目標設定の方法や思考実験まとめ 自分が本当に『やりたいこと』をやり尽くすことが全て 結果的に他人の役に立っていればいい

目次

現状の外云々よりとにかくやりたいことを優先する

『目標は現状の外に設定しなければならない』
とする、メソッドがある。

俺は絶対に、現状の外云々よりもやりたいことを優先することをおすすめする。

やりたいことを目標に設定して、現状それができてないなら必然的に自動的に現状の外に出ることになるからだ。

例えば俺が、中性的で軽い中声を出したいというのは完全に『やりたいこと』だ。
だが現状満足に出せてないから、この現状を変えなければどしようもない。

『その調子で発声訓練続けてたらいずれ自由に出せるから現状の延長線上』
そなわけがない。

その調子で続けることすら難しいし、壁もどんどん表れる。

最近きいたことだが、
『今勤めてる会社の社長になるっていう目標は現状の延長線上だからアウト』
などという突飛なメソッドは、某自己啓発が日本に入ってきてから加えられたものだそうだ。

『目標達成法で奴隷を増やしたら意味がないから』
という理由で、らしい。

それを守った結果『目標達成法の奴隷』みたいな連中だらけになっている。

とにかく、強烈に
『やりてーんだよ!』
と思う気持ちが最優先だ。

現状がどうとかは、考える必要もない。
繰り返すが、やりたいことをやり尽くすには、必然的に、勝手に現状を出ることになるからだ。

目標を持たず現状維持を続けようとしても結局は現状から出ることになる

目標を持たず(もしくは現状維持をするという目標を持って)現状に頑なに留まろうとしても、周りの変化は止められない。
すると親しい人が変化しようとした時に気分が悪くなったり足を引っ張ろうとする心理が出てくる。
大多数の人間はそういった小さな苦しみをじわじわと一生味わうことを選んでいる。

それに、体や頭も老化で日々劣化していくので、それが閾値を超えた時には嫌でも現状を出ざるを得なくなる。
その時に大焦りで今までと似たところにまた安定しようとする。
目標を持たず現状維持を続けようとしても、結局は現状から出ることになる。

人生が大きく変化する時(現状を大きく出る時)には必ず強い恐怖や不安を伴う。
その時に現状側の世界に戻るか未来側の世界に進むかは完全に二者択一。

ちなみに俺は1月に1個下の月収7桁目前の自営の男二人と飲みに行った時がそれで、怖くて結局現状側に戻った経験がある。
その二人は営業の自営業だった。

片方はめちゃくちゃ意識が高く、
「広告収入事業にも精通してる経営者紹介しましょうか」
と言ってきたが、怖くて断った。

決断を迫られ、現状側を選択したことになる。
でも結局その後、相変わらず広告収入のためのブログ作業せずにナンパとかしたおかげで恋人ができたので俺は正しかった。

現状は、出さえすればいいというものではない。
危ないだけで、自分のやりたい事に関係のない現状の外もあるのだ。
と言うかそういうもののほうが多い。

だからこそ、
『やりたいことをやるには結果的に現状の外に出ることになる』
という視点が重要。

何度も書くが、そもそも、現状の外がどうとか気にせず、自分はなにがやりたいことなのかを考えるだけでいい。

『やりたいことだけやる』のは扁桃腺が働くか前頭前野が働くかで全く意味が変わる

目標設定どころか、とにかく人生は、
『やりたいことをやる』
ことがすべてなわけだが、
「じゃあうまいもの食べて酒飲んで寝てセックスしてればいいんですか」
と言い出す人は、煩悩肥大化してて、短期的で個人的な、枠組みが狭い欲求にしか臨場感を覚えられない爬虫類脳だ。

『未来の目標を叶えるための行動がやりたいことだ』
と言う人は、枠組みが広い、長期的な欲求に臨場感を覚えられる人間脳だ。

前頭前野が働いて、枠組みが広まれば広まるほど、三大欲求などの短期的で個人的な、枠組みの狭い欲求には囚われなくなる。
枠組みが広い、遠い未来にある目標のために今やるべきこと、が逆算でき、それが一番やりたいことだと心から感じられる。

逆に、扁桃体が働き、感情的になって枠組みが狭まれば狭まるほど、IQが下がって、三大欲求などの短期的で個人的な、枠組みの狭い欲求に囚われるようになる。

なので、
「やりたいことだけやれ」
って言われて、
「じゃあみんな、食って寝てセックスしてればいいんだな」
と考えてしまう人は注意したほうがいい。

個人的で短期的な、枠組みの狭い目標に囚われることが日常化している証拠だ。

ただ、扁桃体の大きさ(敏感さ)は生まれつき決まっている部分もある。
扁桃体は感情や恐怖や不安や感受性を司る部分。

やりたいことをやるにあたっては、恐怖の感情はいらないという意見もある。
生まれつき、枠組みが狭いことに囚われやすいということだから、大きな目標を叶えにくいとも言える。

ただあくまでそれは『スタート地点』は色々あるという話で、前頭前野を鍛えれてバランスをとればなんとでもなる。
それに、扁桃体が大きいと感受性が強く、声にしてもなんにしても、ものすごく細かいところに気付けるからメリットもある。

生まれつき扁桃体が大きい人は、扁桃体を忌み嫌わず、同じくらい前頭前野を鍛えればいい。
そうすれば、細かい処に気づくという扁桃体のメリットを活かしつつ、自分にしかできない長期的な目標を達成することができる。

その行動が本当に自分のやりたいことかどうか確認する方法

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とにかく、やりたいこと(自分が心からやりたいこと)だけをやるわけだが、何かをするとき、その行動が本当に自分のやりたいことかどうか確認する方法がある。
以下に箇条書きにした。

  • 自己責任。その行動の結果に100%責任を取れる。
  • 自分がやりたいからやっている。その行動をによって褒められたり社会的評価を欲しいと思わない。
  • その行動を心から「やりたい!」と思える。
  • 『周りに止められても』やりたいと思える。
  • その行動に夢中であり、何時間もぶっ通しでできる。時間を忘れる。
  • その行動に取り掛かるまでに何の気合もいらない。気がつくと自然に取り掛かっている。
  • 眠かったり体調が悪くても取り組みたいと思える。

どれか一つでも当てはまらない場合は完全にはやりたいことではない。

『本当に自分のやりたいこと』
と聞くと思い出すのは、2年前の夏。

FC2で配信をつけながら、SteamのKilling Floorというゾンビ系FPSを、知り合いと一緒に何十時間もプレイしていた。
その時はほんとに、ありえないほどあっという間に時間が過ぎ、疲れにさえも気が付かなかった。
上記の項目に当てはまっていたし、まさに『やりたいこと』だった。

小学生の頃にやっていたコルムオンラインというネトゲのときもそうだったし、最近だとドラクエ10をやっていたときもそうだった。
ゲームは、多くの人にとってやりたいことである場合が多いし、夢中になりやすいと思う。
ただ、煩悩的で短期的なことなので、目標にはなりづらい。

目標設定においては、そういった煩悩的なやりたいことは、やり尽くして満足してから、少しずつ利他的で長期的なやりたいことをやっていくことをおすすめする。

俺はこの1年未満で、大きな目標を二つ叶えた。

『実家を出る』
『処女とセックスして童貞を捨てる』
という二つの目標である。

その二つの目標は本当ににとてつもなくやりたいことだった。
現状への不満もものすごく、
「実家に住んでいる現状が耐えられない」
「処女とセックスできず童貞のままの自分が耐えられない」
という感じだった。

叶えたくて叶えたくて、常に『歯ぎしりしながら貧乏ゆすりをするほど』である。
何が何でも叶えた過ぎて、叶えずには死ねないというレベルだった。

そして、目標を達成するために必要なあらゆる行動をとりまくった。
結果、見事に二つとも叶えられた。

目標は、そのくらい、本音で、心の底から、気が狂うほど叶えたいというほどやりたいことでないと意味がない。

やりたくないことをやりたいことに変える方法

自分のやりたいことを感じ、長期的な目標を設定したのはいいが、そこから逆算して、
『現在やるべき、泥臭い作業』
は『やりたくない』と感じる人は多いはず。

『これはやりたいことだ』
という気持ちを持って行動するには、ある程度マインドの使い方というか『工夫』みたいなのがいると思う。

『露悪癖(物事の悪いところばっかり見る癖)』
みたいなのがあると、どうしても、やりたくないことであると感じやすくなる。

なので、やりたくないことにと感じている状態から、やりたいと感じられるようになる方法が必要だ。

その一つとして、その行動の良いところを挙げまくる、読み上げまくるというのがある。
俺はその行動の良いところ(メリット)を箇条書きにして文章にして、読み上げるなり音声聞き流しするなりして目標達成文を読み上げている。

とにかく、
「その行動はメリットだらけなんだ」
と潜在意識に刷り込んでしまえば、あとは自ずと行動できるはずだ。

あと、やりたくないことだからやる気がおきないんじゃなく、ただ『慣れてないだけ』ということも多い。
『習慣化』してしまえば、やりたいことどころか、『自動でできること』になる。

そう考えると、やりたくないのは最初だけで、ある程度続けてしまえば「やりたいことだ」とわかってくるといえる。
いかに『慣れてしまう』が肝心。

それは、その行動が単に『現状の外』なだけということもある。
やりたいことなのだが、それは現状の外だと潜在意識が認識しているから、『恐怖』を感じ、それを『やりたいことではないのではないか』と勘違いしているだけ。

どちらにしても、やってしまえばいい、やり続けてしまえばいい。
そうすれば現状の外に出た状態に慣れ、『習慣』になる。

やりたくないことの極地がわからないとやりたいことの極地もわからなくなる

上に、やりたいこととは、歯ぎしりしながら貧乏ゆすりをするほどやりたい事だと書いた。
逆に言うと、やりたくないこととは 歯ぎしりしながら貧乏ゆすりするほど強烈なやりたくないという気持ちだ。

やりたいこともやりたくないことも、極地を知る必要がある。

現状維持の生活では、『やりたくないことの極地』がわからなくなり、そのせいで『やりたいことの極地』もわからなくなる。
『やりたくないことの極地』を長い間経験しないでいると、『やりたいこと』がどんな感じかわからなくなる。
そうやって、対比がわからなくなるのが一番まずい。

だから、『強烈にやりたくないこと』を味わってみるのも手だ。

やりたくないこととやりたいことを混同しないために、つまり分離するために、どちらも知る必要がある。

最終的には『やりたいことだけやる』のが必要だが、
『やりたくないことを知らないとやりたいことだけやることもできなくなる』。

最終的には、使命を全うする、という意識になってくる。

とにかく『極地を知ること』が重要。
極地を知るには『本気でやる』ということ。

やりたいことにしても、やりたくないことにしても、本気でやっていない人は極地がわからない。

自分がなにをやりたいのかわからない人は、まず
『何をやりたくないのか』
からわかっていく手もある、ということ。

自分のやりたいことをやった結果人の役に立ってればいい

自分の目標(のための行動)によって、多くの人を幸せにできるに越したことはないが、結局は自分の『やりたいこと』が最優先。

自分のやりたいことを夢中でやった結果、多くの人の役に立ってればいい。

「多くの人の為を思って……」
と考えるうちに少しでもやりたくないことをやっている感覚になっていたらアウト。

「多くの人の為を思って……」
と考えるうちに『没個性』になっていてもアウト。

あくまで本当に自分がやりたい事が重要。

例えば親戚で集まった時に、
『子供がおもちゃで夢中で遊んでくれているおかげで、親戚一同も和やかになった』
という形が理想。

子供は別に親戚一同を和やかにさせようと思って、おもちゃで夢中で遊んでいるのではない。
本当に自分がおもちゃで遊びたいから遊んでいるのであって、その結果親戚一同が和やかになっただけ。
なにかこういったことを説明することわざもあった気がするが忘れたが、とにかくそういう形が理想。

ただ少なくとも、グルメとか酒とかセックスとか、身体的心地よさに囚われた目標はさすがに卒業したほうがいいかもしれない。
ちなみに、煩悩に基づいた目標は、やらずに離れる(空観的、東洋式)より、徹底的にやって飽きる(仮観的、西洋式)ほうがおすすめ。

例えば俺はなんとしてでも処女とセックスしたくて、実際にやらずにはその煩悩から離れることはできなかった。
それがグルメの人もいるだろうし、海外旅行とか高級外車とかの人もいると思う。
とにかく、どうしてもやらずに離れられそうにない場合は、多くの人を包摂していなくてもいいので、なんとしてでも叶えてしまうと良い。

ちなみに、そういった煩悩的目標も、本気で叶えている過程で、気づかないうちに多くの人の役に立っていることもある。

以前の俺の、
『なんとしてでも実家を出る』
という自分のことしか考えてない目標も、結果的には大いに両親の役に立った。
全く想定していなかったが、今、母親は俺が実家を出てくれたことに至上の感謝をしてくれているようだ。

多くの人を包摂した目標は、
『本当に人のためにやることが至上の喜び』
だと感じられ、本当に自分のやりたいことであり、それに心から夢中になれるならいい。

ただしそれは、相当出来た人間や、上に書いたような煩悩の目標を叶え尽くした極少数の人間しか思えないことだ。

利他に至上の喜びを感じられない大多数の人間は、多くの人を包摂するとかは考えず、まず煩悩でもなんでもいいので、徹底的に自分のやりたいことを優先すべきだ。
徹底的にやれば、必ず飽きるなり満足なりして、次は人の喜ぶことをしたくなる。
無理をするのでもなく、媚びを売るのでもなく、自己犠牲をするのでもなく、自然とその気持ちが湧いてくる。

繰り返しになるが、
『やりたいことをやりまくってたら、結果的に多くの人を幸せにしていた』
というのが理想だ。

やりたいことだけやるとレバレッジが効き他の人もやりたいことができる

やりたいことだけやると、必然的にレバレッジが効いていく(最小限の力で最大限の成果を出す)ことになる。
夢中でやっていると、エネルギーがどんどん出てくる上に披露が少なく、結果もどんどん出て、とても効率がいい。、

レバレッジを効かせるということを否定したら、いつまで経っても技術も進歩しないし事業も拡大できない。
最小限の力で回るようにすれば、その時間に別の仕事に充てられるから事業を大きく出来る。

構造的にどうしても、これ以上レバレッジを効かせられないような仕事にそれを適用しようとして崩壊したらまずいが。
どう考えてもレバレッジを効かせられる仕事を、いつまでも非効率的にやってるほうが怠惰というか思考停止。
楽しよう便利にしようという気持ちがなかったら、パソコンとか人工知能とか便利グッズとか一切発明されなかった。

だから、
『やりたいことをやることを否定している人』
『レバレッジを効かせることを否定している人』
は奴隷に近い。

自分がやりたくないことでも、どうしてもやりたい人はいる。

そういう人にお金を払うなどして、その仕事を任せてしまえば、自分はやりたいことしかやらなくて済む。
なおかつ、その人もやりたいことできてお金がもらえる。
分担ということ。

それをしていかないと、
『自分はそれをやりたくないけど仕方なくやって、それをやりたい人はやりたくてもできない』
となる。

やりたい事をやりたい人がちゃんとやれるようにすれば、みんながやりたいことをできる。

自分が本当にやりたいことなら本気でやる 自分を限界まで追い込む必要もある

自分で稼いで実家を出る、童貞を捨てるという二つの目標を死に物狂いで達成して燃え尽き、次第に、肩の力を抜いて目標を達成することばかり考えていた。
だが、やはりそれだけでは足りない。

少し前、とある人に
「おなもみさんは苦しんでいるように見える」
とか言われてショックを受けて悩んだりして、俺は
「苦しんではいけないんじゃないか、自分を追い込んではいけないんじゃないか」
などと思いこんでいたが、大間違いだった。

本気を出して自分を追い込まないと到達できない境地

某自己啓発でもよく、
・目標は自動的に叶う
・他力本願(ほんとうの意味での)、絶対他力
・楽しんでやる
・好きなことを夢中でやる
・がんばってはいけない
・努力してはいけない
などと言う。

確かにそれらも重要だが、それだけでは足りない。
本当にやりたいことをやるなら、本当に結果を出したいなら、本当に何かを実現したいなら、本気を出し、徹底的に自分を追い込み、限界まで行く、限界を知る、ということも絶対に必要だ。

肩の力を抜き、ニコニコ笑顔で、楽しそうに目標を達成していけるのは理想的に見えるが、それでは到達できない境地がある。
徹底的に自分を追い込み抜き、執着し続け、極限の精神状態に行かないと、到達できない境地がある。

ただこれは、どっちが良いとかの問題ではない。

前者は、Youtuberのように、肩の力を抜いて楽しいことをやって人々を楽しませ、何億と稼いだりする人。
後者は、作家、小説家、映画監督、ミュージシャン、画家、彫刻家のように、徹底的に悩み抜き、産みの苦しみや自分自身や妥協や甘えと戦い、結果、後世に残る作品を作ったりする人。

どちらの人も必要なので、上に書いたように
「目標は自動的に叶うから自分が今苦しんでいるのはおかしい、自分を追い込んでいるのはおかしい」
とか、
「楽しんでやらないといけないのに、苦しいからこれは間違いだ」
とか思うのは大間違いだ。

その考えは、後者の人の存在や、後者の人のようになろうとする自分を否定することになる。

『自分が本当にやりたいことをやり、叶えたい目標を叶えていく』
というのが前提なわけだが、そのジャンルによっては、目標までの過程に、肉体的・精神的な苦しみが伴うようなものなんかいくらでもある。
それでも、それが『本当にやりたいこと』なら、やるだけの話。

例えば、スポーツ選手やボディビルダーは、目標のために過酷な減量やトレーニングをやっているが、あんなものどう考えても苦しいに決まっている。
映画監督が、どのカットを採用するかという吟味も苦しいらしいし、一発撮りのロックバンドの緊張感も相当苦しいらしい。

そんな、
『過程においてどうしても自分を追い込む必要性のある目標』
を持っている人たちが、全員、
「苦しんだらだめだ、目標は自動的に、楽に叶うのが正しいんだ」
とか思い始めたら、世の中から、
『本気を出さないと生み出せないもの』
が一つ残らず無くなってしまう。

よっぽど苦しみが悪と思っている人は、
「苦しんでる人、自分を追い込んでいる人なんか必要ないから、そういう人たちが生み出したものさえもいらない」
とか思ったりするんだろうが、少なくとも、俺を含む多くの人が胸を打たれてきたのは『人の本気の姿』や『人が本気で作ったもの』じゃないかと思う。

それを否定するような人間を、俺は正しいと思えない。

本気も脱力も臨機応変

だがさすがに、24時間365日、そこまで自分を追い込んでばかりいたら冗談抜きで死んでしまう。

だから、『本気』も、『脱力』も、どちらも出来る『自在性』が必要。

「苦しんだらダメ、努力したらダメ、頑張ったらダメ」
という観念に自分を縛り付けている人間は、肩の力が抜け続けて、本気でやることができず、自分の限界も知ることができない。
そして、苦しんでいる人、自分を追い込んでいる人を見て、茶々を入れたりする。

だが逆に、
「妥協を絶対に許さない、肩の力が抜けている奴は絶対に許さない」
という人間は過労死したり、他人を過労死に追い込んだりもするだろう。

だから臨機応変、自在性が重要。

『やりたいことをやる』のは命懸け

上に書いてあることすべての大前提は、それが、
『自分の本当にやりたいこと』
であるということ。

ブラック企業で働かされたり、ブラック部活で苦しまされたり、毒親に命令されたりするような、他人に強制された、
『やりたくもないこと』
『やらされていること』
で自分を追い込むのは『前提』からして間違っている。

そんなことをやっても何の得もないので、一切やる価値はない。
自分が苦しんでいる間に、それを焚き付けた上の人間が甘い蜜をすすってるだけだ。

だが、『自分の本当にやりたいこと』なら、上述のように、死ぬほど自分を追い込むことも必要だ。
そのやりたいことの中に、楽しいだけではたどり着けない境地があり、そこに『行きたい』と思うのなら、なんとしてでも行くしかない。

『やりたいことをやる』という言葉にはどこか気の抜けた印象がある。
楽しいだけで完結しそうな印象。

だが実際は『やりたいことをやる』というのは命懸けだ。
その事にやっと気づいた。

だから自分を限界まで追い込むことも必要。

「『やりたいことやる』ためなら手段も精神状態もいとわない」
というくらいの気概が必要。

いや、必要というより、自然に湧いてくるはずだ。
もし湧いてこないなら、それが本当にやりたいことなのか疑ったほうがいい。

『やりたいこと』の中には、楽しさも苦しさも、あらゆる感情が含まれている。
人生は『やりたいことをやる』ためだけにある。

ラモスに見られる、自分を追い詰める、というやり方は、自分を追い詰めていく対象を好きでなければ成立しない。
ラモスがサッカーを好きではなかったら、それはただの苦行になってしまう。

好きなこと、自分にとっての最優先事項、それがなくなると自分が崩壊してしまうようなもの、まずそれがなくてはならないのだが、そんなことが、長いものに巻かれるのが良いとされているところで手に入るだろうか?

出典:村上龍 すべての男は消耗品である Vol.4

すべての目標は『既に』自動的に叶っている

ところで、某自己啓発で言うところの、『目標は自動的に叶う』とか『絶対他力』の話だが、そんな言葉に縛られる必要はない。
この世は縁起、絶対他力の世界であり、『真の自由意志』は無いので、死ぬほど自分を追い込むのも、楽に進んでいくのも、結局全部『自動的』の枠組みに包摂されるからだ。
(他力本願とか絶対他力については調べてください。)

それなのに、
「目標は自動的に叶う、勝手に叶う」
とか思っていると、その言葉には『楽をする』というニュアンスが含まれるので、本気を出せない自分になっていく。

繰り返しになるが、楽しようが本気を出そうが、何をやろうが、全部自動的であり、自分の力ではない(絶対他力)なので、意識したところで仕方がない。

そんなことより、
「自分がなんとしてでもやりたいこと、叶えたいことはなにか」
「そのために今やるべきことはなにか」
「そのために今本気で自分を追い込むべきなのか、それとも休息すべきなのか」
などを考えたほうが有意義だ。

ちなみに『頑張る』と『努力』という言葉は今でも嫌いだ。
『やらされている』感がニュアンスとして含まれているように感じる。
だから俺は『自分を限界まで追い込む』などの言葉に言い換えている。

『自分が本当にやりたいこと』と『自分にしか出来ないこと』

そして、自分が本当にやりたいことというのは、その結果も過程も、他人とは一切比較できないものだ。

『似たような目標でも、他人は楽に叶えているのに、自分は、必死で自分を追い込まないと達成できない』
みたいな状況になっても気にすることはない。
それが本気で自分のやりたいことなら、『必死で自分を追い込まないと達成できなかった』という事実すら財産になる。

つまり、過程も結果も、
『自分にしか出来ないこと』
だということ。

というか、
『自分が本当にやりたいこと』
と、
『自分にしか出来ないこと』
は必ずセットだ。

『自分が本当にやりたいことを貫徹する』
すると、自動的に、
『自分にしか出来ないこと』
が見えてくる。

『自分にしか出来ないことをやろう』
と思うと、自動的に、
『自分が本当にやりたいこと』
が見えてくる。

結論としては、『やりたいことをやる』ためなら、どんな状態になったっていいということ。

「苦しんでるように見える」
とか言ってくる人間は、ただの『脱力固着』の人間だと思うので、そういう意見を聞き入れる必要はない。

そういう人間は苦しむことを怖がるあまり、やりたいことが満足にできずにいる可能性も高い。

上述のように、やりたいことをやる時には、苦しむことも楽しむことも全部必要であり、その中のどれかを嫌悪したり畏怖したりしている人は、その時点で、やりたいことが完全にはできていない。
やりたいことをやる権利がないとすら言える。

やりたいことをやっている人は、苦しんでいる姿も、休息している姿も美しい。

枠組みの狭い目標(小さな目標)はころころ変わっていい

『何が何でもやりたいことを目標に設定する』
というのと同時に、
『目標は毎瞬間、更新・変更していい』
という矛盾した二つがある。

つまり、『枠組みの狭い目標』は気軽に変更していいということ。

例えば、すべての目標の上位概念に位置するという意味で、最も枠組みが広い目標は
幸福であること。

この場合の幸福の定義は人によると思うのでややこしいが、俺を例にあげると、
『充実感・達成感・満足感がある状態』
だ。

その目標の下位に位置する、
『仕事で出世する』
『お金を稼ぐ』
『健康であり続ける』
という目標はすべて、
『枠組みの狭い目標(小さな目標)』
ということになる。

『幸福である』
という、最も大きな目標が優先されるべきなので、
『枠組みの狭い目標によって幸福でなくなってしまう』
ということになったら困る。

枠組みの狭い目標(小さな目標)というのは、目標であると同時に、
『上位の目標を達成するための手段』
なので、変えてもいい。

手段は変えてもいい、という当たり前のことだ。

だから、目標を書いたメモや目標達成文は、『迅速に変更できるような媒体』にしておくことをおすすめする。

『大昔に設定した目標に固着する』
というのは最悪だ。
小さい目標であればあるほど、ころころ変わっていい。

周りにころころ変わってると言われようが、
『幸福であるという最も枠組みが広い目標はずっと変わっていない』
なら、それでいいのである。

人に自慢や報告をしないとしてもその目標を達成したいかどうか

目標(または最優先事項・仕事)は『個人的なもの』かつ『多くの人を包摂したもの』が良い。

それに加えて、
『人に自慢や報告をしないとしてもその目標を達成したいかどうか』
というのも重要。

結論から言うと、
『人に押し付けられた価値観に基づいた目標だから、達成した際に自慢や報告を必要としてしまう』
『人間関係を最優先事項にしているから、達成した際に自慢や報告を必要としてしまう』
ということ。

思考実験として、
「その目標を達成したことを、近しい人に、自慢とまではいかずとも、報告したりしなくても、達成したいかどうか」
つまり
「自分の親しい人が、自分がその目標を達成したということを知ることができないとしても、その目標を達成したいかどうか」
を自分に問うてみる。

芸能界デビューするというような目標だとどうしても知られてしまうので別として、例えば海外旅行をするという目標があったとして、それを人に一切報告や自慢ができないとする。
それでもやりたいかどうか。

もしそれだとやりたくないと思う場合、それは本当にやりたいことではないかもしれない。

その目標は、
『他人に押し付けられた、すごいと思うこと』
でしかないかもしれない。

他人にすごいと思い込まされていることで、それをやったら他人に認められるから、やりたいと思いこんでいるだけかも知れない。
だから、『自慢』や『報告』が必須になってしまう。

以前、
『恋愛を最優先事項にしてはいけない』
と書いたが、最近は、
『そもそも、人間関係を最優先事項にしてはいけない』
と思っている。

『目標達成後、自慢や報告が必須』
という状態は、
『人間関係を最優先事項にしている』
という可能性もある。

自慢や報告を必要とする目標は苦しい

『人に報告する必要も自慢する必要もないが絶対に達成したい目標』
というものこそ、本当にやりたい目標だ。

例えば俺の達成したものだと、
『処女とセックスして童貞卒業する』
なんていうのがあった。

その目標は、
「童貞はクソ」
と言う他人からの刷り込みや男たちからのマウンティングによって、強迫観念的に押し付けられた目標だった。

だから、達成した時は色んな人に報告しまくったりした。

童貞卒業の目標に関しては、本当に執着していたので達成しないとどうにも仕方なかったが、今後は、そうやって他人に押し付けられた目標ではいけないと思う。

端的にいうと、そういう目標は苦しい。
他人に報告や自慢をしないと達成した気がしないような目標は、本当にやりたいことではなく、やらされている目標だ。
繰り返すが、他人に押し付けられた価値観に従った目標だから、自慢や報告を必要とする。

『自分がその目標を達成したことを、誰も知らない』
『誰にも報告する必要がない』
そんな目標こそ、真のやりたいことなんではないかと思う。

『人に自慢や報告をしないとしてもその目標を達成したいかどうか』
または、
『その目標を達成した際に、必ず報告や自慢をしたいかどうか』

どちらも同じ意味だが、この問いというか思考実験は、
『その目標が本当にやりたいことかどうか』
『他人に押し付けられている、やらされている目標ではないか』
を判断するのに相当役に立つ。

そしてそれだけでなく、
『人間関係を最優先事項にしていないか』
も判断できる。

上にも書いたように、
『恋愛どころか、そもそも人間関係というもの最優先事項にしてはいけない』
と俺は思う。

明日死ぬとしてもそれをやりたいか お金が無限にあってもそれをやりたいか

『明日死ぬとしてもそれをやりたいか』
という思考実験は有名だ。

それもいいが、
『お金が無限にあってもそれをやりたいか』
という思考実験のほうが有効な気がする。

『明日死ぬ』のほうは、
『3ヶ月後死ぬ』
『3年後死ぬ』
『30年後死ぬ』
『300年後死ぬ(300年生きられる)』
とかもあるようだ。

ただし、『明日死ぬ』という思考実験だけやってたら短期的なことしかできない人間になる危険性がある。
だから、3ヶ月~300年も加えて思考実験したほうがいい。

でもそれだと微妙に時間がかかる。

俺としては、『お金が無限』のほうだけでもいい気がしている。

それか、二つを合わせて、
『お金が無限にある状態で、明日~300年後死ぬとしたらそれをやりたいか』
とかやってみるといい。

負のイデア(ジェンダー観・年齢観・人種観)に影響を受けないこと

身体と心は同じもの(相互作用)ではあるが、その事実を認識して、どちらがどちらにどう影響を与えるか自分でコントロールできるようになるのが重要。
例えば、ジェンダー観・年齢観・人種観が持つ負のイデアに影響を受けるのはまずい。

ジェンダー観で言えば
「私は女だから難しいことはわからない」
「私は女だから守られていればいい」
「俺は男だから細かいことはどうでもいい」
「俺は男だから暴力的でいい」
というようなこと。

実際はそれらをしなければいけないときでも、ジェンダー観を言い訳にしてできないことにする。
身体の問題なら仕方ないが、心の問題ならいくらでも変えられるのに、世間一般のジェンダー観に無意識に引っ張られて自分の可能性を殺している。

年齢観も同じで、
「もういい歳だからできない」」
「まだ若いからできない」
「いい歳こいて」
「ガキのくせに」
というようなこと。

年齢を言い訳にして挑戦しなくなったり、挑戦している人をけなしている。

前にも書いたが、性別と違って年齢は、公表しなければわからない程度の曖昧なもの。
サバを読むこともできる。

初対面の人が、見た目も精神も若く見えたなら、その人は若いんである。
年齢というただの『数字』を絶対視して自分の可能性を狭めるのはあほだ。

人種観についてもたぶん同じで『日本人だからできない』『日本人だから陰湿』などという感じ。
人種全体の傾向として陰湿があったとしても、自分がそれに引きずられるかどうかは自分の判断だ。

重要なのは性別や年齢や人種ではなく、多くの場合自分次第でコントロールできるので、負のイデアに引っ張られず目標を設定すべきだ。


このブログの記事は、一学習者・一素人の気付きとして書かれたものです。
特に目標達成法に関する記事の内容は、安易に実践すると危険な場合がありますので、自己責任でお願いします。

筆者である髭林おなもみや、記事内容について気になることがあったらお気軽にご連絡ください。
髭林おなもみのプロフィールと活動一覧 職業や経歴など
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俺のプロフィールは、
『髭林おなもみのプロフィールと活動一覧 職業や経歴など』
を参照してくだ…

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