SNSでの独白(一方通行のコミュニケーション)で個人名(ハンドルネーム)を出すか「とある人」という呼び方をするか。

下記の記事の件で、長年、考える必要があってもスルーしてきた問題を真剣に考える必要があると思った。

被害妄想は現実の本人と接して解決する事 関係性を掴みなおしていく事
今まで散々名前を出していた人物と数年ぶりに和解しました。 半分以上、俺の被害妄想でした。 そのことと、最近気づいた、 「交換不可能...

Twitterでの独白で、個人名を出すかどうかの線引き

俺はとにかく長年、主に思考を整理する目的で、Twitterで独白をしてきた。
その際に、「第三者の名前を出す」必要がある場合、「個人名」にするか「とある人」とか「○○の男(女)」などの抽象的な呼び方にするか、明確な線引きがなかった。

今回、明確な敵意を持って、上記の記事の人物の個人名を記事にしまくっていたが、明らかに問題だった。
一つ残らず削除したからいいが、やはり記事が残っている間は、その人も困っただろうし、周りの人が俺やその人をいい目では見ていなかったと思う。

今後も俺はTwitterでの独白はやっていくわけだが、個人名を出すか出さないか、その線引きを決めたほうがいいかと思った。

「個人名」から「とある人」までの抽象度

肯定的な内容であれ否定的な内容であれ、個人名を出すか、抽象的な呼び方にするかは問題だ。
この場合も呼び方の「抽象度」が下がれば下がるほど、「現実のその人」の臨場感が上がり特定可能になってしまう。

本名呼び

ただ「個人名」と言っても、現実の本名で呼ぶことは当然ない。
個人情報保護法に引っかかるので。

なので俺は独白するときもさすがに個人を本名で出したことはない。
こちらが匿名という状態で(それについては後述するが)、相手の本名を出して良いのは、相手が了承済みの場合か、著名人の場合に限ると思う。
仮にこちらが実名でネットをやっていても、明確な敵意を持って他人の本名を出したら当然まずい。

ネットのハンドルネーム呼び

この場合の個人名は「ネットのハンドルネーム」のこと。
それは「現実の個人」は特定できないが、「ネットの個人」は特定できてしまうので「個人名」だ。

俺が常々出している名前だと「アルティー」「なりあきさん」「ラーキルアさん」などだ。
これらはネットの個人の活動を特定できてしまう。

しかしなぜ俺がその人達の名前を出しているのか、例を挙げる。

  • 「アルティー」は、自分にとって重要(交換不可能)かつ、完全にネット引退していて、活動がなく、本人からの申し立てもないから。
  • 「ラーキルア」さんも、アルティーと同様。
  • 「なりあきさん」の場合は、音信不通かつ、こちらが明確に好意を抱いていて、「お互いに名前を出し合える仲」だと思っているから。

やはり、名前を出す際に敵意のあるなしはかなり重要だと思う。
ネットの場合は、「そのハンドルネームでの活動が行われているか(ネット引退してないかどうか)」も重要だ。

自作あだ名呼び

ハンドルネーム呼びの次くらいに抽象度が高いのが、自作あだ名呼びだと思う。
例えば「俺のリアルの知り合いのメガヤス」なんかは、俺が勝手につけたあだ名であって、現実の個人は特定できない。
ネットの人物だと「ドラクエ10の演技性人格障害の男」とか「ドラクエ10のチームリーダーの女」とか。

これらの呼び方は、「その人物の特徴的な要素を一つピックアップ」して、その後に「性別」をつける、というパターンが多い。
単に「ヤーイヤイ」「慇懃無礼八方美人天パ」など、特徴だけを名前にしたものもある。

この抽象度で人を指す場合の特徴は以下。

  • その人物がネットで活動していない(ハンドルネームがない、リアルの知り合いや、町往く人など)
  • まだネットで活動していてハンドルネームがあるので、ハンドルネームで呼ぶと活動が特定できてしまう
  • 自分にとって重要度がそこまで高くない
  • その人物の名前を今後も継続して出す場合

という感じなので、ある程度、個人を特定できないように考慮している部分が大きい。

「自分にとって重要度がそこまで高くない」というのも重要だ。
例えば、今回和解して、個人名(ハンドルネーム)を出してしまった人物に関しては、自分にとって非常に重要だったので、本人がまだネットで活動しているにも関わらず個人名を出した。

個人名(ハンドルネーム)の見出しに書き忘れたが、この呼び方は、相手が重要かつ、「誰かこの独白見たやつそいつの活動見に行け」という腐った意図がある場合に使う。

ちなみに、自作あだ名呼びでも、あまりにもその人物の「周辺情報」を語りすぎると、結局現実のその人を特定できてしまうので注意しないといけないとは思う。

「その人物の名前を今後も継続して出す場合」というのも重要で、継続して名前を出す場合は、特徴を捉えたあだ名があると、周りの人物は漠然と人物像をつかみやすくなる。

「とある人」「某人」「あいつ」という呼び方

恐らく一番抽象度が高い呼び方は「とある人」「某人」だと思う。
この呼び方にも特徴がある。

  • 継続して名前を出せない(同一性がとれにくい)
  • どんな人かは周辺情報から察するしか無い
  • それ故に、見た人の想像を掻き立ててしまう

上述した呼び方と違い、「とある人」「某人」という呼び方は単発的だと思う。
例えば、
「昨日とある人と一緒に酒飲んだんだけど楽しかったー」
「あいつだけは許せん」
「某人のことが好きだけどどうすればいいかわからない」
など、あだ名呼びと違って、指せる対象が多すぎて、その人物に同一性がとりにくい。

上述の例だと、
「酒飲んで楽しそうだったけど、今は許せない状態なの?え、好きなの?ああ、3人共別人か」
などと、見た人の想像を掻き立ててしまうことになる。

あてこすりになる可能性が高い

それを意図的に引き起こすために、わざわざ曖昧な呼び方をしてほのめかし、独白を見ている第三者に何かを想像してもらう、ということをやっているやつはけっこう多い。
「ほのめかし」「あてこすり」だ。

俺にとってそれはかなりのデメリットで、ものすごく陰湿な行為だと思うので避けたい。
でも、この抽象度での呼び方をする限りは、ほとんど避けられない。

恐らく上述のことを無意識でわかっていて俺は、ハンドルネーム呼び、あだ名呼び、とある人呼びを使い分けていたんだと思う。

周辺情報から察することはできる。

ただし、同じ「とある人」呼びでも、その周辺情報と、言うタイミングによって、継続的に独白を見ている人ならうっすらと個人の人物像がつかめてしまう場合もある。
「今日のとある人はひどかったな」
「今日のとある人はましだった」
くらいのことでも、同じ時間につぶやいたりしていると、ある程度人物像や、どういう関係の人か特定できるんじゃないだろうか。

でもどちらにしても、抽象度が高いせいで「見た人に色々想像させてしまう」というのは避けられない。

関係性呼び

忘れてたが、関係性呼びみたいなのもあった。
「親」「父親」「母親」「近所の人」「スーパーのおじさん」「ブログにコメントした人」「フォロワー」などなど。
抽象度的にはあだ名呼びに近いとおもう。
これも継続的に名前を出しても同一性が取りやすいし、周辺情報によって人物像もつかみやすくなる。

独白の際、これから他人の名前をどの呼び方で出していくか

上述のことがわかった上で、どうしていくか考えなければならない。
まず「本名」を出さないのは当然として、さらに細かな自分の中のルールを決めたい。

ハンドルネームを出さない場合

まず一つ決めたのは「(親しくない場合)ハンドルネーム」は出さないということ。
上述のように、ハンドルネームは抽象度が低いので、人物像はもちろん活動も特定されてしまう。

親しいはいいと思うが、それでも「自分はこの人と仲いいです」というアピールに見えるし、俺は今まで他人のそういうのを見ていて気持ち悪いなと思ったのでできるだけやめたい。

ハンドルネームを出す場合

もう一つは「自分にとって重要かつ、ネット引退している場合は、ハンドルネームを出しても良い」ということ。
「掴みなおし」ができない関係、と言える。
アルティー、ラーキルアさん、なりあきさんあたりがそれに当てはまる。

もう本人からの連絡は完全になく、なおかつこちらはずっと相手を重要だとおもい続けている。
「片想い」と言える。

しかも、その人達が俺にとって重要だと、周りの人にも認識していてほしい。
その場合はもう、ハンドルネームは出してしていいかと思う。
でも基本的には出さないに越したことはないが。

あとは関係性~あだ名~とある人の抽象度を使い分ける

ハンドルネーム呼びより上の抽象度は使い分けがややこしい。
例えば、「町にこんな人がいた」というツイートはやはりしたい。

「今日町で、ポイ捨てしている男がいた」
といいたいところを
「とある人が、町でポイ捨てしていた」
ではおかしい。
というか上に書き忘れたけど、とある人、という呼び方も、自分と関係性が強い感じがあるな。

ちなみに、ポイ捨てしている”男”よりも”人”のほうが、性別は特定できないので無難だとは思う。

他にも
「今日はいつものスーパーの店員の愛想がよかった」

「今日はとある人の愛想がよかった」
だと抽象度が高すぎて、無駄に色々想像させてしまう。
やはりとある人という呼び方にも自分にとって重要だという意味がある。

秘めた感情があり、なおかつその人が俺の独白を見ていない場合

俺はとにかくTwitterで独白をして思考を整理したい病気なので、基本的に身の回りで起こったことは隠さずつぶやきたい。
大前提を忘れていたが、上述のように、独白で第三者の名前を出す場合、基本的には相手がこちらの独白を見ていないことが前提だ。

特に、嫌う意志や、好きという意志など、「秘めた感情」がある場合、見られていてはまずい。
その人が見ているのに、独白でハンドルネームを出す場合は、明確に意思疎通ができている関係ということだろう。
それができないのに、本人が見ている状態で独白し、特定できるかできないかくらいの抽象度で呼ぶ場合は、あきらかに「ほのめかし」だ。

好きな人への好意や関係性を整理するために独白する場合

俺が今したくて悩んでいるのは、
「明らかに本人が見ていない状態で、その人への好意や関係性を整理したい」
という目的の独白。

俺は現在、ドラクエ10やLINEに好きな人(早速、性別は伏せる)がいて、この前まで散々名前を出してきたが、冒頭の件もあって、名前を出すのを躊躇している。
その人らは俺のTwitterを見ていないので、その点では問題ない。

問題は、その人らの名前を独白した際に、独白を見た人間に変な想像をさせることだ。
例えば俺が
「今日もあの人かわいかった。。」
とか
「あの人からLINEの返信こない」
とかつぶやくと、明らかに見た人はあれこれ想像する。
独白を見ている人間の中に、俺が指す人間はいないのにだ。

間違いなくトラブルの原因になるだろう。
俺はそれを避けたくて、出来る限り抽象度の低い呼び方をしてきたんだろう。

そう考えるとやはり「とある人」という呼び方はかなり使い所を考えたほうが良いように思える。

さいごに

この記事も思考を整理するのが目的だったのだが、結局明確なルールは決められなかった。
それでも、色々と呼び方について再認識できた部分はある。

繰り返しになるが「とある人」呼びはある程度危険だということは間違いないと思う。

少し抽象度を下げて「ドラクエ10にいる好きな人」「LINEをやりとりしている好きな人」くらいにするか。
そうすれば基本的に、独白を見た人が明確に「ああ自分のことを言ってるんじゃないな」とわかり、変な想像をさせずに済む。
こういう場合も、「抽象度の管理」は重要だな。

とりあえず、やはり「秘めた思い」は独白しないほうがいいのかもしれない。
何でもかんでも独白したがる俺は女性的だと言われるが、「とある人呼び」の悪用によるほのめかしを避けるところは男性的だと思う。
「特定個人への秘めた思い」を独白するかどうかも、その分かれ目だが、俺はやめておこうかとおもった。

この記事では語れなかったが「その人の存在の掴みなおし」に失敗する原因にもなりかねないので。

メモ

こうやって名前出して表出するから脳内人物の抽象度が下がって臨場感があがってしまうんだろうな。もう他人の名前は掴みなおしができる存在か絶対に掴み直しができない存在以外出さないほうがいいかもしれない。

個人名だと抽象度が低すぎるので、なんか落とし所を考えたい。どうしても独白して表出したがる孤独力のない糞坊主なので

結局、相手の見てないところで相手のことを発言するのは広義で陰口じゃないかと思ってしまったよ。独白であってもね。きもすぎた。「ある人が~」なんて言う抽象度で呼んだら、見ている人の勘違いも生んであらゆるトラブルのもとだわな。きもすぎた。

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