強迫性障害によるメモ癖、メモ魔、失念恐怖、機密テキストについて

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このことはブログやTwitterや配信でもまだ言ったことがなかったのだが、俺は「強迫性障害」的ともいえるほどの「メモ癖」があった。

「メモ」と一口に言っても、人によって想像するものが違うと思うが、この場合の定義はとにかく「思考を文字にして物理的に残すこと」すべてとする。
どういった思考をどのような方法でどのような媒体にメモしていたかは記事の中で詳しく書くが、とにかく俺は「メモ魔」としか言いようがない人間だった。

中1(13歳)から10年以上そのような感じで、そのメモ癖が役に立ったりしたこともあったし鬱陶しくなったこともあったのだが、常に思っていたのは「メモ癖をやめたい」ということだった。

今回やっと色々と頭の整理がつき、メモ癖をやめられた。

大きな転換期である気もするので、俺が10数年取り組んできた「思考のメモ」について思いつく限り書いていく。

「強迫性障害 メモ」などで検索している人も多いようなので、何かの参考になればと思ってこの記事を書きます。

俺が強迫性障害だったころ

まず「強迫性障害」というものの定義や、俺がメモとは別に強迫性障害だった頃のことをざっくりと書く。
メモについてさっさと知りたい人はこの章は飛ばしてください。

俺は中2~高1くらいの時に、強迫性障害だと自己診断した。

どのような強迫的行動があったかというと、一般的に強迫性障害でありがちな「手を洗いまくる」「ガスや鍵を何度も確認する」「来た道を戻って確認する」「本の同じ行を何度も読み返す」とかではなく、以下のようなものだ。

  • タブブラウザのタブを開きまくる(200個くらい)。
  • それでも足りない場合はブラウザの「戻る」「進む」に履歴を溜め込む。
  • 1日の終わりに「今日一日はこれでよかっただろうか」と朝から晩までの行動を回想する。
  • ひどいときは3日前に遡って行動を回想する。

なんだそりゃと思われるかもしれないが、これらはすべてこの記事の本題である「メモ魔」的行動につながる。

そもそも「障害」という概念の定義の一つは「それをすることで(その状態であることで)自分が苦しい」「あるいは他人が苦しむ」というものなので、上述の行動をしていた俺はある程度苦しかったので「障害」と定義して問題ないと思う。

高2(2回目の高1)になる頃にはそれらはすべて寛解し、ブラウザのタブを開きまくることはなくなり(現在も作業に集中すると一時的に開きまくるが終わると全部閉じる)、1日の回想もしなくなった。

しかし俺は元来「強迫的性格」なので、例えば部屋に異常なほどものを置かなかったり、異常なほどものを買わなかったり(ミニマリスト)、ブログでこのネタを書くと決めたら必ず書き、書き終わるまで落ち着かなかったりと、そういうことは多々ある。

17歳のときの一人暮らしの時も、強迫性障害にありがちな「鍵を締めたか」という確認念慮が出そうになったので「鍵を占めたらペンで手のひらに印をする」ということを習慣づけたら苦しまずに済んだ。

元来の性格は置いておいて、上述の強迫的行動はすぐに寛解したものの「メモ魔」的行動は今の今まで続いていた。
というより、上述の強迫的行動を寛解化させたしわ寄せとして「メモ魔」的行動が強まったとも言える。

下記に詳しく書いていく。

「メモ魔」きっかけは中1の夏休み前

これは今でも鮮明に覚えているが、俺が「メモ魔」になったのは中1の夏休み前だ。

夏休みを目前にした俺は「夏休みを楽しみ尽くし、後悔がないようにしよう」と思い、Windowsに標準搭載された「メモ帳」を起動し「夏休みにやることリスト」を作った。
これが俺の「メモ魔」人生の始まりだった。

詳しくはあとで書くが、メモの「書き方」のスタイルはこの10年間で変遷に変遷を重ねた。
「夏休みにやることリスト」というメモは最初期のスタイルで、こんな感じだったと思う。

  • ○友だちと遊ぶ。
  • ○ゲームをする。
  • ●夏祭りに行く。
  • ×海に行く。

よく覚えていないが、重要なものは「●」そうでもないものは「○」、やらなくてもいいけど一応書いておいたものは「×」とかだった気がする。

よくあるTo Doリストのような感じだった。

結局このメモの通りに行動を達成できたかというと確かそんなことはなかったと思う。

「メモ魔」の変遷

かなり昔のことなのではっきりとは覚えていないが、その「夏休みにやることリスト」をWindowsの「メモ帳」で作ってから、俺のメモは書き方や使うソフトなどかなり変遷した。

メモはほとんどデジタル媒体

特徴としては、ノートやアナログのメモ帳にメモをしていたことはほとんどなく、すべてデジタル媒体だった。
アナログのものにメモをすると人に見られる可能性があるし、キーワードを検索することができなくて不便だったからだ。

それでも、高1くらいの時は「付箋」に「やることリスト」「意識すべきことリスト(これについては後述する)」を書いてパソコンのモニタに貼り付けていた。
同時期くらいに「体外離脱」や「明晰夢」にもハマっていたので、起きてすぐ書けるように、それは大学ノートに書いていた。

それら紙媒体のメモをPCに取り込むのは大変なので、結局捨ててしまった。

ちなみに小学6年の後半は毎日日記をつけていて、それは後のツイッターやブログでの勢いのある文章に近いものだったと思うが、結局思い切って捨ててしまったので今は参照できない。

テキストエディタの変遷 メモ帳に「気づき」と「独白」

「夏休みにやることリスト」から次第にメモることのジャンルが増えすぎた俺は、しばらくの間メモ帳に様々な日常の「気づき」をメモりまくっていた。
今で言うところの「ブレインダンプ」のような感じだったと思う。

そこに「あいつはふざけているのか。結局俺の考えは正しかった」などと「気づき」や「独白」を書きまくっていた。

その時点でメモ帳の容量は500kbを超えていたと思う。

メモ帳のタイトルは「人生.txt」か「生活.txt」か「俺.txt」とかだった記憶がある。

ちなみに、数年前からメモは「新しいものが上」に来るようにして書いていたが、その頃は上から下に書いていた。
ツイッターのように新しいものが上に来るように書かないと、メモを起動して新しく何かを書く時に一番下までスクロールしないといけなくなる。

テキストエディタの変遷 アウトラインプロセッサで書くことのジャンル分け

次第に、Windowsのメモ帳だけでは足りなくなり「アウトラインプロセッサ」という種類のテキストエディタを使うようになった。
アウトラインプロセッサとは詳しくは検索してくれればわかるが、ツリー状になっていて階層化できるテキストエディタだ。

なぜアウトラインプロセッサかというと、書くことを「生活」だけでなくより細分化しようと思ったからだ。
例えば「音楽」「絵」「健康」などである。

アウトラインプロセッサならそれが可能だ。

生活
 健康
 経済

 趣味
  絵
  音楽

という風にわけることができる。

俺はそこにまた「気づき」や「独白」を書き、加えて「タスク」も書いていた。

更にその時は、重要だと思ったものの左に★を書いていた。

音楽
 ★★★★ギターはストラトにする。
 ★★スライドバーはいらない。


 ★★★★★お絵描きソフトはSAIだけでいい。

とかそういう感じである。

結局アウトラインプロセッサは使い勝手が悪くなってやめた。
行の左に★を書くのもやめた。

しかしその当時のテキストはすべて残してあり、次に紹介するマインドマップに移行させた記憶がある。

テキストエディタの変遷 マインドマップ

アウトラインプロセッサをやめたあとは確か俺はマインドマップを使い始めた。
パソコン用のフリーソフトのマインドマップだ。

そこに、今までのテキストを移行させ、詳しくは覚えていないがマインドマップ的な分類をして運用していた。

しかし無駄に重いし編集もしづらかったのでやめた。

テキストエディタの変遷 Evernoteで下から上にタイムスタンプ付きで

マインドマップをやめた俺は次にEvernoteを使い始めた。

公式が勧めているように、一つのメモ、一つのタスクにつき一つのノートを作成して使っていたのだが、ノートの数が膨大になって参照しづらくなったので、最終的には5つくらいのジャンル分けしたノートに大量にメモるようになった。

その際に、クイックスマイリーというソフトを使って「2017/09/11 23:20:00」というようなタイムスタンプをショートカットキーですぐに貼り付けて使っていた。

新しいものが上に来るように書き、今までのアウトラインプロセッサのテキストもすべて保持して移動させて使っていた。

2012/09/11
今日は自動車の教習所に行った。
ハンドルはしっかり切る。

それにしても●●はうざかった。

●タスク
・アルティー四肢切断絵を書く。

このように、「日記」と「気づき」と「タスク」を同時に書いていた。
そのせいで「タスク」だけ調べるのが面倒になったので、このやり方はやめたと思う。

メモ帳に戻り、Googleドキュメントへ

Evernoteでも一つのノートに大量に書くならメモ帳と一緒じゃんと思い、結局Windowsのメモ帳に戻った。

最終的にメモの書き方は「ジャンルでわける(生活、音楽、絵など)」「下から上に書く」「タイムスタンプをつける」という感じになった。

外でも読んだり編集できるように今年から「Googleドキュメント」も使うようになった。

そして最近はメモ自体極力やめ、本当に「記録」しないといけないことだけGoogleドキュメントに記録するようになった。

ざっくりと書いたが、細かな書き方の変遷は他にもあった。
「絵 気づき.txt」「絵 タスク.txt」「釣り 釣果.txt」など気づきとタスクと「記録」を分けていたこともあったし、「絶対に意識すべきこと」だけを上に固定するようにしたりもした。
「絶対に意識すべきこと」だけを集めたテキストにしてみたりもした。

とにかく、ここに書ききれないほどテキストの書き方は変遷していた。

「釣り」というフォルダを作り、「01 持ち物.txt」「01 ウキ釣り.txt」「02 ルアー.txt」などと、ジャンルごとにフォルダを作り、通し番号付きでテキストファイルを作ったこともあった。

メモする思考の種類

書くのが遅れたが、俺はこの10年間、「なにをメモするか」の分類に頭を悩ませ、ある程度の型が出来ていた。
メモる内容、というのは突き詰めれば以下の数種類に絞れるんじゃないかと思っている。

記録(あとで見返さないもの、忘れていいもの)の類

  • ブレインダンプ(独白、思考の整理)
  • 気づき
  • 記録(心理診断サイトの結果など)
  • ブックマーク(サイトのURL、音楽や動画などとりあえずメモるだけで一過性のもの)

タスク類(あとで参照するもの、)

  • タスク(アイデア、こういうシチュの絵を書く、こういう内容の記事を書く、この事を話す、つぶやく、など)
  • カレンダー(何月何日何時に何々をする)
  • ブックマーク(サイトのURL、頻繁に利用しすぐに参照できるもの)
  • 絶対に意識すべきこと、忘れてはいけないこと、コツなど

大まかに分けるとこんな感じだと思う。
この分類がわかっていなかった頃の俺は、一つのテキストにそれら全てを書いたり、無駄に分けたりしてわけがわからなくなっていた。

メモらないといけないことは多くない

10年以上メモ魔をやってきた結論としては、上述のものはほとんど「わざわざメモるほどのものではない」ということだ。

ブレインダンプは頭のなかで行えばいいし、気づきも頭のなかで気づいていればいい、記録(心理サイトの診断結果など)は人によってはメモっておけばいい、一過性のブックマークはメモる必要はない。

タスクもカレンダーも「人に影響を与えるもの(依頼されたものや、人と会う約束)」以外はメモる必要はない。
何月何日の何時に誰々と待ち合わせ、というのは「失念」してしまうと迷惑がかかるので忘れないようにカレンダーにメモる必要があるが、自分しか関係のないものは基本的にメモらなくていい。

ブックマークは、頻繁に使うものだけ厳選してブラウザにブクマすればいい。

「絶対に意識すべきこと」

そして最も厄介なのが「絶対に意識すべきこと」というものだ。
これは「気づき」の中でも、次やる時に「失敗しないために」必ず覚えておかないといけない、と勝手に自分で思ったもののことを言う。

釣りだと「タチウオはウキが沈んでから走り出すまで合わせない」とかだ。
現に俺はそういったことを「釣り.txt」の上の方に固定表示して絶対忘れないようにしようと思っていた。

しかしそれも無駄だった。
そんなことをメモっている暇があったら「体」と「頭」に覚え込ませればいいのである。
「体」と「頭」で覚えることをめんどくさがっているから「メモ」に書いて何かやった気になっていたんだろう。

タスクやアイデアには「賞味期限」がある。

上述の「メモに書いて何かやった気になる」ということは、「タスク」も「アイデア」にも言える。

「こういう絵や記事を描いたら面白いだろうな」というアイデアが浮かんできたら、すぐかけばいいだけの話だ。
すぐに書かず「保留」「先延ばし」にしたいという甘えがあるから、メモっただけなのに何かやった気になる。

そしてあとでそのアイデアやタスクを見ても、つまらないなと思ったり、やる気が起きなかったりする。

つまりタスクやアイデアには賞味期限があり「思いついたその瞬間が最も美味しい時」なのだと思う。
先延ばしをし続けるうちに熱も冷め、やる気も失せる。

俺の場合は「タスクに書いてあるしやらないとな……」と、消極的な理由で無理やり記事や絵をかいていたときもあった。
もちろんそれはやりたくもないことをやっているのでろくな作品にならなかった。

そんなことを繰り返して今「アイデア」や「タスク」について思うのは、
「忘れたなら、忘れる程度のアイデアだった」
ということだ。

そう思うと楽だし、実際にそうだ。

ほんとうに大事なこと、本当にやるべきことは、メモらなくても、何度も頭に湧いてきて忘れない。

なぜ「メモ魔」になってしまうのか

結局、強迫性障害の人や俺がメモ魔になる理由は簡単だ。

「恐怖」
この一言に尽きると思う。

「忘れたらどうしよう」という恐怖。
「忘れたことで、同じ失敗を繰り返したらどうしよう」という恐怖。
だいたいそんな恐怖である。

つまり「消極的」極まりない理由ということだ。

「気づき」や「絶対に意識すべきこと」をメモに書いてしまうのも、それらの気付きや意識やコツを失念したら、成長できなくなる、失敗する、と思ってしまう恐怖からきている。

「タスク」もそうで、「このアイデアだけは忘れたらヤバイ」とその瞬間は思うのである。

俺もその恐怖に苛まれ、10年以上メモ魔をやってきた。

だがメモをしたところで、いちいち行動するたびにそんなものを参照する暇はない。
結局、行動をする時というのは「頭のなかにある情報」「体が覚えている情報」で勝負するしか無い。

メモをしまくる人間は「頭のなかにある情報」「体が覚えている情報」に自信がないのだろう。
「頭で覚える気がない」「体に覚え込ませる気がない」という甘えとも言える。

メモ魔を続けると記憶力が低下するとも言われているが、間違いないと思う。
そして「先延ばし癖」も間違いなくつく。

「忘れたなら、忘れる程度のものだった」

「忘れたなら、忘れる程度のものだった」
メモ魔はこれを意識すべきだと思う。

「絶対に忘れたらやばい」と思える「タスク」や「アイデアも」上述のように、あとで見返してみると、つまらないなと思ったり、やる気が起きなかったりする程度のものだ。
本当に素晴らしいアイデアだったらすぐに行動したくなるし、メモらなくても何度も浮かんでくるものだ。

「絶対に意識すべきこと」もそうだ。
本当にそこまで大事な意識やコツなら、次やる時も思い出すはずだ。
思い出せない、思い浮かばないなら、その程度のものだった、ということだ。

「思い出せなかったら不安」「頭で覚えられるか不安」「体に覚え込ませられる自信がない」など、メモ魔な自分に苦しんでいる人間とはつまり「自分に自信がない人間」なんじゃないかと思う。

繰り返しになるが、
「忘れたなら、忘れる程度のものだった」
メモ魔は絶対にこれを意識すべきだと思う。

これはまさに「絶対に意識すべきこと」だが、くれぐれも「メモ」はしないように。
頭と体で覚えなければ意味がない。

メモはめんどくさい

上述のようにメモ魔は「恐怖心」ゆえにメモ行動をやめたくてもやめられないことがわかったが、なぜメモ行動をやめたいのかというと「めんどくさいから」ということに尽きると思う。

アナログでもデジタルでも、文章を書くというのは、頭のなかだけで思考することに比べて格段にめんどくさい。
アナログならペンと紙がいるし、デジタルならキーボードとソフトがいる。
なおかつ俺のように書くことのジャンルをわける場合、そのジャンルに応じたテキストファイルを引っ張り出さないといけない。

これが頭の中の思考だけなら、いつどんなときでも何もなくてもできる。
しかし思考は物理空間には残らず次々と消えていく。
それがよくもあり悪くもある。

メモという行動をとった時点で物理空間に情報が残り、第三者や未来の自分も見られるようになる。
それも、よくもあり悪くもある。

最近の俺の考えとしては、第三者に伝えなければいけない考えは、ツイッターやブログなど文章にして伝え(というかそうしないと伝える手段がない)、自分の中だけで考えることは、頭の中だけで考えるのがベストだということだ。

自分の中だけで考えることに、わざわざメモやブレインダンプをして物理空間に痕跡を残す必要がないと思う。

ただし例外はあるので下記参照。

どうしてもメモらないといけないこと

俺はこの10年間、無駄にメモをとりまくり、莫大な時間を消費してきて、やっと無駄なメモから離れることができた。
しかし、どうしてもメモって物理空間に痕跡を残さなければいけないものもある。

それは下記のものである。

  • 第三者に伝えるもの(ブログ、ツイッター、手紙など)
  • 第三者が関係する予定(タスク)
  • IDやパスワードやクレジットカードなどの「登録情報」
  • 頻繁に使うブックマーク
  • ゴール、アファメーション
  • 電話帳や仕事で使う顧客情報、チャットログなど

第三者に何かを伝えるには、テレパシーなどでは不可能なので、喋るなり文字にするなり物理空間に痕跡を残すしか無い。

第三者と会う予定など、忘れてすっぽかすことで迷惑になるものは、絶対に忘れないようにカレンダーにかく必要はある。

頻繁に使うブックマークは利便性を考えてブラウザにブックマークしておくべきだ。
(ただし、必要がなくなったものは削除したり、常にブラッシュアップしていく必要がある)。

そしてIDやパスワードなど、頭では記憶できず、なおかつ重要なものは物理空間に記録しておくべきだ。

最後の「ゴール、アファメーション」というのは調べてもらえればわかるが、人生の指針となるようなもののことだ。
さっき俺が挙げたメモの種類で言うと「絶対に意識すべきこと」に近いと思う。

下手なことは言えないので、とりあえず詳しくは調べてください。

現在の俺のメモ状況

現在俺は上述の「どうしてもメモらないといけないこと」に加え、念のためGoogleドキュメントに「メモ」というファイルを置いてある。

今までメモ帳やアウトラインプロセッサやEvernoteで変遷してきた複数のテキスト「生活.txt」「絵.txt」「仕事.txt」や、「釣り」や「仕事」などのフォルダに格納された通し番号付きのテキストなど、様々なものを「人生.txt」一つにまとめ、WinRARでパスワード付きで圧縮した。

これが俺が散々言っていた「機密テキスト」である。

一つにまとめたことで、テキストファイルなのに容量は約5MB、行数は約20万近い。
10年分の記録である。

今後このテキストに何かを書き足すことは稀だと思うので、パスワード付きで圧縮しておいた。

これからはブレインダンプなども出来る限り脳内で行うことになると思う。

さいごに

そんな感じで、俺が十数年頭を悩ませてきた「メモ」について書いてきました。

俺の「メモ癖」は、いつでもノートを持ち歩いて、とかではないので、めちゃくちゃ苦しんだわけではないが、とりあえず自分自信が鬱陶しかった。

メモる思考の種類を分類し、何が重要で何が重要じゃないか判断するのにもかなりの時間を要した。
まさに恐怖心と、自分への自信の無さの現れだったんじゃないかと思う。

とにかく今、強迫性障害でメモ癖に苦しんでいる人の手助けになるかはわからないが、意識すべきは下記の3つである。

「忘れたなら、忘れる程度のものだった」
「頭と体に覚え込ませろ」
「本当にメモるべきことは少ない」

何度も言うが、この3つは「絶対に意識すべきこと」だが、決してメモったり、壁にはったりはしないように。
そんなことをする時点で「頭と体で覚えられていない(覚えられる自信がない)」証拠である。

この記事もまた行き当たりばったりで書いたので「書き足りなかったこと」や「書き忘れたこと」にあとで気づくかもしれないが、まぁ仕方がない。
ちなみにそういった、「やりつくせなかった」ことへの「後悔」も、「次は絶対失敗してはいけない」という恐怖心から、メモ癖を加速させる要因になっていた。

それを解決するにはとにかく「未来志向」しかない。
なにかで「やりつくせなかった」ことは、そもそも忘れてしまい、次また自由に臨めばいいのである。

メモ癖に苦しんでいる人は、上記の3つと、「未来志向」を意識して解決していってください。

まぁそんな感じです。

こんなところでどうでしょうか。

機密テキスト性パーソナリティ障害を絶対治す
機密情報の保護と情報セキュリティ ...

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