女は糞。まんこは花。

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前に同タイトルの記事も書いたが、この「女は糞。まんこは花。」という”詩”は、ネットの知り合いがチャット中にいきなり言い出したものだ。

あまりにも男が持つ女への印象を的確に表した詩なので、女の糞さを目の当たりにしたりすると、俺はすぐにこの詩が思い浮かぶようになった。

ヴァギナ 女性器の文化史 (河出文庫)

女は糞。まんこは花。という詩の意味

この詩は、女(の人格)は糞(嫌い)。

まんこ(顔、声、体、性器などの人格以外の部分)は花(好き)。

ということを伝えたいのではないかと俺は勝手に解釈している。

女は糞。(なのに)まんこは花。

さらにこの詩は、女は糞。(なのに)まんこは花。

まんこは花。(なのに)女は糞。

とも考えられると思っている。

せっかくまんこは花なのに、それにつきまとう女の人格はなんでこんなに糞なんだ、もしくは、女の人格はあまりにも糞なのに、それについているまんこはなんでこんなに花なんだ、という、恐らく大多数の男が苦しんでいるであろうジレンマを簡潔に表現している。

どちらも花か、どちらも糞なら苦しまない

これがもしも、女は糞。まんこも糞。

もしくは、女は花。まんこも花。

ならば、誰も苦しまない。

前者はどちらも糞なので、関わらなければいい。

後者はどちらも花なので、積極的に関わっても気分を害することはない。

しかし現実は、花を追い求めたら糞が一緒についてくる、糞を遠ざけようと思っても、欲しい花が糞の近くにある、というジレンマに苦しむことになる。

女が糞なのではなく、糞な人間がたまたま女だった

ただ、この詩はあまりに女性を一括りにしているので問題があるとは思う。

実際は、女性が一人残らず糞なわけではなく、どちらかというと、糞だと思った人間がたまたま女だった、と考えたほうがいいと思う。

さらに、女性の体(顔、スタイル、髪型、性器。声も含む)が一つ残らず花なわけではなく、自分が好きな(求める)、人間の身体的特徴が、女性の体だった、と考えたほうがいいと思う。

つまり一旦、女性というフィルターを外して考えたほうがいいのではないかと。

まんこを過度に花だと思うから女が人格が過度に糞に見える

と言っても、この詩はあくまで大多数の男の気持ちを代弁したものだと俺は思っているので、そうなるとやはりまんこへの認識が先んじてきて、そのせいで女の人格が過度に糞に見えるんじゃないだろうか。

つまり、女と見ただけでまず体がどうかということを念頭に置き、しかもそれを過度に花だと思って求める姿勢があるせいで、それに付随してくる女の人格が必要以上に糞に見えるということだと思う。

体はどうでもいい、と徹底的に割り切って接してみると、意外と人格がどうこうは気にならなくなってきたりするんじゃないだろうか。

下記に詳しく書くが、それでも人格が糞に感じた場合は、女というよりその人間が糞だというじゃないだろうか。

女さえも女は糞。まんこは花だと思っているケース

男の知り合いにこの詩を聞かせたら、今のところ全員が、その通りだ、という回答をくれた。

試しに女の知り合いにも言ってみたら、なるほど、という反応や、その通りだ、という反応をする人もいた。

(というか、さすがに怖いので、そのような反応をしそうな人にだけ言ってみた。)

詳しくはきいていないのでわからないが、女がその詩に同意する場合は、女の敵は女とも言うので、やはり自分も含めた女(女性性)は糞だが、まんこ(子供を産めるという機能)は花(持ってるから嬉しい)ということなんだろうか。

女は糞。まんこは花。と言う詩を聞いてキレる女こそ糞

そういう反応をする女性を見て思ったが、この詩をきかされてキレたり、感情的になる女は、女としてというより、人間として糞なんじゃないだろうか。

性別でなく人間という観点

例えば俺は、「男は糞。ちんこは茎。」

という詩を、女に朗読されてもなんとも思わない。

なぜなら、女は糞。の詩もそうだが、それらの詩は男女という性別を説明している詩なので、自分の性別が男であることは一旦置いておいて、人間という観点から、その詩がどういうことなのか理解しようとしているからだ。

その詩を理解しようとしているときの俺は男性である前に人間なので、男性をバカにされた=男性である俺をバカにされた!

という感情は出てこない。

人間は糞。性器は花。

おそらく、人間は糞。性器は花。と言われた場合も腹は立たない。

おそらくその詩を読むのは自分と同じ人間だと思うので、女が女に女は糞。まんこは花。と言ったり、男が男に男は糞。ちんこは茎。と言ったりするのと同じで、お前も人間じゃないか、という気持ちが先んじてきて、腹が立たないのだと思う。

結局は個人個人が糞

脱線したが、結局のところ、女は糞。と言われた時に、人間という観点に立てずにキレる女こそ糞、男は糞。と言われた時に、人間という観点に立てずにキレる男こそ糞。

結局は個人個人が糞。

ということなんじゃないだろうか。

しかし、男性の脳は論理的で、女性の脳は感情的、と言われるように、割合的に、キレるのは女のほうが多いせいで、一般的に女は糞。という認識が多くなり、女は糞。まんこは花。のような詩も生まれてきたんじゃないだろうか。

さいごに

お下劣な内容で長々と書いてしまいましたが、俺はあくまで真面目に考えたつもりです。

これからも、「女は糞。まんこは花。」という至高の詩は、俺の心の中に残り続けると思います。

まぁそんな感じです。

こんなところでどうでしょうか。

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