキャラしか一切描かず、という風にスタイルを貫いてきた。

だが、2年前に某自己啓発と某宗教的発声訓練を知った時、そのスタイルがはじめて崩れた。
俺はその二つが深いところでつながったと感動を覚え、それらを実践している人たちとならうまくやれるだろうし、学びもあるはず、と考え、はじめてツイッタープロフィールにその二つの実践者であると示した。

その二つから学べたこと、得られたことはとてつもなく大きいが、結局の所、やっぱり俺はコミュニティに属すのには向いていないことがわかった。
特に、某自己啓発の長に関しては、某会社の事件への声明を見て本当に幻滅し憤慨した。

この記事では主に、コミュニティ(共同体)と、そこで使われている言葉(用語)に関して、思ったことを書きます。

コミュニティと言葉(用語)

人間と人間とのコミュニケーションの大半は『言葉(言語)』で行われる。
特にインターネットの時代においては、言葉でのコミュニケーション能力が本当に重要なものになってきたと感じる。

どういう言葉を使うかで、その人のことが大体わかってしまう。

今回特に言いたいのは、
『どういう言葉(用語)を使うかで、その人がどういったコミュニティ(共同体)に属しているかわかる』
ということ。

広い枠組みから言うと、日本語を喋っている人を見れば、日本というコミュニティに属していることがわかる。
その中で、関西弁を喋っている人を見れば、関西というコミュニティに属していることがわかる。

そこからさらに枠組みを狭め、例えば俺の大嫌いな、淫夢語録などを使っている人を見れば、淫夢界隈というコミュニティに属していることがわかる。

俺は、日本や関西という枠組みの広いコミュニティに属していると思われることには不快感は覚えない。
だが、枠組みの小さい、特定のコミュニティ(界隈と呼ばれるようなもの)に属していると思われると本当に不愉快になる。

「○○界隈の人ですか?」
とか言われると、そんな矮小なコミュニティで俺を定義するな、と思ってしまう。

某自己啓発界隈で使われる言葉(用語)の無駄さと気持ち悪さ

コミュニティが矮小であればあるほど、そのコミュニティで使われる言葉は特殊なものになってくる。
そういう意味で、某自己啓発界隈というのは、本当に特殊というか変というか、無駄な言葉ばかり使っている。

大勢の人が使う、一般的・普遍的な言葉で言い換えられる言葉さえ、わざわざ難解な言い回しにしたり『横文字』にしたりしている。

もう気持ち悪すぎて口にも出したくないし、検索にも乗りたくないのでぼかして言っていく。

例えば、『エ○○○○○』は、『自己評価』と言い換えられる。
『コ○○○○○○○○』は、『慣れ親しんだ居心地の良い空間』に言い換えられる。
『ホ○○○○○○』は、『恒常性維持機構』と言い換えれられる。
『ス○○○○』なんて、ただ『盲点』と言えばいいだけ。
『ゴ○○』も、『目標』と言えばいいだけ。

いくらでも一般的な言葉に言い換えられるのに、わざわざ独自の用語を使っている。
某自己啓発界隈には、この他にも山ほど独自の用語がある。
その殆どが横文字だ。

今まで俺はその自己啓発に心酔し、それらの横文字を嬉々として使っていた。
それらの横文字を使えば使うほど、自分はそのコミュニティに属していますと周りにアピールすることになる。

おそらく、その自己啓発の長である某氏は、それらもすべて計算ずくでやっている。

ちなみに『抽○○』という言葉だけは厄介だ。
俺はそれを『枠組み』という言葉で言い換えたが、そもそも『抽○○』という言葉自体が包摂する枠組みが広いので、どうしてもその言葉でしか表現できないことがあったりする。
その便利な言葉を作ったのが奇しくも某氏なので、本当にタチが悪い。

自分を中心としたコミュニティ

一般的な言葉を、独自の造語に言い換えていく人間は、『自分を中心としたコミュニティ』を作ろうとしている。
そして人を『支配』しようとしている。

枠組みの広さは違うが、結局の所俺が『安確いじり』や『アルティー』という言葉を作って『自分を中心としたコミュニティ』を作って人を支配しようとしていたのと構造や心理は全く同じだ。

気持ち悪くて仕方がない。

その自己啓発界隈の、認定指導者と呼ばれる連中も、それらの言葉を使いまくっているが、果たしてこの『コミュニティと言葉』の関係性についてわかってやっているのだろうか。
それらの言葉を使えば使うほど、某自己啓発界隈の長の『自分を中心としたコミュニティ』に支配されていくことを自覚してやっているんだろうか。

長いものに巻かれたい人たちだと思うので、たぶんわかっていないのが多数なはず。

本当に有意義な言葉は、造語や独自の言葉で言い換えることを必要としない

俺は某自己啓発界隈と一切の関係を絶ちたいので、ここ二日間かけて、このブログ内の某自己啓発界隈特有の用語を、一般的な言葉に言い換えて一括置換した。

その作業の中で気づいたのは、
『本当に有意義な言葉は、造語や独自の言葉で言い換えることを必要としない』
ということ。

少なくともわかったのは、某自己啓発界隈で使われている用語のすべては、一般的な言葉で言い換えられる程度のものだということ。

だが、冒頭に書いた、某宗教的発声訓練の言葉の中には、どうしても一般的な言葉で言い換えられないものがあった。
それが、『アンザッツ』と『シュナル』と『フラジオレット』の3つ。

『アンザッツ』はどうやっても日本語に置き換えられず、一つ一つのナンバリングが各外喉頭筋群と内喉頭筋群の発動の組み合わせを示しているので、毎回それらを列挙したら長過ぎる。
5ガム、などと言ってしまった方が楽で便利だ。
(3bに関しては、音色としての3bと、機能としての3bがありややこしいので、前者を『中間の声』、後者を『自在性』と言い換えた。)

『シュナル』は、『エッジボイス』とも言い換えられるが、なんとなく言葉が持つ含蓄が嫌なので避けた。
『極低声』とも言い換えられるが、音色がイメージしづらい。

『フラジオレット』は笛声と言い換えられるが、なんとなくいやだった。

それらのように、どうやっても一般的な言葉に言い換えられない言葉こそ、横文字であることに本当に意味があるというか、専門用語として、一般的な言葉との差別化をすることに意味があると感じた。

某自己啓発界隈の用語なんか、ただひたすら『自分を中心としたコミュニティ』を作るためにひねり出しただけの『バズワード』である。
(バズワードとは、意味がありそうでないような中身スカスカの言葉のこと。
俺は『内輪ネタ』的な意味でも使っている。)

どんな言葉を使うかをよく考えるべき

今回の件で、今まで俺がバカみたいに
「ゴ○○!エ○○○○○!ア○○○○○○○!」
とかの用語を連呼してたのが本当に恥ずかしくなった。

「私は某自己啓発界隈の長の信者です!」
と宣言してるのと同じことだ。

日本には『言霊』という概念があるが、俺が今回言いたいのはそれ以前の問題。
どんな言葉を使うか、ということだけで、誰を崇拝しているか、従属しているか、周りに一目瞭然だ。

支配している側(人々を従属させている側)からすると、人々が自分の作った言葉を使いまくっている姿はさぞ気分が良いと思う。
俺も『自分を中心としたコミュニティ』を作り、そのコミュニティ独自の言葉を、コミュニティ参加者に使わせ、支配欲を満たしたいという欲望がある人間だけに、某氏が気持ち悪くて仕方がない。

自分がどういったコミュニティに属しているかをちゃんと考え、そのコミュニティの用語の意味を、一般的な言葉と照らし合わせて、よく考える必要がある。

言葉が持つ意味や含蓄は刻一刻と変わっていく

発声訓練の歴史では特に、用語の錯綜や混乱が起こっていたと俺は思う。
発声訓練は声を扱い、自己啓発は精神を扱うが、どちらも目に見えない漠然としたものだからこそ、用語が持つ含蓄、用語が指す意味が人によって異なってきて、錯綜や混乱が起こる。

それらに限らず、言葉が持つ意味や含蓄は時代の流れとともに刻一刻と変わる。

どうすれば相手に自分の言葉がちゃんと伝わるかを常に考え、変わり続ける言葉の意味や含蓄を、常に掌握していかなければいけないと強く思った。

そう考えると、バカの一つ覚えみたいに、某自己啓発界隈の用語を連呼している人間は完全に思考停止しているということがよくわかる。

まとめ

俺は某自己啓発界隈だけでなく、某宗教的発声訓練界隈にも嫌気が差しているので、その界隈の人だと思われたくない。
だから上記の3つの発声用語以外はすべて、一般的な言葉に言い換えた。
(『アンザッツ』という言葉を使う以上、某宗教的発声訓練界隈に帰属せざるを得ないが、こればっかりは仕方ない。)

ただ、ある言葉を、似た意味を持つ別の言葉に言い換えても厳密にはイコールではないし、言葉が持つ意味や含蓄はどうしても違ってくる。

それでも俺は、特定の界隈に属していると思われるのが絶対に嫌だから、なんとかして一般的な言葉に言い換える。
それによって『一般』『大衆』というコミュニティには属することになるが、枠組みが広いから個人的には納得している。

枠組みが狭く、自浄作用が働きづらい『小さなコミュニティ』というのは本当に不健康で、カルト的とも言えると思う。
だから俺はもう『自分を中心としたコミュニティ』も造語も作らず、内輪ネタも封印していきたい。

関連記事
某会社の事件に対して某氏が出した声明を読んで思ったことと俺の今後の活動について

筆者である髭林おなもみや、記事内容について気になることがあったらお気軽にご連絡ください。
髭林おなもみへのお問い合わせ
髭林おなもみのプロフィールと活動一覧 職業、経歴、趣味など
髭林おなもみのTwitter

彼女募集中!
髭林おなもみは現在彼女募集中です。

俺のプロフィールは、
『髭林おなもみのプロフィールと活動一覧 職業、経歴、趣味など』
を参照し…

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加