人格の振れ幅(可動範囲)問題。面白いこと(大喜利など)が言えない、ギャグ、ものまね、変顔ができないというコンプレックス。ノリが悪い。

最近思うが「人格の振れ幅(可動範囲)」が狭い人間は苦しんでいる。
「人格の振れ幅(可動範囲)が狭い」とはつまり、人格的に「できない」事が多いということだ。
「ノリが悪い」とも言える。

「人格」的に「できないこと」

例えば俺の人格で言うと、
「ギャグができない」「面白いことが言えない」「ものまねができない」「変顔が出来ない」「流暢な英語でしゃべれない」
などである。

基本的に、それらをするのが「恥ずかしい」。
羞恥心でもなんでも、根幹は「恐怖心」だ。

だから「できない」。
「できるけどやらない」ではなく「できない」。
その「可動範囲」の狭さに人は苦しむ。

「飄々とした人格」は「最強」ではなく「雑魚」

俺はとある人物を「飄々とした」人格であると称し、俺はその人格を「最強の人格」かと思っていた。
しかし最近は、まったくそんなことはない、むしろ「雑魚」だなと思い始めた。

上述の「できない」リストは俺のことだが、その飄々とした人物も多分できないだろう。
彼は「飄々とすること」と「動じていない(”ふり”も含む)こと」を意識しすぎて、ギャグやものまねはできないと思う。
怖がっていないように見えて、それらをするのが怖いんだと思う。
決して「できるけどやらない」では無い(と思いたい)。

そういう意味で、「飄々とした人格」なんざ「最強の人格」でもなんでもない。
飄々ともできるし、ギャグも言えるし、ものまねもできるし、変顔もできるし、と、
「なんでもできる」
という人格が最強に決まっている。

タレントや芸人は人格の振れ幅が大きい。明石家さんまさんは最強に近い。

そういう意味で、テレビに出てくるタレントや芸人はさすがだ。
「無茶振り」にも答えるし、変顔もものまねもとっさにやってのける。
その中でも「明石家さんま」さんは特にすごいと思う。
芸人はほとんどそうだが、「この人は人格的にこれができない」というのがやはり少ない。

そういった「人格の振れ幅が広い人間」に比べたら、「飄々とした人格」いや「飄々としかできない人格」なんざ「雑魚」だ。
むしろ俺のような「わたわたした人格」のほうが、まだギャグやものまねができるようになるのは早いかもしれない。
「飄々」や「クール」よりは可動範囲を広げやすいんじゃないだろうか(場合にもよると思うが)。

ちなみにこの場合のギャグは一発ギャグのこと。
自分で一発ギャグも開発できないし、一発ギャグ芸人のギャグを真似ることも恥ずかしくてできない。
ものまねは、喋り方ものまねや動物ものまねのことで、俺は歌マネならできるのは結構ある。
さらに俺は上述のようにギャグやものまねや変顔は恥ずかしいが、さすがに人前でハイテンションで歌うことくらいはいつでもできる。

さいごに

最近、性の悩みも表出できてきたし、色んな問題が解決に近づいてきた気がする。
とりあえず新しく始めた仕事でも稼げているし、これで「結婚」もできたら言うことなしなのだが。

しかし、度重なる飲酒と、酒でテンションを上げることに慣れてしまって、素面ではどんどん人格の振れ幅が狭まっているという問題がある。
なんとかして10代のときのように、飲酒しなくてもハイテンションのナチュラルハイを取り戻し、どんどん人格の振れ幅を広げたいと思っている。

ところで、この記事に、余談として結婚願望についても書いたのですが、長すぎたので別の記事に移動させました。

まぁそんな感じでした。

結婚したい。処女と。そんで養って添い遂げたい。結婚願望が強すぎる。
最近、「性の悩み」をなんとか解決すべく、どういった悩みがあるかをブログ記事やTwitterに書いて「表出」させてきた。 最初の記事に書き忘...

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