脳内や夢の中の世界だけが持つ世界観とそこでの強烈な体験の記憶 体外離脱 明晰夢 瞑想 思念となって永遠に宇宙に漂いたい

このブログにも度々、
『夢の中にしか存在しない世界観』
『体外離脱』
『タルパ』
『10代の頃のエネルギー』
などの話を書いてきたが、それらをまた意識するような夢を見た。

それで思ったのは、やはり俺の原体験は脳内世界や夢の中だということ。

その体験はとにかく文字で説明するのが難しく、というかこのブログで『公』にしてしまうと同時に臨場感が薄れてしまうような、不確定性原理のようなもの。

とにかく
『『夢の中』や『脳内世界』にしか存在しない『世界観』と『人(女性)』』
と、
『それと接した時に伴う精神状態』
が全てと言える。

まとめてあって長いので、興味のある見出しに飛んで読むことをおすすめします。

脳内や夢の中の世界だけが持つ世界観とそこでの強烈な体験の記憶

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何から書いていいかわからないが、わかり易い言葉でいうと俺は『妄想狂』なのかもしれない。

小5の時くらいに『最近幽体離脱にハマった』という2chのスレを見て体外離脱を少し試し、中1の夏休み明けに学校に行けずに苦しんだ頃に、本格的に体外離脱とタルパの作成を始めた。
そこから17歳くらいまでにかけて、様々な夢を見たり、夢の中で何かをしたり、『誰か』と会ったり、瞑想で光を見たり、強烈な多幸感を得たりした。

脳内にある最高の世界と、最高の人間を、『現実を超える臨場感で』体験できたという感じ。

今年26歳になるが、今でもそれらの『体験』や『世界観』や『精神状態』が忘れられない。

このブログを始めた頃俺は『人生行き止まり感』がどうとか言っていたが、実は今も常にその感覚を抱いている。
目標達成法やらがうまくいき、自分に合った仕事を見つけ、実家を出られ、長年悩んでいた処女とのセックス問題、童貞問題も解消されたが、どうしても現実に常に『コレジャナイ感』を覚えている。
この先どんなでかい目標をかかげようが、そして達成できようが『コレジャナイ感』を覚えることが確約されている、という感覚がある。

その原因は、目標が小さいからか?とか、感受性が鈍ってきた?とか思ってたが、違う。
俺は根本的に常に、10代の頃に脳内世界で覚えた強烈な体験と精神状態を求め続けてくすぶっている。

脳内世界の世界観とは

だからその強烈な世界観とか精神状態ってのはなんなんだよ!と思われそうなのでできる限り書くが、これはもう個々人に似た体験がないと想起すらできないと思うので、いつも人に話す時、半ば諦めている。

その精神状態というのは、例えば、14歳の頃の夏休みに17歳くらいのお姉さんと付き合っていて、夏祭りに行って、祭りの喧騒から離れた人影のない場所でフェラチオをしてもらって精通する感覚だろうか。
ぜんぜん違うこともないが、またムダに性的になってしまったし、たとえ話をすると感覚がその一つに固定化されてしまう。

俺の脳内や夢の中には(俺に限らないと思うが)ありとあらゆる世界観があるし、その一つ一つに独自の世界観がある。
だがそのすべてに共通しているのは、『脳内世界でしか感じられない世界観』があり、あえて象徴するなら上の例えがわかりやすい、と個人的に判断した。

脳内世界という、みんなが認識できる現実世界から完全に『隔絶』された世界で『この世に存在しない人物』と得た『快楽』の『瞬間』が『永遠』に漂う、という感じだろうか。

それは『幸福』なのか?と問われると、否定はできないが、あまりにも個人的な幸福かつ、人に話しても世間の基準からするとまず幸福だと思ってもらえないので、なんとなく、幸福とは言いたくない。
『快楽』や『多幸感』のほうがまだしっくりくる。
健康的な快楽でなく、麻薬的な快楽だ。

その『世界(脳内世界)』にいるときというのは、常に寂しい。
その世界は『現実と反比例する』と無意識がわかっているからだと思う。
そして『宇宙に永遠にひとりっきり』ということを感じるからだと思う。

さっき麻薬という例えを出したが、脳内世界での快楽は、社会的成功とは真逆の位置にあるはず。
だが俺ははっきりと、社会的成功よりもそれを望んでしまっている。

その脳内世界にはほぼ必ず女性が出てくる。
本当に美しい世界なので一人で延々と漂っていてもいいのだが、なぜかいつも女性を必要とする。

そしてここが重要だと思うのだが、その女性は絶対に現実の女性ではない。
現実に存在する人でないという意味でもそうだし、顔や体の造形が『二次元キャラ』のそれだ。

なぜ二次元キャラでないとダメなのかは自分でもはっきりとわからない。
『絶対にこの世に存在しない』ということが見た目からにじみ出ていてるところが重要なんだろうか。

それとも根本的に、現実の女性よりも二次元キャラ的顔面の造形を美しいと思うからか。
ここらへんは複雑に入り混じっている気がする。

そしてその世界に登場するキャラは、例えば俺のオリキャラのちほちゃん等ではいけない。
ちほちゃんはある意味すでに現実に存在してしまっている。
第三者に認識されているからだ。

現実に存在するキャラクターを登場させようとした途端、そこはもう純粋な脳内世界ではなくなる。
頭の中でイメージしていることなので便宜上は脳内世界だが、俺が上で例えたような『世界観』は消え失せてしまう。

これは最近気づいたが、多分脳内世界に登場する(させる)女性キャラは、その場で思いついたような名前もない存在がいいのかもしれない。
現実に存在するキャラをモデルにしたほうが色々と楽なのだろうが、それをすると脳内世界特有の世界観は薄れてしまう。

その世界を現実に活かしてはいけない

俺は二十歳になるくらいまで、その脳内世界での体験をなんとか現実に活かそうとしていた。
例えば、その脳内世界のキャラを絵にするとか、体験を小説にするとか。

最近やっと気づいたが、それは絶対にできないし、できた途端にコレジャナイ感に苛まれる。

現実に表現する以上、現実に存在するあらゆる人や制約を意識しないといけなく、その時点で脳内世界の純粋さは消え失せる。
脳内世界とはひたすら個人的な世界であり、広大な宇宙を自分ひとりで永久に漂っているような感覚であり、第三者を意識することとは両立しない。

俺のオリキャラのちほちゃんなどは脳内世界のキャラやタルパなどがモデルではなく、ただ現実に最適化させて作っただけだ。

俺が脳内世界を現実に活かそうとしてしまったのは、
『俺が思い描く脳内世界っぽいものを現実に表現できているような作品』
を見てしまったからだと思う。

それは例えばそういう小説とかアニメとか、わかりやすいのだと、pixivとかにある『幻想的な風景画』とかだろうか。
もしかしたらそれらは本当に作者が脳内世界を純粋な形で表現したものなのかもしれないし、そういう人たちは俺と違って脳内世界を現実に表現する際にボトルネックなどがない人たちなのだろう。

例えばスピッツの草野さんなんかは、日常生活の中で常に脳内世界でのストーリーが3つくらい同時進行しているらしく、新幹線での移動中などにも登場人物たちが脳内であれこれしているらしい。
それが作品にも活かせるのだろう。

俺はどうやってもそれができないし、する必要もないと、今更になって気づいたので、今後もすることはない。
10代の頃は、しようとして苦しんでいた部分があった。

現実はどこまでも虚しい

そろそろ自分の中ではっきりとさせたほうが良いと思うのでここに書いてみるが、おそらく今後の人生で『10代の頃の脳内世界』を超える『強烈な体験』というのは無い。
海外に行こうが、美女とセックスできようが、大金を手に入れようが、10代の頃の脳内世界の快楽には勝てる気がしない。

例えばセックスは楽しいし気持ちいいが、脳内世界での触れ合いに比べると、コレジャナイ感が酷い。
たぶんどんな良い女と良いセックスができたとしてもそれは変わらないだろう。

別物として捉えるべきなのだろうが、『快楽』というくくりでは同じなので、どうしても比較してしまう。

10代の頃の脳内世界での体験以降、常に現実が虚しいと感じている。
それでも、人生・生活の大半は現実世界で生きないといけないので、すべて『それなり』にやっていくしかない。

ちなみに、こういった慢性的な虚しさを感じている人間が、アルコール依存症になったり麻薬に手を出したりするようだが、俺はそれらはしない。
酒を飲みまくっていた時期はあったが、あれは現実の人間と戦うためのツールとして酒を飲んでいただけであって、10代の頃の脳内世界を追体験しようとして飲んでいたではなかったのですぐにやめられた。

ヘロインなどの麻薬をやれば脳内世界を追体験できるのかはわからないが、多分できないと思うのでやらない。

今後

今日、10代の頃の脳内世界と似た世界観を持った夢を見て、今後また、常に脳内世界と干渉しながら生きていこうと思った。
それは快楽よりも辛さのほうが大きいので今までしてこなかった。
胸の痛みという感覚が近い。

脳内世界での強烈な体験には、その代償として『あくまでそれは現実ではない』『この宇宙に永久にひとりぼっち』という虚しさがつきまとう。

しかも上述の強烈な体験というのは、何十回かに1回、体外離脱を成功させたり、明晰夢を見れたときのみリアルに体験でき、それには努力が必要だ。
今また体外離脱に挑戦しようとか、タルパと接しようは思えない。
現実の肉体の体力や精神力の低下には勝てないのかもしれない。

そこにエネルギーを費やすなら、仕事や、せめてちほちゃんなどの現実にコミットした存在の拡大化に力を入れようと思ってしまう。
それは悪い意味で『現実的』で、とてもつまらないことだとも思える。

上述のように、脳内世界は現実には活かせないが、『趣味』かと言われたら、違うとしか言えない。
仕事にも活かせないし、何の役に立つのか具体的にはわからないが『趣味』なんていうものではなく『切実』だ。

その世界観や精神状態が、何か俺の中の最も大事な部分を支えてくれているような感覚がある。
なにせ『原体験』であり、俺の潜在意識や価値基準や判断基準の大元となっているものだ。

それを蔑ろにしたり忌み嫌ったり、克服しようとするのは間違っていると今回思った。
できるだけ共存すべきだ。

上述のようにそれには胸の痛みを伴うが、これまでのように、それを否定したり、卒業しなきゃ、と思って生きるより、根本的には楽になる気がする。

脳内世界のことは本当に言葉にするのが難しく、さっき布団の中で考えていた記事の内容とは少し違う感じになってしまった。
以下の関連記事には、脳内世界の感覚をできるだけ正確に書けたものもあるが、上述のように受け取り手に似た体験がないと全く伝わらないものだと思う。

この時点で、結局この世は独我論であり、誰とも、どんな大切な人とも、感覚を共有できないんだなと思うと即座に毛布に包まってまた脳内世界にダイブしたくなる。
キモすぎた。

以下では、体外離脱や明晰夢などの各体験を書いています。

眠りに落ちる直前の立体感のあるイメージ

今こうやって普通の覚醒状態で、目を瞑って何かイメージしてみても、そこまでありありとはイメージできない。
だが、夜、眠りに落ちる直前だと、目を閉じているのに、かなり鮮明に、目の前にイメージした世界が広がって見えることがある。

自分は横になってるが、上下の感覚はなくなり、目を閉じているのに、主観で、目の前に立体感のある空間が広がる。
同時に、その対象には存在感があり、そこに立っているという実感がある。

でも大抵、それを意識した瞬間にだいぶ覚醒してしまう。

昔は眠りに落ちる直前の覚醒度が下がった状態だと、人の声が聞こえたりして、会話が成立したりもした。
体外離脱とかの足がかりにならんだろうか。

でもなんか統失になりかけみたいで怖い。

極限まで疲労してたり、寝る態勢おかしかったりすると、眠りに落ちる前に瞼の裏に映像が鮮明に見えたりする。
その映像は大きく分けて、空想的なものかリアルの自分の部屋かのどちら。

後者の場合、目を閉じてるのに部屋が見えて、まぶたが透明になったみたいで面白い。
金縛りも多分この原理。

この現象が起こるたびに、人間は本来映像記憶能力を持ってるんじゃないかと思う。
サヴァンとかじゃなくても。

瞼に映った像は日常の覚醒度でイメージする像と違って正確にスケッチできそうな感じがする。
まぁ、瞼に像が浮かぶくらいの覚醒度を保ちながらペンと紙使って絵を描くのは現実的に無理だから確かめようがない。

しかも瞼に浮かぶ像の内容はほとんど自分でコントロールできない。

なんにしても、まさに変性意識状態だ。
その意識状態・脳波を自在に引き出せるようになったら最高だ。

酒で潰れた時の幻覚

酒で潰れたときは何時間も地獄絵図が浮かび上がってきた。

真っ黒い空の下の荒れ果てた荒野に、ローリング・ストーンズのロゴのような真っ赤な唇が咲いた一輪花が数本生えていた。
その唇がどんどん膨張し、最大まで膨張したら最小の状態に戻るということを繰り返していた。

「助けてー!」
とかじゃなく
「あ、いやだな」
と思いながら数時間眺めていたのが妙に面白い。

夢の中の世界観や雰囲気

前から感じているのだが、例えば部屋の模様替えをしただけで、感じられる世界観というか雰囲気が変わる。
ずっと部屋に引きこもって見る自分の部屋と、旅行から帰って見る自分の部屋は、感じられる雰囲気が違う。

音楽も、聴くジャンルやミュージシャンによって全く世界観が違う。
映画や小説やアニメやゲームも同じ。
人生も年齢によって、同じ場所に行っても感じる世界観が違う。

そういった異なる世界観を、頭の中のイメージで融合して統一しようとすることもある。

夢の中に登場する世界というのは、夢でしか感じられない世界観がある気がする。
現実のこの世のどこに行っても感じられない、頭の中だけの世界がある。

今思うと、小学生の時に見た夢も、今見た夢も、登場する世界が違っても、どこか同じ匂いがある。
それが現実に存在する場所でも、自分の頭の中だけに存在する場所でも、夢に出てくることで、夢特有の世界観を感じる。
実家に帰ると必ず、実家の雰囲気があるのと同じ感じ。

強く世界観を感じる夢を見て起きると、現実の世界がいつもと違って、まだ夢の続きのように感じることもある。

俺だけじゃないと思うんだが、夜寝てるときに夢を見て、朝起きて1日が始まっても、夢で見た世界の雰囲気というか世界観が消えず、どこか現実感がない1日を送るということがある。
いい夢でも悪い夢でも、寂しいような切ないようなどこか不思議な感じがする。

まぁただそれだけで、昔は1日中その雰囲気を引きずってたのに、最近は起きて3時間くらいで現実にだいぶ引き戻されるようになっている。

他にも、町で買い物をしてるときや、バイトをしてるときなどの、ふとした瞬間に、いきなり夢から覚めたように感じる現象が起こる、ということもある。
今までもちゃんと起きてたのに、その瞬間からちゃんと覚醒して、現実を認識し始める境目というか。

大げさに言えば、その瞬間に世界が誕生したかのような感覚さえある。

似たような症状の、離人症という病気があるようだけど、そこまではひどくない。

俺はこの世界観という中二病じみた考えが気になるのは、死ぬ直前にどんな世界観の中にいるか気になるから。
死ぬ直前に感じる世界観というのはどんな感じなんだろうか。

死ぬ直前に聴いている音楽、死ぬ直前に見ている景色などによって、自分が最後に感じる世界観が決まるのだろうか。
それとも走馬灯が見えて、今まで感じた全ての世界観が一気に統合されるんだろうか。

この感覚わかってもらえる人いませんか。

おまけ 夢に出てくる謎の英単語について。

俺は、パソコンがウィルスに感染してHDDのデータが消えて焦る、という夢を定期的に見る。
そういう時などに、夢の中のパソコンに映る英語の羅列に、謎の英単語が含まれていることがある。

必ず覚えて、起きてからググるんだが、大体はヒットしない。
ヒットしたとしても、よくわからない、カタカナを組み合わせた文字列を羅列してるサイトなどがほとんど。

つまり存在しない英単語ということだ。

逆に、存在してなさそうで(自分は知らなくて)、実は存在している英単語で、自分にとって重要な意味のある言葉だったりするとすごいんだが。

夢日記を習慣付けるだけで夢のリアリティ(臨場感)が上がる

14~16歳の頃は現実があまりにも辛すぎて夢日記明晰夢体外離脱瞑想などに没頭していた。
何度も成功したし光も見えるわ体が浮かび上がるわだったが、次第に現実が楽しくなったら一切そういうことに興じなくなった。

現実が楽しくても脳内世界をおきざりにしたらもったいない気がしたので、とりあえず夢日記だけは日課にしたい。

最近はローカルの思考メモをやめたので、夢日記を付ける場所を模索中。
ローカル思考メモをやめたことで、ツイートやブログで考えをまとめるようになった。
記事更新頻度も増えていい感じなのだが、夢日記はどうしようかと考えている。

夢日記をつけ始めるだけで、寝る前には
「夢を覚えておこう」
となって、起きたら
「夢を思い出そう」
となるので夢のリアリティがそれだけで上がる。

夢の内容というのは、迂闊に公開すると夢占いなどですぐに精神を分析されそうなので、ブログなどグローバルな場に公開するのはあまり望ましくない。

それに、夢日記は起きてすぐ殴り書かないと内容が次々と消えていく。
なので、腰を据えてブログで書くには殴り書いたものをブログ用にリライトしないといけなくなる。

やはり夢日記をグローバルに公開するのはあまりメリットがない。

結局、夢日記をつける目的は夢のリアリティをあげることであって、記録が残ることにはそれほど意味がないように思える。
夢のリアリティが上がれば、夢占いもしやすくなるし、自分が最近何に悩んでいるか、何を求めているかもはっきりさせやすい。

とりあえず生活の妨げにならない程度に夢日記を再開し、できればブログや絵に活かせるよう何か方法を考えたい。

夢日記をつけることの危険性

・支離滅裂な言動や行動が現実世界にも現れてくる
・普段脳がスルーしているような負の情報が夢に現れやすくなってくる
・複数の夢を覚えていられるようになるものの、インパクトの強い”悪夢の記憶”が残りやすくなる
・悪夢の記憶がストレスになり、さらに熟睡できなくなる
・五感を伴ったリアルな悪夢を見るようになる
・夢と現実との区別がつかなくなってくる
・支離滅裂な言動や行動が現実世界にも現れてくる
・何かがヤバい

確かに夢日記を付けていた頃は悪夢率が高かった。

あと一週間に4回くらい金縛りにあったりした。
ただ金縛りは体外離脱のファーストステップなので重要。

夢日記はまだしも、明晰夢、体外離脱、瞑想はまた取り組もうと思うと生活の中心がズレて仕事とか活動できなくなりそうなのでやらない。
まぁ酒浸りで脳味噌劣化してできなくなってる可能性もある。

酒で扁桃体萎縮して社会や現実が怖くなくなった代わりに脳内世界を逃げ場にする必要もなくなったという悲しみ。

体外離脱に挑戦し成功

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小6の時に、2chの『最近幽体離脱にはまった』というスレを見て、体外離脱を実践してみていた。
中2から高1の時に本格的にはまりだして、ロバート・モンローの本とかも買って挑戦した。

目的は主に、二次元キャラといちゃついたりエロいことするため。

けっこうな頻度でリダンツを試みて、結局5,6回成功した。
夢はもちろん、明晰夢よりもリアリティがあって、なんとも言えない楽しさがあった。

あれから5年ほど経つが、もう一度成功させたくて、音楽プレイヤーでヘミシンクなどを聞きながら、光体をイメージしたり、チェーンアラーム法を試したり、いろいろやっている。
だが、体が痒くなったり寝落ちしたりしてなかなか成功しない。

名倉でアルティーをボコったり、オリキャラと残酷でエロチックなな遊びをしたりしたいんだが。

何十回もやって一回しか成功しないとかだとさすがに萎える。
なにか安定するパターンを編み出すべきなんだろうな。

ここ数年、あんな成功確率の低い遊びをやるのは時間の無駄だと思ってやっていなかったが、またはじめようと思い始めた。

そもそも、定時制高校在学中に自己愛に目覚めたのも体外離脱が影響していた。
し、離脱するまでの過程はけっこう苦しいものの、離脱後の世界(俗に名倉と呼ばれている)は、本当にとんでもなく楽しい。

離脱に失敗したときでも明晰夢は見れたりするし、挑戦する価値はあるんじゃないかと。

最初の成功時

最初の成功時は以下の感じ。

耳鳴りがして頭から体が抜けて床を通り越し浮上して、体に戻されそうになったけど、なんとか空中を泳ぎながらベランダまで出たりした。
平泳ぎの状態でゆっくり宙を浮いて窓から外に出た時マジで感動した。

窓の向こうの世界は現実とはだいぶ違ってて、独特の世界観があって面白かった。

基本的に何でもできるし、イメージと慣れ次第で奇想天外なこともいろいろできる。
初めてだったので空を飛ぶのも自由に出来なかったときは妙にリアルさを感じた。

むかし挑戦してた頃は、まとめWikiに書かれているやり方を手当たり次第に試してただけだった。
最近になって、成功するパターンを研究してルーチン化すれば、安定して離脱できるような気がしてきたので、毎晩寝る時に試してみようと思う。

毎晩と言うのが重要で、昼寝時にやって昼夜逆転してめちゃくちゃになったら意味がない。
まぁ夢中になるとやってしまったりしそうだが。

ある日の明晰夢(体外離脱)の記録

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2017年8月14日、さっき寝てたらものすごいことが起きた。

二時間くらい、ほぼコントロール可能なめっちゃリアルな明晰夢見て、空飛びまくったりしまくった。
神秘体験だ。

夢の世界で朝から夜になるくらいの時間は過ごした。
展開や場所がいきなり変わることもなく、場所と世界観がずっと統一されていた。

地面がなくひたすら海が続いて、海の上に直接高層ビルやホテルや工場が建っている世界だった。

都市が区画に分かれてて、普通の町、工場地帯、住宅ばかりのエリア、上海みたいなエリア、和風な繁華街のエリアなどがあって面白かった
。普通の家はひとつもなくすべてビルだった。

その上をとにかく飛びまくって、好きなビルを見つけて部屋に入って探索しまくった。
人間もいた。

明晰夢の色鮮やかさは普通の夢と段違いだった。
繁華街の夜景がすごかった。

最初の段階では空がうまく飛べなかったんだが、
口から息を吹けばその強さに応じて前進
歯を食いしばった状態で吹けばブレーキ
強く吹けばバック
というイメージにすれば最後のほうは自由に飛べた。

途中何度も目が覚めかけて、夢の中の視界がぼやけてもう醒めてしまうというときに、近くにいる人に催眠術をかけてもらって目が覚めるのを防ぐということが3回くらいできた。

最後は上海みたいなところのホテル1階の寿司屋に、ただ食いできるお面を被って入ったが満員で何も食えず。
夢の中なのに思い通りにいかなくなってきたという気持ちが強くなって目が覚めてしまった。

よく考えると、高級寿司屋なのに人がひしめき合って、大急ぎで口の中に詰め込んでてワロタ。
喧嘩してる人間までいてどちらかというとラーメン屋みたいな感じだった。

とにかくリアリティがすごすぎたし、ほとんどなんでもコントロールできた。

むかし体外離脱して空飛んだときは、平泳ぎの動きでゆっくりとしか進めなかったが、今回は時速100km以上の速度が出せてめちゃくちゃ楽しかった。

夜にビルの下で目が覚めそうになったとき、ポケットに入ってた夢を延長させる青とか赤の錠剤を呑もうとしたんだが水がなかった。
ビルのゴミ捨て場に100個くらい捨ててあった小学校のパック牛乳で飲もうとしたんだが匂いが臭すぎて諦め、水買いに自販機探さないといけなくなってそのビルの探索は諦めた。

人間の脳味噌は神

見たいときに見たいだけ見たい明晰夢を見れる。
そんな脳味噌がほしい。

中学の時点で5回体外離脱して、夢や妄想の世界で満足してしまえば、現実なんかどうでもいいというマトリックスみたいな考えになってしまった。
それが何もない部屋に住みたいとか、働きたくないとかいう気持ちにつながってると思う。
というか現実が満たされなさ過ぎたから夢や妄想に逃げた。

普通の夢や妄想で現実並みのリアリティがあったら、現実で何もしなくなって危険。
なので普段は脳味噌に”ストッパー”がかかっている。
明晰夢や体外離脱などでストッパーをはずした経験をしてしまうと現実でがんばろうという気持ちが失せてもおかしくはない。

ちょっと前に久々に金縛りにあった。
布団入ったら2分くらいで眠りに落ちてしまって、気がついたら胸がやたら締め付けられて身動きがとれなかった。

中学の時から体外離脱に挑戦し、5回ほど成功させている人間からすると、金縛りにあうと嬉しくて仕方がない。
金縛りで見えている映像はすべて夢で、明晰夢よりさらにリアリティがあるものなので、気持ちしだいでコントロールすることができる。

昨日も最初はびびって、指先から動かして金縛りを解こうとした。
だが、すぐに解いたら勿体無いと思い、二次元キャラにフェラさせたりキスしたりする風に内容をいじり、そのまま体外離脱して、浮遊しながら1階に降りて玄関で犬と戯れた。
ベランダから外に出ようと思ったが体に引き戻された。

少なくとも4~5回は成功してるので言うが、体外離脱ほど低コストで、成功すれば最高に楽しい体験が出来る娯楽もなかなかないと思う。
マジでまた体外離脱はじめようと思います。

ファンタジー世界を自分の脳味噌だけで体験できる。
視界がド迫力。
VRなんか目じゃねえ。

大切なのは”エロ”をうったいかけるこのリアリティ。
そしてそれに対する心である。

17歳の時の瞑想で光が見えて自己愛に目覚めた

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16歳くらいの時に瞑想だか体外離脱に挑戦していた。

それによって、光が見えて多幸感に包まれて自己愛に目覚めるという、神秘体験をした。

2015年2月11日
定時制高校在学中に、自己愛に目覚める。

1回目に入学した私立高校を死に物狂いで退学して、定時制高校に入学し、人生が上向き始めた頃、夕方5時半から授業が始まるので、俺は自分の部屋で昼寝をしていた。

まどろみ、意識が落ちるくらいのときに、金縛りのような状態になり、とてつもなく鮮明な映像で、上下左右、四方八方真っ白で、果てが無い空間に放り出され、女神のような存在に後ろから抱きしめられ、この世の物とは思えないほどの多幸感を得た。

すぐに目が覚め、俺は悟った。
自分の中には強烈な自己愛があると。

未だにそれだけしかわからない。
キモすぎた。

確かその後すぐ、いろいろあって一人暮らしを始めた。

そして、一人暮らしを初めて9ヶ月くらい経った頃、インターホンが鳴ってドアを開けてみたら、目出し帽を被った隣人にナイフで目を刺される、という悪夢を見て、金縛りに合い、それからすぐにいろいろあって実家に帰ることになった。

人生が大きく変化する前と言うのは、なにか強い予兆があるものなのかもしれない。

タルパ(イマジナリーフレンド)と気功と精神世界

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気功や精神世界の観点から、チベット密教のタルパを解説して欲しい。

別化性能が強すぎて現実の人間とは融合しづらいので、自分の人格と気を一旦分離してから脳内世界で話したりセックスしたりして融合(気の交流)をはかってきた。

アダム徳永のスローセックス入門にも、セックスはつまり気の交流と書いてあった。

10代からアニメ見てたけど、ストーリーとか諸々はどうでもよくて、結局は融合するためのタルパのモデルを探すのが目的だった。
キャラクターというのは、物理世界には存在しないけど精神世界には存在してて、版権キャラは多くのオタクの気を受けている。
だからオリキャラしか描かなくなった。

どうすれば二次キャラと性交できるんだとか、VRとUSBオナホがあればとかは、何年も前から言われている。

それを叶えるには結局、自分の人格と気を分離してタルパ作ってイメージや瞑想して脳内で融合するか、明晰夢見るか、体外離脱するかしかないと思う。
そういうのを14歳頃からやっていた。

俺のオリキャラのちほさんとかをタルパのモデルにしたいっていう人いたら必ず連絡してください。
俺の気と人格の影響受けすぎてるキャラなんでそんなのをタルパにしたら大変なことになるので。
きもすぎた。

他人の描いた絵でピュッピュッをするだけでも作者と精神世界で気の交流をしていることになるのでなんだかきもちわるい。

自分が作った世界で自分が作ったルールに自分だけが従うということの重要性と危険性

最近の自分の絵を見る限り、俺はそういうことがしたいんじゃないかと思った。

自分が作ったオリキャラに、自分にしかわからないような言葉を喋らせ、自分で何度も見返して満足している。
わかりやすく言うと、自分だけの世界に閉じこもっている、ということ。

大体それは悪いことだと捉えられがちだが、見方によってはかなり重要だと思う。

自己完結するということは、他人に依っていない。
自分だけの価値基準、自分だけのペース、自分だけの喜びを求めるというのは、他人と自分を比較していない、と言える。
目標達成法におけるハイ自己肯定感の定義とも合致する。

自分が作ったルールに自分だけが従うということは、世の中(外界)の洗脳を遮断しているということになる。
自分が作ったルールも本来的には外界の影響を受けていると思うが、それを理解した上で行使しているなら問題ないはず。

ほぼ同じようなことをある本でも読んだ。
とある人は、自分で作ったゲームを自分だけでプレイし熱狂しているらしい。
それが、自分が作った世界で自分が作ったルールに自分だけが従うという形の一つだと紹介されていた。

危険性が高い

重要ではあるものの、コントロールできなくなるとかなり危険だと思う。
まさに自分しか見えない、他人の気持ちがわからない、という、アスペルガー的、自閉症的な人間になってしまう。
外界を遮断していると、別の視野を持てず、現状を出ることが難しくなる。
つまり、現状に固着してしまいやすい。

俺はもしかするとそうなってきているかもしれない。

多くの人を包摂し、長期的視野で捉えた、枠組みが広い目標を設定できなくなっているのも、自分のルールばかりに偏重してきたからじゃないだろうか。
自分の価値観ばかり優先し、他人の価値観を許容できないようになってしまってきている。

かといって、主体性を持てず他人の価値観に振り回されて生きるのは、まさに社会に洗脳されている状態なので、それもまた危険。

バランスが大事なんだと思う。

俺がオリキャラしか描かないのも、そのオリキャラに自分しかわからない言葉を喋らせるのも、所詮世の中の大多数の人間は俺の言っていることや価値観が理解できないんだろうという気持ちから来ている。

絵を公開し、その意味がわかる人間、つまり俺とかなり似た人間、信念が似た人間、見えている世界が近い人間をあぶり出そうとしている。
別化性能に偏重しすぎている。
(別化性能と類化性能については調べてください。)

目標達成法をこれだけ実践していても、世の中への憎しみや人生への虚無感は完全には消えていない。
むしろ目標達成法を誤って実践している部分があり、それのせいで余計に負の要素を強めている可能性すらあると思う。

俺はもっと他者の価値観を理解し、他者のニーズを満たすことを考えたほうが良いかもしれない。
自分のルールに従うことも重要だが、最近はそれに偏りすぎているので、とりあえず置いておいたほうがいいかもしれない。

どちらかというと世の中の9割は洗脳されているし、外界ばかり気にする傾向にある。
そういう意味で、自分のルールに自分だけが従う瞑想的なことをするのは間違いなく重要。
しかしやりすぎると自閉症。

内界と外界のバランス、自分と他者のバランス、類化性能と別化性能のバランス、空観と仮観のバランス、地声と裏声のバランスなど、言い方が違うだけですべて似たようなものな気がするが、とにかく何事もバランスが重要だと常々思う。

真の目標は『永遠に宇宙を漂いたい』?

10代の時によく聴いてた音楽聴いたりして改めて思ったが、やっぱり俺の設定している今のいくつかの目標はなんか違う。
簡単に言うと、正直毎日が虚しくて、多くの人を幸せにする目標とか、そういうのじゃない。

歳くうごとに感受性も劣化して、同じことの繰り返しになっている。

毎日が虚しい、人生がつまらない、感受性低下、過去依存、人生行き止まり感、などを覚えることがある。

それも、下品なほどでかい目標設定すれば何とかなる気もしたが、何かが違う。

結局俺の真の望みは、10代の時の病み期に根ざしている。

『永遠の命を手に入れて宇宙に思念として永久に漂って、時間と空間の束縛なく、自由にすべてを観察し続けたい』
という願い。

それの表出として、17歳のときの躁状態と絵画と、気が狂ったような咆哮があった気がする。
永遠に宇宙を漂いたい、という下品なほど枠組みが広いところから、現世で実現できる目標に落としこんだのが、17歳の時の行動。

俺は10代のときに瞑想にハマって光が見えたりした。
体外離脱や明晰夢も何度も成功した。
その異常な経験がやっぱりベースにある。

麻原彰晃も、瞑想でいくところまでいってから、異常な速度で教祖まで駆け上ったそうだ。

もうずっと前から、町を散歩したりするだけでも虚しさを感じる。

あほみたいな話だが、俺はほんとに永遠の命を手に入れて、思念として宇宙のすべてを時間と空間を超越して自由に観察しつくしたい。
これが真の望みかと思う。

「でもそんなことはどうやっても実現できない」
と思って、散歩するだけでも虚しくなる。

それに、街を歩いたりして、家並みやビルを見ていると、それだけ多くの人間が生きていることに圧倒される。

10代前半くらいから、そのすべてを自由に観察できないことが残念で仕方がないと思い始めた。
その感覚は本当に虚しくて、たまらなくなる。

正直、その時隣にパートナーがいるかどうかとか、小さい頃の親の愛情がどうとかによる虚しさじゃないと思う。

現世では実現できない目標

だからいまいちど目標を見直している。

だが、下品なほどでかい目標だとしても、現実で達成できるという条件がついている時点で知れているというか。
もちろんそれに関することをやっている時や、小さな目標が達成されていく瞬間は、楽しいが。

「永遠の命を手に入れて思念として宇宙のすべてを時間と空間を超越して自由に観察しつくしたい。」
これは現実に実現できないから目標として設定できない。
なのに、それを強く求めているから、苦しんでいる。

ちなみにこの欲求については中島義道氏も同じことを書いていた。

もしかしたらもう一度瞑想や体外離脱をすれば、一部はかなったような気になれるかなとも思ったりもする。
でもそれに集中するには、10代の頃のように社会を恐れていなければエネルギーが出ない。

今はもう酒も覚えて社会も人間もほとんど恐れてないので、瞑想や体外離脱にこもれないというのがある。

エロ、酒、性行為あたりはそれの枠組みが狭まった版というか、一端だと捉えている。
それ(上述の真の欲求)の、現実で表出できる版。
エロスとタナトス。
絵、歌とか奇声もそうだ。

本当に、できることなら、思念だけの存在になって、あらゆる時間のあらゆる場所を自由に行き来したい。
自由に時間を早く送りしたり巻き戻しできて、どんな場所にも行ける存在。

例えば俺が何歳の頃、何々をしていた時、あの場所はどうなっていたんだろうとか。
そういうのを全部観察したい。

何かを創造したり裁いたりするんじゃなく、宇宙の摂理や、人間や動物や自然の営みをぼーっと永久に観察したい。

そういう途方もない欲求がある人が他にいないかとずっと思っている。

まとめ

以上です。

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