忙しい自慢をする人間にだけはなりたくない

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よく言われていることだが、”忙しい自慢”をする人間は鬱陶しい。

しかし、忙しい自慢を過剰に嫌悪したり腹を立てたりする人間にも問題はあると思う。

俺の場合、忙しさを事細かに説明されなくとも、人に「ちょっと最近忙しいねん」と言われただけでいらっとする。

それは単に俺がやることがなく暇で、そんな自分に不満で、相手が羨ましいからである。

つまり、不快感の原因は俺のほうに多分にあるんじゃないだろうか。

だが、忙しい自慢をする人間にいらっとしたのは事実だし、気分を害したのも事実だ。

 

「いつも忙しい」がなくなる心の習慣

「空いてない」とだけ言えばいい

だから俺は、仮にめちゃくちゃ忙しい日々が来たとしても、絶対に人には「忙しい」と言わないでおこうと決めている。

「忙しい」と言わず、「その日は空いてないなー」と言えばいい。

「忙しい」というのは即ち、「充実している」というアピールになり得る。

人からの誘いを断るときに、自分が充実しているかどうかを伝える必要はない。

ただ、空いてないということだけを伝えればいい。

 

「忙しい」と言われて腹が立った

自分が暇で悶々としているときに、散々”忙しい自慢”に憎悪を募らせていただけに、人に対して同じことをやりたいとは思えない。

これを”人にされていやだったことは人にしない”と言えば聞こえはいいのだが、自分を縛り付けるものでもある。

もし俺に本当に忙しい日々がきたら、はけ口がほしくなって、人に「忙しい」と言いたくなるかもしれない。

でも俺は言わないと決めているので、そもそもそんなことが言いたくなるような忙しい日々に、自分を追い込まないでおこう、となるかもしれない。

つまり、今まで忙しい自慢をされて「よし俺もがんばろう」と考えずに、「また忙しい自慢か。どうせやりたくもないことで忙しいんだろう」と、見下す方向に解釈しようとしてきたことが、後々になって、上記のように自分を縛りつけ、人生を狭めるんじゃないかということである。

 

“忙しいふり”をしている

ところで、俺の周りで忙しい自慢をしてきた人間を見るに、みんな忙しそうだから、という理由で、忙しくもないのに忙しそうなふりをする、というのも結構あった。

とにかく、忙しいということは充実であり、いいことなんだろう。

暇である、余裕がある、というのは、ださいことであり、恥ずかしいことであり、人に言えるようなことではないんだろう。

これは日本人の気質かなんかなのだろうか。

勤勉かつ、周りと同じことをしていないと不安になる、の両方を特徴をあわせたのが、忙しい自慢である、と。

 

さいごに “忙しい”と言わない

忙しくないと恥ずかしい、というような理由で人に忙しさを自慢するくらいなら、やることがなく暇なほうがいいんじゃないかとさえ思える。

どちらにしても俺は、忙しいという言葉は使わずに過ごしたい。

まぁそんな感じです。

こんなところでどうでしょうか。

 

「いつも忙しい」がなくなる心の習慣

人間関係にうんざりしたときに読む本

 

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