憎しみが悲しみに変化

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今年の4月で、このブログを開設してから2年経つが、その間、ネットやリアルでモメた奴らへの憎しみに苛まれ、どうにかして吐き出したくて記事を書き捲くってきた。

色々と考えるうちに、近頃は、憎いという感情が、悲しいという感情に変わってきた。

人はなぜ憎しみを抱くのか (集英社新書)

悲しくなった

なぜ、最初は仲がよかったのに、こんなことになってしまったのか、なんであんなクソ野郎を引き寄せてしまったのか、なんであんな揉め事を引き寄せてしまったのか。

そういうことを考えると、自分が情けなくて、悲しいという気持ちが沸いた。

対話をしても意味がない

リアルの知り合いにしたように、ネットで揉めた奴にも、もう一度、対話を持ちかけてみようか、と考えたりもするが、結局対話をしたところで、相手が俺をバカにした、拒絶した、という行動があった限り、仲直りも糞もなく、俺がただ、相手に死んでほしいという叶いもしない欲求に苦しむだけである。

それが本当に悲しく思える。

怒りによってうつ病的症状が治った

俺は中1の9月で学校に行かなくなり、中3までの間、うつ病に近いほど気分が沈んでいる毎日だったが、高1になったあたりで、「なんで俺がこんな苦しまないかんのじゃ、悪いのは周りじゃないのか」

という怒りの感情が沸いてきて、それから悲しみは吹っ飛び、活動的になった。

怒りによってうつ病が治ることがあると聞いたことがあるが、それだったのかもしれない。

それによって、揉め事も起こるようになった

そして一人暮らしやバイトをはじめ、ネットの配信やお絵描きを通じて攻撃的な活動をしていくうちに、最初は俺と仲良くしていた連中も愛想が尽き、不快感を覚えるなどして、次から次へと揉め事が起こった。

怒ることで自分ではなく他人を責めているので、周りの反感を買うのである。

欲望によって、怒りが憎しみに変化

揉め事に対しても、最初は相手への暴言を抑圧せずに吐きまくっていたが、YHR、ガイキチ、裁判の男との揉め事あたりから、怒りは、辛らつな憎しみへと変わっていった。

相手に怒っていた時代は、批判や!などと言って暴れ、かわいげがあったが、本格的に相手の没落を望むようになってからは自分自身が疲弊した。

友達のはずやのになんでそんなことをするのか、という依存心や、相手に没落して欲しい、という欲望によって、怒りが憎しみに変わったんではないかと考えている。

悲しみは諦め

そして、恨み言を吐いても結局は自分が引き寄せた結果であり、対話を持ちかけても俺の欲望は叶わない、どれだけ望んでも相手が没落することはない、などの現実を直視すると、憎いというより悲しくなってきた。

憎しみは、なんであんな奴がという気持ちや、願望が叶わないというジレンマによる、”悔しさ”が根幹にあると聞いたことがあるが、悲しみにはそれがないように思える。

悲しみには、叶わない欲望を、諦めるという形で受け入れている感じがある。

憎むより悲しむほうが楽

憎しみは、相手が没落するか、心から謝罪する態度を示してくれない限りは、消えることがないと思う。

叶うはずがない欲望と現実のジレンマに、苦しみ続けるにはかなりの体力や気力がいるが、そんなエネルギーもなくなってしまった。

それなら諦めて悲しみに暮れるほうが、精神衛生的にもましだ。

さいごに 昔のような状態に戻った

結局俺は、怒りと憎しみを経て、昔のように悲しむ状態に戻ってしまった。

憎しみは完全に消えたわけではないが、これ以上強くならないと信じたい。

まぁそんな感じです。

こんなところでどうでしょうか。

人はなぜ憎しみを抱くのか (集英社新書)

ぶり返す! 「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!

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