憎しみの対象を見誤っていた

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2012年の後半にリアルの知り合いと復縁し、2013年の12月に、LINEのホームで暴言を撒き散らして退会し、2度目のリアルの知り合いとの絶縁をした。

人はなぜ憎しみを抱くのか (集英社新書)

リアルの知り合いに連絡を取った

そして最近のバイト中に、あの暴言は主に『メガネ安確』への憎しみを書いたものであるのにも関わらず、無関係の人らにも不快感や誤解を与えてしまったのでは、と、今更になってやべえやべえと思い始め、大急ぎでリアルの知り合いに連絡を取った。

リアルの知り合いに心配されていた

案の定、連絡の取れた連中は俺のあの発言を見て、心配したとか、悩んでるのかなと思ったとか、心配こそされていても別に俺に対して怒りや憎しみはないようだった。

誤解が解け、飲みに行った

誤解されたままこれ以上時間が経たなくてよかったと思った。

そして久々に会って飲みにいったりしてそこそこ楽しかった。

2年前の俺は、本当に憎い人物が誰かわからなくなっていた

やっとわかったが、2年前の俺は、劣等感やらルサンチマンやらメガ安の安確いじりやらで、完全に正気を失っていて、本当に憎い人物は誰か、面と向かって言ってやらなければいけない人物は誰かわからなくなっていた。

その証拠に、メガネ安確以外にも、ヤーイヤイやら慇懃無礼八方美人天パなど、手当たり次第にリアルの知り合いをキチガイ絵にして描いたり曲を作ったりしていた。

ヤーイヤイ、慇懃無礼八方美人天パ、その他の連中

確かにヤーイヤイとは九蓮宝燈の件でモメたし、勘違いも甚だしい馬鹿で、慇懃無礼八方美人天パの媚び売りには吐き気がしたし、その他の連中もいろいろと鬱陶しかったが、それらは単なる個人の性格であり、俺に対して危害を加えたわけでもないので、こちらが一方的に憎むのはおかしな話だった。

なので面と向かって言おうにも、お前に迷惑をかけたわけじゃないんだから放っておいてくれとなる。

憎しみと嫌悪感を履き違える

どちらかというと、憎しみというよりかは嫌悪感といったほうがよかった。

憎しみと嫌悪感を履き違えるのはけっこう危険なことだと思う。

LINEのホームで暴言を吐いたことを後悔した

不特定多数の人間が見るLINEのホームで暴言を撒き散らし、不快感を与え、いろんな人に軽蔑され、ブロックされたりして二度と会えなくなったりしたので、本当に2年前の俺はアホだったなと思う。(現に八方美人天パにはブロックされた)。

暖かく迎えられ、申し訳ない気持ちになった

もう誘われない限り会う気はないが、キチガイ絵を描いてしまったような知り合いに久々に連絡を取って、元気か!と迎えられたときは、申し訳ないなと思った。

本当に憎むべき相手を憎む

本当に憎むべき相手は誰か、見誤るのとまずいことになるということがよくわかった。

例えば俺はよく世の中が憎いと言っているが、町に出ると老人を助けたりしてしまうことはある。

本当に憎いのはTwitterで暴れてる連中だとかそこらへんであり、世界中の人間が憎いわけはなかった。

さいごに 本当に憎いのはメガネ安確

結局、俺がリアルの知り合いの中で本当に憎いのは『メガネ掛けた安確』だ。

アルティーにはもはや憎しみを超越したような感情になってるし、ネットでモメた雑多な連中には、ふとした瞬間に憎悪が湧き上がることはあるものの、普段は忘れているし、憎しみじゃなく単なる嫌悪感だったりするので、危害を加えてきたメガネ安確こそが真に憎い人物だとわかった。

メガネ安確の記事へ続く。

人はなぜ憎しみを抱くのか (集英社新書)

どうしても「許せない」人 (ベスト新書)

リアルの知り合いの『メガネ安確』という人物への憎しみ
『憎しみに基づいた行動は憎しみを強化する』から、もう憎しみ記事は書かないんじゃなかったのか、という意見が飛び出しますが、どうしても許せないの...

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