ママ(母性が強い女性)が恋しい 真のマザコン男にとって恋愛は休息 子供に妻を取られる気がするので子供が欲しくない

最近年下の女性の恋愛相談をきいていて、またショックというか、精神的ダメージを負ってしまった。
本人は無自覚だが彼氏に依存していて、その隠れオラオラ系(?)で、アブノーマルなセックスを強要してくるとかどうとか。
で、たぶんそのアブノーマルなセックスも受け入れてしまうんだろう。

その事で、処女卒業報告のときほどではないものの、つらくなってしまい、またカップ焼酎をイッキしてぶっ潰れていた。
ぶっ潰れていた時に、何かが弾けた。

結局、俺が求める理想の恋愛とは『休息』であり、ただただ、母性溢れる女性に癒されたいということ……。

子宮と安息

他の記事にも何度も書いているが、俺は彼女に、
「ママー」
と言って甘えたい。

正直言って俺は慢性的に人生に疲れている。
小5から独我論と虚無感に苛まれている。

早く安住したい、安息したいという欲求が常にある。
何も気にせずに永久に、癒やしと安らぎに包まれていたい。

オタクが、年齢の低いアニメキャラに『バブみ』を感じて、ママと呼んだりするのが流行ったが、ああいうのを見ていても、現代人は疲れていて、安息を求めているんだなと思う。

俺は究極の安息の場所とは女性の『子宮』だと思っている。
自分が元いた場所だし、たぶん最後はまたそこに帰るんだろう。

子供は、母親のお腹(子宮)から出てくる時、母親との融合(一体化)が解除されることにとてつもない苦痛を味わうらしい。
子宮という安住の場所から追い出される苦痛でもあると思う。

そのことを最近いつも考えていて、女性を見るたびに、
「子宮を所持してるんだなあ」
と思ってしまって自分がキモすぎる。

まぁ彼女が出来ても、その子宮は俺が入る場所ではなく、赤ちゃんが入る場所なのだが……。
(その事については関連記事の、子供に妻を取られるという記事参照。)

結局、現世では子宮のような安息の場所は無いという絶望感が常につきまとうんだろう。

楽しく生きている人はきっとそんなことは気にしない。
だが、俺のように過去ばかり思い出す感傷的な人間は、気にせずにはいられない。

最近も、寒くなってきて、外にいると寂しくて仕方がない。
人肌恋しい。

そんな時に、また過去(主に10代の頃)が思い出されたりして、感傷に陥る。
それは辛いのだが、同時に気持ちよくもあるから、なかなかやめられない。

そんで部屋に帰ってカップ焼酎をイッキして母性溢れる女性に抱きしめられている妄想にふけって、潰れて、朝が来る。

ここ数年も外に出ては感傷、酒を飲んでは感傷、という感じで、自分が気持ち悪くなってきたし、進歩もないので、とりあえず感傷はやめる。
酒は飲んでもいいが、飲みながら、未来のことを考える。

セックスするより抱きついて寝たい

昨日、俺が求める恋愛はただ『休息』でいいと気づいてから、セックスやエロいことをあまりしたいと思わなくなった。
キスもしなくていいかもしれない。

ただ、抱きしめあって寝たい。

人に言ったら、
「それ恋愛じゃないじゃん」
ということも言われた。

でも俺にとっては恋愛だ。

前に、自分が本当にやりたいこと(=仕事)をやり通すのは、どうしても疲れると書いた。
それは、それがなくなったら生きていけなくなるようなことであり、だからときには自分を本気で追い込む必要もある。

それをやって疲れ果てた自分を癒やす、休息として、恋愛があるというのが、俺には理想だ。

どうしても恋愛は最優先にはできない。
恋愛は仕事ではない。
何度も言うが恋愛は、仕事での疲れを癒やす休息であってほしい。

そう考えると、セックスは疲れそうだ。
『休息』からは程遠く感じる。

自分に自信がない俺は、セックス中でさえも、あとになって、うまかったとか下手だったとか、他の男と比べてしまう。
相手が比べなくても、自分が勝手に、知り合いの男を想像して比べてしまう。
処女厨時代は、処女なら俺のセックスを他の男と比べられないから安心と思っていたが、別れたら、未来の男と比べられるから同じである。

セックスもキスも二人の世界なのに、終わった後に、第三者を持ち出して比較しだすんだと思うと、『休息』や『癒やし』からは程遠い。
セックスで主に色々しないといけないのは男なので、その点つらいと思う。

それにセックスは、男が女を犯すという暴力的行為だと前から思っている。
セックスをする以上どうしても、母性や子宮を攻撃し、屈服させるという構図からは逃れられない。
男である以上俺もそういった欲求はあるが、最近それが後ろめたい。

俺はただ、母性溢れる女性に抱きしめられて眠っていたい。
酒が入ってればなおいい。
酒が入っていればチンコも勃ちにくいし、不純な気持ちにもなりづらい。
俺の場合、緊張も解けやすい。

彼女と宅飲みして、お互い酔っ払って、抱きしめ合って寝る、それだけでいい……。
最近そんな妄想ばかりしている。
きもすぎる。

俺はプラトニックにはなれないが、とにかく最近はハグのほうがしたいと思えてきた。
ハグならうまいも下手を比べられることもないだろうし。

比べてしまってつらいなら、セックスはしないほうがましだ。
まぁ、比べられても気にしないほどうまくなろうという気持ちもあるんだが。

子供に妻を取られる気がするので子供が欲しくない 父親と息子は争うという固定観念

子供が欲しくない理由は他にも色々あるが、ここ最近特にタイトルのようなことを思った。

特に、男の子が出来た場合、絶対に妻(母親)の取り合いになる気がする。
女の子だった場合は、俺も多分その子を愛せると思うので、妻(母親)の取り合いになるという心配はあまりなさそうだ。

自分、子供、母親(妻)の3人で愛し合わないといけないのに、俺の場合、男の子が出来た場合はそれができないと思う。
そうなると俺は毒親になり、その犠牲者は必ず子供になるので、絶対に避けなければならない。

男の子を愛せないのは、自分の子供にさえも『男嫌い』を発揮しているからかもしれない。
最低すぎる。

でもフロイトかなんかの心理学でも、父親と息子は争うものだというのがあった気がする。

フロイトの話も本当かもしれないが、俺の場合は実際に実の父親と、母親を取り合った経験がある。
というか、それが俺の人生を狂わせた大きな理由の一つだ。

他の記事にも書いたように俺の親父は躁うつ病で、サイクルが来て躁転すると三日三晩寝ず、外で暴れたりするので、母親がかかりっきりだった。
一番辛かった中学の不登校時代も、母親が俺よりも父親を優先しているような気がして、心が満たされなかった。
その感覚は18歳くらいになるまで続いた気がする。

家族3人で過ごしていても、どこか俺と父親が、母親を取り合っていがみ合っている雰囲気が漂っているのである。

今思えばそれは、2年前から俺がよく言っている
『ひょっとこ=仲睦まじい男女の間に挟み込まれた、誰にも愛されない情けない男』
の構図だったように思う。

実際は両親は仲睦まじくはなく、母親はいつも父親から解放されることを願っていたのだが。

でも、金には不自由しなかったので、母親は専業主婦で、一番母親を求める小さい頃にはいっぱい触れ合えた。
鍵っ子でもなく、学校から帰ると必ず母親がいた。

不思議なのは、一番母親が愛情な必要な時期に母親と触れ合えたのに、愛情飢餓の記憶があること。
多分母親は、俺とふれあいながらも、父親のことで心ここにあらずだったんじゃないだろうか。

そういった親の無意識は、表面上優しく子供に接していても、子供の無意識には深く刻み込まれるもんだ。

今でこそ俺は両親と仲良くなっているが、過去の体験は消えないから酷だ。

母性(ママ)への異常執着

ただ、俺が生まれつき母性というものに異常に執着している可能性もある。
どれだけ母親(または女性全般)の愛情を受けても、満たされることを知らないマザコン。

母性とは安らぎ・休息の象徴。
俺はとにかく安らぎを求めている。

子宮の中で永久に漂っていたいとずっと思っている。
(子宮という器官が本当に重要で、俺は性嗜好的にも子宮にかなり執着している。)

最近読んだエッセイに、子供は最初、母親の子宮の中で母親と一体化しており、地上に生まれでたときに一体化が解除されて、たまらない苦痛を覚えると書いてあった。
その苦痛というのは想像を絶するものらしいが、普通の人はみんな忘れてしまう。
その苦痛の記憶を、何らかの理由でリアルに覚えてしまっている人が統合失調症になるらしい。

まぁそれはいいとして、マザコンは女性に嫌われる。
たぶん女性がマザコン男を嫌うのは本能的なものなんじゃないだろうか。

なぜなら、マザコン男と子供を作ってしまうと、まさに俺のように、実の息子と、母性を求めて争い始めるからである。
母親は、実の息子と旦那(マザコン男)の両方を子供として育てるような形になってしまい、耐えられなくなる。
女性はそれを本能的に知っているから、マザコン男を気持ち悪がる。

マザコン男は、いつまでも子供のままで、自立していなくて、甘えの欲求が満たされていないので、父親になる資格がない。
子供が子供を育てることは出来ない。

死ぬまで養う金を用意してから子供を作る

そもそも、俺は自分の子供を愛せる自信がない。
上にも書いたように、男の子の場合は特に。

俺は男だから当然母性が無い。
お腹を痛めて産んだ母親が、子供を愛せるのはわかるが、男はただ膣内でピュッピュッをするだけなので、自分の子供という実感が沸かなそう。

まぁ男でもタレントで俳優の敦士さんみたいに息子が出来て泣いて喜んで、子育てする人もいるし(そのニュースを見た時印象的だった)、育児放棄したり虐待する母親もいる。
個人個人で見れば男でも女でも色々あるが、あくまでジェンダー観というかイデアでみたときに、やっぱり男性性というのはピュッピュッをするだけ、という印象がどうしてもある。

とりあえず女の子が生まれたら、母性父性関係なしに、見た目がかわいいという理由で愛せそうな気がするが(俺の子供は不細工になるはずがないと持っている)、俺は女性は人生ベリーハードだと思っているので、その点は難儀だ。
万が一ブサイクに生まれて、本人がそれを気にしだした時のために整形費用は用意しておきたい。

というより、やはりこの日本という国で子供を育てようという事自体狂気の沙汰かもしれない。
この先この国はどう転んでもろくでもないことになると俺は確信している。

それでも子供を作るなら、子供が死ぬまで働かずに暮らせる金を用意してから作りたい。

俺は不登校で苦しみぬいた中学時代、親に向かって
『死ぬまで養う金がないくせに生みやがって!』
とキレたことがあるが、今でも正論だと思っている。

反出生主義者が言うように、子供を生むのは100%親のエゴなので、子供にどんな文句を言われようが頭を下げるしかない。
もし自分の子供が、14歳の時の俺のようなことを言い出したらと思うと萎えてくる。
というか、子供がそういうことを言い出した時点で俺は毒親確定だ。

なんかもう考え方が異常すぎて本当に俺は子供を持つ資格が無いとしか思えなくてワロタ。

女性はどうしても子供を欲しがる

書いてるうちに本当に俺は子供が欲しくないんだなということを確信してきた。

俺は童貞時代、『オスとして欠陥している』という言葉をよく使ってきたが、子孫を残せないのはまさにオスとして欠陥している。
でももうそれはそれでいいかなと思っている。
(同性愛者のように、人間には『子供を作らない個体』が一定数必要で、100%全員が子供を作る個体だと人間という種は滅びるという説もある。)

とりあえず今はセックス(子作りの真似事)がしたいだけで、子供は欲しくない。
童貞を捨てたばかりだから特にやりたい盛りで、やり飽きたりチンコが立たなくなってきたら子供でも欲しいなとなるかもしれないが。

なんにせよ、ほとんどの女性は子供を欲しがるから困る。
女性も、高齢出産の年齢になってくると、尋常じゃなく焦り苦しむ人が多いようだ。

それが、俺が童貞を捨てたくて捨てたくて気が狂いそうだった時とよく似た感覚だとすると、その苦しみがよくわかるので、
「子供なんか別にいらんやろ」
とはとても言えない。

『メスとして欠陥している』というのは半端なく屈辱なんだろう。
ただ、屈辱という理由で童貞を捨てたがるのはまだしも、屈辱という理由で一つの命を生み出そうとするのはあまりにもエゴイスティックだと思うが。

結婚するなら、子供を欲しがらない女性か、どっちでもいいくらいの女性にしたい。
まぁそもそも結婚自体どうでもよくて、単に税金とかの問題で戸籍を変更するだけの話なので、それこそ子供が出来たら籍を入れればいいと考えている。
結婚式もどうでもいい。

なんというか俺は、全てが自分都合だ。

ところで上に、マザコンで、いつまでも子供と書いたが、最近俺の社会経験のなさが本当に洒落にならなくなってきている。

今年25歳になったが、スーツも着たことがない、大学も行ったことがない、就活もしたことがない、葬式も結婚式も出たことがない、などなど。

葬式と結婚式に関しては、そもそも呼ばれないが、呼ばれても出るのめんどくせえ。
俺は自分のことにしか興味が無い。

支配欲が強いが管理することに疲れたから早く尊敬できる人に従属して思考停止してしまいたい

ご存知の通り、俺は情けないほど劣等感が強く、下品なほど自己愛が肥大化しており、凶暴なほど支配欲が強い。

だから誰かを支配し尽くし、優越しまくりたいわけだが、結局現実では一切実現できてない。
支配とまでいかなくてもせめて、『自分を尊敬してくれる人』を周りに集めたい。

だが一人もそんな人は居ないし、尊敬してもらえるだけの力量もない。

たまに俺に対して
「参考になります!」
などと言ってくる年下がいたりするが、どう接していいかわからない。

たぶん、尊敬してくる人が居たらプレッシャーになる、というメンタルブロックがあって、ずっとこんな感じなんだろう。

そして正直、尊敬されたり、人を支配するより、さっさと誰かに従属してしまったほうが楽だと常々思っている。

支配と管理は必ずセットだ。

人が、人やモノを支配する時、必ずそれを管理しなければならない。
恋人も、ペットも、スマホも、パソコンも、ギターも、なんでもそう。

それを支配し、その存在を自分の思い通りにするには、しっかりと管理、メンテナンスをしないといけない。
それが最近たまらなく面倒だ。

その点、従属してしまうと本当に楽だ。
力のありそうな人の下に付き、言われた通りにする。
管理するめんどくささもない。

その代わり、自分では何も判断・選択できないので、思考停止に陥る。
従属と思考停止はセットだ。

思考停止したい

だが正直最近の俺は、もう思考停止してしまいたいと思っている部分がある。
判断・選択できないことに恐怖や怒りを覚えるのではなく、判断・選択しなくていいという楽さがほしいと思っている。
奴隷は楽というがそういうこと。

ただ、従属する相手は選びたい。
よっぽど信頼をおける相手に従属しないと、自分で判断・選択しなくていい状態が不安になる。

それに未だに、
「この人に従属したい」
と思える人が居ない。

思えば俺は今までそういう人を探してきた。
どこまでも尊敬できて、ついていきたいという人を探してきた。

だが、異常なほどシビアに観察しているので、この人もだめだ、この人もだめだ、となってしまう。
この人はまだ不完全だ、従属するには危険だ、と思ってしまう。

この人になら、従属し、思考停止してしまっても大丈夫だ、と思えるほど、俺の美観に合った、尊敬できる人はいないものか。

動と静 顕在と潜在 表出と抑圧 支配と従属

何事にも動と静がある。
言い換えればオモテとウラ。
動は表出されているもの、顕在化しているもの。

静は抑圧(または抑制)されているもの、潜在化しているもの、裏にあるもの。
動を支えているものとも言えるかもしれない。

俺はどこからどう見ても支配欲の強い人間だが、それはあくまでコインの表。
裏では、上述のようにどこまでも従属してしまいたいと思っている。

逆もしかりで、どう見ても従属している人でも、いずれ反逆したいという自我の強さを持っている場合も多い。

例えば、やたらと人に従属する人がいるとして、その場合の動は従属。
だが重要なのは、その裏(静)には強烈な『支配欲』が潜在化していたりする。

逆も然りで、強烈な支配欲がある人間は、支配が動になっているが、その裏では従属してしまいたいという静があったりする。
(俺のことなので、支配欲がある人みんながそうかは知らん。)

相反するものは常に表裏一体であり、どちらかが動であれば必ずもう一方は静になっているんじゃないかと最近思う。
基本的には人間は動という目に見えたものに囚われがちだが、重要な本質は静のほうにあるのではないかと。

動を変えるには静を変える

声でも精神でも、動的なものを変えるには静的なものにアプローチするのが重要ってことかもしれない。
逆も然り。

ちなみにさっきの支配と従属のたとえだが、どちらも強い自我の産物であることは共通。

>自我は結局、他人を支配することかその亜型である従属すること(私の課題はあなたが決めるべきだ)に腐心するからである。

これはかなり面白いと思う。

「私が我慢すればすべて収まる」
と思って無意識に自己犠牲をする人間というのは、動的には従属的だが、静的には支配欲がある。
支配欲を無意識に抑圧しているとも言える。

逆に、
「いいから俺の言うことを聞け」
という人間は、動的には支配的だが、静的には従属欲があるんじゃないだろうか。
まぁこれは納得しづらいが、俺の場合は、
「支配することに疲れたので従属してしまいたい」
という感じ。

同じ自我が強い人でも、支配と従属のどちらが動的になりどちらが静的になるかはそれぞれなんだろう。

SMも同じで、Sの人はSが動的になっているだけであり静的にはMもある。
逆も然り。

とりあえず、なにごとも動ばかりに着眼せず静に着眼するのが重要かと。

従属したい

俺はそろそろ、コインの表面ばかり見せるのに疲れてきている。
支配し、管理し、自分で何もかも判断・選択していくのは本当に疲れる。
自営業であるのもそうだ。

早く尊敬・信頼できる人を見つけ、従属してしまいたい。

曲がりなりにも支配のほうが顕在化しているだけあって、支配の楽しさは当然知っている。
相手を自分の思い通りにできるというのは最高だ。

だがそんな際限ない欲望を現実の人間にぶつけるのは殆どの場合犯罪だ。

だから俺はちまちまと脳内人物でそれを行っている。
オリキャラのちほちゃん、りささん、あきらくんを、自分の思い通りに操り、演技させ、それを絵にして公開している。

マンガでも小説でも映画でも、ストーリーを作る人間なら誰でもやることだが、考えてみるとめちゃくちゃ残酷なことだ。
自分の脳内人物とは言え、人を思い通りに操ってしまうなんて。
生き死にさえも操れてしまう。
これが現実なら、北九州監禁殺害事件や、尼崎事件になってしまう。

とりあえず、支配する楽しさは脳内人物だけでいいので、現実では誰かに従属したい。

ママの定義

https://onamomi22.com/wp-content/uploads/mother_1553307307.jpg
村上龍氏の『強迫神経症的な、おばさんの定義(現在リンク切れ)』のパロディです。

ママは、優しい。
ママは、包容力がある。
ママは、安定している。
ママは、落ち着いている。
ママは、自立している。
ママは、心身ともに健康である。
ママは、世話好きである。
ママは、本質的に賢い。
ママは、明るい。
ママには、不安がない。
ママは、比較をしない。
ママは、値踏みをしない。
ママは、喧嘩をしない。
ママは、競争をしない。
ママは、富を求めない。
ママは、名声を求めない。
ママは、マイペースである。
ママには、余裕がある。
ママは、拒絶しない。
ママは、人を苦しめない。
ママは、自分を苦しめない。
ママは、異性を嫌わない。
ママは、同性を嫌わない。
ママは、マザコンを嫌わない。
ママは、実はエロい。

当然のことだが、ママは、年齢や性別には関係がない。
男のママ、幼女のママが増えているのである。

これらの条件に当てはまらない人ほど、ママ度が低い。

関連リンク
おばさんになってはいけない
バブみ (ばぶみ)とは【ピクシブ百科事典】

まとめ

大手企業の役員の堅いオッサンが、夜は赤ちゃんクラブでバブバブ言っていることがあるらしい。
女性は自己犠牲的で従属的の人が多いが、母性という面では子供をしっかりと管理する強さがある。
それらもすべて、動と静の話だ。

普段、何でもできるだけ自分で判断・選択して支配・管理しようとしている俺も、心の底では従属したくてたまらない。
ちなみに、従属するなら女性が良い。

「ママ~」
と甘えさせてくれる彼女が欲しい。
きもすぎた。

赤ちゃんプレイまでは興味ないが、最近の俺はそれくらい、支配・管理というものに疲れている。

結局のところ、癒やしがほしいということです。

こうやって自分の欲求ばかりにフォーカスして書いているが、そろそろ女性がどう思っているか真剣に考えようと思う。

例えばこの記事の内容だと、女性は、俺のような男を母性で包みたいと思うんだろうかとか。
女性にどういう理があるんだろう。
自分の子供なら母性で包みたいだろうが、彼氏や旦那を母性で包む必要があるんだろうか。

そんな事を考えているとつらくなってくるが、俺は諦めるつもりはない。
恋愛相談をきいてつらくなったことがきっかえで、俺にとっての理想の恋愛を導き出すことが出来たし、今後はそれを追い求めていく。

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