自分の発言に一貫性を持つ必要はない

今更だが俺はタイトルのようなスタンスで生きている。

ブログで情報発信の内容もそうだし、人との会話でもそうだ。

特に前者では顕著で、
「少し前と言っていることが全然違う」
ということがよくある。

一貫性を求めるのは異常

そもそも人は刻一刻と『変化』『成長』しているので、一貫性があるほうが基本的におかしい。
ましてや『他人に一貫性を求める』というのは異常だ。

自分の人生と関係のない人が、例えば
『女は糞』
と言っていて、それが数カ月後、
『女は神』
と真逆のことを言い出したとして、どういった問題があるんだろうか。

「この人はミソジニストだったはずなのに!」
と、勝手に人を『定義』して『期待』している。

それは自分の人生を生きていない、他人に依存しているということなので、その人に問題がある。

だが例外はあって、契約や約束がそうだ。

明日14時に待ち合わせね、わかった、というように約束または契約をした場合は、基本的には明日の14時まで、14時に待ち合わせということに一貫性を持たないといけない。
持たないといけないといっても、あくまで人間関係を円滑に進めたいという前提があるならだが。
持たなかったところで、怒られたり信用がなくなるだけに過ぎない。

約束事ですらそうなので、ブログのように一方的に不特定多数に情報発信している場合で、なおかつ約束事でも契約でもない場合に、一貫性なんかどうでもいい。

勝手に人の人格・発信する情報の内容・行動を定義して、勝手に一貫性を求め、一貫性がなくなると勝手に裏切られたと思う人のことはほうっておくしか無い。

枠組みの一貫性

『成長する』ということは基本的に前の状態から変化することなので、一貫性というものはなくなる。

だがそもそも一貫性とは『視点』による。

『幸せになりたい』
と言った人がいて、同時に、
『幸せになるために、Aという仕事がしたい』
と言ったとする。

数カ月後、
『やっぱりBという仕事をはじめた』
と言ったとする。

それは、仕事という枠組みでは一貫性がなくなっているが、『幸せ』という枠組みでは一貫性は保ったままだ。
仕事は、幸せという枠組みの中に包摂されている。

俺は基本的に考えが二転三転して一貫性がないように見えるかもしれないが、大きな枠組みでの一貫性は保てているつもりだ。
それは例えば、人生をうまくいかせたいということだったり、正しい情報を求めることだったり。

そのように、『大きな枠組み』での一貫性というのは、なくすほうがむしろ難しいと思う。

まとめ

一貫性を保ち続けて、評価されている人もいる。
一貫性を保たず、あれこれ新しい情報を仕入れるたびに言うことが変わって、評価されている人もいる。

ただ、繰り返しになるが『大きな枠組みでの一貫性』は保たないほうが難しい。
上記のどちらも、人の役に立ちたい、という意味では一貫しているはず。

『死にたい』『生きたい』を繰り返しているメンヘラのようなのも、結局は『人に相手にされたい』という枠組みでは一貫しているんじゃないだろうか。

『一貫性を持たないことに一貫性を持つ』
とかいう言葉遊びになったら気持ち悪いのでここらへんで。

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