目標に関係ないものは全て『無視』して自分の人生を生きろ 宇宙は自分がフォーカスするものが拡がる 潜在意識は否定形を理解しない

まとめてあって長いので、興味のある見出しに飛んで読むことをおすすめします。

否定形を使うか肯定形を使うかで人生が決まる

目標達成法を実践し、毎日朝晩、目標達成文の読み上げをやっている人は多いと思う。

目標達成文の読み上げというのは結局、自己対話の管理なので、朝晩だけでなく常にやっているのが理想。
普段の自己対話もすべて目標達成文の読み上げだ。
普段心で思っていること(自己対話)も、口に出してしゃべることも、人に向かってしゃべること(他人との会話)も、ツイートも、すべては目標達成文の読み上げ。

なので、どんな会話も、朝晩の目標達成文の読み上げ時と同じく、否定形は使わないほうがいい。

否定形というのは「~したくない」とかなので、「~」の部分には大体ネガティブな言葉が入る。
潜在意識は否定形を理解しないので、発したそのネガティブな言葉を現実にしてしまう。
その否定している対象がどんどん拡大化していく。

ネガティブな言葉や否定形が危険だと感じたエピソード

今年1月に、14年一緒に居た飼い犬チャコを安楽死させた時、それを強く痛感する出来事があった。
安楽死をする前の晩、最後の決断を母親と一緒に考えている時、二人は
「なんとか、チャコが後悔しないように
ばかり口に出し、念じていた。

結果、安楽死をすることにしたのだが、その日の朝が重要だった。
チャコは豆柴でアレルギーに弱いので、チーズや乳製品を食べさせることを控えていたのだが、チャコ自身はチーズ大好き。
もう亡くなるのだから、安楽死の前にたっぷりチーズを食べさせてあげればよかったのに、俺も母親もそのことが全く頭に思いつかなかった。

安楽死という決断の是非は置いておいて、最期の時にチャコが最も喜ぶことをしてあげられなかったこと。
それは前の晩の、母親と俺の二人の自己対話、他人との会話に後悔という言葉が何度も出てきたことが原因だ。
脳は否定形を理解しないので、結局、後悔することになってしまったのである。

本来なら、チャコが満足するように、などと言うべきだった。
それくらい、普段からポジティブな言葉を使うということが重要。

『○○をなくす会』

この否定形と肯定形の話は、潜在意識がどう受け取るかの他に、
『宇宙は、自分がフォーカス(または執着)している対象が拡大化する』
という法則とも関係している。

『毒親をなくす会』
なんかを発足すれば、その名前を名乗っている限り永久に毒親にフォーカスすることになるので、絶対に毒親はなくならない。

『幸せな子供を増やす会』
にすれば、幸せな子供にフォーカスすることになり、毒親は自然に消えていく。

「『毒親をなくす=幸せな子供が増える』ではないの?」
と思うかもしれないが真逆で、前者はひたすら毒親にフォーカスし毒親を拡大化していくことになる。
潜在意識は否定形を理解せず、『毒親』という言葉を聞くたびにひたすら毒親に関するあらゆるイメージを喚起させる。

前者を名乗るか後者を名乗るかで、その後の結果が真逆になる。

『差別をなくす会』
『ハラスメントをなくす会』
『暴力をなくす会』
などもすべて同じ。

『ネガティブな言葉+それをなくす』
では絶対にそのネガティブな対象はなくならない。

そのネガティブな対象の代替品としてポジティブなものを提案し、それにフォーカスする必要がある。

例えば、禁煙・禁酒を達成する、もうまくいかない。
代わりに、ガムがおいしい、炭酸水がおいしい、などにすると、酒や煙草は勝手に消えていく。

否定形を使うか肯定形を使うか、たったそれだけの『習慣』の違いで人生は180度変わるので本当に気をつけたほうが良いです。

他にも、やりたくないなぁ、とか口に出したり思った時は、そのかわりに別の事をやりたいなぁと思うこと。

さらにメタ的に言うと「否定形は使わないこと」というのは、それがそもそも否定形なので、人生を良くしたいなら「肯定形だけを使うようにすること」と言うべきである。

人は自分が執着している対象に似ていく

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『自分が最も執着するものが好きなもの(人)である人は幸せになる』
『逆に、最も執着するものが嫌いなもの(人)である人は不幸になる』
というツイートがあって感銘を受けた。

それは、
良くも悪くも、人は自分が執着している対象に似ていく
かららしい。

好きなもの似たいもの
嫌いなもの似たくないもの
に言い換えると、
自分が似たいものに執着していく
ってのがいいんじゃないかと。

嫌いなもの(似たくないもの)じゃなく好きなもの(似たいもの)に執着すべき

「嫌いな人・憎い人のことを考えれば考えるほどその人にエネルギー吸い取られてその人が元気になっていくよ」
などとスピ系でも言われたりするが、結局それは、
『嫌いなもの(似たくないもの)に執着するな』
ってことをいいたいんだろう。

エネルギー吸い取られるとか云々で諭されるより、
「人は自分が執着した対象に似ていくけど、それでもその嫌いな対象に執着し続けるの?」
と言われたほうがよっぽど、
「やめよう、どうせ執着するなら自分が好きなもの(似たいもの)に執着しよう」
と思える。

この法則をこれまでの事に適用してみると色々わかってくる。

『自分の好きな人が自分の嫌いなものを好きだった時の葛藤 心が壊れそうになる』
というのはどういうことなのかとか。

好きな人(似たい人)も嫌いな人(似たくない人)もどちらも『執着している人』という枠組みでは同じなので、たぶんそれは、
『似たい人の中に似たくない部分を発見した』
という矛盾による葛藤なんだろう。

『自分が好きなものでも嫌いな人がそれを好きだと嫌いになる』
も同じような感じ。

他にも、
『誰にも執着されていない(好かれても嫌われてもいない)ということは、誰にも”似たい”と思われていないということ』
なのかとか、
『自分が執着している人が執着しているものはなにか』
とか。

『執着したものと似ていくというより、似ているから執着している(で、さらに似ていく)』
ということもあると思うし。

いろいろ考えてみると面白そうだ。

最近重要な気づきというのがあまりなかったが、このことは久々に重要だ。
今まで俺がいかに嫌いなものや人に執着し、それに似てきたかがわかる。
モメた人物や、憎い人物など。

俺は人やものや共同体の悪い部分、負の部分を徹底的に探しまくるENTP型・悪魔の代弁者だが、結局その悪い部分に自分が似ていくと考えるとやめようかと思える。

『今自分が何に執着しているか』
そして、
『それは好きなもの(似たいもの)なのか』
この二つを常に自問自答して、随時軌道修正をしていく必要があると思う。

苦しんでいる人や苦しめている人のことをわざわざ見る必要はない

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TwitterのTLを見てると、やれブラック企業の実態がどうとか、育児疲れがどうとか、毒親がどうとか、ペット虐待がどうとか、暗い話が目に入ってきて鬱陶しい。

そういうニュースに共通するのは、
『苦しめている人』
と、
『苦しんでいる人』
がいて成立するということだ。

そういう人を見てると、気持ちが暗くなってしまう。

そして、そういう人を見れば見るほど、自分の宇宙の中でそういう人が拡大化していってしまう。

以前までは、例えばこういうツイートを見ると、啓蒙のため、または優越感(自分はそんな状態じゃないぞという)のためにリツイートしていた。

今は、見たくもないし、優越感も得られない。
ただただ嫌な気持ちになるだけだ。

上に書いたように、宇宙は、自分がフォーカスを合わせたものが否応なく拡大化していく。

だから今後は、ブラック企業、毒親、ブラック部活、毒教師、毒恋人、毒配偶者等に苦しめられている人や、そういう情報を発信する人からは離れる。
現在進行系の人、以前苦しめられてて今も引きずっている人、これから苦しむ可能性が高い人など。

そういう人や現象が目に入り、俺の宇宙の中で拡大化していくのが嫌だ。

前まではブラック企業や毒親の愚痴を言う人が居たら、
「なんで逃げへんねん!」
等と過剰反応してたが、今はそういう人を視界に入れたくもない。

俺の宇宙の中で、
『いたずらに人畜を苦しめる存在』
と、
『いわれのない苦しみを受け入れる愚か者』
が拡大化することをできるだけ避けたい。

勘違いされると困るが、みんな何かしら問題を抱えていることくらいはわかる。
だが、順調にいっている人だって存在するし、どうせフォーカスを合わせるなら、順調な人間にフォーカスを合わせ、自分の宇宙の中で拡大化させたいと思うだけだ。

世の中にはろくでもないものが溢れているが、楽しいコンテンツやエンターテイメントだって溢れている。
その中から何にフォーカスを合わせるかは、自分で自由に選択できる。
一度きりの人生、わざわざろくでもないものにフォーカスを合わせていく必要はない。

代替案

世の中で起こっている暗いニュースや悲しい事件を無視し続ければそれで幸せ、ではまずいような気もする。
ちゃんと向き合い解決していくことは必要だが、それには『代替案』があるのが大前提だと思う。

ブラック企業が糞だと思うなら、人がもっと気持ちよく働ける労働の形などを打ち出して発信していく必要がある。
ポジティブな代替案を発信しそれにフォーカスを合わせれば、それが拡大化する。

俺は、現時点ではそういう代替案を具体的に提示することができないから、せめて黙っている。

「ブラック企業は糞だ」
「毒親は糞だ」
と連呼することで、問題を解決しようとしているのじゃなく、自分の個人的なストレスを発散してるだけの人が多い気がする。

そんなことをしても何の解決にもならないし、それぞれの宇宙の中で、ブラック企業や毒親などのろくでもない存在が拡大化していくだけだ。

俺はネガティブなニュースや話題すべてから目をそらしたいというわけではない。
せめて見る時は、ある程度腰を据えて見たい。
何気なくTLを開いた時に目に飛び込んでくる、というのは鬱陶しい。

人を救うことはできない

ここ数年で知り合った(殆どの場合向こうからやってきた)毒親問題等で苦しい人生を送っている悲壮な女性たちを思い出した。
俺は上述のような考えなので、そういう女性たちは断ち切っていく。

無意識の要求なので明言はしないものの、彼女らからは、
「私を救って(変えて)欲しいの!」
というのが透けている。

でも俺にはそういう人を救うことはできない。

災害時等の物理的な救助を除いて、人が人を救うことは不可能だ。
うまくいかないことがわかっている上に多大なリスクがあり無謀だ。

正しい情報を集め、行動し、自分の人生は自分で”Improvement”していくしかない。

もし俺が発信する何らかの情報によって救われたと感じる人間がいたとしても、それは本人が正しい情報に辿り着く能力を培ってきたおかげであり、つまり自分で自分を救ったに過ぎない。
俺は自分自身の一度きりの人生を精一杯生き”Expand”していくだけだ。

俺の持っている知識や人格や、ある種のAvant-gardeさに彼女らは反応するのだろうが、勘違いだ。
彼女らは自分自身の真の望みに無自覚だから、深い関係になっても絶対にうまくいかない。
俺自身も、悲壮な女性をママと勘違いしてはいけないし、代替品にしてもいけない。

今、そういう女性と深く関わったことによるトラウマを持っていないことに安堵する。
もしまかり間違って俺がそういう女性を救うために動いていたら、どう転んでもひどいトラウマになっていた。
実際に傷を負う前に気づけてよかった。

繰り返すが、俺は、
『いたずらに人畜を苦しめる存在』
と、
『いわれのない苦しみを受け入れる愚か者』
が嫌いだ。

そういう人間を見るくらいなら、後先考えずに楽しんでいる人間や、ちほちゃんのような自己責任でアル中をやっているような人間を見るほうがまだいい。

分割統治 同レベルの人間同士で喧嘩している間に上の人間が甘い蜜をすすっている

分割統治とは、ある者が統治を行うにあたり、被支配者を分割することで統治を容易にする手法。
被支配者同士を争わせ、統治者に矛先が向かうのを避ける事ができる。
被統治者間の人種、言語、階層、宗教、イデオロギー、地理的、経済的利害などに基づく対立、抗争を助長して、後者の連帯性を弱め、自己の支配に有利な条件をつくりだすことをねらいとし、植民地経営などに利用された。
出典:Wikipedia

同レベルの者同士で喧嘩や足の引っ張り合いをしている間に、それを焚き付けてる上の支配者層が甘い蜜をすすっている。
俺はその事に気づいてから馬鹿らしすぎて人と喧嘩したり人を説得することをしなくなった。

あらゆる喧嘩は支配者層の人間に焚き付けられたものじゃないかと思える。
日本だと、社畜同士の喧嘩、社畜とフリーランスの喧嘩、右翼と左翼の喧嘩、ツイッターでのあらゆる界隈の喧嘩など。

「喧嘩はダメだよ」とよく言うが、それだけ言われても、なかなかやめづらい。

だが、
その喧嘩を密かに焚き付けた上の人間(支配者層)が、裏で甘い蜜をすすっている
ということに気づくと、馬鹿らしくて悔しくて、すぐにやめようと思えるはず。

争いはだいたい、比較、劣等感、焦り、不安、不満などから起こる。
それらは自己肯定感の低い人間の特徴である。

支配者層からすると、自己肯定感の低い奴隷人間が増えたほうが都合がいいんだろうか。
社会には、人々の自己肯定感を下げにかかる仕掛けがたくさん施されている。

忌野清志郎さんの争いの河という曲も分割統治について歌っているように思う。

大人たちが 言い争ってる
原発や 米や 税金で争ってる
大人たちが 言い争ってる
社会や 文化 経済で争ってる
その間に 目的を持った奴が
ちゃくちゃくと準備をしてる

争いの河 / THE TIMERS

他人に説教や説得をするのは無駄 重要でない人間や重要でない行動は全て無視

知識がない・視野が狭い人間は、知識外の物事を認識する事さえできない。
こちらが何百の言葉を並び立てようとも、相手は全く認識できない。

そんな低レベルな相手に説得を試みたりして、知識豊富な人間が時間を割くべきではない。

人間が、他人に対して悩んだり気を乱すのは
『その人間か重要か』
『その行動が重要か』
による。

またはその両方であることもある。

例えば町のどうでもいいおっさんでも、殴ってくるような重大な行動とってきたら気を乱される。
逆にどうでもいい行動がいちいち気になる場合は、その人間の事が重要になってしまってるので認識を改める。

他人や、他人の行動が気になって悩んだり、説教したくなったりした場合は、
『本当にその人間や行動が自分にとって重要かどうか』
をまず考えたほうがいい。

自分にとって誰が重要か何が重要かを常に管理して把握しておかないと、後になって考えて、本当にどうでもいいことに時間とか労力割いてしまったりする。
それは短期的に重要かもしれないけど、そのせいで長期的に重要なことが蔑ろになったらまずい。

自分のやりたいことをやる

『どうでもいい人間』の『どうでもいい行動』に悩んだり、それに対して無駄な説教や説得をして消耗したら損だ。
そんなことをする暇があったら、自分のやりたいことをやるべきだ。

最近は本当に、他人に対して説得したり意見したりすることがなくなった。
そんな事をして他人を変えられたためしがない。

とにかく人に意見しない。
何か言いたくなる時はあるけれどそうなったら意識を別の所にやる。

他人を否定して説得して変えようとしそうな自分が居たら、即座に認識を改めて別のことに取り掛かる。

ラーキルアさんの言うところの受け流す人間とか、俺の言うところの『飄々とした人間』と思われたら嫌だが。
とにかく他人を変えようとせず、自分のしたいことに集中する事が、最も一番自分のためになる。

それもこれも、相手側が知識がなさ過ぎ・視野せますぎで、俺の言っていることを理解できないことが多すぎたから。
そんな奴一人に俺がマンツーマンで時間割いて情報を与えるのが無駄すぎる。

ドラクエ10のFtM然とした女のように、わざわざ俺に助けを求めてきてるのに、いざ意見を言ったら聞き入れいれない奴とかに出会って本当にキチガイかと思った。
結局そういう奴は問題解決のためのノウハウがほしいんじゃなく、現状維持のための愚痴が言いたいだけなんである。
その事に気づいてから、人に意見したり説教することがなくなった。

問題解決のためのノウハウが欲しいんじゃなくて、ただ愚痴が言いたい・他人に依存したいだけなのに、さも問題解決のためのノウハウを欲しがってるような素振りをして、説教したがりの人に助言求めて、で、聞き入れない。
キチガイである。

ブラック企業で消耗する社畜といじめに苦しむ小学五年生男子の『目標』を『応援』する

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俺と結構前から相互フォローの東方ふたなり絵の同人者(もの)がいた。

ブラック企業につとめてるらしく、毎日のように、
「死にたい」
「泣きたい」
やら
「体調がおかしくなってきた」
と呟いていた。

不満をいうだけで一向に行動しない人たち

それに対してフォロワーの絵描き界隈の人らが
「がんばれ」
とか
「無理しないで」
とか
「それだったら仕事、やめたらいいじゃん!」
とか
「手遅れになる前に組合へ行ってくださいこれはお願いではなく命令です」
とか色んなリプライを送っていて、俺もふざけたものからまじめなものまで色々送っていた。

しかしそのリプライたちに対して本人は、大手配信者が雑多なコメントをさばくような、有名人が一般人のリプライを軽くさばくような適当さ(?)で返すだけで、問題は一向に解決せず。

ほんとにさっさとやめればいいのに、いつまでも辛い辛いと言うだけで一向に辞める気配がなく、なんとももどかしい。

他にも、ドラテンのルームで、学校で4人の生徒にいじめられていて、
「毎日殴られて、給食こぼされて、火傷もした」
とか言っていた小5男子に対しても俺は、
「それだったら親か先生に頼むか警察いけばいいじゃん!」
と言ったが、結局その人も、一向に行動しない。

自分の身を自分で守れない、自分の問題を自分で解決できないやつはどうしようもないと思う。

不思議なのは、周りに手助けをしてくれる人間がいてもなお問題を解決できない無能さだ。
惨めな自分に酔って優越感を得る、悲劇のヒーローというのが妥当なとこだと思う。

救おうとする人間の愚かさ やりたいようにやらせるのが一番

それよりも問題は、そんな惨めで無能な人間を少しでも救おうと思ってしまう側にあることはわかっている。

俺も過去に学校で苦しみ、ブラックバイトみたいなのでも少し苦しんだことがある。
俺はそういう自分を、先に上げた二人に投影して、過去の自分を救おうとしてそいつらに絡んでいってしまうのだろう。

俺の場合は周りに手を差し伸べてくれる人もいなかった。
だから自分でなんとかしないといけなくて、結果なんとかなったものの、考えが異常に偏ってしまった。

先に挙げた二人の場合は、周りに助けてくれる人間がいるのにあのザマだから、俺としては嫉妬に近い感情も覚える。

周りからの大量の助言さえも無視してブラック企業で消耗し続ける彼もそうだが、
「生まれたことを悔やんでつらいつらいと同情乞うて果てたい人」
は、
「生まれたことを悔やんでつらいつらいと同情乞うて果てるという自身最大の目標を達成しようとしている」
のかもしれないので、助言などをして邪魔をしてはいけない。

・周りの人間に「そんな会社さっさと辞めて!」といくら言われても辞めない同人者
・目標は「周りの人間にとめられてもやりたいこと」を選ぶ。

この二つを合わせて考えると、その同人者の目標は
「周りにいくら止められてもブラック企業で働き消耗し続けていきたい」
というものなんである。

俺が、
「やめたほうがいいですって!」
と説得したって、その人の目標は
「一度きりの貴重な人生をブラック企業で消耗して過労死する」
というものでそれは
「誰がなんと言おうと達成したい目標」
なんだからこちらに否定する権利はない。

本当に本人はその目標をなんとしてでも達成したいんだろう。
だからこそ誰になんと言われてもブラック企業で働き続けるんだろうし、それをこちらの価値観で否定するのは異常なことだ。

俺に何かやってあげられる事があるとしたら
「君なら絶対できる!君ならブラック企業で消耗し挙句過労死する目標なんて楽勝で達成できる!その調子でいけ!」
とリプライを送ることくらいである。
ちょっと言い過ぎた。

でもブラック企業で過労死したい人は、ブラック企業で過労死したくてたまらないのに、
「そんな危険な会社やめて!」
などと言って、その会社の素晴らしい重労働具合と低賃金具合も知らないのに目標を邪魔する発言をしてはいけないのである。

イエスマンになる

人は他人を全肯定して応援するイエスマンになればいい。

「死にたい」
と言ってくる人がいたら止めるなんて以ての外で、まず、
「君なら絶対死ねる!」
と応援してあげる。

相手が望むなら、うまく自殺する方法などを教えてあげてもいい。
まぁこの例えは自殺幇助になるので問題だが。

「お前をころしたい」
と言われたら困るが。

とりあえずそれは知らんけど、イエスマンになって他人の価値観を全肯定するようにしたら本当に楽になった。

でもこっちにもやる事あるので、やっぱり
「死にたい」
という目標の人とは一緒にいたくないので
「君ならできる」
と応援した後去る。

「過労死したい」
「自殺したい」
という目標だってその人なりのバックボーンがあって本当に達成したい目標だろうから、
「世界平和と実現したい」
という目標と同じくらい崇高なものだ。

これは皮肉ではない。
他人が本当にそれを望んでるのかなんてこっちには知りようがない以上、できるのは肯定と応援だけ。

つまり自分にとって思わず否定したくなるような目標を持っている人が相手でも、とりあえず肯定して応援してからそっと離れれば良いという話。

そしたら波風も立たないしこっちも消耗しない。
そんなことにやっと気づいた。

俺は自分が、
「ブラック企業が嫌で、そんな所で働くのは不幸だ」
という価値観だからといって、他人もそうだと決めつけ、
「ブラック企業で働いて過労死したい」
という夢を持っている人を否定していた。

人それぞれ色んな夢や価値観があるのに。

「これからはブラック企業で過労死したい」
という夢を持っている人がなるべく早く理想的な形で過労死できるように応援する。

まとめると、人を救おうとするより自分がしたいことをしたほうがいいってこと。

以上のような事があって、諸々の事があって俺は一切人に説教(説得)することをやめた。
人を否定することを一切やめた。
ただ目標を応援するだけでいいと気づいた。

小5はどうなったか知りませんが、同人者は会社をやめて休養中だそうです。

他人を変える・理解するにはその人を好きであることが大前提

今まで、親しい親しくない問わず、他人が俺に説教や説得やアドバイスをし、変えようとしてきたことが何度もあった。
俺も、基本的には説教や説得はしないようにしているが、他人を変えようと試みたことは何度かあった。

そんなことを繰り返してやっと気づいたのは、他人を変える・理解するにはその人を好きであることが大前提だということ。
厳密には、好き同士、相思相愛でないといけない。
もちろん恋愛感情という意味ではなく、リスペクトしあっているというか。

こちらが、相手のことを本気で好きでリスペクトしていても、相手がこちらに対してそうでもなければ、意見を本心から聞き入れてくれることはほぼない。
黙って俺の言うことをきいとけ、という態度なら論外。
逆も然り。

相手もこちらを好きでリスペクトしていたら、この人の言うことならきいてみようと真剣に取り合ってくれる。

変えるという大げさなことでなく、理解するされないも同じ。

相手がこちらを好きでもないのに、俺のことをわかってくれ!と言ってもほぼ通じない。
逆も然りで、好きでもない相手が必死で私を理解してと言ってきても、俺は大体、ああまたこのパターンの人間か、という感じで、パターン化して捉えてしまい、相手個人を見る気が起きなくなる。
簡単に言うと興味がなくて、理解する気も起きない。

思えば今まで、人のことを本気で理解したい、理解されたいと思ったのは、本当に好き同士だった時だ。

相手のことを本気で魅力的に感じ、言ってる内容はまだ理解出来ないものの、いずれ必ず理解したいとポジティブに思えていた。
そして相手も同じ感情をこちらに抱いている。
そういう関係のときは、お互いが限りなく理解しあえる方向に向くし、変わることもできる。

「なんでわかってくれないんだ!」
と相手に思う時は、まず自分が問題。
相手に自分が好かれているか、自分が魅力的に写っているか、理解したいと本気で思われているか、見つめ直したほうがいい。

人を理解したいと思う感情は、興味のある映画を見たり、得たい情報の本を読むときのように、ワクワクしたポジティブな感情だ。
自分のやりたいことを夢中でやっているという感覚。

そういった感情を相手がこちらにも抱いてない限り、どれだけ説得しても理解はされない。

そういう事に気づいたので、やはり自分が尊敬できる人間、好きな人間とつるみ、あわよくば尊敬できるもの同士、好き同士という関係を構築していきたいです。

「がんばれ」と言われると辛い・ムカつく そんな時の対処法は「お前もがんばれよ」

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リアルでもネットでも、いろいろ話した最後に、適当に
「がんばれ」

「がんばー」
と言ってくる人間がいる。
俺は、そういう言葉を投げかけられると、どうしようもなくムカついてしまう。
そして、それに対してどう答えればいいかわからなくなってしまう。

リアルで
「頑張ってください!!」
と本気で親身になって言われたら、
「ありがとうございます!!」
と頭を下げて大声で返せばいい。

だが上述のように、適当に、投げやりに
「がんばー」
と言われると俺は、
「あ、あぁ。。。」
とか
「どうも。。」
とかしか返す言葉がない。

「なんか腹立つんだよ!!」
と言いたいが、一応は応援されている以上それもおかしいので、怒りを抑圧した返事を返すしかなくなってしまう。

そういった、適当な
「がんばれ」
になぜ腹が立つのかというと理由は二つある。
俺はがんばっていないように見えるのかという感覚にくわえて、「がんばれ」と言っている本人に頑張っている様子がない
ウサギとカメのように、こちらは今から頑張らなければいけない状況にあるというのに、それを応援している人間は、すでに頑張らなくていい状況にある。

言ってしまえば、頑張らなければいけないお前は、頑張らなくていい俺より下だ、というのを、見せ付けられているような気分になってしまう。
だから、「がんばってください!!」と、言っている本人が頑張りながら、親身になって言ってくれた場合は、その姿を見て、こちらも頑張らなければと素直に思える。

そこで俺は、そういう脱力気味ながんばれという言葉にに対しては、ジミー大西さんのように
「お前もがんばれよ!」
と返すことにした。

「お前」では波風が立つ場合は、「○○(その人の名前)さん」とか「あんた」とかでもいい。
そう返すことで、相手が「自分もがんばらなきゃ」となるかどうかは知らないが、とりあえずこちら側に抑圧が溜まることが少なくなると思う。

俺は頑張らなければいけない状況だが、お前も、脱力気味に人に「がんばれ」と言ってないで、お前なりに頑張ることがあるだろう、ということである。
試しに何度かそう返してみたが、すごくすっきりした。

上述のように「がんばれ」と言ってくる人間に対して「お前もがんばれよ」と返すことで波風が立つこともあるだろう。
しかし、そもそも人に対して、適当に「がんばれ」と言える人間とは、縁が切れてもさほど問題ないと思う。

暗い話や深刻な話をしても仕方がない

少し前に、ツイッターで攻撃的なツイートをしてもデメリットしかないとか、一人で街に繰り出したり酒を飲んだりして、感傷や懐古に浸っても仕方がないとか書いてきた。

最近思うのは、それらに加えて、暗い話や深刻な話も、しても意味がないんじゃないかということ。

俺は人と話す時、異性同性問わず、どうにも『深刻』になってしまう。
深刻という言葉には深いという漢字が入っているが、俺はとにかく自然と深い話をしたがってしまう。

だから、言い方は悪いが、ミーハー的に流行り物にキャーキャー言っている浅い人間とはまず話が合わない。
物事を『深く』考えすぎたりする人間や、オタク的に、何かを追求・探求している人間とは話が合う。

これまでずっとそういう人と話してきたし、それが原因で、知りたくないことまで知ってしまったり、逆に踏み込まれたくないところに踏み込まれたりしてモメたこともあったが、得られたものは多かった。

だがそろそろ、深刻な話をするのはもういいかなと思っている。
深刻な話は、し飽きた。

深刻な話は、感傷や懐古とは別物であり、『未来のこと』を深刻に話すことはよくある。
それでも、深刻である以上、どうしても空気が重くなるというか、暗くなりがちだ。
感傷は暗いし、懐古も暗い、そして、深刻も暗い。

暗いということはなんであれ、あまりよくない。
単純に、楽しくない。

深い話を避けているとどんどん浅いことしか考えられない人間になっていくので危険だが、俺の場合深い方に偏りすぎているので、浅い話で楽しむという自在性も身につけたほうが良いと最近思っている。

ツイートも同様で、深刻なツイートをしすぎると、近寄りがたい人になる。

人と話すときやツイートするときは、できる限り明るい話をし、深刻な話はこのブログだけでしようと思う。

人間には明るい面も暗い面もある

昔の俺ならをそれを『人格を使い分けている』『装っている』と思って後ろめたかったが、今となっては気にすることもない。
人間は明るい部分と暗い部分を必ず持っている。
どちらかをひた隠しにしたり、抑制・抑圧を続けることこそが最も不健康であり、いずれ崩壊する。
陰口はよくないが、どこかで発散するということは必ず必要だ。
(それか、『すぐ怒る人』のように、暗いものが溜まりそうになった瞬間に発散する方法もある。)

俺があまりにも明るい話がうまくなり、周りに人が集まり、その人達がこの暗いブログを見てショックを受けて去っていく、ということもあるだろう。
昔の俺はそれにも怯えていたが、それも、気にしても意味はない。
人の『別の面』を見てショックを受ける人間は、精神的に未熟だ。
ショックを受ける側の精神の問題だということ。

一人の人間を徹底的に掘り下げてみると、誰しも驚くほどいろんな面を持っている。
ギャップアピールというものもあるが、そんなことを意図的にやる必要もないくらい、相反する面があったりする。

それは人として当たり前のことなのに、
「この人はこうなはずだ」
と定義して確信して安心しようとする人間のほうが、よっぽど危険であり、未熟なんである。

なんにせよ、人と話すときは深刻になって暗くなっても仕方がないので、とにかく明るく話すことを心がける。

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このブログの記事は、一学習者・一素人の気付きとして書かれたものです。
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