外出して街を見渡すと寂しくて虚しくて疲弊するのでインドア(引きこもり)を極める

一つ前の記事に書いたように、この2ヶ月間は家に引きこもってブログ作業をしていた。
別にブログ作業をしてなくてもひきこもってるんだが、彼女と別れたことでさらに外出の理由がなくなり、3日に1回の買い出し以外ほとんど外に出ない生活だった。

さすがにやばいかなと思って先週の土曜日、1日乗車券を使った名古屋徘徊を行った。
昨年10月1日に神戸から名古屋に引っ越したが、ちゃんと見れてない場所が多かったので、それらを見たかったというのもある。

その日は色々あったが、結局思ったのは、
「外に出ると寂しい、虚しい、ろくなことがないので、今まで以上に家に引きこもってインドアを極めたい」
ということ。

外に出ると孤独を痛感し疲弊し切る

この事に関しては今に始まったことじゃないし、2014年にこのブログを始めてから何度も言ってきたことだ。

とにかく、外に出るとあまりにも虚しくて寂しくて、独我論的な念慮が出る。

歩道を歩きながらマンションを見れば、
「この一部屋一部屋に人が住んでいて、家族があって、それぞれに人間関係があって……」
とか途方も無いことを考え疲弊する。

車の流れを見ると、
「この車に乗っている一人ひとりに仕事や暮らしがあって……」
「でも100年後は誰も生きてなくて忘れ去られてて……」
とか、中二病としか言いようがない独我論やら虚無主義が出てくる。

そんな事を考えていると次第に気が遠くなってくるので、最後は結局、
「それらもすべては俺の目に写っているだけの世界であり、すべて俺が作り出したもので、俺がそれらを見ていない間はそれらは存在していない」
などと独我論丸出しの結論で自分を慰める。

書いてて恥ずかしくなってきたが、現場にいる時なんかはもっと切実に、そう思っている。

哲学者ぶって、気取ってるとかではなく、どうしてもそういうことしか頭に浮かばない。
というより、自分を守るためには、そういう考えしかすがるものがなく、他に方法がないのである。

人混みの恐ろしさ

これは誰でもそうだと思うが、都会の人混みなんかに行くと、まぁ当然めちゃくちゃに疲れる。

楽しそうに人混みを歩いている人や、名駅などの超繁華街に定住しているであろう人を見ると、
「この人らはなんでこんなに元気なんだろう」
と思ってさらに疲れが増大した。

栄の駅では、性欲が人の皮をかぶったような、巨体の変質者が、かわいい女子高生に話しかけているのを見てしまった。
幸い襲われたりはしてなかったようだが、女子高生は見るからに怖がっていた。

度胸もなく喧嘩も弱い俺は何もしてやれなかったし、ひたすら、
「女に生まれただけで人生ハードモードだ、本当に災難だ……」
や、
「男の性欲が恐ろしくて仕方がない」
などの、ろくでもない念慮に苦しんだだけ。

名駅ビックカメラの地下一階のゲーセンに行ったら、もやしのようなオタクが、たぬき顔のかわいい彼女と一緒に太鼓の達人をやっていて、嫉妬で疲弊した。

4Fらへんのソフマップのエロゲコーナーに入ったら、障害者一歩手前みたいなオタクだらけで、pixivで俺の絵を見ている人らにもこういう人が結構いるのかなとか思って疲弊した。

この他にも書ききれないほど、街には『俺を疲弊させる出来事』が溢れている。

外は俺に何も与えてくれない

それらの念慮や疲弊に苦しんでいたのはもう何年も前からだが、今回の一日名古屋徘徊でとても大きな気づきがあった。

それは『外(街など)は、俺に何も与えてくれない』ということである。

これは村上龍氏のエッセイ『すべての男は消耗品である。』のどこかに出てきた、
『歌舞伎も能も狂言も雅楽も、オレに何も与えていない。
元気づけたりしてくれなかった。
(だから、それら伝統文化に価値を感じない、と続く)』
を読んでから浮かんできた。

結局、都会や繁華街や、そこにいる人たちや、建物や、風景は、俺に何も与えてくれていない。
俺を癒そうともしてくれないし、それどころか、上述のように俺をどこまでも疲れさせてくるだけだ。

「独我論を信じてるなら、お前の言う外での苦しみすら自分が作ったものだろ?」
という反論が飛び出してくるが、そんなことは知らん。

とにかく外が俺を疲弊させていると感じるんだからどうしようもない。

『外が憎い』
とすら思える。

もう外に出る必要はない

それでも俺が今まで外出をしていたのは、
「少しは外に出ないと、本当に腐ってしまう」
と思っていたからだ。

でもそれは間違いだった。
外に出たら、余計腐る。
上に散々書いたように、疲弊し切る。

今まで俺は、外出することに僅かな希望を感じていた。
外の空気を浴びて、太陽を浴びて、外の人と接すれば、癒やしがあると思っていた。

実際は、癒やし以上に、俺を疲れさせるものがあまりにも多すぎる。
まぁ空気や太陽くらいは確かに俺を癒やしてくれるが、明らかに、デメリットがメリットを上回ってしまっている。

今回わかったのは、もう外に出る必要はないということ。
もちろん買い出しや区役所など、必要不可欠な外出や、たま~に近くを散歩したりするくらいならいい。
無理して電車に乗って街を見て回ったり、遠くへ行ったりする必要はないこと。

国内海外問わず、色々旅行に行ってみたいとも思っていたが、それも幻想だった。
そもそも旅行に行ったところで、この世のすべてを見れるわけではない。
重い荷物を持って疲れ、お絵かきやブログ執筆なども、作業環境が変わってはかどらず、落ち着かない。

どこにも住んでも同じ

そういったところから、『どこに住んでも同じ』なのではないかと思い始めた。
どうせほとんどの時間を家に引きこもるなら、住む街なんかどこでもいいのである。

コンビニやスーパーやカラオケが近くにありさえすれば、後は部屋の中でブログ作業やお絵描きや音楽をやって過ごせばいい。
田舎に住もうが都市に住もうが関係がない。

だが上述の、人混みの疲れから、どちらかというと田舎に住みたくなってきた。
村八分とかがあるようなど田舎じゃなく、ワンルームマンションがない程度の田舎。
そういうところでまったり暮らしたい。
(今住んでるところも、名古屋ではあるもののベッドルーム的な場所で落ちついているので好きだが。)

そういえば神戸に住んでいる時は、
「生まれ育った、見慣れた街のあちこちに、リアルの知り合いとのゴミみたいな思い出が張り付いているから、早くこの街を出たい」
と嘆いていた。

まぁそれは事実なので、やはり神戸には二度と住みたくない。
思い出が張り付いているどころから、現在進行系で、友達自慢野郎のようなゴミが、地元の居酒屋などを牛耳っているんだろうし吐き気がする。

超インドア派な彼女が欲しい

結論としては、俺は今後の人生でインドアを極める。
もともと極まっているように見えるかもしれないが、それどころではない。

可能な限り家に引きこもって、ブログやお絵描きやピアノや映画や音楽や読書を楽しみまくる。

今、かなり彼女がほしいと思っているが、次の彼女は俺と同じくらい徹底的にひきこもれる超インドア派が良い。
外に出たってろくなことはない、という価値観が合致しているなら、他にも色々合致する価値観があるはず。

そういえば、セックスとかエロいことも、青姦好きとかでないかぎりインドアだ。
エロいことが好きすぎるのも含めて、俺は超絶インドア派なので、今後の人生でも、アウトドアは一切やらずインドアを極め抜く。

キャンプやBBQやダイビングなどの、アウトドア趣味なんて、今までの人生でやりたいと思ったことすらない。
虫も苦手だし色々危険だ。
結局のところ、安確なんである。

まとめ

ここまで書いたのを見返すと、まるで隠居しようとしている老人だ。
なんというか俺は、物理的にも精神的にも外部との接触を絶ちたい、『真の引きこもり』なんだろうなと思う。

部屋から一歩も出れないような引きこもりよりはマシに見えるが、この、
『自分の世界(価値観なども含む)を守り抜くことへの執着心』

『自分の領域を侵されることへの恐怖心』
は、病的だ。

最近は野菜やタマゴなどの生鮮まで宅急便で届けてくれるサービスがあるらしいが、上述のように家から一歩も出られないというわけではないので、さすがにそこまでは必要ない。
3日に1回くらいは買い出しに行って、太陽の光を浴びて、外の空気を吸ってもいい。

まぁそんな感じで、とりあえず次の彼女は徹底したインドア派の人がいい。
いや、たま~になら外でのデートもいいが、人混みだけは頑なに行きたくないので、その点で合致する人を探す。

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