実年齢や年齢らしさという概念で人間を定義するな

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

最近俺はやたらと「ジェンダー(男らしさや女らしさ)や国籍や年齢などの特徴でその人間を定義するな」とか「スプラトゥーンをやっているやつが全員YHR2372さんのような人間というわけではない」とか、上辺の情報で人間を判断するな、一括りにするな言うことを言っている。

特に「年齢」という特徴は、男らしさや女らしさなどのジェンダーと同じくらい、人を判断したり定義する材料になってしまう。

『年齢らしさ(何歳らしさ)』にどれほどの意味があるのか

世間では、実年齢に不相応な行動を取っている人間が「大人げない」「いい歳こいて」「子供なのに」「もう◯◯歳になったんだから」などの言葉で非難されることが多い。

そういう言葉で他人を非難する人間は『年齢らしさ』で人間を定義している。

自分や世間一般が持つ「◯◯歳らしさ」のイメージを絶対的なものとして、それに当てはまらない人間を弾圧しようとしている。

人が持つ「◯◯歳らしさ」のイメージは基本的に、「◯◯歳はこういう感じの人が多かった」という、今まで見てきた情報の多い少ないで判断されているものだ。

例えば40歳を過ぎて結婚してないのは異常とか、30歳で童貞・処女なのは異常だとかいう非難。

「異常」というのは基本的に、「おかしい」という言葉と同じく、その対象の存在や行動が珍しい、あまり見かけない、という場合に使われる言葉だと思う。

40歳を過ぎて独身の人間の割合が2割ならそれは多く見ない存在なので、異常ということになる。

多くの人は珍しい存在や頻繁に見かけない存在を嫌悪して排除する傾向があるので、頻繁に見かけないであろう「年齢らしくない」人は異常やらおかしいやら言われて弾圧されることになる。

自分自身も年齢らしくあらなきゃと思っている

「年齢らしくない」人を非難したところで、その行動を変えない人は変えないし、変える人は変える。

放っておけばいいのに、わざわざ人に年齢らしくない、と思って気を乱す人間は、自分自身にも「年齢らしくあらなきゃ」と思っていることが多いはずだ。

逆に、年齢らしくあらなきゃ、と自分の首を締めているから、年齢らしくしていない人間に嫉妬してしまうんだろう。

自分も年甲斐なくはしゃいでみたい、若い格好をしてみたい、若い人がやっている趣味をやってみたい、でもこんな年齢だし、という抑圧を、年甲斐なくはしゃいでいる他人を非難することで解消しようとしている。

これはまさに俺の勝手なイメージだが、そういう非難をしている人間は特に女性に多い。

女性らしくあらなきゃ、とジェンダーで自分自身を定義して自分の首を締めている人間は、年齢でも自分自身や他人を定義しやすい。

若い頃は恋愛などでジェンダーとして人に優越してきたものの、人間全体としての価値が低く、実年齢があがっていくにつれて体が老化してきてジェンダーで人に優越できなくなってきた、という苦しみが、年齢らしくない人間に対する怒りとなって現れているんじゃないかと思う。

一生好きなことをして暮らすための「不労所得」のつくり方 光文社新書/吉川英一

実年齢というものにどれほどの意味があるのか

年齢らしさで人を定義している人間が最も重視しているのは人の「実年齢」だと思う。

19◯◯年何月何日に生まれて、現在までの経過日数でカウントされた年齢で多く測ろうとしている。

だがその数字でどれだけの情報を得られるのだろうか。

実年齢を気にする人間はおそらく、20代などの十の位か、24歳という一の位まで気にするんだろうが、24歳と何ヶ月、何日、というところまでは気にしない。

実年齢という数字を気にするなら1日単位、いや秒単位で気にすればいいのにと思う。

24歳と12ヶ月31日の人間も24歳という判断なら、その人が持つ24歳のイメージは1日で崩壊することになる。

実年齢、見た目年齢、精神年齢、体感年齢、身体年齢

年齢で人を定義したがる人間が一番重視するのは実年齢だと書いたが、年齢には実年齢・体感年齢・見た目年齢・身体年齢など色々ある。

見た目年齢が若く、精神年齢も若ければ、他人にとってのその人は「若い人」という大まかな定義でいいじゃないかと思う。

自分自身の実年齢も頭の隅に置いておく程度で、体の調子が悪くなってきたなと思ったり、新しいことに挑戦しなくなったな、と思ったら体感年齢で老いたと感じたらいい。

というかそういう傾向から「老いた」と判断すること事態ナンセンスで、体の調子の悪さと年齢は関係がないし、新しいことに挑戦しなくなるのも年齢とは関係がない。

実年齢が若いのに生活習慣病のやつはいるし、実年齢が若いのに新しいことに挑戦しないやつもいる。

実年齢30代にしか発症しない病気というのもないし、実年齢40代でしか絶対に到達できない考え、というのもない。

結局は年齢という情報は重要じゃなく、実際に起こったその現象そのものが重要なんじゃないだろうか。

実年齢というフィルター

例えば、参加者全員に年齢を隠して一つの部屋に集まらせて共同作業をやらせた場合、実年齢で人を測ることはできなくなり、結局その人間の本質や全体像を把握せざるを得なくなる。

実年齢というフィルターがかかっているから、自分が持つ「何歳らしさ」のイメージを人に勝手にあてはめて見てしまう。

あとで参加者の実年齢を公開した時に、想像していたのと違ったりもするだろう。

自分自身に対しても同じで、例えば現在実年齢20歳の人間が長い間、カレンダーも時計もない環境で生活し続けたら、年齢らしさで自分を縛ることもなくなるんじゃないかと思う。

しかしそういう生活は全く社会的ではない。

結局、年齢らしさとは社会的なもので、社会(3人以上の集団)が成立していなければ年齢で自分や他人を定義する必要もなくなる。

書類などで生年月日を書いたり、人に自己紹介する時に実年齢を公開するなどの社会的な習慣がありすぎるせいで、人は次第に実年齢に囚われるようになっていくんじゃないだろうか。

さいごに

かなり伝えたかったことなのに論理がガバガバになってしまった気がするが気にしないでください。

結局俺が言いたいのは、体の不調や新しいことに挑戦しない精神など、受け入れたくないことを、「もういい歳だから……」などと実年齢を言い訳にして受け入れるな、ということです。

よく言われる、何歳になっても挑戦し続ける、とかいうのに近い。

年齢らしくない、というのはつまり「(実年齢30代なのに)30代らしくない」と言っていることであり、それは「(身体性別男性なのに)男らしくない」、という風にジェンダーで人を定義しているのと似ている。

重要なのはその人間の全体像や、起こってきた現象そのものであり、年齢や性別や国籍などの特徴だけですべてを判断するなと言いたい。

でも結局俺もこの記事で「◯◯な人間は◯◯しやすい」という風に、特徴で人を推し量ってしまっているが、人に話す時はある程度一般化する必要があるので、そういう風になってしまうのは仕方がない。

要は「必ずしもそうではない」ということを強く意識し、例外を受け入れることだと思う。

俺が最近これほどまでに性別や年齢で人を定義するなと言うのは、過去の俺が「10代とは関わらない」や「女は糞。まんこは花。」などと言って、まさに年齢や性別で人を定義しまくって、それによって消耗していたので、その反動だと思います。

まぁそんな感じです。

こんなところでどうでしょうか。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加