すべての男は消耗品である。VOL.5 1995年9月~1998年9月 金融危機 著者:村上龍 書評、レビュー(感想)

VOL.4に続き、『すべての男は消耗品である。VOL.5: 1995年9月~1998年9月 金融危機』を読んだ。

今回は特に印象的な発言が多かった。
前回同様、引用して紹介する。

個人的な評価は★★★★★

聞き上手

世の中には話し好きと呼ばれる人々がいる。

その種の人々は他人の話をほとんど聞かない。
テレビなんかで、聞き上手と呼ばれる人でも、その人が「話し好き」の場合は、ただ自分が話したいという目的のために、聞くということを手段として利用するのである。「聞き上手」と言われる人は、ただコクンコクンとうなずく人ではない。

俺は聞き上手だと色んな人に言われてきたが、結局は自分が話したくて仕方がなく、その欲求を通すにはまずこちらが先に相手の話したいという欲求を満たしてやる必要があるので、仕方がなく聞き上手をやっていた部分をある。
この一文はそれを的確に説明している。

まぁ本当に相手の話が気になるというか、気になる話をしている相手としか関わらないので、自分で言うのもなんだが実際聞き上手でもあるとは思う。

ただあいづちを打つだけでもだめで、反応がうまいのだ。
本当は、反応上手というべきであろう。上手に驚いたり、しきりにうなずいたりしても、
「あ、こいつ、わかってないな」
と思われたら、話し手は白ける。

場合によっては、話し手が話したことについて
「なるほど、それはつまりこういうこと、ですかね?」
とさらにわかりやすく言葉を選んで「反応」してやる。それが聞き上手と言われる条件なのだ。

一種の通訳だと言ってもよい。
話し手よりも、多くの情報を持ち、言葉の組み合わせ方に精通した人、である。

まさに俺がやっていることだし、逆に、俺が話、相手が俺の話を聞いている人が本当に”聞いている”かどうか確かめるときに気になるのも、この部分だ。

話したり聞いたりするのは、パフォーマンスであり、プレイだと思う。
現在進行形の、音楽的な表現だ。
私は、パフォーマンスの現場ではひたすら情報を集めて、それを後で一人で分析するのが好きなのだろうか。
だとしたら、オタクの走りではないか。
その情報を再構成することが好きなのだろうか?

俺は特に10代の頃、リアルの知り合いの腹立つ行為に対してやり返したり言い返したりすることができず、溜め込んでいた。
それで、あとでネットや配信でその行為を『安確いじり』などと名付けて分析し喧伝していた。

俺は今でも、実際の話しの場ではあまり発言しないで(できないで)、状況や人を観察することに執心し、あとで裏であーだこーだ言う、最悪の癖がある。
この村上氏の一文はそういった陰湿な、陰口的な行為も含むんだろうか。

というか、『第三者のことを、本人がいない場所で公で書く』という行為自体、どうしても陰口的になってしまうので、仕方がないとも思う。

情報

私は常に情報に飢えていたし、今もそうだ。
私がいうところの情報は、『ニューズ・ウィーク』やCNN ニュースやインターネットなんかにはない。
教養や、報道ではない。
基本的には、肉体的な経験であり、サバイバルのための実践的な哲学素材のようなものだ。

「……アナルにピンクローターを挿入し、スイッチを入れて震動させ、ヴァギナでセックスすると、アナルの震動がペニスに伝わってきて……」 
みたいなことを雑誌で読んで、なるほど、と自足しているのがこの国の現状だ。

ネットや本で得た知識じゃなく、体験的知識をつけろということを言っている。
本当に耳が痛い。

ただ、相変わらずなんでもエロに結びつけるのはワロタ

居心地の良さで言うと、パーティ、すし、銀座のバー、に勝るものはあまりない。
居心地のいいところに、私の言う情報はあるだろうか?

当たり前のことだが、余暇なんかの中に充実感があるわけがない。
あと70年も生きなくてはならない女子高生達は、少なくともそのことには気付いている。

休息は必要だがあくまでそれだけしかない世界には充実感は絶対にないと思う。
対比もない。

自己啓発で言うところの『現状の外』にある『現在の自分では認識できない情報』こそが『情報』なんだろう。

個人の時代と最優先事項

(近代化が)終わっているのだと、きちんと認識しないと、たとえば子ども達にとってフェアではないと私は思う。
国家的な目標ではなく、個人の目標が大切になるわけだから、いい大学やいい会社に入るだけではなんにもならない。
それだけでは個人のプライドを支えることができないということを言ってあげれば子ども達はだいぶ楽に生きられるのではないだろうか。 

個的な価値観は現実の社会と絶えず衝突するし、ほとんどの人々は衝突を越えてそれを表現する術を知らない。
そこで心身は失調する。

俺が前々から言っている、
「親にいい大学に行かせてもらったんだから、途中でやめられない……」
「親にいい大学に行かせてもらったんだから、(ブラック企業でも)やめられない……」
というような過去志向もそうだが、そもそもそんな状態になる前に、いい大学やいい会社に入るだけでは意味がないと気づかなければと思う。
その状態からでも、気づいたのなら早々に、埋没費用を切り捨てていく必要がある。

このエッセイは90年代に書かれたものだが、こういったことは2010年代でもまだアナウンスされていない。
みんながそれをわかると都合の悪い人間がいるのだろうし、結局個人が気づいていくしかないんだろう。

今、頭のいい人々は、無意識のうちに、個としての最優先事項を捜している。
子供から老人まで、そうだと思う。
共同体は、ついに個人に規範を示すことができなくなった。
内部での陰湿な殺し合い(「いじめ」みたいなやつ)は、どんどん増えていくだろう。
希望は、あくまで個人の、最優先事項の中にしかないのに。

10日後に死ぬ、と仮定してみて欲しい。
あなたは自分の欲望と向かい合わなくてはいけないはずだ。
私はいつもそういう風に生きていきたいと思っている。

『最優先事項』
俺は村上龍氏のこの言葉に相当影響を受けた。

かつて某自己啓発をやっていた頃は、そういった考えは『一点集中』であり『バランスの崩壊』であり危険だとか思っていたが、そんな問題ではない。

『バランス』なんていう安全志向なものではなく、『優先順位』なんて煩雑なものでもなく『最優先事項』が大事。
最優先事項以外、つまり第二以外の者の優先順位なんか勝手に決まるしどうでもいい。

それがないと肉体または精神が死んでしまうというような『最優先事項』を持てるかどうかで人生の質が決まる。
これを肝に銘じ、新たな軸にして、最近は行動している。

やりたいことをやる

ものすごく疲れるやり方だ。

「もう二度とあんなことはやりたくない」
と眩くような、全精力を使い果たすようなものはいつかはつくろうとするのだろうか?

この発言にも相当感銘を受けた。
俺は、過去に、時間のかかる絵を描いて、
「もうあんなめんどいことはやりたくないし、やるだけ無駄だ」
と思ってやめてたが、それこそむしろ必要な自在性だったのかもしれないと思い始めた。

もう二度とやりたくなくなるほど、全力を出しきらないと達成できない『やりたいこと』をやる。
『最優先事項』をやる。
それが何より人生を輝かせるのではないかと。

某自己啓発の『やりたいことだけやれ』という言葉には、『楽しいことだけやれ』というようなぬるいニュアンスがどうしてもつきまとっている。

実際は『やりたいこと』をやるというのは常に命がけであり、その代り、『やりたいこと』の枠組みに入っている行動ならば、しんどかろうが、血を流そうがすべて『やりたいこと』であり『(ほんとうの意味で)楽しいこと』だ。

やりたいことをやって生きていく以上、すべてを請け負う必要がある。

閉じた系、内輪ネタ

他者のいない、批評性の存在しない題材を選び、堕落していく。
被害者意識に被われた集団の内部だけに向けてものを書くようになる。
それは必ず、「よくやった」と評価されるはずだ。

まさに俺のことである。
閉じた系の中でのみ自分を出せる、調子に乗れる。

よくやったと評価してくれる人間がいる場所でそれをやるのはあまりにも恥ずかしいので、せめて、本当に自分しかいないところでやってるつもりだ。
まぁ公開してくれる以上褒めてくれる人はいるのだが、褒められてもけなされても喜ばないようにしている。

夢日記

昔から夢は何回も小説の題材となった。

一晩の夢を描くのに、400字詰め原稿用紙で何十枚になることもある。

すべての夢は、あるムードを備えている。
その夢に固有の「ムード」だ。
そのムードは独特で、ムードさえ良かったら、殺人や拷問が出てきても不思議に恐くはない。
ムードが悪かったら、ありとあらゆるエピソードがすべて悪夢になってしまう。

そのムードを的確に描写しなくてはいけない。
それは心理状態と言うよりも、視覚的なものだ。
せっかくだから面白いものにしようと、見てもいないことを書くと、ムードは失われる。
それはかなりむずかしいテクニックだが、わたしは視覚描写を得意とする小説家なので、まったく苦にはならない。

小説を書くときはそのムードをゼロから作り上げなくてはならないので非常に消耗するが、夢の場合は既にそれを経験しているのである。

村上龍氏も夢日記をつけていると知って驚いた。
しかも一回の夢でものすごい量を。

俺も中学くらいから明晰夢や体外離脱をし始め、その成功率を上げるために毎日夢日記をつけていたがそこまでの量ではない。

夢には必ず独特のムードがあると書いているが、それは間違いなく、俺がずっと前から言ってきた『夢の中の世界観・雰囲気』のことだ。
やはりみんな感じるんだなと思って安心した。

この一文を読んで気づいたのは、その雰囲気を認識しているのは、五感でいうと視覚だということ。
次点で嗅覚か聴覚あたりだと思う。
少なくとも触覚や味覚ではない。

とりあえず俺もこの文章を読んで、夢日記を再開した。
夢日記をつけはじめると夢のリアリティがどんどん上がる。

悪夢は更に悪夢になるかも知れないが、楽しい夢ならさらに楽しくなるし、人生の1/3は睡眠なので、睡眠の時間を楽しむためにも継続したい。

毒親

家族のことが、どうしてそんなに気になるかといえば、現代人のトラウマの起点が(学校を除いて)、すべて家庭にあると思うからだ。

ただ、トラウマの成立のメカニズムはそう単純ではない。
親からひどく殴られることが、そのままストレートにトラウマになるわけではない。
ガラス窓にたたきつけられて鼓膜を破った子どもでもそれが笑い話ですんでいることもあるし、親から一瞬無視されただけでそれがひどいトラウマになってしまう場合もある。

おまけ

非常な親しみが湧くまでの時間は、パソコン通信がきっと一番早いだろう。
それは、容姿も声も筆跡もなく、純粋に「言葉」だけがあるから。
「あなたは、間違っていないと思う」
みな、そういう「言葉」に飢えていて、そこに人格が欠落しているので、つまり純粋な「言葉」だけなので、効くわけだ。

「エゾ鹿は秋に繁殖のための交配をするが、メスをゲットできなかった若いオスが夜に悲しい声で鳴く。その声はとても悲痛である」

「エゾライチョウは、つがいで行動することが多い。猟師の間では、まずメスを撃て、と言われている。オスを撃てば、逃げていったメスは二度と戻って来ない。だがメスを撃てばオスは必ずその場所に戻ってくる」

「とにかくものすごいでかいスポーツ用品屋でエレベーターで四階に行くとブーツなどの皮革製品とさまざまなムチがあったのでロンドンではSMもスポーツなのかと思ったら乗馬コーナーだったりして、その次に二階でナイキのスニーカーを買った」

まとめ

こうやって村上龍氏のエッセイを読み、影響され、ブログに引用してわかったふうなことを書く。
そして実際には、大した行動や、新しい体験はしない。

こういうのをまさに村上龍氏は嫌うと思うが、どうしても書きたいので書いた。

ところで、Amazonのレビューで少し見たが、この『すべての男は消耗品である。』というシリーズも、VOLが8や9になってくると、やたら「しんどい」とかの言葉が出てきて、やる気がない感じが出てきているらしい。
若いときの切れのある村上龍氏のエッセイは最高だが、老いや疲れが出始めている村上龍氏のエッセイも読んでみたい。

さっそくVOL.6も購入したので読んでいく。
全巻セット(最終巻は最近発売なので未収録?)のほうが安かったが、各VOLずつの書評が書けないので、一冊ずつ買います。


すべての男は消耗品である。VOL.5: 1995年9月~1998年9月 金融危機

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本 タイトルをクリックすると書評記事に飛べます。 2019/01/13 ★★☆☆☆ 幸せを引き寄せる 新解・数秘術 2019/0...

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