目標を達成するための人間関係の構築法 良いエネルギーを交換すれば勝手にやる気が出て自動的に行動できる あくまで仕事が最優先

エネルギーは人間関係の中からしか生まれない 一人孤独になると感傷や過去志向に陥る

名古屋に引っ越してから1年経つが未だにリアルで遊べる友達がいない程度に孤独で、タイトルのようなことを思った。
思ったというか思い出した。

結局、行動するエネルギー、何かをしたいというモチベーションなどは、人間関係の中からしか生まれない。
この世は縁起であり、他力本願、絶対他力本願の世界なので、あらゆるエネルギーは人間関係がないと生まれない。

友達がいっぱいいると、
「あれやろうぜ!」
とかいう話も出てくる。

友達に、
「あれやってみせてやりてえ」
とかも思ったりする。

せまいコミュニティ(共同体)でイキるのはダサいが、エネルギーが湧いてくるということだけはどんな人間関係でも共同体でも同じ。

もちろん、気の合う人達がいいし、好きなコミュニティがいいが、自分をいじめてくるようなろくでもないコミュニティでも、怒りや憎しみといったエネルギーは出てくる。

とにかく、人と人とが触れあえば、正であれ負であれ、エネルギーは必ず生まれる。

一人になると感傷的になる

前からそうだが、最近特に感傷と過去志向がひどいなと思ってたが、原因は人間関係だ。

外をぶらつくとつらくなるのも、一人だからだ。

人と触れ合ってるときは、自分の過去を思い出して感傷に浸ったりはしにくい。
特に、気が合う人と一緒にいると、自然に、未来のことを語ろうと思えてくる。

正直、感傷や過去志向は、未来の目標を達成するのに殆ど役に立たない。
達成速度を遅くするだけだ。

過去の何かが、目標達成への強烈なエネルギーとなったり、過去の何かを目標達成の材料に出来るならいいが、感傷は停滞だ。
いや、感傷は休息だとすると、目標達成のためにハングリーになりすぎたときのために必要かも。

まぁとりあえずバランスが重要。
感傷に浸りっぱなしでは目標達成は絶対無理だ。

で、一人になると感傷的になりやすいなら、やはり人とつながったほうが良い。
もちろん目標達成に関係ある人というか、自分の好きな人とつながる。

ただ、一人で打ち込まないといけないこともあり、そこをうやむやにして、常に人と癒着するのも違う。

大きなことを成し遂げる人、例えば芸能人やミュージシャンや経営者などは、やはり知り合いが多いと言うか、スタッフなど関わる人が多い。
自分ひとりのエネルギーで成し遂げられることなんか、高々知れている。

やはり、ある程度大きなことを成し遂げたいなら人間関係は必要だ。
どうしても一人でいたい、大きなことを成し遂げたくない、というのが目標ならどうでもいいことだが。

とりあえず俺はある程度大きな目標があるのにもかかわらず、それに対して孤独すぎ、感傷もひどすぎるので、もう少し人とのつながりを増やそうと思う。

目標は個人的なことかつ多くの人を包摂していること 恋人や親しい個人を最優先にする危険性

ここ最近、とにかく人生の『最優先事項』というものに関して考えている。

バランスよく目標を設定するのではなく、何かを一つを最優先にしほかはいい意味でどうでもいい、という状態が理想だとわかった。
何を最優先にするかだが、少なくとも分かっていることは、『恋愛』ではないということ。
もっと言うと恋人や、親しい個人(家族など)を最優先にするのは絶対に間違っているということ。

それをしてしまうと、必ず人生全てがうまくいかなくなってしまう。

俺の最優先事項は広告収入でお金を稼ぐことだ。
それ以外の、お絵描きや発声訓練はあくまで『どうでもいいこと』であり、イメージの世界で完結してしまっても良いようなこと。

某自己啓発に影響されていた時は、
「全てをバランスよくやらないといけない」
と思っていたがそれでは突出できない。

やはりもともと『一点集中型』の俺には、
「最優先事項を一つ決めてそれだけは何としてでもやる」
というスタイルのが合っているようだ。

最優先事項とは、誰しも結局『仕事』ということになってくる。
散々書いているが、仕事とは労働や経済活動のことではなく『人生を通してやり遂げたいこと』である。

最優先事項は個人的に取り組めること

そう考えると最優先事項つまり仕事が、『恋愛』や『恋人』というのはおかしいということがよくわかる。

「人生の中で恋愛を仕事にしてやりきる」
というのは意味がわからない。

恋愛を何よりも優先し全力をかけるというのはどう考えても不健康だ。
恋愛だけでなく、家族や個人という枠組みの狭いものを最優先にすることもおかしい。

最優先事項はあくまでも個人的なもので、一人でも取り組めるものであるべきだ。
なおかつ静的に多くの人を包摂しているものに限る。

例えばものづくりだったり専門職だったり、お絵描きだったり歌だったり、とにかく一人でどこまでも打ち込めるもの。
そしてそれを受け取る人が多いこと。

これが例えば恋愛なら、動的に特定の一人に力をかけ続けることになる。

「旦那命、旦那最優先」
という人いるようだが、それも同じで、動的に一人の人間という枠組みの狭いところに執着し続けることになる。

そうすると、執着された対象は疲れるし、執着する方も、一個人の状態に左右されることになるので、結局うまくいかなくなってしまう。

夫婦なら、お互いが個人的な最優先事項を持っていて、その上で、生活や精神を支えあえる、価値観が合うから、一緒にいて愛し合えるというのがいい。
どちらかがどちらかを最優先にしたり、またはどちらもがお互いを最優先にしている関係はうまくいきづらいだろうし、苦しいだろうと思う。
『自立』していない証拠でもある。

最優先事項は本当にやりたいこと

あくまで最優先事項というのは個人的かつ、包摂する人間の多いものにすべき。
最優先事項が特定個人であってはいけない。

繰り返すが俺にとって最優先事項は広告収入であり、それ以外の、恋愛もセックスもお絵描きも発声訓練もを全てどうでもいいものだ。
あってもなくてもいいものと言うか、気分でやればいいこと。

最優先事項は気分に左右されていてはいけないし、何が何でもやらないといけない。
本当にやりたいことなのであり、そのためには自分を追い込むことも必要になってくる。

それを一個人にしてしまうと、その人が亡くなったりすると自分も生きていけなくなる。
広告収入や専門職やものづくりなど一人で打ち込めることなら、自分がそれに興味を失わない限りはなくしてしまうことがない。

その仕事自体がなくなることはあるかもしれないが、また別の、一人で打ち込めることを探せばいい。

あれ、そう考えると一個人がなくなっても別の一個人を探せばいいことになるか。
いや、上にも書いたように、そもそも一個人に執着すると、過程でも結果でもろくなことがない。

一個人を最優先して、何を成し遂げられるのか、ということ。
成し遂げることは、多くの人に影響を与えるものであるべき。

最優先事項に限らず、一個人に執着することは色々と危ない。
まぁ、旦那の大きな仕事を支える、という妻もいるだろうし、一概には言えないが。

俺はとりあえず、恋愛や一個人を最優先にすることはないと思う。
ただ、その人と一緒にいる時はその人が優先だが。

あくまで人生単位で見たときには、最優先事項が最優先ということ。

人間関係を最優先にしないから人間関係がうまくいく

上に、
『恋愛を最優先事項にしてはいけない』
『最優先事項は、個人的なことかつ多くの人を包摂していることじゃないといけない』
『達成時に人への自慢や報告を必要とする目標は、真のやりたいことではない、やらされてることだ』
などと書いた。

それらをまとめて、さらに言いたいのは、
『恋愛どころか『人間関係』さえも、最優先事項にしてはいけない』
ということ。

結論から言うと、
『人間関係を最優先事項にしないからこそ、目標も人間関係もうまくいく』
ということ。

勘のいい人はすぐに気づくと思うが、なぜ恋愛を最優先事項にしてはいけないかというと、そうすると結局恋愛がうまくいかなくなるから。

恋愛に最も重要なものは『時間』であり、恋愛を最優先事項にしてしまうと、恋愛を顕微鏡で拡大視するように見てしまうせいで、恋愛における『待たなければいけない時間』というものに耐えることができなくなる。
そして焦り、判断を誤り、結局うまくいかなくなる。
(このほとんどは村上龍氏のエッセイからの受け売りだが。)

それに加えて俺は、
「人間関係さえも最優先事項にしてはいけない」
と思った。

地球上のほぼ全ての人間は、人間関係の事に悩んでいる。
ドラえもんの独裁スイッチを使ったあとのように、自分以外の人間が地球から消え、この世にひとりぼっちになったら、全ての悩みはなくなるということは心理学などでもよく言われている。

それくらい人間は人間に執着している。
食やお金の執着は、がんばれば切れるが、人への執着は死ぬまで切れない、という意見もある。

そこであえて、人間関係以外を最優先事項にするのが重要。

人間への執着

それは例えば、ファーブルにおける虫とか、さかなクンにおける魚とか。
ファーブルは人間よりも虫を優先してたはずだし、さかなクンも、人間関係よりも魚を優先しているはずだ。

ファーブルがどういう人間関係を持っていたかは調べてないのでわからないが、少なくともさかなクンは人間関係がうまくいってる気がする。
結婚とかはしてないかもしれないが、少なくとも人間関係に苦しんではいなさそうだ。

『恋愛がうまくいっている人は、恋愛を最優先事項にしていない』
というのは何度も書いているとおりだが、
『人間関係がうまくいっている人は、人間関係を最優先事項にしていない』
という可能性が高いと最近思い始めた。

俺は自他共に認める人間関係の破壊者だが、その原因は結局のところ人間関係を最優先にしていたせいかもしれない。

俺は無類のおしゃべり好きで、人といくら揉めても配信を続けているし、通話も好きだし、チャットも好きだ。
目標を達成した時は、必ず親しい人に報告したいと思ってしまう。

それらの『人間への執着』が結局のところ、人間関係がうまくいかない理由になっている。

俺は仕事が最優先事項だと言っていたが、無意識ではまだまだ人間関係が最優先になってしまっているんだと気づいた。

人間関係でなく、虫とか魚とか鳥とか鉄道とか建築とか科学技術とかゲームとかパズルとか、そういった、人とのコミュニケーションや人格とあまり関係のないものを最優先にし、本気で楽しみ、探求していくことが重要。
この世にあるものはほとんど人間が作ったものなので、どうしても縁起的には人間の意志や人格があらゆるものに入ってくるが、直接的でなければ構わない。

俺が夢中になっている『声』は正直言って、人格やコミュニケーションそのものなので危険かもしれない。

人間関係以上に夢中になれるもの

人間とのコミュニケーションや、人格というものを最優先事項にすると人間関係も仕事もうまくいかなくなる。
だから人間関係以外を最優先にすべきだが、それはかなり難しいことだ。

人は根源的に寂しさがあると思うし、他人がいないと自分を確認できない。
嬉しいことがあったら報告したくなるのは普通だし、本能的に、女性とセックスもしたくなる。

別にそれらをするなと言ってるわけではない。
それら以上に夢中になれることが必要だということ。

ファーブルにおける虫、さかなクンにおける魚。
そのような、人間関係以外で、本気で時間を忘れるほど夢中になれるものが必要。

人の世であり、人がいないと生きていけない、という事実があるからこそ、あえて人間関係以上の物が必要だ。
今俺はそれを探している。

もちろん広告収入事業は最優先事項なのだが、どうしてもその作業の息抜きに人にLINEしたり配信をつけてしまったりする。

発声訓練やお絵描きなどもやっているが、お絵描きだって前にも書いたようにセリフがメインになってきて、つまりオリキャラの『人格』に執着している。
これは結局リアルの人間関係の代償行動だ。

例えばお絵描きでも、無機物を描くことに夢中になるとか、人間を描くとしても、人格でなく『体の曲線』などに夢中になってみるとかそういうことが必要。

他にも以前、
「オンラインゲームじゃないとゲームが楽しめない」
と書いたが、それも人間関係を最優先事項にしているわかりやすい例だ。

誰とも交流せずに、一人プレイのゲームを延々と夢中でできるくらいがいい。

繰り返すが、
『人間を拒絶しろ』
と言ってるわけではない。

『人間関係以上に夢中になれるものがあるからこそ、人間関係が勝手にうまくいく』
『だから、人間関係以上に本気で夢中になれるものを本気で探す必要がある』
ということを言いたい。

俺はそういったものを見つけたい。
広告収入事業はけっこう人間に関連しているので、もっと人間から遠いものを優先順位に加えていく必要がある。

優先順位としては、
1位 仕事
2位 人間関係以外のなにか
3位 人間関係・恋愛
くらいがいいかもしれない。

人間関係に悩まされないコツは『人間関係を最優先にしないこと』

『この世の悩みのすべては人間関係が原因』
という説がある。

ネットを見てもテレビを見ても、恋愛をはじめとして、職場の上司がどうとか学校のいじめがどうとか、とにかく『人間関係』に関することばかり取り扱っている。

その中には人間関係をうまくいかせるコツ、みたいなのも山程あり、心理学、精神分析、スピリチュアルなどありとあらゆる方面から人間関係の悩みを取り払ったり円滑に進めるためのノウハウが考えられている。

それらのほとんどは『人間関係そのもの』にフォーカスしたものだ。

少し前から俺が言っているのは、
『人間関係を最優先にしないから、人間関係がうまくいく』
という、『人間関係以外』にフォーカスしたものだ。

宇宙には、
『フォーカスしているものがどんどん大きくなっていく』
という法則がある。

言い換えれば、執着すればするほどそれに囚われ、それに似ていったりするということ。

人間関係そのものフォーカスしたノウハウも当然役に立つのだが、そればかりだといずれは行き詰まる。
悩みにフォーカスすればするほど、悩みが肥大化していくというパターンだ。

悩みにフォーカスすることで解決すればいいが、その悩みの根源(この場合は人間関係)に慢性的にフォーカスしている以上、また悩みは出てくる。
まぁ出てきてもいいのだが、あまり出てこさせたくないという場合は、人間関係そのものからフォーカスを外すということが重要になってくるように思う。

簡単に言うと、
『人間関係以上に夢中になれることを見つける』
ということになる。

前から言っているように、ファーブルにおける虫、さかなクンにおける魚のような、人間とはほとんど関係のない物事に没頭するということ。

当たり前といえば当たり前だが、そうすることで人間関係のトラブルは驚くほど消える。
俺も昨年11月くらいからそんな感じだが、人間関係のトラブルがなくなったのはもちろん、寂しいという気持ちもかなり軽減された。

孤独、といえばまさにその状態だが、その状態も自在性の一つとして絶対に必要だ。

放っておいても自動的に起こること

特に最近思うのは、宇宙には、
『放っておいても自動的に起こること』
というのがあるので、自分がすべき意識としては、
『放っておいても自動的に起こること以外』
にフォーカスをあわせることでバランスがとれる。

例えば、人は放っておくと自動的に人とつながろうとする。
自動的に人と人がつながり、共同体を作るようにできている。

もし、人は放っておくと孤独になる、という法則が働いているとすると今とは真逆の世界になっているはずだ。
というか滅亡しているだろう。

あとはいつも言っているように、
『宇宙は放っておいてもバランスをとろうとする(融合・混合しようとする)』
ということ。

だからこそ自分がすべき意識としては『分離』を優先することが必要になる。

放っておいても勝手に人と繋がるんだから、さらにそれを意識的にやるのは無駄であり、偏りすぎる。
自分がすべき意識としては、『孤独になろうとする』くらいでちょうどいい。

それでも、仙人のような完全な孤独になるということは多分ありえない。
一歩街に出れば人が歩いていて、店に入れば店員がいて、という風に放っておいても勝手に人とつながるからだ。

人生談義の無意味さ

俺は今まで配信などを通じて、自分の話を理解できる人間を探し、様々な方法でふるいにかけてきた。
そして俺のことを理解できる人、波長が合う人とは毎回必ず『人生談義』になっていた。

『人生談義』とは、このブログの記事のような感じで、実体験、スピリチュアル、宗教、哲学あらゆるものを動員して、『人生(またはこの世界)とはなんなのか』について語るようなこと。

なんかそう書くと大げさだが、単に、
「こういう人はこうだよね~」
「いずれこうなるよね~」
みたいな話だ。

多くの人が恋愛を語ったりするのと同じようなもの。

しかしそれらの話は、上述の、人間関係にフォーカスする、の典型だ。
人間と話しながら、さらに人間関係にどんどんフォーカスしていく。

そうすると大抵、空気が微妙になる。
楽しく話しているのだが、危険な感じを覚える。

詳しい理由はわからないが、偏りすぎ、という感じだろう。

だから最近はよっぽどの場合を除いて、人生相談、人生談義などになった場合は即座に話を止めるようにしている。
これまでは応じてきたというか、それらの話をすることを渇望していたくらいだが、最近は向こうがそういう話を振ってきても全く相手にしない。

「こういう人がいるんですが!」
とか言ってきても、話が続かないような返事をする。

フォーカスすれば肥大化するからだ。
もちろん目を背けてはいけない問題というのはある。
だが、そういった本当に重要な問題というのは、実は驚くほど少ない。

ほとんどの場合は、
『やることがない』
『最優先事項がよくわかっていない』
から、上述のように『自動的に』人間関係にフォーカスしてしまっているだけだ。

だから、
『人間関係以上に夢中になれること』
を意識するくらいでやっとちょうどいいのである。

おそらく、この事に早めに気づけば気づくほど、人生はうまくいく。
うまくいくとは具体的には、ほんとうの意味で『ムダ』な人間関係のゴタゴタをスマートに回避し、やるべき仕事をやり、経済的にも潤う、ということ。

10代で完全にこのことが腑に落ちている人間は、20代半ばになる頃にはそれなりの人物になっているはず。

「政治・宗教・野球の話はするな」
というが、最近は『人生談義』も含めたほうが良いと思っている。
というか人生談義は宗教の話に限りなく近い。

人と話すのはいいが、話題がいつも人生談義、人生談義がしたくて仕方がない、という状態は大体の場合不健康だ。
もっと別に興味のある話や、明るい話をしたほうがいい。

俺は今まで本当に人間にフォーカスしすぎてきたので、今後は意識的に人間関係以外にフォーカスしていくつもりだ。

自分の発言に一貫性を持つ必要はない

今更だが俺はそのようなスタンスで生きている。
ブログで情報発信の内容もそうだし、人との会話でもそうだ。

特に前者では顕著で、
「少し前と言っていることが全然違う」
ということがよくある。

そもそも人は刻一刻と『変化』『成長』しているので、一貫性があるほうが基本的におかしい。
ましてや『他人に一貫性を求める』というのは異常だ。

自分の人生と関係のない人が、例えば
『女は糞』
と言っていて、それが数カ月後、
『女は神』
と真逆のことを言い出したとして、どういった問題があるんだろうか。

「この人はミソジニストだったはずなのに!」
と、勝手に人を『定義』して『期待』している。

それは自分の人生を生きていない、他人に依存しているということなので、その人に問題がある。

だが例外はあって、契約や約束がそうだ。

明日14時に待ち合わせね、わかった、というように約束または契約をした場合は、基本的には明日の14時まで、14時に待ち合わせということに一貫性を持たないといけない。
持たないといけないといっても、あくまで人間関係を円滑に進めたいという前提があるならだが。
持たなかったところで、怒られたり信用がなくなるだけに過ぎない。

約束事ですらそうなので、ブログのように一方的に不特定多数に情報発信している場合で、なおかつ約束事でも契約でもない場合に、一貫性なんかどうでもいい。

勝手に人の人格・発信する情報の内容・行動を定義して、勝手に一貫性を求め、一貫性がなくなると勝手に裏切られたと思う人のことはほうっておくしか無い。

枠組みの一貫性

『成長する』ということは基本的に前の状態から変化することなので、一貫性というものはなくなる。

だがそもそも一貫性とは『視点』による。

『幸せになりたい』
と言った人がいて、同時に、
『幸せになるために、Aという仕事がしたい』
と言ったとする。

数カ月後、
『やっぱりBという仕事をはじめた』
と言ったとする。

それは、仕事という枠組みでは一貫性がなくなっているが、『幸せ』という枠組みでは一貫性は保ったままだ。
仕事は、幸せという枠組みの中に包摂されている。

俺は基本的に考えが二転三転して一貫性がないように見えるかもしれないが、大きな枠組みでの一貫性は保てているつもりだ。
それは例えば、人生をうまくいかせたいということだったり、正しい情報を求めることだったり。

そのように、『大きな枠組み』での一貫性というのは、なくすほうがむしろ難しいと思う。

一貫性を保ち続けて、評価されている人もいる。
一貫性を保たず、あれこれ新しい情報を仕入れるたびに言うことが変わって、評価されている人もいる。

ただ、繰り返しになるが『大きな枠組みでの一貫性』は保たないほうが難しい。
上記のどちらも、人の役に立ちたい、という意味では一貫しているはず。

『死にたい』『生きたい』を繰り返しているメンヘラのようなのも、結局は『人に相手にされたい』という枠組みでは一貫しているんじゃないだろうか。

『一貫性を持たないことに一貫性を持つ』
とかいう言葉遊びになったら気持ち悪いのでここらへんで。

生きてれば必ず良い縁というのはある

今までやってた仕事(バイト)に加えて、広告収入事業がかなりうまくいってて驚いている。
それもこれも素晴らしい人に出会えたからなんだなと心から思う。

こんな事本当に思ったことなかったんだが、そうとしか言いようがない。

中学ほとんど行ってないし、高校も2回やめてて、リアルの友人にもずっと恵まれず、ネットでもガキにバカにされてきて、そんな時代があまりにも長かった。
だから、今うまくいき始めてる自分が信じられない。
結局、数人の本当にすばらしい人に出会えてなかったら今も何も出来ないままだったろうと思う。

自分がポジティブに振る舞ってたから良い人と巡り会えたとかじゃない。
本当に精神状態最悪の人生行き止まりのどん底の状態で、人生変えるほどの人に出会えた。

そんな人に一人出会えただけでもすごいのに、すでに数人居る。
その中には数分や数秒のずれだけで出会えない運命だった人もいる。

それで確信したのは、どれだけどん底の状態でも良い縁というのはある時には必ずあるんだという事だ。
ちなみにこれはボーダー特有の理想化とかじゃない。

一人とはすでに連絡がとれないし、依存するつもりはないので、とれなくてもいい。
その場限りの関係でも、後に残る影響がとてつもなく大きかった。

良い縁はあるという確信

まぁ広告収入事業もいつだめになるかわからんし、もっと結果が出てから書こうと思ってたんだが、すごく嬉しかったから書いた。
広告収入事業が破綻してまたどん底に落ちても、生きてれば必ず良い縁に巡り会える可能性はある。
それは確信している。
俺に出会ってくれた数人はそんな揺るぎない確信をくれた。

こういうことを言うと、広告収入事業で破綻したら、
「あんなこと言ってたのにざまあみろ」
と思われるから言わないでおこうと思ったんだが、それでも良い縁はあるという確信だけは消えないので言った。

広告収入事業がうまくいくたびにその人達になんとかして恩返しがしたいと思う。
会って飯でもおごったりするのがいいのかと思ったりするが、その人達はたぶん俺のことをどうとも思ってない。
なので結局は、俺が広告収入事業を頑張って結果出すことが最大の恩返しだと都合のいい風に結論づけてる。

リア充と呼ばれる連中が、仲間ガー、友情ガー、運命の出会いガー言ってるのも、最近の俺みたいな精神状態で言ってるとしたらわからんでもないやんか。

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