嫌いな人間が好きなものを嫌う必要はない その人間そのものを嫌うべき

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今までずっとこのブログでも yhr 2372さんをはじめとして、「嫌いな人間が好きなもの嫌いになる」「自分が好きなものを嫌いな人間が好きだった場合に心が壊れそうになる」などと言ってきたが、最近考え方が変わってきた。

YHR2372さんがスプラトゥーンを好きでも関係ない

例えば一番わかりやすい例で言うと yhr 2372さんが大好きな「スプラトゥーン」を俺は大嫌いだったのだが、そんな風に思う必要はないと気づいた。

同じように yhr 2372さんが大好きな「ダースのチョコレート」や「スパイラルグレープ」「パルテナの鏡」なども yhr 2372さんがそれらを好きだからといって俺はそれらを嫌う必要はない。

考えてみると当たり前の話なのだが、全ては yhr 2372さんという人間の全体像(ゲシュタルト)が問題なのであって、その全体を構成する「スプラトゥーン」「パルテナ」「ダースのチョコレート」などの「細部」をいちいち嫌悪していくメリットはない。

俺の好きな人も嫌いな人もスプラトゥーンを好き

最近 twitter で色々な著名人をフォローしてみると、俺の好きなミュージシャンがとてもスプラトゥーンを好きなようだった。

前にも書いたように、俺のフォロワーの人にもスプラトゥーンをやっている人がかなりいる。

俺はその人たちのことを、最初は yhr 2372さんと同じく「スプラトゥーンをやっているからYHR2372さんと同じ要素を持っている人間だ」と思って嫌悪しそうになっていたいたのだが、その一点だけで人を嫌悪していたらきりがない。

確かにスプラトゥーンと聞くとどうしてもまだ良い印象が持てないが、何度も言うようにスプラトゥーン自体には何の罪もない。

俺の大好きな人がスプラトゥーンを好きかもしれないし、大量殺人者がスプラトゥーンを好きでもおかしくない。

どんな人でもスプラトゥーンを好きになる権利はあるし誰もそれを止めることはできない。

その人間を構成する要素という意味ではスプラトゥーンもご飯もパンも同じ

もっと一般的な事で言うと、俺の好きな人間も嫌いな人間もみんな「ご飯」や「パン」を食べていて、「ゲーム」をやっていたりもする。

スプラトゥーンは「ゲーム」の中でも限られたものだから俺は特別気になってしまったのだろう。

「ダースチョコレート」や「スパイラルグレープ」もそうだ。

嫌いな人間がスプラトゥーンをやるのも、あらゆる人間がパンやご飯を食べたりするのと同じようなものだ。

その人間の細部ではなく全体像を注視する

つまり問題は、その人間を構成する「全体像」だということだ。

「スプラトゥーン」「パルテナの鏡」「飄々とした人格」「ダース」「スパイラルグレープ」「セックスレス自慢」など 単体では嫌う必要性もない要素を、全体として構成している「yhr 2372さん」というその人間の全体像そのものが問題だ。

俺は今回、「細部より全体が大事」ということを言いたいのだが、それを物で例えてみる。

たとえば、無人島で取り残され、空の飛行機に向けて「sos」の文字を浜辺に書くとき、「木の枝」を集めて「sos」と書くか「魚の死骸」を集めて「sos」と書くか「金塊」を集めて「sos」と書くか、どの素材を使って書いても「全体」として「sos」という文字が見えれば問題はない。

この場合、「sos(全体)」という文字を構成する「素材(細部)」には大した意味がない。

「スプラトゥーン」「パルテナの鏡」「飄々とした人格」「ダース」「スパイラルグレープ」「セックスレス自慢」などの「点」で結ばれて出来た「線」が描く「全体」の「形」が問題、とも言えるかもしれない。

全体と細部は相互作用しているので、もちろん細部に意味がないことはないのだが、俺はあまりにも yhr 2372さんに関しては「細部」にこだわりすぎていた。

その人間の全体像を嫌い尽くす

行き当たりばったりで書いているので言いたいたいことが伝わっているかわからないが、俺が言いたいのはとにかく「その人間」という「全体像」を徹底的に嫌えということだ。

「嫌いな人が自分の好きなものを好き」でも自分はその好きなものを嫌いになる必要はない。

「嫌いな人が好きなもの」をこちらは嫌う必要はない。

「嫌いな人が好きなものをこちらは嫌う」というのは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざでもあるが、そんなことをしている間は本当にその人間を嫌いきれていないと言えるんじゃないだろうか。

その人間の細部しか嫌えていないからだ。

その人間を徹底的に嫌い憎んだ時に、その人間の好きなものを嫌いつくす方法もあると思うが、次の段階としてはその人間を構成する全体を徹底的に嫌っていくしかないと思う。

俺はこれから嫌いな人間の細部は記にせず、全体像を嫌っていくつもりだ。

単純に興味が無いので、これからも俺はスプラトゥーンをやるつもりはないが、誰かに誘われたら 喜んでやろうと思うし、ダースも食べたくなったら食べていいし、スパイラルグレープは今販売していないと思うが喜んで飲んでやろうと思う。

そして初対面の人が「飄々とした人格」でも、それだけの人間で嫌おうとするのはやめるし、誰かが「セックスレス自慢」をしてきてもすぐには怒らなくていい。

yhr 2372さんと言う存在に「自分の選択や自由意思を阻害されない」ということだ。

俺はyhr 2372さんという全体像を構成するこまごまとした「細部」にとらわれず、yhr 2372さんという全体像を俯瞰で捉え、徹底的に嫌い尽くしていこうという段階に入った。

ちなみにこの話は「人間をジェンダーや国籍や年齢でしか見れない人間は終わっているという話とつながっている。

「男性」という性別や、「日本人」という国籍・身体的特徴、「24歳」という年齢もすべてその人間という全体を構成する細部でしか無い。

以前の俺はそういった「細部」にこだわって人間を見ていたので、YHR2372さんの件も「スプラトゥーン」などの細部に拘って見てしまっていたのだろう。

これからの俺はとりあえず「細部」ではなく「全体」を見る方にシフトしていくつもりだ。

さいごに

このことで気持ち的にすごく楽になったし、次の段階はどうなるのか楽しみだ。

何が言い尽くせていないような感じがするがまぁそんな感じです。

こんなところでどうでしょうか。

ところで、句読点を使わないという書き方は早速辞めました。

あと前に見出しなどの構成を決めてから書くといってましたが、音声入力で一気に句読点なしで書いてからあとで見出しで割って句読点入れと構成をやるようにしたら気持ちよく書けて勢いも出せて気持ちがよいです。

まぁそんな感じでした。

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