物も他人も自分自身も『所有』することはできない

かなり前から思っているが、物も他人も自分自身も、結局のところは『所有』することはできない。
すべての関係性は『仮』のものであり、便宜的なものだから当たり前なんだが。

その事実に救われることもあるし残念に思うこともある。

所有の定義

宝石や洋服を手に入れて、持っていてもそれは一時的に預かっているだけであって所有しているわけではない。
誰かに盗られたら警察は動いてくれるが、あくまで所有権なんて仮のもの。

体の中に埋め込んでも、所有できているわけではない。
というか自分の体も自分が所有できているわけではない。
もちろん人格も。

物でさえそうなんだから、他人のことなんか所有できるわけがない。

所有の定義とは何なんだろう。
重要なその部分を考えてなかったが、俺の定義では、永久的にその対象を今のまま留めておくという感じ。

今のまま留めるといっても、上にも書いたように自分自身さえもこの瞬間に留めておくことはできず、この瞬間を捉えることもできない。
自分自身も所有できないのに他人のことを所有できるわけがない。

そもそも永久的にその対象を今のまま留めるということは、その対象以外の時間も留めるということである(すべては関係性でなりたっているので、一つがすべてに影響を与える)。
さらに、永久的に変化しないということは対比ができなくなるということであり、対比ができないならそれは存在してるとさえ言えなくなる。

つまり、
万物は流転する=何も所有できない
縁起=何も所有できない
ということなのかなと。

独占や束縛

そういった事実があるので、恋人のことも束縛したいとか、独占したいと全く思えない。
所有することは不可能なことであって、不可能なことをしようとしたってうまくいかないことがわかっている。

逆に言うと、所有したいという欲求があまりにも強いからこそ、徹底的に独占・束縛したいからこそ、不可能すぎて諦めるんだろう。

だから、恋人を束縛して、所有した気になれている人を見ると、
「その程度(の所有)で満足できて羨ましい」
とすら思う。

「欲求(欲望)が小さくて羨ましい」
とも言える。

今現在の恋人を独占・束縛しても、その恋人の過去や未来までは独占することができない。
それでは俺にとっては不完全なんである。

できることなら恋人の生まれた瞬間から死ぬ直前まですべてを所有したいのかもしれない。

『その対象自身になりたい』という欲求もある。
自分がその対象になってしまいたい、その対象になってしまうことが最大級の所有だと。

そういう事を言っている人はたまに見かけるし俺もそう思っていたが、自分自身さえも所有できないので、結局その対象になってしまえたとしても所有はできない。

まぁそれらは非現実的すぎるとしても、なんにしても、未来は未定。
今恋人を独占した気になっていても、未来で別れる可能性はゼロじゃない時点で、結局所有なんかできていない。
未来で、別の男とアナル・セックスをするかもしれない。
そう考えると、現在という小さい枠組みで独占することが馬鹿らしくなってくる。
(まぁ過去も未来も幻想であり、現在がすべて、現在という一瞬が永遠という考えもあるが。)

無限の住人か何かで、
「恋人を美しい状態に留めておきたいから殺した」
という男の話があった。

人間は刻一刻と変化していて、どこかに留まっていることがなく、毎時間別人とも言えるので、殺すことでその瞬間で相手の変化を止め、所有できるということなんだろうか。

しかしそれでも結局俺の思う所有ではない。
相手が死んでしまったらさすがに意味がないと俺は思ってしまう。

所有なんかしなくていいと思える楽さ

それは極端な例としても、巷の恋愛で、他人を所有できると思い込み、現在という枠組みの中で恋人を独占・束縛して、一時的に所有した気になったり、その所有が出来なくなった時に怒り出したりする人を見ると色んな意味で羨ましくなる。

俺はもう、他人を所有できないという事実に打ちひしがれて、他人のことを好きになることもなくなってきた。

逆に、
「所有なんかそもそもしなくてもいいけど好き」
という状態が一番楽だ。

例えば俺のオリキャラのちほちゃんなんかは別に所有したいと思わない。
むしろ、いろんな人にちほちゃんを描いて欲しい。
どんなシチュエーションと描いてもらっても構わない。
シェアしたいと思う。

好きな対象のことをそういう風に思えるととても楽だ。
(本当に所有したいという気持ちが湧いてきている対象に対して「シェアしてもらっていい」などと、思ってもないことを思って強がるのは違う。)

現実的な所有で満足するしかない

ただまぁ、便宜上の、仮の、所有というのはある。
と言うか上にも書いたように、すべての所有は便宜的なものであり仮のもの。

「仮にでも良いから」所有したい、というのはある。

例えば、ふつうに日常生活を送っていて、あの服がほしいとかギターがほしいとか。
厳密には所有じゃなく借りているだけだが。

あの人と付き合いたい、とか、一緒に過ごしたい、も、まぁ厳密には所有じゃないが、一緒にいないよりは、所有には近い気もする。

そうやって、『現実的な範囲』で所有して、満足するしかないんだろう。

俺はあまりにも欲求が大きすぎる。
欲求が大きいというのはつまり非現実的ということだ。

俺は10代の頃人生がつらすぎて寂しすぎて『タルパ』という脳内人物というかイマジナリーフレンドを作っていた。
俺はタルパなら『所有』できると思って色々やっていたが、今になって、タルパですら所有できないとわかり、諦めた。

もうタルパなんか作ることもないだろう。
(ちほのような、作品に使えて、みんなでシェアできる架空の人物は作るが。)

人が『何も所有はできない』と悟るのは、赤ちゃんの頃に母親の手から離れるときなんじゃないだろうか。
赤ちゃんは母親を永久に所有しておきたいのだが、時間が流れていることで、それは不可能だと悟る。
そしてその耐え難い苦しみに泣き叫ぶ。

ちなみにその、所有できないという事実に直面して、その耐え難い苦しみの泣き叫ぶ瞬間の情動というものに最近興味がある。
その時の情動こそ原初のエネルギーというか、その時の叫びこそ魂の叫びなんじゃないかと。

長くなりすぎるのでこの話はまた別の記事に書く。

まとめ

昨晩、数年に一度ぶりくらいにすごい情動を伴う良い夢を見て、それと関連してこの記事を書きたくなった。
もっと書きたいことは浮かんでた気がするが、面倒くさくなってきたのでここで終わる。

とりあえず、所有は幻想なんだから、現実的な範囲での所有、つまり便宜的な、仮の所有で満足するしかないんだろう。

それでもやはり、チホなどの脳内人物というのは俺が思う完全無欠の所有に近いっちゃ近い。
精神衛生を考え、そういう存在も持っておく。

ところで『所有はできない』というのも『思い込み』であり、自分の認知が自分の現実を作っているなら、その思い込みを変えれば永久に所有できるとか、何も所有できないなら、むしろすでにすべて所有している、とかの考えも浮かんできたが、長くなるのでまた別の機会に書く。

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