本心を隠す人間、演技性人格障害、装い者、カマトト、慇懃無礼、八方美人の本音を暴き出すには拷問・尋問しかない。

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この記事も、『顔が嫌いな人間の人格を好きになることはない』という記事と同じように、連続ツイートの下書きを推敲して書いたものです。

某所で出遭ったとある人物を見て、俺がずっと前から言っている慇懃無礼八方美人などを始めとする、本心を隠す”装い者”の恐ろしさを改めて感じてしまった。

この記事は約5000文字あるのでだいぶ長いです。

だれにでも「いい顔」をしてしまう人 嫌われたくない症候群 (PHP新書) 新書 – 2007/4/17

装い者

今まで、建前ばかりで本音を話さない人間のことは、慇懃無礼や八方美人や、慇懃無礼八方美人などと呼んでいたが、長すぎるので、これからは”装い者(よそおいもの)”と呼ぼうと思う。

そして、建前ばかりで本音を隠して芝居のような態度をとることを、”装う”と呼んでいこうと思う。

すべての人間は装っている

そもそもほとんど人間は、ある程度本音と建前を使い分けて、意味もなく本心をさらけ出すことはしないと思う。

つまり基本的にはほぼすべての人間は装っている。

なので俺は装っている人間が嫌いというより、装い方、装いの度合いによってその人物が嫌いか判断している。

演技性人格障害

最近はむやみに人格障害という言葉を使わないようにしているが、その人物は、演技性人格障害じゃないかと思うほど、多くの人間とは装いのレベルが違った。

彼は普段の喋り方が常に芝居がかっているのは当然として、本心では思っていないおべっかなどを言うのにも積極的だった。

カマトト

それだけではなく、誰もが知っていて、自分も当然知っているような一般的な言葉さえも、人との会話の中で出てくると、「…○○って、どういう意味?w」

と、わざと知らないふりをすることで可愛さや幼さをアピールし、人にそういった印象を植え付けてポジションを確保しようとしていた。

ここまでは俗に言うカマトトということで、まだよくあるとは思うのだが、彼には、他の装い者にはあまり無いレベルの装いへの徹底ぶりがあり、俺は心底恐ろしいと思った。

人前で晒すすべての言動、すべての感情が芝居(装い)

それは簡単に言えば、人前で晒すすべての言動、すべての感情が芝居(装い)だということだ。

例えば、「いい加減カマトトが鬱陶しい、本心はどうなんだ」

と問い詰めてみると、「うぅ、ひどいよぉ…」

といった反応をするのだが、これも装いなのだ。

そして更に問い詰めると、「…わかった。じゃあ本当の気持ちを話すね…」

というような反応をするのだが、さらにこれも装いなのだ。

さらに、「いや、それも装いだろ」

と言ってみても

「だから違うって…。もういいよ…w」

という反応をするのだが、当然これも装いなのだ。

ここまでくると、逆にこっちが統合失調症などの病気なのではないかと傍からは疑われてしまう。

まぁ俺は境界性人格障害だと思うので病気といえば病気なんだが。

そして結局、できるだけ詰めてみたが徒労に終わった。

芝居の舞台に上がったつもりで人と接している

それで思ったが、彼は人とコミュニケーションを取るとき、その相手との関係において、自分が最も利益を得られる役柄を作り、芝居の舞台に上がっている感覚でいるのではないかと思う。

こちらは芝居をしていないし、舞台に上がっているという意識もない。

しかし相手は人前で見せるあらゆる言動や感情を、芝居として、本心とは全く切り離した意識でやっているので、こちらがどれだけ詰めても無意味に終わる。

俺への対応が芝居(装い)だと確信した一件

彼が完全にそういった芝居をしていると確信したのは、彼が好意を抱いているであろう異性に対しては、一人称さえも変えて、普段とは全く違う口調で接していた、ということを人に聞いたときだ。

しかし、その異性に対しての接し方も装いかもしれない、ということを忘れてはいけない。

そうなると、彼の本心(本質、核心、芯)の部分はどこなのか、なんなのか、というのが更に気になってくる。

それについては記事の最後で書きます。

演技性人格障害から解離性同一性障害へ

装いが極まって、自分でもどういう相手に対してどういう人格を使えばいいかこんがらがって、解離性同一性障害にでもなって、人格ごとの記憶が乖離し、連続性がなくなったりすると面白いのだが。

言い過ぎた。

なぜ芝居(装い)をするのか

結局、人とのコミュニケーションを取るときに舞台に上がる気持ちで徹底的な芝居をする、という、目に見えた部分から導き出せるのは、とても人に晒せない本心があったり、人に本心を傷つけられた経験があるんじゃないかということだ。

つまり、異常なほど徹底した装いの裏には、異常なほどつらい経験があるのではないだろうか。

解離性同一性障害も、幼少期の虐待など辛辣過ぎる経験から、本心と切り離した人格を作って、本心を守りたい、という防衛本能から発症するという。

装い者とは関わらない

こちらは生身だが、相手は装いという鎧を着て接してくるので、その場合、基本的にこちらが傷いたり苛ついたりするだけで、徒労に終わるということが彼とのコミュニケーションを通じてわかった。

こちらに装いの技術がない場合、装いの度合いが高い人間とは関わらないのが一番良いんじゃないだろうか。

もしくは、その人とは絶対に本音で話し合えない、と、割り切って関わるしか無いと思う。

装っていることを明示できる装い者

個人的には、普段から装っていても、真面目な話を持ちかけたときはスイッチを切り替えられる人間や

普段のは装いだよ、とちゃんと明示して説明してくれる人間はましだ。

そうやって他人を納得させられる装いには、そこまで腹は立たない。

ただ、装っている人間にそういうことができる人間は少ない。

もしくは、本当に信用できる人間にしか本心は明かさない。

自分の普段の役柄や、芝居のリアリティを崩壊させないためには、仕方がないのだと思う。

受動的な装いと能動的な装い

装いにも受動的なものと能動的なものがあると思う。

例えば、普段から思ってもいないおべっかなどを言って人の機嫌を取るのは、能動的な装いだ。

本当はどう思ってるの?と人にきかれたときに、思ってもいない無難な答えをするのは受動的な装いだ。

きかれたら本当のことを答える

個人的には、上にも書いたが、普段は装っていても装っていなくてもどちらでもいいが、本当はどう思ってるの?ときいたときには本心で答える人間はましだと思う。

例えば、不細工な人間に、かっこいいですね美人ですねと自分から言って、本当にそう思ってるの?と詰められたら嘘です、と答えるくらいの装い度合いならましだ。

最初から装わず、自分からは何も言わない

当然、最初から装わず、顔に関しては何も言わないほうがいいんじゃないだろうか。

その場合も相手から詰められたら、本心を話すか、ノーコメント、というほうがいい。

間違っても、彼のように相手から詰められているのに嘘をついてはいけないと思う。

何度も書くが、詰められても装い続ける人間と言うのは本当に信用できない。

ゲームにおけるロールプレイ

その人物とは某ネトゲで出遭った。

そもそもRPGは、ロールプレイというまさに装いや芝居でプレイしていく、というスタイルが許されているので、装いでもなんでもいいと思うが、せめて詰められたときは本心で話せと思った。

ネット上の文字でのコミュニケーションは、リアルに比べて装いやすい

つまり、上記の話はあくまでネット上のチャットでの話だ。

文字でのコミュニケーションは、装いの技術が低い人間でもある程度人を欺けると思う。

これが通話、ビデオ通話、リアルでの対面、となってくると、相当な技術と精神力がなければ、あっという間に装いの鎧は崩壊してしまうと思う。

リアルは言葉だけじゃなく、表情、声色、仕草など、あらゆる情報を装わないといけなくなるので、舞台役者でも装い切るのは至難の業なのではないだろうか。

ドラマや映画の撮影のようにカットはなく、舞台のように常に観察の目にさらされている。

しかも、あまりにも大仰に芝居じみた人格を演じると、相手は違和感を覚え、もはや人を欺ききれず、利益も得られないだろう。

装いの度合い、技術が高い人間の本心を暴くにはどうするか

装いの度合い、技術が高い人間の本心(本質、核心、芯)を暴くにはどうするか、ということを、俺はずっと考えていたが、先日とある人に訪ねてみると、すごく腑に落ちる回答を得られた。

本心とは

まず、人の心の、本心(本質、核心、芯)と呼ばれるものは何なのか。

と定義しようとすると難しい。

装っている姿も、その人間の心が根底にあって表出しているものなので、本心と言えば本心ということになってしまう。

しかしそれは俺が思うような本心とは明らかに違う。

本心(本質、核心、芯)=極限の精神状態で表出する態度

そのとある人にたずねてみてわかったのは、本心(本質、核心、芯)の定義は、”極限の精神状態で表出する態度”

ということだ。

極限の精神状態とは、とても強い恐怖、とても大きな動揺、とても大きな喜び、とても大きな悲しみなど、自分の意思ではコントロールできないほど大きな感情の動きのこと。

その感情の動きが出ている中で表出した態度こそが本心であり、恐怖心、羞恥心、劣等感など、その人間の根底にあり、人生での様々な選択や、装い方の基盤となっている、行動原理のようなものでもあると思う。

極限の精神状態に置くことで、装いという、玉ねぎで言うところの皮の部分を引き剥がすことができ、その奥にある芯(本心、本質、核心)、行動原理を、暴き出すことができるんじゃないだろうか。

本人でさえも自分の本心や行動原理に気づいてないことも多いと思うので、他人や自分の本心や行動原理を知るのに、極限の精神状態に追い込むという方法は効果的だと思う。

今回は恐怖という方法で極限の精神状態に追い込む場合について書いています。

喜びなどの快の方向で極限の精神状態に追い込む場合については、よくわからないので割愛します。

拷問、尋問

例えば拷問や尋問なども、装いや嘘を暴き、人の本心を知るために発展してきたものだと思う。

ネット上の文字のコミュニケーションで、「本当のことを言え!」

と問い詰めても、大抵の人は動揺しづらいが、リアルで身体的に苦痛を与えられたり、脅されたりすると、大抵の人間は強く恐怖し、動揺するんじゃないだろうか。

自分ではコントロールできない反応が出る

当然、そういう最大の恐怖を与えられたら、大抵の人は、普段とは態度が一変するはずだ。

その時はその時なりに、その恐怖から逃れるための装いをする、とも言えるかもしれないが、平常時と決定的に違うのは、”自分ではコントロールできない反応”が出てしまう、という点にあると思う。

例えば最大の恐怖を与えられると、失禁したり、大量に発汗したりなどの、自分ではコントロールできない反応が出てしまうはずだ。

その極限状態で表出した反応が、普段の装い方などの基盤になっている、本心(行動原理)である可能性が高いということだ。

そして、反応だけじゃなく、本当はどう思っているか、ということも聞き出せるんじゃないだろうか。

スパイなどは、そういう極限の精神状態でも本心や真実を晒さないように、鍛えられているのだと思う。

装っている人間やスパイは、つまり”嘘”をついているわけなので、その嘘を暴くには、拷問や尋問などの身体的精神的苦痛を与えて、極限の精神状態に追い込む必要があるんだろう。

さいごに

そんな感じで、いくら装いの人間にムカついて、本心を暴きたいと思っても、人を極限の精神状態に陥らせるのは、大抵の場合法律に触れると思うので、実行することは不可能だと割り切って、装いの度合いが高い人間とは関わらないようにしたい。

本心を暴くといっても、結局自分以外の他人の心や精神状態を体験することはできないので、どこまでいっても想定の域を超えないのも事実だと思う。

最後の方は、だいぶ詰めが甘い感じがしますが、とりあえず俺はそれで納得したのでよしとします。

まぁそんな感じです。

こんなところでどうでしょうか。

だれにでも「いい顔」をしてしまう人 嫌われたくない症候群 (PHP新書) 新書 – 2007/4/17

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