目標を達成するための行動法 やる気 モチベ 自己肯定感を上げ続ける方法は目標に向かって行動し自立し自分の人生を生きていくことのみ

自己肯定感が低い人の特徴 比較や競争(勝ち負け)に拘っている 何かを強制されている

自己肯定感の高い低いを判断するには、目標が達成された世界の臨場感を強く感じながら生きているかどうか以外にも色々あると思う。
ざっと思いついたのが以下。

・他人と比較している
・競争(勝ち負け)にこだわっている
・やりたくないことをしている
・焦っている、急いでいる
・過去にこだわっている(過去の臨場感が強い)
・現状にこだわっている(現状の臨場感が強い)

なんか他にも色々ありそうだけど思いつかない。

とにかく、他人と比較するというのは何事においても論外。
目標達成法だけじゃなく心理学とかでもよく言われている。

他人と比較するのは競争(勝ち負け)にこだわるのとほぼ同義。
そんで競争にこだわると次は焦りが出てきて、目標達成を急ぐことになる。

そう考えると、他人を気にせず自分の判断基準で、マイペースにじっくりやっていくことこそが自己肯定感が高いと言えるんじゃないだろうか。

やりたくないことをしていると、
「自分はやりたいことができない身分の人間だ」
とか
「やりたくないことをやらされるような人間だ」
と無意識が思ってしまうので、やはり一切やりたいことだけやるようにすべき。

ただやっぱり、生活で取る行動すべてを100%完全にやりたいことだけってのは一朝一夕にはなかなか難しい気がする。
目標から見てやるべきことを、ネトゲに夢中になるくらいのやりたいことにするのには、なにか工夫のようなものが必要そうだ。

焦りや不安や恐怖を煽ってくる人からは離れよう

何かをしようとした時、もしくはしてる時に、その事に関する焦りや不安や恐怖を煽ってくる人からは離れたほうがいい。

こちらのためを思って言ってくれているのかもしれないし、実際に有益な情報だったりすることも多いが、その情報を受け取るタイミングはこちらで選択したほうが良い。

例えば最近俺は、高収入広告収入事業者を見ていると無駄に焦るのでフォローを解除した。

彼らの言っている、広告収入事業の不安定さや根性論はある程度正しいとは思うが、今の俺には必要ないということ。
無駄に焦るだけであり、余計に行動できなくなるだけ。

焦ったり不安になっている人は自己肯定感が低いと書いたことがあるが、焦りとか不安も、必要に応じて自分の意志で使えるなら有用だと思う。

特に、自発的に起こす急激な焦りというのは、行動をめちゃくちゃ促進できるということに気づいた。

だがそれはあくまで自発的だから意味がある。

だらだらとツイッターのTLを眺めて、じわじわとした焦りや不安を煽られるのには意味がない。
どうせ焦るなら、自発的に、徹底的に焦ったほうが良い。

強烈な焦りや後悔への恐怖は行動を促進させる

焦ったり不安になっている人は自己肯定感が低い。

他人に吹き込まれた、じわじわとした焦りは、精神がすり減るだけで行動はできないし自己肯定感も下がる。
だが、自発的に強烈に焦ることは、強く行動を促進するので意味がある。

目標を達成するのにしても何にしても、とにかく行動しまくることが最重要。
目標が達成された世界の臨場感をあげようが目標達成文の読み上げをしようが、行動しないと現状の物理空間は何も変わらない。

そのために、強烈な焦りというのは、精神衛生上はよくないものの、かなり効果がある。

例えば俺が目標達成法を実践し始めてから叶えた2つの大きな目標も、強烈な焦りがあったから行動できた。

「実家を出ないとヤバイ」
「処女とセックスして童貞捨てないとヤバイ」
と焦りまくっていた。

焦ることは恐怖心によるものなので、扁桃体優位になって思考力や枠組みが狭まり、長期的なスパンで考えることはできなくなる。
だが、否が応でも行動はできる。

恋愛も、あまりの焦りによって、ナンパ、婚活、街コン、出会い系など、異常なほどに行動しまくれた。

ケツに火がつくと言うが、本当にその状態になってしまえば人は嫌でも行動する。
どれだけ寝てばかりのやつでも、火事で部屋が燃えだしたら必ず動く。

逆に言うと、今行動できない人間は、行動する必要がないから行動していない。

焦りから逆算する

行動できないことを良しとできないのは、今行動していないことによっていずれ焦ることになるのが怖いのだと思う。

知り合いが、
焦らないと思いつかないことを、焦らずにする
と何度も言っていたように、焦るという視点は必ず要ると思う。

焦るような状況のことを頭で強くイメージして、そこから逆算して、実際には焦らないといけないような状況にならないように、今やるべきことを導き出す。

これをやって(またはやらないで)、死ぬ前に後悔しないかどうか
と、死ぬ前から逆算するという方法にも似ている。

今行動してないせいで、いずれ焦ることになるかもしれない
と思ってつらいなら、現状の物理空間が本当にそうなる前に、自発的に、先に焦ってしまったほうが良い。

俺は実家を出る前も、童貞を捨てる前も、とにかく死ぬ前や、焦る状況から逆算しまくっていた。
精神衛生上はよくないが、焦らないと行動できない人は、焦りという感情をうまく利用して行動してしまったほうが良い。

焦るにしても、自分の意志で焦る、自発的に焦る、というのが重要です。
他人や周りに焦らさせる、不安や恐怖を煽られる、というのは良くない。

あなたのためと言われても、洗脳である可能性が高く、第三者が得をするためにそれを言ってきているかもしれない。

とにかくすべては自己責任、自分の選択。
その上で、自分をいつでも焦った精神状態に持っていけるというのは、精神の自在性のひとつなので身につけたいところ。

目標達成法実践約1年半で達成できた「実家を出る」「処女とセックスして童貞を捨てる」という二つの大きな目標

俺は16歳の時に目標達成法に出会った。
当時1~2年だけ目標達成法や目標達成文の読み上げを実践したが、勉強不足と若さと劣等感のせいでまともに機能しなかった。

1年半前に知り合いの影響で、改めて目標達成法を実践するようになった。
広告収入事業を始めたのは2017年1月で、確かその頃くらいから目標達成法を本格的に始めた。

結果としては、目標達成法実践1年半になる現在(2018年05月)で、大きな2個の目標を達成できた。

一つ目は、広告収入事業で稼いで神戸の実家を出るということ。
二つ目は、処女とセックスして童貞を捨てるということ。

本当に枠組みが狭くて、煩悩まみれの目標ですが、どうしても叶えたかった。
とにかくこの二つの目標(というか悩み)には死ぬほど苦しめられており、なんとしてでもなんとかしたかった。

目標達成法のおかげで、2017年の6月から暮れにかけて広告収入事業で20~60万円稼げ、神戸の実家を出て名古屋に引っ越すことが出来た。

今年の1~3月はとにかく自分が24歳で童貞であることに苦しみ続け、ナンパ、街コン、出会い系、婚活などの行動をしまくった。
モチベが働きまくり、現状を出まくってきた。

結果、先月(2018年4月)ついにかわいい処女の恋人ができ、念願の童貞卒業に至った。

ほんとに自分のことしか考えてない枠組みの狭い目標だが、目標達成法や目標達成文の読み上げのおかげで達成できてしまった。

特に恋愛に関する悩みは深刻だったので、達成できた喜びは半端なものではなかった。
これでいつでも後悔なく死ねる、というぐらいのもんです。

目標達成法が持つとてつもない力

目標達成法を実践し始めてたった1年半で、もうすでに2つも大きな目標を達成してしまった。
それで思うのは、やっぱり目標達成法の力は半端なものではない。

目標達成法を実践するかどうかで人生は180度変わる。
枠組みの狭い目標ではあるものの、上記の二つの目標を達成した俺が言うんだから間違いない。

目標達成法の力もそうだが、とにかくやっぱり目標達成文の読み上げ。
目標を設定し、とにかく毎朝毎晩、目標達成文の読み上げをすること。
それによって間違いなく目標は達成できる。

まぁ上述の目標二つは、結果を焦りすぎた感じがある。
今まで怠けていた分、急ぐ必要があったんですが、できればこうならないように早い段階で手を打っておくべきだと。

まだまだ俺には達成したい目標がある。
だが、上述の二つの目標ほどのモチベがなかなか出てきづらいのが現状だ。
まぁそれも目標達成文の読み上げと視覚化でなんとかなるはずのでなんとかしていきます。

目標への執着とエネルギー

とにかく俺のその二つの目標へのモチベというか、執着というか執念はハンパなものではなかった。

恥ずかしながら、人生で、これほどまでに本気で叶えたいと思った目標はないと思う。
受験もほぼ経験してないし、こういう会社に就職したいとかもなかった。
思えばひたすらエロいことを考えて、実家を出たい出たいとキレながら、人生の大半を生きてきた気がする。

「実家を出る」「処女とセックスして童貞を捨てる」という二つの目標にとにかく執着してきた。

焦りや不安に駆られて行動した部分もあるので、途中でその二つの目標は自分の本当にやりたいことではないのかもしれないとか思ったこともあるが、達成してみると、本当に生きていてよかったと思えた。
これ以上の恩恵はないというくらい、恩恵だらけだった。

それはいいのだが、今後、その二つを超えるほどのモチベを持った、強烈にやりたい事を目標にできるだろうか。
今年から広告収入事業が不調で、なかなかモチベも上がらないと書いた。

やはり「実家を出る」「処女とセックスして童貞を捨てる」という目標と比べると最近設定している目標は微妙だ。

フォートナイトなどもはじめ、バランスは整ってきたのだが、上の二つほど強烈な目標がなかなか見つからない。

結婚や子育てを目標にしてみようかとも思ったが、
「何が何でも結婚したい」
とか、
「何が何でも子供が欲しい」
とはとても思えない。

金持ちになることも、長年考えてきたが、どうにも庶民の食べ物のほうが好きだ。
奢りまくるためにも金持ちになりたい、とかも思ったこともあるが、奢る奢られるの考え方も変わってきた。

とりあえず、バランスの中で一つか二つでいいので、上述の二つなみに強烈な目標を設定したい。
今度は矮小なものではなく、大勢の人を幸福にするものが良い。

せっかく目標達成法を実践して、人生救われてきて、これからも爆進したいんだから、燃え尽き症候群になっている場合ではない。

追記:燃え尽き症候群の意味間違ってました。

燃え尽き症候群(もえつきしょうこうぐん、英: Burnout)は、一定の生き方や関心に対して献身的に努力した人が期待した結果が得られなかった結果感じる徒労感または欲求不満。
慢性的で絶え間ないストレスが持続すると、意欲を無くし、社会的に機能しなくなってしまう症状。

今回の場合は、目標達成して気が抜けたという意味です。

欲張りな人間は決断ができない 決断という行為は得るより捨てる側面のほうが強い

昨日深夜にまどろんでいる時に、そんなことを思った。

人生を変えるために重要なのが『決断』なわけだが、それがなかなかうまくいかないという人は多い。
『優柔不断』というやつだ。

なぜそういう状態に陥ってしまうかというと、結局のところは『欲張り』だから、ということに尽きる。

決断とは捨てること

決断という言葉は、『得る』よりも『捨てる』という側面の方が強い。

『一つを得るために、それ以外を全て捨てる』
という行為が決断だ。

だから、『捨てることができない』『何もかもが欲しい』そんな欲張りな人間は、うまく決断をすることができない。
そして優柔不断の苦しみに陥る。

優柔不断とは、まさに欲張りな状態と言える。

何も捨てれず、全てが欲しくて、決断できず、優柔不断に陥る。
ちなみに、すべてが欲しいと欲張った結果、もうどれもいらないや、となってしまったりすることも多い。

断ち切ると決める

決断というのは『決めて断つ』と書くが、俺は『断ち切ると決める』という方がしっくりくる。

小さなことから大きなことまで人生や生活は決断の連続だ。

例えばお昼に何を食べるかというのも決断だ。

そこで『カレーライスを食べる』と決断した時、動的には『カレーライスを得た』という形だが、静的に見てみると
『カレーライス以外を全て捨てた』
ということになってくる。

カレーライス一つを選ぶために、カレーライス以外の世界中の料理を食べる未来を捨てたということになる。

そういった小さな決断一つ見てみても、決断というのは得ることより捨てる側面の方が強い。

さすがに世界中の料理は最初から選択肢として候補に入ってるわけはなく、あらかじめ決断する前にはいくつかに搾られている。
カレーライス、うどん、パスタ、牛丼、など、『食べ物』という枠組みの中で、『近場で食べられるもの』で絞られているはず。

優柔不断になって迷ってしまう人は、その選択肢の中でも、全てが欲しいのだ。

『一つを選ぶためにそれ以外を捨てる』
ということができない欲張りなのだ。

そこで『決断とは捨てること』ということを踏まえると、
『どれなら捨てられるか』
という風に思考でき、うまく決断できるような気がする。

決断とは欲が尖ること

「『決断』は『欲張り』の対義語かもしれない」
とも思ったが、何というか決断は、欲はあるのだがそれが『尖っている』という感じがある。

『カレーも、うどんも、パスタも食べたい』
と欲が広がっている状態は欲張りだが、決断とは、
『カレーひとつのために全てを捨てる』
というふうに、欲を一つに絞る行為だ。

欲をカレーに『一点集中』させる、カレーを『最優先事項』にする、そういった意味で、決断は『無欲』や『悟り』ではないはず。
『執着』とか『執心』だろうか。

『欲張り』は「あれもこれも」という状態だが、『執着』は「これしかない!」という状態だ。

決断の際には後者が重要になる。

最初から『これしかない!』と思える人にとっては決断は容易だ。

『これしかない!と決めて、他を断つ』
という意味で、そういう人にとって決断はまさに
『決めて断つ』
だと思う。

だが、上に書いたような、欲張りで、最初から一つを選びにくい場合は、
『ほかを断つと決めてから、残った一つを決める』
というふうに
『断ち切ると決める』
という消去法的な順番でやったほうがうまくいきやすいはず。

誰しもその時々で両方あると思うが、俺はどちらかというと後者で決めることが多い。

俺みたいな人間は、
決断とは、捨てること
決断とは、断ち切ると決めること
と捉えたほうがうまくいきやすいようだ。

手放さないと掴めない

この話は、昼メシをなににするかという小さな決断から、進学先をどこにするか、恋人と結婚するかどうか、とかの人生単位の大きな決断まですべてに言えること。

大きな決断であればあるほど、得るものも大きいが捨てるものも大きい。
片方を得れば、もう片方を選んだ未来は得られなくなる。

人間、何かを得たいのは当然だが、捨てるのが怖いのも当然。
だが、何かを得るには必ず何かを捨てなければならない。

『手放さないと掴めない』
と言うし、どちらかというと、掴むことより手放すことのほうが重要な気がする。

したがって、
『どちらがほしいか』
より、
『どちらなら捨てられるか』
と考えたほうがうまくいくことが多いはずなので、参考にしてみてください。

期待と希望の違い

期待という言葉と、希望という言葉は似ているが、意味は大きく違うということに最近気づいた。

期待とは、求めるものが与えられるのを、受動的に待っている状態だ。
受動的ということは受け身ということであり、受け身ということは、相手次第ということだ。

相手次第ということは、相手の行動や結果に依存しているということだ。

だから、相手が期待どおりの行動をしなかったり、期待通りの結果を出さないと、文字通り”期待はずれ”な気持ちになったり、がっかりしたりすることになる。
相手の行動や結果に気持ちを左右されているということだ。

それに対して”希望”は、求めているものが与えられることを、能動的に望んでいる状態だ。
能動的ということは自分の意思で動くということであり、自分の意思で動くということは、自分次第ということだ。

自分次第ということは、自分で行動や結果をコントロールできるということだ。

希望は、もしその物事が思い通りにならなかったとしても、がっかりしたりすることがない。
がっかりするかどうかも自分次第でコントロールできるからだ。

そして、自分次第なら、諦めずもう一度希望を持つかどうかも、自分でコントロールできる。

期待の根本は相手への依存なので、持っただけでは、不安がつきまとう。
相手が期待通りに動いてくれた場合に、初めて、安心することができる。

希望の根本は自分への信頼なので、持った時点で、決心や覚悟のようなものが生まれる。
決心や覚悟ができると、結果がどうなろうと、簡単には左右されなくなる。

つまり、”期待”は自分以外に持つもので、”希望”は自分に持つもの、ということです。
結局は相手に依存する受け身の状態より、自分次第という能動的な状態のほうが良いということです。

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