人によって態度や意見を変えたり本心を隠したりする”装い者”に対する認識が変わってきた

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俺は今までリアルの知り合いの慇懃無礼八方美人天パなど、人によって態度や意見を変えたり本心と違うことを言い、人脈を作って利益を得ようとする『装い者』を死ぬほど憎んできたが、最近認識が変わってきた。

本心を隠す人間
この記事も、『顔が嫌いな人間の人格を好きになることはない』という記事と同じように、連続ツイートの下書きを推敲して書いたもので...

すべての人間に対して同じ態度の人間はいない

まず装い者は「人によって態度を変える」というが、別にそれはほぼすべての人間がやっていることだ。

逆に「どんな人間に対しても同じ態度をとる」というのは異常すぎる。

それは、親しい人にも初対面の人にも全く同じ態度で接するということになる。

そんなことをするのはありえないし、そんなことをしても自分に利益がない。

前の思考のゴミ箱の話だが、俺は普通の人の何倍も、頭の中にアイデアや言いたいことが湧いてくる。

思考が湧いてきた時はに「この思考はブログに、この思考はTwitterに投稿しよう」と考えるし、同じように「この考えはこの人に話そう、この考えはあの人には話さないでおこう」と、ちゃんと自分なりに適材適所に思考を公開する場所や話す相手を決めている。

すべての思考を一つの場所、一人の人間だけに吐き出しているとしたら異常だ。

誰に対しても同じ態度をとるのもそうだが、すべての場所、すべての人に、共通の思考を垂れ流す、というのは何かしらの精神疾患としか思えない。

装い者も結局、俺と同じで、自分なりに適材適所に考えや意見を言う人を選んでいるんだろう。

恐らく多くの人がそうだろうし、それに特別ブチ切れるのはおかしいのではないかと最近思う。

装い者は意見や態度の切り替えがあからさまで、本心の隠し方があからさまだから、目立つんじゃないだろうか。

思ったことをすべて垂れ流す人間はいない

装い者は「本心と違うことを言う」という特徴があると思うが、逆に、頭に湧いてきた思ったことをすべて口から出している人間は病気だ。

ハゲの人がいて「ハゲの人がいる」という思考が湧いてきたら即座に「ハゲ!」と叫び、さらにそれが面白いという思考が湧いてきたら「あなたハゲてて面白いですね!」という風に、思ったことをすべて言う人間はいないと思う。

そこで問題なのはそのハゲの人が自分にとってどういう距離感かだ。

さっき親しい人と初対面の人の話をしたが、例えばそのハゲの人が親しい人なら、自分も「この人とは親しいのでこの思考はこのまま言っても大丈夫だ」と判断し、言うだろう。

初対面だったら、初対面だから失礼に当たるな、と思い言わないはずだ。

それは多くの人が日常的に当たり前にやっている判断であり、装い物が特段狡猾とはいえないと思う。

人は自分の利益になることしかしない

それもすべて「そう判断するのが自分にとって利益になる」からやっていることだ。

「ハゲだと思ったけどこの人は初対面なので言わないでおこう」と選択するのは当然自分の利益のためだし、逆に、「相手が初対面であろうと、ハゲだと思ったからハゲと叫ぼう」という人も、それが自分にとって利益だと思うからやるんだろう。

アドラー心理学では、人間のすべての選択(行動)は優越感に基づいているというらしいが、それは利益とも言い換えられると思う。

人間には生存したいという欲求があり、三大欲求があり、すべての選択はその欲求に基づいているので、あらゆる選択は自分のためになること(利益)ということになる。

なので装い者に対して「自分の利益を得るために装っている」というのは的はずれだ。

なぜなら、「装わない」と選択することすら、装わないことで得られる利益を求めてそうしているからだ。

装い者に嫉妬している

結局、俺が装い者にむかつくのは「あの人と同じ態度で俺に接してくれ!」という、嫉妬の類なんじゃないだろうか。

上述のように、人は思考の種類や、相手との距離感によって態度や意見を変える。

親しい人と、そうでない人に対しての態度は絶対に変わる。

俺が装い者に対して「それ本心じゃないだろ。裏で何か言ってるんだろ」と思ってムカつくのは、「俺にも、裏で本心を話す相手と同じ態度で接してくれ」という欲求から来ている気がする。

つまり俺は、装い者に「あなたは親しくないから、裏にいる親しい人に話していることは話せないよ」という態度をとられているのが悔しいんだろう。

結局俺は、装い者に対しても、親しくしてほしい、距離感を縮めてほしいんじゃないだろうか。

大多数が装い者であり、利益にならないことはやらない

装い者の定義が「人によって態度を変える」「思ったことをすべて言わない」「自分の利益のために行動する」というものなら、大多数の人が装い者だし俺も装い者だ。

現に俺も、仕事用に別のTwitterがあるし(リア垢ではない)、そこで呟いている内容は仕事のことだけだ。

その垢では同業者しかフォロワーがいないので、別のことを呟くメリット(利益)がない。

同時に、その垢のフォロワーは親しくないと思うので、生活のことや、「親しい人にしか話さない」ことは話さない。

必要が無いこと(利益にならないこと)はやらないだけなので、これも特段異常なことではない。

好きな人に対する態度

ところで、多くの人は「好きな人」の前で、大きく態度が変わるはずだ。

直感的に、好きな人には好かれたいと思うし、そうすると、「その人に好かれないような言動」は自分の利益にならないので、しないということになる。

好きな人に対して不満点が湧いてきても、好きな気持ちが強いなら、不満をそのまま言う、という選択は利益にならないことが多いと思うので、しないはずだ。

それを装いだと言って糾弾するのは違う気がする。

もしくは、好きな人の前以外ではどれだけ失礼な人間でも、好きな人の前では自然と失礼なことを言いたくなる、というのも不思議ではない。

それに対して、「人によって態度を変えてる!」と責め立てるのもおかしい。

そう考えると、「本心を隠す人間」という記事で糾弾したドラクエ10の男が「もみちゃんが好きだから」と言って、他の人と違う態度を取っていたのも納得できるし、それを責め立てたことを反省してしまう。

装い者にむかつくのは

ここまで考えて、ほとんどの人は定義の上では装い者だし、自分もそうだと頭ではわかった。

それでも腹が立つのは、やはり装い者に「騙された」と思ううこちら側(受け取り手)の問題じゃないだろうか。

例えばさっきのハゲの件だが、ある人が「このハゲの人は親しくないので、ハゲで面白いと思ったけど言わない」というごく自然な選択をしたことに対して、そのハゲの人が「心の中でハゲだ面白いと思ってるのに本心を隠しやがって!欺かれた!」と思った瞬間、言わないという選択した人は装い者になってしまう。

ちょっとわかりづらかったかもしれないが、つまり、ほとんどの人が定義の上では装い者である以上、それを悪だと決めるのは「受け取り手側」の問題だということだ。

しかもその受け取り手側がそこまで怒るのは、上述のように「親しくして、俺にも本音を話してくれ!」という嫉妬であることが多い。

つまり装い者に激怒するのは、受け取り手の劣等感や嫉妬の産物でしかないんじゃないだろうか。

俺は自分が(多くの人が)定義の上では装い者であることがわかったので、考えが「装い者」視点になってきているからそう思うのだろうか。

今はどちらかというと「装い者に激怒する人間」視点がなくなってきているからそう思う気がする。

装い者は一般の人に比べて装いの度が過ぎている

さっき、全ての人間は装い者だが、中でも特に装い者と呼ばれる人間は、態度の切り替えがあからさま、と書いたが、装い者にムカつくのは、その態度の切り替えっぷりが、自分の閾値を超えているからかもしれない。

少しならいいが、こいつはあからさまに態度を変えすぎている、という風に、装いの閾値が自分の受け入れられるレベルを大きく超えているからムカつく、という可能性もある。

本心を隠すのも、ある人の前ではあまりにも徹底的に隠し、ある人の前ではあまりにも隠さなさすぎる、という姿を見てしまうと、こちらの装いに対する怒りの閾値を超えてしまう。

だから俺は慇懃無礼八方美人天パや、ドラクエ10のプクリポの男の装いにキレたんだと思う。

さいごに 装い者に怒っても仕方がない

繰り返しになるが、殆どの人が、そして自分自身も、人によって(距離感によって)態度を変える、本音を言う相手を選ぶ、ということをしている以上、装い者だから、という理由で怒ってみても仕方がない。

装い者だから怒る、ということは、自分を含む大多数に怒っているのと同じことだ。

自分がその人間に腹が立つのは、そいつが装い者であるからというより、さっきも言ったように装いの閾値を超えているからか、もしくは単に「その人間」そのものに腹が立つんじゃないだろうか。

前の「ジェンダーや国籍や年齢という特徴で人を一括りにするな」という話と同じで、人を「装い者」という特徴で一括りにせず「その人間」という全体で見て、唯一無二の「その人間そのもの」にブチ切れたほうが良いと思う。

まぁそんな感じです。

こんなところでどうでしょうか。

本心を隠す人間
この記事も、『顔が嫌いな人間の人格を好きになることはない』という記事と同じように、連続ツイートの下書きを推敲して書いたもので...

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