人間関係について 親切は見返りを求めない 別化性能と交換不可能な関係 奢る 奢られる 割り勘のスタンス 初対面の人との会話 等

2017年6月2日 親切は見返りを求めない 抑圧的・自己犠牲の人は見返りを求め「せっかく」等とよく言う

俺は、押し付けがましい親切をしてくる奴が本当に苦手だ。
見返りを期待しているのが態度に透けていて、疲れてしまう。

見返りとは、物や金だけでなく、『お礼を言ってほしい』『嬉しそうな態度をとってほしい』なども含める。

よく言われることだが、俺もそう思っている。

見返りを求める親切をしたい人は、勝手にやればいいと思う。
だが、俺はそういう親切は絶対にしないと、10代の頃から決めている。

俺は基本的に、街で困っている人(老婆など)がいたら助けるが(明らかに感じの悪いババアなどはシカトする)、その際に、少しでも見返りを求めそうな自分がいたら、世間的には親切をしたほうがいいような場面でも、しないという選択をとる。

「この人に親切をしたら、感謝されて気分がいいのだろうな」
などということが一瞬でも頭によぎるようなら、親切はしないようにしている。

基本的な考えとして、俺は親切もエゴだと思っている。
人に親切をしたいと思う気持ちはこちらの勝手な欲求であり、親切をされた側は、こちらの欲求をぶつけられただけに過ぎない。

それで相手が喜ぼうが、それは結果論でしかない。

なので、親切をしたことによって、感謝されるどころか、怒鳴りつけられたり殴られたりしても、自分の欲求を通そうとしたこちらに原因があるのであり、相手や、相手の反応に非はないと考えている。

親切をした時点で見返りをもらっている

つまり、親切という行動をとらせてくれた時点で、自分の欲求は叶っているわけなので、見返りはすでにもらっていることになる。

相手がいたから、親切したいというこちらのわがままが通ったということだ。

親切という行動をとらせてくれた=わがままが通った
という時点で俺にとっては十分な見返りだ。

だから、『相手からの感謝』とか『うれしそうな態度』などの、『相手からの見返り』は必要ないということになる。

「親切はこちらのわがままではなく、相手に対してこちらがわざわざやってあげていることだ」
と考える人は、
「『相手からの感謝』がなければ釣り合わない」
と思っているのだろう。

勝手に親切をしてきて勝手に見返りを求めてくる人間

俺の周りには、
『勝手に親切をしてきて勝手に見返りを求めてくる人間』
がいる。

そういうのは親切ではなくお節介と言うのだと思う。

例えば、頼んでもいないのにこちらの用事を手伝い、
「余計なことをせんでくれ」
と言うと、
「せっかくやってあげたのに!」
と怒り出す。

「自分はわざわざ人に親切をしている、してもらった相手は自分に感謝し、見返りをもらえて当然だ」
と意識レベルでも無意識レベルでも、思っている人間はそういうことを言う。

そういう人間は
せっかく
という言葉をよく使うのですぐにわかる。

相手は俺と違い、『親切は自分のエゴ』だとは思っていないので、基本的には話は通じない。

なので、そういう人間は、
『勝手に親切をして、勝手に見返りを求め、見返りがないと勝手に怒り出す』
ということをするのが何よりも大好きな人なんだと割り切って、勝手に怒らせておくに限る。
間違っても、相手にしてはいけない。

そんな感じで、俺が親切をする時の心持ちの話でした。

俺のやり方が正しいとは思わないが、見返りを求めないほうが俺は楽だ。
相手も、見返りを求められなくて楽なんじゃないだろうか。

ただ、冒頭に
「押し付けがましい親切をしてくる奴が本当に苦手だ。」
と書いたが、押し付けがましい親切をしてくる人間に苦手意識がある時点で、俺はまだ完全には、見返りを求めない親切をできていないのかもしれない。

『どこか強迫的に、見返りを求めない親切をやっている』
と言えるかもしれない。

2017年8月17日 友達 親友 恋人などの言葉で定義できない関係

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最近、自分と特定の他者との関係がどんな関係なのかきかれたときに、いちいち『恋人』や『友達』や『親友』などの言葉を使って説明するのが本当にバカバカしく思う。

唯一無二の『その人とその人の関係』

よく、
「俺ら友達だよな」
とか、
「いや、親友だよな」
とか質問してくるやつがいるが、それらの言葉を使って、この世界で唯一無二の二人の関係を、型にはめて定義して何の意味があるんだろうか。

「友達だよな」
と言われてそうだと答えたところで、お互いが持つ『友達』という言葉の定義は違うだろうし、その時点でその言葉は役に立たない。

そんな言葉で定義した時点で、
『友達だったらこれをするのが一般的』
『友達だったらこういう関係性が一般的』
という風に、唯一無二のはずの二人の関係を一般化して画一化してしまうだけじゃないかと。

友達という関係、恋人という関係というのは概念上のものであり、概念的に、『完璧な友達関係』を結んでいる人間はこの世に一人もいないはずだ。

この世にある全ての人と人との関係は、
『その人とその人の関係』
でしかないと俺は最近思う。

何かの本で読んだが『イデア』と言う概念があり、俺はその概念がとにかく好きだ。

例えば完璧な『三角形』や完璧な『点』『線』、完璧な『犬』『りんご』というのは頭の中にしか存在しない。
現実に存在するそれら(と呼ばれるもの)はあくまで頭の中にのみ存在する完璧なそれらに『似たもの』でしか無い、とかそういう概念だったと思う。

英語の冠詞で例えるとわかりやすく、『The Apple(この世に存在するすべてのりんご、つまり完璧無欠のりんご)』は現実には存在せず、現実に存在するりんごは『すべてan apple(このりんご)』であるとかそういうこと。

『攻略』のばかばかしさ

こういうことを考えていると 『攻略』と言う概念が馬鹿馬鹿しいことがわかる。

『恋愛の攻略法を教えてやるぞ』
などとほざくやつは、俺の人格と相手の人格をどれだけ一般化し掌握しきった気になっているんだろうか。
そう言った時点ですでに『恋愛』という一般化された関係の中の出来事しか説明できなくなっている。

恋愛という枠を少しでも超えたものにはすぐに説明ができなくなる。

さっきのイデアの話と同じで世間一般で言う『恋愛』や『友情』という概念と、『俺とその人の関係』が似ているだけであって、実際はどこまでいっても『俺とその人の関係』という世界で唯一無二の関係性だ。

『完璧な恋愛関係』
『完璧な友達関係』
などというのはこの世には存在せず、頭の中に概念としてしか存在しない。

だからあくまで『友達関係』『恋愛関係』というのはただの概念で、現実の『俺とその人の関係』では、それらの言葉では説明のつかないことがいくらでも起こりうるということだ。

『攻略』なんていうくだらないことは、ゲームという枠が決まった概念の中だけでやってればいい。
現実の人間や、現実の人間と人間の関係性を攻略という型にはめて優越しようとしても、『攻略』どころか『説明』すらできなくなるだろう。

『男』と『女』しか出てこない『恋愛』講座は役に立たない

ネットで恋愛に言及しているツイートや記事やコラムなどを見ても大概は役に立たない。
恋愛についての話を聞いても多くは、相手は必ず『異性』、相手は必ず特定の『一人』になっている。

その時点で全く信用できないし役に立たない。

そんな小さな型にはめた恋愛の話は、例えば相手が『ふたなり』だったり『性同一性障害』だったり『オカマ』だったり『無性別』だったり、『複数の人間』だったりした時のことについてはまるで説明できなくなってしまう。

大体、世間のニュースやバラエティなど多くの人間に向けて発信されたものは、『男』や『女』はもちろん『関西人』『関東人』など『人間』を一般化してデフォルメして説明しているので誤解を生みやすい。

実際にあらゆる人間を見てみると、
『男にも色々いる』
『女にも色々いる』
『日本人にも色々いる』
『外人にも色々いる』
ということがわかってくる。

『恋愛』や『友情』などの言葉は、それらの言葉を超えた概念のことは説明できないので、その言葉を超えた概念を説明するときには役に立たない。

俺は出来る限りそれらの言葉を使って自分と人との関係を定義したくない。
あくまで『自分とその人の関係』という『他に同じものがない』関係だと言うことを常に意識していたい。

『恋愛』や『友情』などの、世間一般で使われる言葉を使って強く型に嵌めた時点で、『俺とその人』という自由な関係が阻害されてしまう。

そして俺は、異性同士が仲良くしているだけですぐに『恋愛』という言葉で定義しだすような人間や、
「俺ら友達だよな」
「親友だよな」
などと言ってくる人間は好きではない。

そういう人間は、すぐに人間や人間同士の関係を、一般化した型にはめて掌握してこようとする人間なので、関わりたくない。

2018年7月9日 奢る・奢られる・割り勘と楽しめた・楽しめなかったの基本的な考え方について

俺が、女子はもちろん男と遊んだ時でもほとんどの場合奢るのは、すごく楽しい思いできたから、多めに払いたいという気持ちからだった。
しかし、これからはどれだけ楽しかろうが金持ちになろうが、誰相手でも割り勘を貫こうかなと思っている。

理由はいろいろあるんだが、まず、楽しかったことと金銭を混合したらまずいってこととか。
相手も自分も、楽しかろうが楽しくなかろうが、娯楽施設や飲食施設を人数分利用したという意味で割り勘。

なにより、こちらが奢る癖がつくと、楽しくないけどタダだからいいやと思われる可能性がある。
本来は金なんかどうでもよくて、いかに楽しむかが重要なのにそこが抜け落ちてしまう。
奢り要因としての役割でしか自分を見てくれなくなる可能性もある。

割り勘の場合、どうせ割り勘なら楽しまなきゃ損、と思えるはず。
割り勘ね、と言われた時点で萎えて楽しめなくなる人間はあまりにも金に囚われすぎて本質を見失っている。

俺は基本誰と会っても何があっても楽しむという気持ちで遊びにきてるんだが、相手は必ずしもそうとは限らない。
上述の、楽しさと金銭の関係性をよく考えてる人はそこらへんわかってると思うのだが。

金なんていう数字に囚われず、今日は徹底的に楽しむと確信するのが重要。

今までも奢り癖やめたほうがいいよと言われてきたけどまじでやめる。
年下相手でも奢らない。

ちなみに冒頭の奢る理由は表向きのもので、実際は、俺みたいなくだらん人間とわざわざあってくれて申し訳ないという卑屈さが理由だったりするので、加藤諦三がやたら奢る人に注意と言っているのもわかる。

https://twitter.com/kato_taizo_bot/status/1015817053725384704
https://twitter.com/kato_taizo_bot/status/1014005112006631425

まとめると、自分が楽しむことに自分で100%責任を持つということ。
そこがうまくいかなかったことを、金銭というただの数字で誤魔化さない、誤魔化させないのが重要。

色んな理由から学校教育では金の使い方について勉強させられないけど、奢る奢られるということについてはほんとよく考えるべきだと思った。

奢るのが地声なら奢られるのは裏声、割り勘は中声。
でも割り勘に固着すると……

2018年7月16日 類化性能・別化性能と友達の多い少ないの関係 親友や特別な人の交換不可能性について

類化性能と別化性能とは、折口信夫氏が提唱した概念。

折口信夫は人間の思考能力を、「別化性能」と「類化性能」のふたつに分けて考えている。
ものごとの違いを見抜く能力が「別化性能」であり、一見するとまるで違っているように見えるもののあいだに類似性や共通性を発見するのが「類化性能」であり、折口自身は自分は「類化性能」がとても発達していると語った。
中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』

類化性能が強い人は友達が多いように思う。
だが親友は少ない、または、親友と呼べる存在でも、交換不可能性(かけがえのなさ度合い)が低いんじゃないだろうか。

別化性能が強い人は友達は少ないが親友との仲が濃い、交換不可能性が高いように思う。

類化性能は枠組みが広く、空観的、裏声的、ブラフマン的。
別化性能は枠組みが狭く、仮観的、地声的、アートマン的。

見ての通り俺は別化性能が下品なほど強いが、やはり親友と呼べる存在、代わりの効かない存在との関係が濃い。
まぁ、交換不可能性が高すぎても危ないんだが。

結局、類化性能と別化性能もバランスだ。
前者が強すぎると、友達関係が広く浅くなるどころか、自分と他人さえの区別さえなくなる。
後者が強すぎると、友達どころか親友と呼べる存在さえできない、自分しか見えなくなる。

また、後者が強すぎると、交換不可能性の高い特別な存在が出来ても、交換可能性が低すぎて一点集中してしまい、重要度が固着して結局モメてしまうことにもなり得る。
交換不可能性が高すぎても危ないというのはそういうこと。

最近の俺は類化性能を強化しようとしているので、ここ数年、浅い友達も増えてきた。
浅い友達も多く、交換不可能なかけがえのない親友や大切な存在もいる、というのがやっぱり良い気がする。

追記:
女性が男性に比べてぼっち率が低い(俺調べ)のは類化性能や共感能力が高いからだと思う。
その代り主体性が低く、悪い意味で拘りがなくて、自分で物事を選択したり決断したりしづらいんかなと。

2018年10月29日 人と関わるかを判断する基準はその人が美しいか美しくないかだけしかない

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今までこのブログの主に『社会カテゴリ』に、俺が経験してきたあらゆる人間関係のゴタゴタを書いてきた。

「もう誰とも関わらない」
とか言ったり、
「配信再開する」
とか言ったり、色々と変遷してきたが、2018年現在、まだまだ人と関わろうとしている。

実際に人間関係から何かを感じたり考えたり、本を読んだりしてきた結果、今現在、人との縁(関係性)において俺が最も重視している判断基準は、
美しいか、美しくないか
である。

美しさの基準

今まで俺は、『嫌いなタイプの人間をパターン化』するとか、『年下とは付き合わない』とか言って、色々と人や物事の判断基準を設けてきた。
結局のところ最も枠組みが広く、俺に合っていると感じた判断基準が『美しいか、美しくないか』だ。

この基準はかなり漠然としていて、気まぐれで、ほとんど直感や感性に従っている。
美しいかどうかというのはいわば美観であり、超個人的なもの。

男だろうが女だろうが、年下だろうが年上だろうが、美形だろうがブサイクだろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが、何かの技術に長けてようがなにもできなかろうが、自分のその時の直感や感性で、その人を『美しい』と感じれば、フォーカスを合わせても良いと思える。

じゃあどんな人が美しいのかと言うと、俺もよくわかっていない。
ただ自分が美しいと思える人を見れば『安心する』というか「生きててよかった」と思えるというか、力をもらえるというか、心が軽くなるというか、深遠な気持ちになるというか、どこまでも漠然としたもの。

詳しく分析すれば間違いなく法則性はあるんだろうが、大事なのは、人や物を見て、上記のような感情が自然と湧いてくるかどうか。
美しいと『感じる』かどうかが重要。

美しくない人

どれだけすごい人物だろうが、上記の感情が湧いてこないのであればその人は美しくない。
そして、美しくない人間とは一切関わる必要がなく、フォーカスを合わせる必要もない。

例えば今夏に俺に75万円で転売のコンサルを提案してきた女性。

その人は確かに若くしてこれまで何千万も転売で稼いできた人間であり、金持ちで、自由に暮らしているかもしれないが、人としては全く美しくない。
人の嫌がることをして大金を稼ぐ人間が美しいわけがない。

俺に、
「稼ぎ方教えてくださいw」
とすり寄ってきた広告収入事業初心者も全員そうだ。
どっからどう見ても美しくない。

歌がメチャクチャうまいひとだろうが、絵がメチャクチャ上手い人だろうが、世の中に影響力のある有名人だろうが、俺が思う美しさから外れていたら、その人らは美しくなく、フォーカスを合わせる価値がない。

美しさとは『トータル』としてその人がどうかだと思う。
どれだけ外面がよくても、裏でやっていることが美しくなければアウト。

今まで俺がモメてきた人物(リアルの知り合いなど)も全員そうだ。

モメたから美しく見えないだけだろという意見が飛び出すが、俺としては、
『その人らはもともと俺の根本的な美観からかけ離れていた人らなのに、関係を継続してしまったからモメた』
という方が正しいと思う。

『自営業』や『広告収入事業』や『地元や学校が同じ』という『一部分』で共通するからと言って、『トータル』として美しくない、上記のような人たちと絡んでも、最後はまた今までどおり揉めるだろう。
だから、一部分ではなく『トータルとして美しいかどうか』が重要。

関わる以前にフォーカスを合わせるかどうか

さっきから『フォーカスを合わせる』と書いているが、それはあくまで、関わりにいったり関係を継続する以前に、『フォーカスを合わせるかどうか』が重要だからだ。
簡単に言うと、その対象を『見るかどうか』『見続けるかどうか』。

例えばツイッターを見ていて、リツイートなどで流れてきた人物の活動を見に行く時もそうだ。

その人がパット見で美しくないなら、すぐに見るのをやめる。
すぐに『フォーカスを外す』。

そこから、相手もこちらを認識し、言葉をかわし、『関係』を構築するかどうかは、さらに先の話だ。
美しくないものはまず、関係を構築する以前に、『フォーカスを合わせない』『すぐに見るのをやめる』『見ない』のが重要。

それに、こちらがいくらその人を美しいと思ってフォーカスを合わせていても、向こうはこちらを強烈に美しくないと感じて拒絶したがる場合もある。

それを見極めるためにも、まず『フォーカスを合わせるかどうか』を考える。

美しいものを見ているときの自分は美しい

この世は独我論であり、自分の認知が現実を作っているのであり、自分のこの世界に登場する人物やものはすべて自分自身であり、それらが発する言葉はすべて自分自身から出たものだ。

だから、自分の世界に『美しくないもの(人、言葉)』が登場するということは、『自分自身が美しくない』ということと全くイコール。
逆に言えば、自分自身がどれだけ美しくなく、糞みたいな状況でも、自分の世界に『美しいもの』が登場し、それにフォーカスを合わせられるなら、自分自身も十分美しいと言える。

だから美しいものを見たいし、できることなら美しいものとだけ関係を構築したい。
他でもない自分自身が、少しでも美しくありたいからである。

それなのになぜ、美しくないものを見つめ続けたり、関係を継続してしまったりするのか。

それは結局俺が『臭いものに蓋をする』のを恐れていたからだと思う。
だが、潜在意識は否定形を理解しないので、『臭いものに蓋をする』とか言っていると『臭いもの』ばかりにフォーカスを合わせ関わっていく人生になってしまう。

だから今後は、『美しいものだけを見続ける』『美しいものに触れ続ける』ということを意識したい。
それは『臭いものに蓋をする』のとは根本的に違うものだ。

美しさと好き嫌い

俺は少し前に、
「おなもみさんは苦しんでいるように見える」
と言われてショックを受け、悔しくて考え込んだことがある。

だが、苦しんでようが楽だろうが、大事なのは美しいかどうかだと考えたら、楽になった。

『美しいか美しくないか』という価値観は枠組みが広いが、『好きか嫌いか』という感覚も枠組みは広い。
少なくともほとんどの人間は、『好き嫌い』で人や物事や状態を判断することが多いと思う。

「苦しんでようが構わない、苦しむのが”好き”だから』
とか、
「楽なのは”嫌い”」
とか色々ある。

だが『好き嫌い』という判断基準はなにかが足りない。
『好き嫌い』という判断基準を『美しいか美しくないか』という判断基準に置き換えることで得られる視点が必ずある。

確かに俺が言っていることも、
「美しいから好き」
「美しくないから嫌い」
でしかない。

だが、
「好きだから美しい」
「嫌いだから美しくない」
は必ずしもそうではない。

油断すると、『美しくないものに惹かれてしまう(好きになる)』可能性がある。
パット見嫌いだが、よく見ると美しい、ということもたまにある。

だから俺は、好き嫌いじゃなく、美しいか美しくないかを基準にしたい。
『美しいか美しくないか』という価値観は、『好きか嫌いか』という価値観より、崇高に感じる。

そして、『美しいか美しくないか』は『綺麗か綺麗でないか』とも違う。
後者は上辺のポジティブさだけを追い求めている感じがある。

美しいかどうかとは、もっと深遠なものだ。

ちなみに今思うと『真の苦しみ』とは『美しくないものに触れ続ける』ことなんじゃないかと思う。

美しさと孤独

ここ最近また配信を再開したが、『美しくない人』が来たらすぐにブロックするようにしている。
ツイッターのフォロワーも増えてきたが、『美しくない人』はフォローしないようにしている。
リアルやネット問わず『美しくない言葉』を吐きかけてきた人間のことは、相手にもせず完全スルーするようにしている。

美しいもの以外に時間を割いている時間は一切ないからだ。

何度も書くように俺は美しいものを見ていたい、美しいものに触れていたい。
それだけが結局、人間関係での無駄なストレスやいらだちや憎しみを解消させる。

美しいものだけを求め、美しくないものは毛嫌いし、自分の世界から徹底的に排除していく。
それはもしかしたら、潔癖的な無菌の世界を求めているようで危険なのかもしれない。

俺が思う美しいものとは、まず間違いなく、数が少ない。
正直言って世の中のほとんどは美しくないものだ。
そうである以上、美しいものだけを求めれば間違いなく『孤独』になる。
とても健康的には思えない。

だがそんなことは関係ない。
美しさを求めた果てに破滅するなら本望だとすら思える。

美しさには、それくらいの魅力や魔力がある。
美しさに飲み込まれ、美しいものと同化・融合できるなら、破滅したって構わない。

『美しいものだけを求める』と書いたが、美しくも美しくなくもない『普通』の人とは普通に関わります。
ただ、『美しくないもの(醜いもの)』を自分の世界から徹底的に排除したいのは事実。

なんかかっこつけた記事になりましたが、現時点で俺がたどり着いた大きな結論です。
このまま美しいものを求め続けたらどうなるのか、自分の人生を使って実験していきたいと思う。

2018年12月9日 初対面の人や親しくない人との上辺の会話が苦痛な時に使える俺の興味のある話題4選

新たな出会いというのは新鮮でいいが、最初にとにかく苦痛なのは、上辺の会話。
天気がどうとか、住んでるところがどうとか、テレビがどうとか、当たり障りのない、およそ誰とでもできそうな話し。

俺はそういった、何の学びにも刺激にもならない、初対面や親しくない人との上辺の会話が苦痛で仕方がない。
街コンに行った際なんか、苦痛すぎて発狂しそうだった。
今後も合コンなど、初対面の人が多くいる場は絶対行きたくない。

と思っていたが、初対面の人や親しくない人ともできそうで、なおかつ自分も興味のある会話ネタを4つ思いついて、それなら楽しんで話せそうだと思った。

それは、
『人は死んだらどうなるか』
『好きな声は?』
『性転換したら何をしたい?』
『好きな目は?』
の4つ。

人は死んだらどうなるか?

まぁさすがに、完全初対面ではおもすぎるし、怖い話題だが、多少打ち解けたら、それら4つの質問を振ってみたい。
もちろんそれら4つを振れる距離感になるまでは、多少つまらない上辺話は必要になるがそれくらいなら耐えられる。

まず、人は死んだらどうなるか?という話題だが、この話題が俺は大好きな上に、多分普通の人も、興味が無いわけがない。
死について考えない人間は一人もいない。

宗教の勧誘かと思われる危険性はあるが、そうではないと前置きしておき、死んだらどうなるかについて楽しく話してみる。

この話をするには、独我論、宇宙論、時間論、科学、などいろんな話が必要になってくる。
そこから死生観、価値観、人生観などにも話題は広がるだろうし、最強じゃないだろうか。
独我論の話とかになったら俺はもう楽しすぎて会話が止まらないだろう。

基本、精神状態というのは相手にも同調するので、こちらが強烈に楽しそうであれば相手も楽しそうになってくることが多い。
相手の様子を見て、自分の世界に入りすぎないことが重要だが。

死に関する話なら何十時間も話せるし、誰かが家に泊まったときなんかも、ずっと話したい。
宗教的な話になって対立してしまうとかなりまずいが、そこはあくまで楽しく話すことを念頭においておけば大丈夫だろう。

とりあえず、死についての話は鉄板ネタとして持っていたいと思う。

好きな声は?

声は人格そのものだと他の記事でも散々書いてきた。

チャットでもない限り相手の声を聞きながら話すので、相手の声はすでにわかっている。
相手がどんな声を好きかという話題は、相手がなりたい未来や未来の人格を理解できるので良い気がする。

何に憧れているか、どんな人格に憧れているか、など相手の好みを知れるのは有意義だし楽しい。

性転換したら何をしたい?

死と同じく、『性』を考えない人間はいない。
人生は『性』と『死』について考えることが大半だと思っている。

性の話というのは恋愛の話と近いが、直球すぎるのであえて、性転換したら何をしたいかきいてみる。
下ネタに走りそうな質問だが、走るなら走るで、そういう人だとすぐわかるので話が早い。

心理学的なことはわからんが、性転換して何をしたいかという質問は、相手が異性をどう見ているかが如実にわかりそうでもある。

好きな目は?

声と同じく、目は人格をすべて表すと書いてきた。

そういう意味で、相手が『どんな目が好きか』というのは気になる。
これも、どんな人格に憧れているかがわかる。

まとめ

4つの質問のうち、声と目に関しては、視覚と聴覚だ。
五感に関することなら他にも、どんな手触りが好き、どんな匂いが好きという質問も面白いかも知れない。
どんな音楽が好き、食べ物が好き、はあまりにもありきたりすぎてつまらないので除外。

とにかく、自分が興味があって仕方がない話題かつ、相手も興味がありそうな話題というのが重要。
他にも面白そうなの話題や質問を思いつきたい。

とりあえず今後は、相手の様子を見て、この記事で紹介したような話題を振ってみる。

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